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ダグラスの社会信用論(連載7)  [Basic income]

決定的な飛躍
ダグラスの多くの門人の間には期待にみなぎった真剣な雰囲気があった。すなわち、人間の社会的・文化的発展に向かう決定的な飛躍がなされるのかどうかという歴史的な瞬間に、彼らがいるという感じがあった。意外にも、高名な金融界の中心人物たちが銀行システムに関する啓示的な論評をし始め、ダグラスの提案を公開的に支持することも広がった。そのうえ、彼らはダグラスの非妥協的な用語を繰り返し強調した。
例えば、イングランド銀行の前総裁レジナルド・マッケナはこう述べた。「私の考えでは、一般大衆は銀行がお金を創造し破壊するという話を聞きたくないのではないかと思う。」彼は付け加えて述べた。「国の信用システムを統制する人々が政府の政策を左右し、自身の手中に国民の運命を握っている。」イングランド銀行のもう一人の総裁であったヴィンセント・ヴィッカーズは、貨幣改革の確固たる提唱者になったが、ロバート・アイスラーの本に付された序文で次のように書いた。
現行の貨幣制度はわれわれの現代文明に適しておらず、世界に対してますます脅威になっている。…私は大衆にこうした話をする資格があると思う。すなわち、今日この国の貨幣システムが最も科学的で現代経済学者に知られている最新の方法によって仕事をする「公認された貨幣専門家たち」によって運営されていると信じるなら、完全に誤りである。…イングランド銀行はこれ以上現代経済学者の努力を窒息させてはならず、すべての「貨幣改革者」を、自身の権威を簒奪しようとする無礼なおせっかいと見なしてはならない。…共同体の大きな部門で貨幣改革を熱烈に要求しているこの時、政府は他の場所で助言を求め公開的な討論を奨励しなければならない。…われわれの失業と不確実性の根本原因は、新たな機械設備を備えた「生産的企業」ではなく、古いメカニズムで動いている「金融」にある。「金融」は現代の必要に適応することに失敗した。
恐らく最も偉大な変身は、もう一人の前イングランド銀行総裁ジョシア・スタンプ卿の場合であろう。自身の小冊子『課税による独裁』の冒頭で、ダグラスはスタンプ卿がその頃行った発言を引用している。
わずか数年前でさえ、今のような規模の税金が、革命を伴わずにイギリス国民に賦課されうるであろうと信じた者は誰もいなかった。私は教育とPRを通して、この規模が非常に注目に価するほど引き上げられうるという希望を持っている。
ダグラスはスタンプ卿と彼の提案を徹底的に嘲弄しながら、政府が貨幣供給に失敗している状況で、「課税というのは合法化された盗みであり、不必要で浪費的で専制的なもの」であることを強調した。そして、その何週間後かに、スタンプ卿は銀行と財産獲得と奴隷制の意味に関連して驚くべき発言をした。「われわれが奴隷になることを望み、この奴隷制にかかる費用を支払うことを望むなら、銀行がお金をつくり出すようにすればよい。」これは、ダグラスが及ぼした影響のせいであった。ダグラスの影響を受けた多くの人々は、金融システムに関する彼の分析の重要性だけでなく、その分析がかなり重大な政治的問題を表わしていることを見抜いた。
こうした非常に政治的で哲学的な脈絡で、ダグラスは自身の後期の提案を行ったのである。彼は自身の様々な勧告案が、ただ示唆的な提案として意図されたものであることを繰り返し強調した。根本的なことは金融システムの変更の必要性であった。そうして彼は、改革原則の輪郭を描くことを好み、具体的な細部の問題からは逃れていた。例えば、『社会信用論』で彼は、「国民配当」に関する提案を説明するのに、1段落以上の文章を費やさなかった。賃金が現在の状態に留まる限り、
配当が[なければならない]。配当は全体的に今「生産する」人々の生計維持に必要なものよりさらに多く生産された生産物すべてを購入できるようにするであろう。…そうした条件の下で、すべての個人は世代から世代に伝承されてきた文化的遺産の恩恵を正当に享有するだけの購買力を所有することになるであろう。
「社会信用」は世界全域にわたり重要な政治的運動になった。カナダのアルバータ州では、社会信用政府が選挙によって成立した。しかし、ダグラスのアイデアに立脚してその政府が金融システムを改革しようとしたすべての試みは、カナダ中央政府によってブレーキがかけられた。第二次世界大戦は成長していた社会信用運動の動力を完全に挫折させ、後にアルバータ州政府は「英雄に適した土地」を約束した。そうして農村と都市の再建のために新たな中央集中化されたプログラムが実施されて、莫大な融資が注入され、数多くの仕事が提供された。戦争直前までの金融システムの巨大な失敗は、戦後の好況のなかで忘れ去られた。経済的民主主義の問題は「新エルサレム」建設という戦後の雰囲気の中で簡単に無視された。
その後、ダグラスのアイデアはだいたい看過された。それは無視されたり現代福祉国家体制の中では古い考えであると規定された。しかし、スコットランドに拠点を置く「社会信用事務局」は、ダグラスの著作を引き続き出版し、政治及び経済問題に関して論評する定期雑誌を発行してきた。だが、マスメディアは関心を示さなかった。今70歳以下の人の誰であれ、クリフォード・ヒュー・ダグラスや「社会信用」に関して言及したら、彼らは恐らく「誰でしょう? …何ですって?」と言うであろう。しかしダグラスは、当時はとてつもない政治的影響力を有しており、世界の舞台で活躍した主要人物であった。彼は世界全域に門人がいただけでなく、イギリス、日本、カナダ、ニュージーランド及びオーストラリアで数えきれないほど開かれた公式的調査会議に証拠を提出した。20世紀の最も明晰で執拗な経済・金融制度批判者であったダグラスの名前が現代の経済学史の教科書から抜け落ちているということは、衝撃的で憂うべきことである。これはダグラス自身の論評を想起させる事態であるためである。「今日金融が力を行使するのは…普通の個人が金融の本質に関して無意識状態にあるせいである。」この無意識は1952年にダグラスが死んだ後に、引き続きさらに成長してきた。
(続く)
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