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ダグラスの社会信用論(連載8)  [Basic income]

資本主義・社会主義を越えて
ダグラスの訴える力は階級の障壁を跳び越える。彼の門人たちは普通の労働者以外に、企業家や社会の富裕層の中からも出てきた。それは、彼のアイデアが「貧しい人が貧しいのは金持ちが富んでいるせい」という古い考えを見透かし、現代の貧困は金融システムに起因していることを示したためである。ダグラスは、現代産業社会ではすべての人の必要のために潜在的に豊かな生産物が取りそろえられていて、失業と進歩に内包された潜在的な余暇を皆が享有しなければなければならないと考えた。ダグラスは「希少貨幣」によってつくられた貧富間の感情的間隙を埋め、企業家と従業員の間の葛藤の溝を埋めた。バランスが取れた経済の動きに皆が共通の利害を有しているということは誰でも分かることである。それは皮相的な階級差よりもはるかに強力な共通の日々の実際的な利害であった。こうした意味で、ダグラスはマルクスやレーニンよりもはるかに鋭かった。なぜなら彼は、階級問題は本質的に実際的な問題の根源から焦点を逸らす抽象的論理であると見たためである。
貨幣がつくられ流通する過程に対する十分な理解は、実際に資本主義や社会主義理論のいずれにも欠如しており、そうした理論の本質的誤謬は、ダグラスの分析によって暴露された。資本主義と社会主義のいずれも、金融システムには基本的に何の誤りもないという仮定の上に構築されている。ダグラスは金融システムには根本的な欠陥があるだけでなく、まさにそれが社会主義・資本主義論争の背後にある「労働者と資本家」の間の分裂の原因であるということを示した。
社会主義と資本主義両者の本質的欠陥は、賃金依存人口の被搾取的地位、そしてそれによる私企業または政府機関を通した資本家や社会主義エリートの支配力である。それに対する代案は、ベーシックインカムと金融権力の脱中心化及びバランスによって代弁することができる。
左翼と右翼のドグマはいずれも人々を引き裂くように見える(しかしそうなる必要のない)経済的葛藤に対する誤った認識による反応である。社会信用論は人々の共通した利害関係に集中し、この利害関係の相互補完的関係に注目しつつ、社会主義の善意と資本主義の生産性を結合して、人々が相互利益のために仕事ができるように試みた。政治的・経済的理論の見地からいうと、社会信用論は資本主義と社会主義に対する「抑圧された代案」として描写することができる。
フランシス・ハッチンソンは最近、ダグラスのアイデアを再評価し、それが今日の状況で有する意味を分析した(Frances Hutchinson, The Political Economy of Social Credit,1997)。彼女の研究は、大衆的な目で見ればダグラスがあたかも青天の霹靂のように出現した存在であったようでも、実は彼は世紀転換期の「ギルド社会主義」運動で頂点をなした古い社会批評の伝統の中にあったということを示す。彼の金融に関するアイデアは新しいものであったが、彼の哲学はもう少し以前の、そして当時の改革家の哲学に根元を置いたものであった。ハッチンソンは社会信用論をかつてあったそのまま、また、今あるままに示す。すなわち、20世紀の最もラジカルであり、最も建設的であり、最も首尾一貫した経済的・社会的分析としてのものである。
クリフォード・ヒュー・ダグラスは驚くべき慧眼の持ち主であった。彼は経済的進歩、不安定、骨身にしみる個人的試練の中に、広範囲な物質的繁栄と社会的内容のためのチャンスが内包されていることを探求した。今日、ダグラスと彼の門人らがほとんど80年前に行った警告と予言は、新しく恐ろしい現代的形態で再現されて、私たちを容赦なく捉える。大規模な廃棄物、汚染、過労、失業、疎外、そして第三世界の悲惨な貧困と不安定等々。ダグラスの分析と彼の提案は、「豊かさの中の貧困」に苦しめられた彼の時代よりも、今日はるかにより大きな意義を有している。
(了)
(韓国語訳者:キム・ジョンチョル)
*本稿の翻訳を勧めていただいたキュンキュンさんに感謝します。おかげでダグラスの思想の概略を知ることができました。
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