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『ジニのパズル』の謎 [Korea]

在日朝鮮人文学との出会い
学生時代に出会った在日2世の友人(父が韓国人で母は日本人)との出会いを通して在日問題や韓国・朝鮮に関心を抱いた私は、20代を通して、金達寿(キム・ダルス)、金石範(キム・ソクポム)、李恢成(イ・フェソン)らに代表される1世・2世の在日朝鮮人文学に深い共鳴を覚えて耽読した。しかし、その後、李良枝(イ・ヤンジ)や柳美里(ユ・ミリ)ら第2世代の在日作家らが登場すると、そこにある種の違和感を覚え、その後、在日文学からは遠ざかることになった。
その後私はニューカマーの韓国人と結婚し、韓国にも3年間住んでみて、私が在日朝鮮人文学を通して知った在日家庭に共通する特徴―父母を敬い、親族のつながりを大切にし、先祖の供養を怠らないといった儒教的風習はもとより、酒飲みで妻や子どもに暴力的な父親像、それに対して「アイゴー、アイゴー」とただ嘆くだけしかなすすべを知らない母親像―といったものは、実は植民地時代の遺物、少なくとも南の韓国ではタイムカプセルの中に閉じ込められた過去の家族像であることを知るに至った。
もっとも、在日家庭も3世、4世の世代になれば多分に日本人化し、そのうえ、この四半世紀のうちにも多くに人々が日本に「帰化」した。
在日韓国・朝鮮人という歴史的に特別な過程をたどって形成された人々も、戦後70年も経てばその様相は大きく変化して当然だ。それは例えば、在米日本人、ブラジル移民3世・4世・5世といった人々、さらにいえば、アメリカのアフリカンや世界中の難民や移民のたどる歴史と共通するものがあるだろう。民族的風習が失われ同化するのも無理はない、言語に至っては、2世以降どんどん失われていくのは防ぎようがない。

朝鮮人学校の特殊性
そうしたなかで、日本の朝鮮人学校が守ってきたものは、戦後史の中でかつて日本の植民地支配によって奪われたものを取り戻し守っていくという1世たちの強い民族意識に支えられてきたとはいえ、今となってはそれは歴史遺産的存在になったといってもいい。
私が長らく疑問に思ってきたのは、例えば制服としてのチマ・チョゴリだ。日本の和服同様70年前までは日常服として珍しいものではなかったチマ・チョゴリも、北朝鮮も含めて、今ではそれは日本同様、特別の日にしか身につけるものではない。また、女子だけがチマ・チョゴリで、なぜ男子生徒はパジ・チョゴリでないのかも不思議だ。現に、韓国系の数少ない民族学校の制服は、日本の私立学校同様、男女ともブレザーのところがほとんどだ。
また、朝鮮語を第1言語とするといいながらも、教師自身が2世・3世なので、その発音ははなはだ怪しいもので、朝鮮学校出身者でも何不自由なく朝鮮語が話せる人はそう多くはないようだし、話せる人も日本訛りがひどい人がほとんどだ。つまり、それは生きた朝鮮語とはいいがたい。
その点、上述した韓国系の学校では英語も含めて言語教育に力を入れていて、本国派遣の教師も多いようなので、生きた言語を身につけることができるようだ。民族教育の観点というよりも、より実用的観点に立脚しているのだろう。
70年代以降、金日成独裁への反発と日韓国交回復を受けて朝鮮籍から韓国籍へ移る人が増加したが、前述したように、今ではさらにそこから日本への「帰化」者が多数派になっている。だからといって、彼らのすべてが自分の出自を捨てて、完全に日本人化しているわけではない。80年代に李良枝が日韓の狭間で在日としてのアイデンティティーに苦悩した時期を通過して、今、多くの在日韓国・朝鮮人あるいは韓国・朝鮮系日本人は、アフリカン系アメリカ人、ヒスパニック系アメリカ人、日系アメリカ人、韓国系アメリカ人といった人々と変わらぬ、韓国系日本人、朝鮮系日本人としてのアイデンティティーを確立しているのではなかろうか。

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ピースがはまらないパズル
『ジニのパズル』という第59回群像新人文学賞受賞作で芥川賞候補作にもなった作品が注目されているというので、これは読まざるを得ないと思い読んでみた。
作者の崔実(チェ・シル)の経歴は1985年生まれの東京在住ということ以外未だ詳らかにされていないので想像に任せる以外にないのだが、作品に書かれている時代背景から考えて、主人公のジニは作者の分身と考えて間違いなかろう。どこまで作者が実際に体験したことなのか、どこからがフィクションなのかは定かでないが、ジニの朝鮮学校での体験を記した部分は、恐らく作者が10年以上暖め続け、何度も書き直して推敲を重ねてきた部分と思われる。金父子の肖像画をめぐる事件の記述は確かに圧巻だ。一方、ジニのアメリカ留学の部分は後から付け足したフィクションなのか、文体も少し違っていて、明らかに異質なパズルのピースという気がする。私も昔は純文学指向で、尊敬する大作家の文体を無理に真似ようとした時期もあったが、名だたる芥川賞受賞者の作品の珠玉のような文体は、詩人の紡ぎ出す言葉にも似て天性のもののようで、私のような者にはとうてい真似できないことを悟って以来、自然体を心がけるようになった。この作品も芥川賞候補になったそうだが、文体のみならず、構成を含む作品の完成度や掘り下げの浅さからいって、そこまで芥川賞の値打ちは下がっていないだろうと思った。
それはさておき、小説のサビの部分では確かに圧倒されはしたものの、この作品にはいくつもの謎が残る。
まず、ジニはなぜ日本の小学校に通いながら、中学校から朝鮮学校に通うことになったのか? 日本人の友だちもたくさんいたのに、たった1人の同級生の心ない言葉だけでは、朝鮮学校への転学を決意させる動機としては弱すぎる。また、小学6年生の少女の気まぐれとするにはあまりに突飛な選択のように思われる。
しかも、いざ自ら選択して入った朝鮮学校なのに、そこで朝鮮語を積極的に学んだり、チャング(太鼓)や民族舞踊などを積極的に習おうというのでもない。「누구?」(ヌグ:誰)という朝鮮語を「脱ぐ」という日本語と勘違いするくだりでは、正直笑う気にもなれなかった。なぜなら、音は確かに同じ「ぬぐ」なのだが、イントネーションが「脱ぐ」を「脱ぐ?」と疑問形にしても「누구?」とは全く異なるので、日韓(朝)両国語に通じている人だったら絶対に勘違いするような言葉ではないからだ。これが実際に作者が体験したことであろうとなかろうと、作者の朝鮮語力は未だにその程度のものなのだろう。
といって、私は作者を非難したり上から目線で見下すつもりはない。先ほども述べたように、3世、4世ともなれば、言語が失われない方がおかしいからだ。私がここでいいたいのは、こうした記述ひとつひとつが、前述した謎を深めるからなのだ。
テポドンが日本上空を飛んで太平洋に落下した翌日、ジニはチマ・チョゴリを着て登校しようとして酷い目に遭う。同様のことが当時実際に各地で起こり、人権問題化した。そう、これは民族問題というより、明確に人権侵害問題だ。80年代の第1次日韓ブームを経て、00年代の韓流ブームへと続く端境期にあって、戦後連綿と続いてきた在日差別の底流が一時的に吹き出した時期であり、その底流が今のヘイトスピーチへもつながっているわけだが、ジニの怒りはそうした日本社会の差別構造へと向かうのではなく、朝鮮学校へ、しかも、上述したような歴史遺産的な諸側面のなかでも最も象徴的な金父子の肖像画へのみ向かうのだ。一方で、私が常々違和感を抱いてきた女子のみのチマ・チョゴリは、唯一の親友のニナの民族舞踊を通して全肯定される。
朝鮮学校への入学とヘイトクライムまがいの被害、そこから金父子肖像画事件へと至る葛藤が、いくら中学1年生の少女だからといって、30歳を超えた作者の視点を通しても、納得いくような脈絡で描かれていない。それはとりもなおさず、そのことが作者自身にとっても、未だに完全に消化され理性的に整理がついていないからに他ならないのだろうか、とも思ってみる。
数年前に、ヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」という映画を観た。北へ渡った兄が25年ぶりに監視員を伴って家族の下へ一時帰国する話だ。すごくリアルな話だった。
また、それと前後して「アジアの純真」という映画も観た。こちらは方嶋一貴という日本人監督の作品で、ジニのようにチマ・チョゴリを着ていた朝鮮高校の生徒がヘイトクライムによって殺され、その双子の姉妹がテロリストになって日本社会全体に復讐するという物騒な話だが、ある意味説得力のある作品だった。
ジニは自らを「革命家の卵」と規定するのだが、日本の地における金父子への反乱は、あくまでバーチャルなたたかい、それは極端な話、ゲームソフトの中のたたかいと変わらないかもしれない。ハリウッドでの金正恩の首が飛ぶエンタメ映画が物議を醸したが、それほどまでに現実にコミットすることもない。
ジニは現実には学校側によって処分―退学、そして精神科への入院も学校側の手配によるものかもしれない―は受けたのだが、本国なら間違いなく公開処刑だから、この落差は大きすぎる。
そして、「事件後」の顛末も述べられなければ、ジニのその後の精神的葛藤の変遷も述べられない。
突如としてアメリカへ飛ぶ。そして具体性のない記述の果てに、ある種の「救済」を得る。
パズルを解く唯一の手がかりといえば、断片的に挿入される北朝鮮へ「帰国」して死んだジニの祖父からの幾通かの手紙だが、それこそばらけたピースのままだ。

日韓、日朝を超えて羽ばたく
日本人の父親とニューカマー韓国人の母親の間に生まれた私の娘は、作者とひと世代も歳が離れていないが、作者とは全く異なる人生を歩んできた。彼女も幼少期から自分に韓国人の血が流れることを隠すことなく日本社会で生きながらも、それと意識するような差別を受けることもなく育ち、2年半の韓国生活で韓国語も身に付け、おまけに英語も韓国語以上に堪能になった。日本語で母親と話すときはママだが、韓国語で話すときは自然にオンマとなる。サッカー日韓戦ではいつも熱烈に日本チームを応援するが、竹島問題では日韓共同管理にして仲よく資源を分け合えばいいではないかと小学生の時、新聞に投書した。
私自身も、若い頃は「贖罪派」に近い意識を持っていたが、3年間韓国に暮らし、韓国のおかしいところはおかしいとはっきり言える日韓関係を築かなければならないと思うようになった。そして、娘の成長を通して、今や韓国だ日本だとこだわる時代でないと思うようになった。
もちろん、在特会等のヘイトスピーチは人権問題として絶対許されないと強く思っている。歴史から目を背けてはならないとも思っている。北朝鮮の独裁体制が一刻も早く崩壊して北の住民たちに自由と豊かな生活が訪れることも願っている。
そんな私にとっても、ジニのパズルは謎が多すぎてちっともピースが埋まらない。
そういえば、娘は小さい頃ジグソーパズルが大好きで、ひとりで難なく完成させたトトロの絵は今でも額縁に飾ってある。今度娘に会ったら、ジニのパズルを解いてもらおうか。

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コメント 2

dolly

初めまして。
この作品が注目されることに違和感があった者の一人です。イ・ヤンジもそうでしたが、経済的に相当裕福な家庭に育った人特有の頭でっかちさを感じました。食うに困るときにはアイデンティティも糞もないのでは、と醒めた目でみております。
by dolly (2016-12-11 17:02) 

北野慶

在日文学の変容も、もしかしたらその辺に要因があるのかもしれませんね。だとしたら、新たな貧困の時代と韓国・朝鮮人差別(ヘイト)の時代に、在日文学はどのような次の変貌を遂げるのでしょうか?
by 北野慶 (2017-01-13 23:23) 

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