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さようなら、朝日新聞。45年間、どうもありがとう! [etc.]

僕は小学校4年生頃から、毎日、新聞を読むことが習慣になった。新聞は僕にとって知識の源泉であり、同時に社会や世界に対する関心や批判精神を育んでくれた。うちの父親は保守的な人間だったので、当時取っていた新聞は読売だった。それを、高校生になった時、僕が朝日に代えさせた。以来45年間、学生時代は地元紙となった北海道新聞と代わる代わる取ったり、3年間の海外生活中はご無沙汰したり、すごく恐ろしげな勧誘員に欺されて半年間読売を取る羽目になったりしたことはあったけれど、残りの期間は休刊日を除いて、日々、朝日抜きの生活は考えられないほど、朝日新聞は僕の日常生活に溶け込んでいた。もしかしたら、期間の長さからいって、長年連れ添った連れ合いよりも、実の親よりも、朝日新聞は私にとって身近な存在だったかもしれない。
2011年3月11日の東京電力福島第1原子力発電所の放射能爆発事故の時、Twitter上ではさかんに「東京新聞を読もう!」とつぶやかれていたが、僕の気持ちに変わりはなかった。それはひとつには、その年の8月からデジタル朝日に変えたばかりで、再び紙の新聞を読む気にはなれなかったこともあったが、それ以上に、僕にとって新聞は、情報源であり、それをどう自分に活かすかは読み方の問題という、メディアリテラシーに基づく確固とした考えがあってのことだっだ。東京新聞とて朝日と同じ商業紙である以上、「脱原発機関紙」などと言われた東京新聞を有り難く拝読する風潮には、むしろメディア妄信という危うさを感じもしていた。もちろん僕とて、読売のように、3・11以降も原発推進の立場に固執する新聞など、お金を出して読む気は毛頭なかった。だが、朝日、毎日はそれまでの報道姿勢を自己批判し、その後「脱原発」の姿勢を打ち出していたのだから。中でも朝日では、その後数年間続いた「プロメテウスの罠」の連載は、その反省の真摯さが感じられたものだ。
2年前に福島原発の吉田調書と慰安婦問題の吉田証言という2つの「吉田問題」で政権にはめられて謝罪に追い込まれた時は、もっと強気に対応しないと潰されると危惧しながらも、何とか持ちこたえたかに見えた朝日を応援したいとも思った。
しかし、今から考えてみると、やはりこの攻撃を攻撃ととらえず、不用意に対処したことが命取りになったのだろう。その後、朝日の政権批判の姿勢は徐々にトーンダウンしていった。
いや、そもそも3・11で「脱原発」の姿勢を打ち出しながらも、放射能問題では徹底して権力=原子力ムラ・国際原子力マフィアの論理に立った報道に徹したこと(その典型例が同じく2014年の「美味しんぼ問題」の報道姿勢)に、朝日の限界と今日の体たらくの萌芽を見てとれる。
だが、2年前には朝日も、政権の不祥事にはけっこうストレートな批判を展開していたものだ。高市早苗、麻生太郎、石破茂、石原伸晃らの「失言」を大きく報じて、厳しい姿勢を示していたのだから。もっとも、この年には松島法相が「うちわ問題」で辞任しているから、まだ政権の「自浄作用」(小渕優子もそうだったが、ウルトラ右翼の安倍の子飼い以外は、場合によっては切って捨てるというに過ぎないが)がはたらいていたともいえる。この時、松島みどりが法をいっそう遵守すべき立場の法相であったがゆえに、「うちわ」がよけい問題にされたという面があったが、だったら責任部署の大臣である高市早苗の今回の領収書偽造と総務大臣としてのデタラメ答弁はもっと許されないレッドカードものであるはずだ。
そもそも、歴代政権で辞任や罷免に追い込まれた大臣は枚挙に暇ないが、今回の白紙領収書偽造問題ほど分かりやすく、責任逃れできないスキャンダルもそう多くはないだろう。しかも、全く同様の問題が富山市議会で起きており、そちらは一地方議会の問題であるにもかかわらず、連日マスコミが報じ、議員の大量辞職、補欠選挙という事態に発展しているのだ。2012年以前の戦後のいかなる内閣に照らしても、新聞・テレビが、内閣のこの不祥事を連日取り上げれば、規模の大きさからいって、単なる数名の大臣辞職にとどまらず、内閣総辞職へと発展してしかるべき問題だ。
それが、昨年の官邸による一斉「ローラー作戦」で壊滅させられたテレビ各局はもちろん、主要紙でも一面で取り上げたのは東京新聞のみというていたらく。朝日も政治面ですらない、いちばん最終の社会面トップの扱いだ。
蛇に睨まれたカエルか、官邸の何がそんなに恐ろしいのか知らないが、権力の暴走をチェックする機能、権力批判の役割を放棄した新聞には一文の価値もない。良きにつけ悪しきにつけ、マスコミは世論をリードする役割を果たしてきた。そのマスコミがひたすら政権の顔色ばかりうかがい、忖度した記事しか書かなくなったら、権力は独裁化するばかりで、その独裁者が自壊するまで、政権は長期化するしかなかろう。

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白紙領収書疑惑の10人の現役閣僚と同じく菅官房長官、並びに任命権者の安倍首相


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朝日新聞には個人的にも知っている記者がおり、また、いい記事を書いている記者もたくさんいる。彼らには今後も頑張っていい記事を書き続けてほしい。だが、その記事を握りつぶされたり、意に沿わない記事を書かされる羽目になったら、むしろ外に出てでもたたかってほしいものだ。
僕は45年愛読してきた朝日新聞を、これ以上、毎月3,800円の購読料を払ってまで読み続ける価値がないものと判断して、今月いっぱいでの解約を申し出た。本当に残念なことだ。今後、まだ希望の持てる他紙があれば購読するか、あるいは各メデイアのネット上の無料配信記事の渉猟で満足するか、これからよく考えてみるつもりだ。
商業新聞にとってはスポンサー=広告料が第一で、その出稿元である大企業をスポンサーにする政権の意に背くことは即経営問題にも響くことかもしれないが、私のような長年の顧客をどんどん失っていくならば、中長期的に読者数の減少になり、それはそのまま広告単価の引き下げを招いて、結局、経営の根幹を揺るがすことになる。その時に後悔しても、もう立て直しは難しいだろう。そこまで考えて、朝日新聞の経営陣、編集権者には、賢明な判断を是非とも望みたいところだ。
今日の「天声人語」(83年前の曲がり角)を興味深く読んだ。1933年「ドイツではヒトラーが独裁の足場を固める。目はなぜかうつろで暗い。隣国フランスでは市民が防毒マスクの試着に追われる。」「同じ12月には「天皇家に男児誕生」の報。祝砲が鳴り、二重橋前に万歳の声が響いた。街には戦争の影があるにはあるのだが、人々は少しも深刻に見えない。鈍感なのか。あるいは政府から目隠しをされたのか。」この言葉を、朝日新聞の、いや、日本のすべての記者諸君に捧げる。


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