SSブログ

「テセウスの船」田村心の努力はすべてムダ骨?-タイムスリップとパラレルワールド [etc.]

祖父殺しのパラドックスとワームホール
1月の新ドラマで竹内涼真主演のTBS日曜劇場「テセウスの船」が始まった。父の冤罪を晴らそうと事件現場の小学校を訪れた主人公・田村心が、事件のあった31年前にタイムスリップし、真犯人を突き止め惨劇を止めようと奮闘する物語だ。あまり期待をせずに初回を見たら、思っていたよりずっと面白かったので、2回目以降も見ることにした。
実は、私はこういう現実にあり得ない設定のドラマはあまり好きでない。その典型例が、ふたりの記憶が入れ替わるというやつだ。解離性同一性障害などで何人もの人格を持つ人物などはありうるが、他人になりきり、かつその相手と人格が互いに入れ替わるなどということは絶対にあり得ない。まあ、それでも物語としてリアリティーを感じさせ、面白ければそれでいいのだが、どうも嘘くささが先立ってしまってドラマに入り込めない。
同様に、過去へのタイムスリップとかタイムトラベルも、一般にあり得ないこととされている。よくその証明として語られるのは、「テセウスのパラドックス」ならぬ「祖父殺しのパラドックス」だ。別に祖父でなくてもよく、要するに、自分が生まれる以前にタイムスリップして自分の親を殺してしまったら、自分は生まれてこないことになる。その生まれなかった自分が親を殺すことはできない-という理屈だ。また、もし未来にタイムマシンが発明され過去へのタイムトラベルが可能になったら、未来から現代に来た人がたくさんいるはずなのに、そのような人はひとりもいない、ということも過去へのタイムスリップが不可能な論拠としてよくいわれる。例えば、世間から脚光を浴びたいと思う人が未来からやって来て百発百中の予言者になることができるだろうが、現実に予言者と称する人の予言的中率は全くたいしたことがない。さらに、競馬好きの人間が過去に行って大金持ちになることも可能なはずだが、そんな人も見たことがない。
しかし、一方でアインシュタインはワームホールを利用して過去に行ける可能性を示した。現在まで、ワームホール自体が発見されていないので、これはあくまで仮定の仮定の話に過ぎないのだが、もしそれが可能ならば、上述したパラドックスはどう解決されるのか?

パラレルワールドが矛盾を解決する
私はこの矛盾を解くひとつの仮説を提示することができる。それは、過去へのタイムトラベルないしタイムスリップは可能だが、ある特定の過去に辿り着いた瞬間、パラレルワールド(平行宇宙)へ移行してしまうということだ。そう仮定すれば、上述した問題はすべて解決することができる。
まず、親殺しのパラドックスについては、私が行った過去は私の来た世界とは微妙にずれた異世界なので、たとえ私が親を殺し、私が生まれなくても、その世界では私が生まれない宇宙であるだけだ。そして、親を殺した私はその世界の私ではなく、異世界からの闖入者、正体不明の不審者に過ぎない。また、未来から来た「予言者」が、ことごとく重大事件を予言することができないのも、その世界は元いた世界とは微妙に異なるので、当然のこと。それでもたまに予言を的中させて世間を驚かせることはできるだろう。同様に、競馬好きのギャンブラーも、もし元の世界でギャンブルに金を注ぎ込み借金まみれの生活をしていたのなら、この世界では大穴を当てて家を一軒くらい建てられるかもしれない。ただし、それも時間が経過してもと来た時間に達するまでのことで、それ以降も競馬を続ければたちまち負けが込むことになるので、その時点できっぱり競馬をやめるのが賢明だ。
あるいは、なかには幼少期の自分と対面したくて過去に行く人もいるかもしれない。例えば私が14歳の私に会いに行ったとする。そうすると、私の記憶には、14歳の時に未来から自分を訪ねてきた数十年後の私と対面した記憶があるはずなのに、私にはそんな記憶がない。もしそうした記憶があれば、私が14歳の私に会いに行く目的は、純粋に14歳の私に会いたいからではなく、私が14歳の時に未来から訪ねてきた私に会ったので、私も14歳の私に会いに行かねばならないという義務感からということになってしまうだろう。だが、この矛盾も平行宇宙の概念を導入すれば、一気に解決する。
では、平行宇宙へ迷い込んだ私は、元の宇宙に戻ることができるかといえば、時間が枝分かれして以降、ふたつの宇宙はけっして行き来することができなくなるので、もしタイムマシーンで元来た時代に戻ろうとすると、戻った瞬間、私は消失してしまうだろう。そうなりたくなかったら、遡った過去で、正体不明の不審者としてその後の人生を送る以外にない。一方、元来た世界で私はどうなっているかといえば、突如失踪して二度と現われることのない行方不明者になるのだ。

「テセウスの船」の結末は?
話を「テセウスの船」に当てはめてみるとどうなるか? 田村心が31年前の音臼村の小学校にタイムスリップした瞬間、彼は平行宇宙に迷い込んでしまった。だから、その後、相次いで起きる事件も、死んだ妻が残したスクラップブックの新聞記事とは微妙に異なって起きることになる。それは単に、田村心がそこに介在したからというだけの理由ではないわけだ。そして、彼がその後、どんなに一生懸命真犯人を突き止めようとして、時には危険を冒してまで行動し、その結果、最後の小学校での大量殺人事件を阻止したとしても、それはそこの世界での出来事にすぎず、彼が本来果たそうとした元来た世界での父の冤罪を晴らすことにはならないのだ。元来た世界では、凶悪犯罪は敢行され、彼の父は逮捕され、依然拘置所に収監されて死刑を待つ身のままだ。そのうえ、田村心自身も、二度と元来た世界には戻れず失踪者扱いされることになるので、生まれたばかりの子どもは両親のいない子どもとして育つことになってしまう。
そして、田村心自身は、めでたく凶悪犯罪が起こらず、父親も冤罪の汚名を着せられずにすんだ異世界で、正体不明の闖入者として年を重ねていく以外にない。
私はこの原作を読んでいないので、ラストがどのように描かれるのか知らないが、もし31年後に幸せな日常を送る家族として描かれるとしたら、そこに登場する30歳の田村心ならぬ佐野○○は、一歩間違えれば父が冤罪で逮捕されて死刑を待つ身になっていたという記憶など保持してはいない。彼は31年前に母親のお腹の中にいた子どもにほかならず、一方、異世界から来た田村心は61歳の初老の人物として、上述したようにその世界のどこかでひっそりと生きていることだろう。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。