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パラレルワールドでも解決しない「テセウスの船」の矛盾 [etc.]

今季いちばん面白いドラマ
力作揃いだった前季に比べて引けを取る今季のテレビドラマの中でいちばん面白いのは、何といっても前にも触れた「テセウスの船」だ(「テセウスの船」田村心の努力はすべてムダ骨?-タイムスリップとパラレルワールド)[ちなみに2番目に面白いのは小泉孝太郎主演のテレ東系「病院の治しかた」]。その際に、この物語を単なる「あり得ない話」としてでなく「あり得る話」として見る方法としてパラレルワールドによる解釈をあげた。ところが、その後の展開を見ると、パラレルワールドによる解釈を導入しても取り繕いようのない矛盾点が次々と現われてきた。
例えば、田村心が再び引き戻された31年後の世界は元の世界とは異なる世界であることはパラレルワールであれば当然のことであるが、そこで細かい点でいくつもの矛盾が生じる。前回、私は心がタイムスリップした31年前の世界は元の世界をAとすればそれとは異なる世界Bであり、彼は31年後のAに戻ることは絶対できないし、戻ろうとすれば彼は消滅すると述べたが、ここで描かれている31年後の世界がAともBとも異なるCという世界であると解釈すれば、つまり、過去であれ未来であれタイムスリップするごとにパラレルワールドへと迷い込む設定と解釈すれば、同一の心身・記憶を持った田村心がA→B→Cへと次々タイムスリップしたものと首肯できる。

矛盾点の数々
だが、
①最初にA→Bにタイムスリップした心がそこで母のお腹の中とはいえ既に生命を持っている自分自身と対面したのに対して、Cではその世界で生を享けたもうひとりの田村心が存在せず、A、Bを経てきた心が唯一の田村心として存在している。
②その心を、獄中の父は31年前に出会った心と認識しているにもかかわらず、姉の鈴や木村さつきら他の登場人物は31年前の心を全く覚えておらず、心をCで生を享けて成長してきた心としてしか認識していない。いったいCの世界の心はどこへ消えてしまったのか?
私は原作を読んでいないので結末を知らなかったが、気になってネタバレの記事に目を通してみたら、28年前からタイムスリップしてきた加藤みきおが事件直前のみきおとふたりで陰謀を巡らすと知り、ますます混乱した。タイムトラベラーがふたり存在し、過去へ行ったときは過去の自分と対面し、未来へ戻るとふたりの人格がひとりに統一し、しかもタイムトラベラーの記憶を保持している。ご都合主義極まれりの感を拭えない。
いずれにしろ、結末はどうであれー恐らく当初の予想どおりハッピーエンド(心の父・文吾の冤罪が晴れる)で終わり、心と由紀が再び結ばれるとしても、それはA→B→C→…と遠く離れたパラレルワールドでの話であって、前回述べたように、元々のAでの父の冤罪は晴れぬまま、心と由紀の子どもが両親のいない子として育つ運命に変わりはない。

しょせんエンタメドラマ、上質なSFとはいえない
とまあ、文句ばかり述べてきたが、前回も言ったように、「あり得ない話」でもリアリティーを感じさせ面白ければ、エンタメドラマとしてそれはそれでいい。記憶・人格入れ替わりドラマが科学的に全く説明がつかなくても、また、死んで成仏できない幽霊ドラマが、ある人には見えて他の人には見えなかったり、人と交わることのできない実体のない霊体にもかかわらず、なぜかしっかり地に足をついて歩くことができたり、時には食事をすることができたりと、そういう類いの娯楽ドラマに突っ込みを入れること自体が野暮なのかもしれない。「テセウスの船」もそう割り切ってみれば(割り切らなくても)けっこう面白く見ることができるのだが、一方、少なくとも上質のSFドラマと言い難いことは確かだろう。

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