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無とは何か? そして絶対不可知のマルチバース [etc.]

無とは何か? この疑問に、普通の人は「何もない真空状態」のようなものを想像するのではないだろうか? だが、真空のエネルギーの存在はさておき、もしこの宇宙のどこかに光の粒子ひとつ、ニュートリノひとつ存在しないような「真の真空空間」があるとして、そこに果たして時間が流れているのかという問題を除いても、少なくとも3次元の空間が存在することは確かだ。絶対的な無とは、次元も物質・質量も何も存在しないものである。そしてそのような「無」は私たちが存在する宇宙-すなわち有の世界にあっては容易に想像することも、アナロジカルに何かに喩えて論ずることも難しい。

素朴で無邪気なマルチバース論
私が宇宙に興味を抱くようになったのはもう20年以上昔のことだが、まだ宇宙に関してほとんど知識のなかった頃、よく寝物語に次のような宇宙旅行をしたものだ。そうすると不思議と眠くなり、元来寝つきの悪い私でも数分以内に眠りに就くことができた。以来、私は就寝時に必ず宇宙のことを創造する習慣がついた。
-私は超光速の宇宙船に乗って、地球から任意の方向へひたすらまっすぐ宇宙を移動し続ける。すると、やがて星々の光が途絶えて真っ暗闇の空間に出る。宇宙の果てで、そこから先は宇宙の外だ。私はかまわずそのまま進み、しばらくしてふり返ってみると、われわれの宇宙がどんどん遠ざかっていき、やがて星屑のように小さくなり、それも消え果てる。その真っ暗闇の真空の中をさらに進んで行くと、前方に微かな光が見えてくる。私はその方向に宇宙船を進めると、光はどんどん明るくなり、やがて私が遠ざかってきたわれわれの宇宙のような大きな宇宙が姿を現わす。そこは、われわれの宇宙とは違うもうひとつの宇宙なのだ。
極めて素朴で無邪気なマルチバース論だ。実際に思考実験としてこのようなことがあり得るとしたら、私が「宇宙の果て」と思ったのはせいぜい超銀河団の果てであって、真空のエネルギーないしはダークエネルギーで満ちた闇の空間の果てに見えてきた光は、その先にある超銀河団に過ぎないだろう。
では、宇宙の果てを目指して進む本当の思考実験をした場合、地球を起点に任意の方向にひたすら進んでいくと、やがて宇宙の果てに行きつくかというと、現実にはいつの間にか再び出発点の地球に戻ってきてしまう。宇宙の形を、私たちは膨張する風船かシャボン玉のように考えがちだが、時空は複雑に歪んでおり、この宇宙には中心も周縁もない。あるいは宇宙のあらゆる場所が宇宙の中心だともいえる。だから、私たちはどうあがいても、宇宙の外に出ることはできないのだ。

既存のマルチバース論
では、その宇宙の外には何が「ある」のか? あるいは宇宙の外はどうなっているのか? 宇宙は特異点を通して無から始まり、インフレーション、ビッグバンを経て、今日も膨張を続けているといわれる。そして、およそ10の100乗年後に終わりを迎え無に帰するともいわれる。
そして、今日、いくつかのマルチバース論が提唱されている。例えば、宇宙は洗濯の泡のように無数の泡宇宙からなっており、それぞれの宇宙はワームホールやブラックホールでつながっているとか、特異点の前には別の宇宙の終焉があり、その宇宙が特異点で反転して新たなインフレーションを起こして次の宇宙を誕生させるとか、あるいは時間の流れの瞬間ごとに無数の宇宙に枝分かれしていくというパラレルワールド等々。それらのマルチバース論はどれも未だ仮説の域を出ず、その存在が実証されたわけでもない。
しかし、それらのマルチバースがもし存在するならば、将来その仮説が否定しようもない確かな理論として確立されて、その発生と消滅のメカニズムが解き明かされることだろう。あるいは、ワームホールなり特異点を通して、人間が行き来しないまでも、他の宇宙とのなんらかの情報の交換がなされてその存在が実証的に証明されることだろう。

絶対不可知のマルチバース
だが私は、それらのマルチバース論とは違う、たとえその発生・消滅のメカニズムが解明され、われわれの宇宙は何も特別な存在ではなく、ある条件さえ整えばいくらでも発生しうるものであることが理論的に明らかにされ、無数の宇宙の存在が推測されるとしても、それらの宇宙は純粋に無から生じて無に帰するため、宇宙同士は絶対的無関係にあって他の宇宙の存在を実証的に明らかにすることは絶対不可能な、そんなマルチバースを考えている。私は宇宙論の素人ではあるが、専門家が主張する上述したような様々なマルチバース論のいずれも仮説の域を出ない以上、このようなマルチバースを主張する〝権利〟はあるのではないだろうか?

絶対的無限(開いた無限)と相対的無限(閉じた無限)
宇宙は無から生じて無に帰する。では、宇宙の外側は「無」なのだろうか? 宇宙は無の中に存在しているのだろうか? しかし、無とは何もないのだから、その中に何かが存在することは論理矛盾だ。恐らく、宇宙は特異点を通して無から発生した瞬間、無限の有へと相転移すると考えられる。そして、宇宙がその寿命を終えると、再び特異点を通して無へと相転移する。つまり、宇宙は常に無限なのだ。だが、われわれの宇宙は特異点からインフレーション、ビッグバンを経て常に膨張してきた。つまり一定の大きさを持ってきた。それが無限というのは矛盾する。しかし、無限を絶対的無限(開いた無限)と相対的無限(閉じた無限)に分けて考えれば、その矛盾は解決する。絶対的無限(開いた無限)とは、喩えていえば、最初に述べた素朴な宇宙論ではないが、どこまで進んでも果てのない文字通りの無限だ。それに対して相対的無限(閉じた無限)とは、地球の上空をまっすぐに飛行すると出発点に戻ってきて永遠に回り続けるように、上述したごとくこの宇宙の果てを目指してまっすぐ移動し続けると地球に戻ってきていつまでも飛び続けるような無限のことだ。したがって、宇宙空間は常に無限なので、中心も周縁もなく、ましてや外側など存在しえない。
このような絶対不可知のマルチバースはSF的には最も味気なく、宇宙論の観点からもつまらないかもしれないが、幸いにも他のマルチバースが抱えるアポリアを解決してくれる。そのアポリアとは、ユニバースには最初と終わりがあることが今日、常識となっているものの、では、マルチバースの過去ないし未来をたどると、どこかに始まりや終わりがあるのか、あるいは始まりも終わりもなく永遠に続くのかという問題だ。後者の場合、ではそもそも〝永遠〟とは何なのか?
絶対不可知のマルチバースを前提にすると、それぞれの宇宙は絶対無関係に存在するので、たとえば、われわれの宇宙の前に他の宇宙が存在したのかとか、われわれの宇宙が消滅した後にも他の宇宙が発生するのか、さらにはわれわれの宇宙に最も近い宇宙はどんな宇宙か等々の疑問自体が意味をなさなくなる。なぜなら、「いつ」とか「どこ」という疑問符は時空を前提として初めて意味を持つものだからであり、「無」によって隔てられ相転移した諸宇宙間には前後も遠近もなければいかなる関係性も存在しないからだ。絶対無関係とはそういうことだ。だからこそ、そんな絶対無関係に存在する無数のマルチバースは理論的には証明できても、実証的に存在を証明することは絶対に不可能なのだ。

身の程知らずな宇宙創造の試み
IMG_3359.JPG最近読んだ本『ユニバース2.0-実験室で宇宙を創造する』(ジーヤ・メラリ著、青木薫訳、文藝春秋、2019年)は、上述した泡宇宙をはじめとする一般的なマルチバースを前提に、われわれ人類が宇宙を創造することを本気で論じている。ただ単に論じるだけでなく、実際にスイスのSERNのLHCでミニ宇宙がつくられるかもしれないというのだ。そして、この本では理論的な実現可能性を論じるとともに、人類が宇宙の創造者になることに関する倫理的あるいは神学的意味や妥当性が論じられている。
私は、上述したような昔の寝物語の中で、われわれの宇宙が外部の超高度な文明を持つ知的生命体(それを「神」と呼んでもいい)によってつくり出された存在であることを想像してみたことがある。「神」は実験室で実験装置の中のわれわれの宇宙を観察しているのである。また、それとは逆に、将来、われわれが宇宙の創造主になることも想像したことがある。なんと、そんな素人考えと同じことを、本気で考え、考えるのみならず実行しようとしている宇宙物理学者らが存在するのだ。
だがしかし、この本の読後感は、私にとってあまり後味のいいものではなかった。私自身が上述したようにそのようなマルチバースでなく、絶対不可知のマルチバース(何者かによる創造が不可能な)を考えていることもあるが、それ以前に、もしそんな簡単に宇宙をつくることが可能なら、人類の文明とは比較にならないほどの超文明社会を築いているだろうこの宇宙にあまた存在するに違いない宇宙人たちが、とっくの昔にいくつもの宇宙をつくっているだろうし、そんな超文明社会には足許にも及ばない猿に毛が生えた(抜けた?)程度の愚かで野蛮な人類に、そんな大それたことをする資格も能力もないだろうという気持ちが先立ったからだ。核分裂も核融合も満足に制御できないような人類が、間違ってもそんな大それたことに手を出すべきではないという倫理観もある。
まあ、それも私のマルチバース論が正しければ、そんな努力はすべて徒労に終わるだろうから放っておけばいいのだが、LHCでの実験でミニ宇宙をつくる構想は、ミニブラックホールをつくる実験の延長上にあるということなので、10年前に危惧されたような破滅的な事故の心配は否定できない。そういう意味で、愚かで野蛮な人類は、「神の領域」を犯すような振る舞いには徹底して禁欲的であるべきだと、私は考える。

とまれ、無とは何か?そして絶対不可知のマルチバースとは……などと寝床の中であれこれ思い巡らせていると、私はいつもじきに夢の世界へと誘われていくのだ。


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