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#MeToo Movementは人類究極の最終革命 [Criticism]

ヒトがヒトになる以前から、女性は常に男性に抑圧され、支配される存在だった
昨年、世界中に広がった#MeToo Movementは、人類がこれまでに経験してきたいかなる革命よりも根源的であり、永続的たりうる人類究極の最終革命といってもよい。なぜなら、女性は平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」ではないが、なるほど人類史において母系社会、母権社会は存在したし、また、マルクスのいう「原始共産制社会」においては、階級社会におけるよりも女性の社会的地位は相対的に高かったかもしれないが、人類をヒトという生物学的次元で考察すれば、ヒトがヒトになる以前から、女性は常に男性に抑圧され、支配される存在だったからだ。
動物界ではオス・メスの力関係は一様ではなく、ペアリングに際しても主導権を握るのは種によってどちらの性でもありうるが、少なくとも哺乳類の肉食動物、雑食動物では、雌雄の役割分担からオスが優位に立つ場合が多い。また、哺乳類はメスが妊娠・出産・授乳を担わなければならないため、体型もそのために特化し、オスは狩りにおいて主導的役割を果たす。また、ヒトの場合、男女の身長・体重比は女性が男性よりそれぞれ1割、2割ほど少ない。
また、ヒトに最も近いチンパンジーにも見られるように、肉食哺乳類ではオスが交尾目的に子育て中のメスを狙って他のオスとの間に生まれた子どもを殺すケースがしばしばある。ちなみに、ヒトでもシングルマザーと同居する継父による連れ子への虐待死が後を絶たないが、それはそのような動物的本能に根ざすもので、極めて根が深い問題だ。

「人間性」の二面性を直視せよ
ついでにいえば、動物界では同類同士の殺し合いはこの子殺しを含め、交尾を目的としたメスをめぐるオス同士の争い以外には縄張り争いでたまに見られる程度で、それらにも歴然としたルールがあって、そのルールによって負けたオスはいとも簡単にメスを諦めるものである。ヒトのように、そうした理由でなく、他の理由で、あるいは理由もなく同類を殺す動物は、自然界広しといえども人類以外には見られない。ちなみに、縄張り争いに起源を持つ戦争は、文明が進めば進むほど歯止めを失い、ついに第2次大戦では数千万レベルの殺戮を繰り広げるに至った。こんな残忍、残酷な動物は類を見ない。「鬼畜」という言葉があるが、人間が考え出した想像の動物である鬼、人間の悪の象徴ともいえる鬼はともかく、畜生、つまり獣にも、人間ほど残酷、残忍に無意味な殺戮を行うものはいない。
ちなみにその殺人にしろ、戦争を除いても、8割は男が行っている。その他の犯罪行為もだいたい8割は男による犯行だ。性犯罪に至っては9割以上が男性といわれている。
「人間性」という言葉がある。辞書を引くと「人間を人間たらしめる本性。人間らしさ。」(大辞林)などと出ている。多くの人がこれから想像するだろうように、そして実際に多くの場合そのようなニュアンスで用いられるように、「人間性」とは他の動物と峻別される人間の優れた特性、つまり、理性的で、知能的で、かつ情緒豊かで他人への思いやりもある、愛情あふれる存在…というような意味合いの言葉だ。しかし、だとしたら、これほど人間の傲慢さ、自惚れ、主観性を表わす言葉もない。これが「人間性」の一面だとしたら、もう半面は他の動物のだれよりも残忍、残酷、自己中心的、破壊的で、暴力支配的なのが「人間性」にほかならない。

フェミニズムさえ避けてきた男女問題の核心に切り込む#MeToo
そして、ヒトがチンパンジーと枝分かれする前から、その社会を常に支配してきたのが男であり、女は男が支配し、思いのままにする対象であった。そして、性行為においても、その支配的地位にある男がほとんど主導権を行使してきた。そして、時に暴力的に……。
確かに、時代によっては女性の地位が相対的に高く、女性の人権が相対的に守られていた時期もあるが、それはあくまで相対的な問題に過ぎない。また、そうはいっても人間は上述したように相矛盾した二面性を抱える動物なので、多くの男たちは女性に対して支配的地位を維持しながらも、時に優しく接し、男女の恋愛感情の結果、双方の合意のもとに結ばれ、子どもをつくるのが一般的である。だから、女性にとっても大局的には男性社会の支配を受けながらも、個人的には恵まれた夫婦関係を結ぶ者も少なくない。
だが一方で、一定割合の男は、「人間性」の悪しき一面が肥大化し、よき面が退化した者がいる。そういう男は、「人間らしい」思いやりも相互作用的恋愛感情も持つことができず、女性を性欲の対象としてしか認識できず、そのために物理的暴力によって絶対的支配権を行使する。つまり、DVやストーカーという犯罪行為に走る。そうした男は社会のあらゆる領域、貧富の差や政治的思想信条等にかかわりなく存在する。
痴漢や軽微なセクハラも含めたこうした性犯罪行為は、従来はたいてい見て見ぬふりをされ、社会に顕在化することがなかった。その被害に遭った女性は、〝不運〟としてそれを甘受し、一生その傷を抱えて生きていくしかなかった。恐らく、痴漢、セクハラも含めれば、一生のうちに一度も性被害を受けたことのない女性はほとんどいないのではなかろうか?
そうした、何十万年、それ以上続いた人類史の男支配構造の不条理に勇気を持って真っ向から異を唱え立ち向かったのが#MeToo Movementだ。これは、フェミニズムやそれに先立つウーマンリブ、女性参政権運動等でさえ、あえて触れようとしなかった領域に属する問題だ。
それは1年、2年で終わるべきものではなく、今後、数十年、あるいはそれ以上の長きにわたってたたかわれていくべき永続革命だ。それは悪しき「人間性」に支配された男の犯罪を世界から撲滅していくたたかいであると同時に、人類が持つよき「人間性」を全面開花させていき、男性中心社会に終止符を打ち、真の男女共生社会をめざす人類究極の最終革命でもある。

人類は自滅、絶滅への道をたどるのか?
しかし、だからといって人類に背負わされた正邪二面性の自己矛盾はそうそう簡単に克服できるものではあるまい。また、男だけが悪で女はすべからく善なわけでもない。この矛盾に満ちた人間存在をいかに止揚していけるのか? その着地点は未だ見えないし、この革命自体が成就されるという保証もない。
それどころか、昨今の末期資本主義的状況下でテロとヘイトクライムが横行する世界を見ていると、人類はその「人間性」の負の側面を肥大化させて、自滅、絶滅への道をたどる以外にないのではないかと絶望することもある。
そんな中で、#MeToo Movementは人類に残された数少ない希望の光である。

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#MeToo 韓国と日本の現在 [Criticism]

「被害者らしさ」排撃し権力型性暴力警告した「安熙正有罪」
(2019.2.1 京郷新聞社説)
地位を利用して秘書に性暴力を加えた嫌疑で起訴された安熙正(アン・ヒジョン)前忠清南道知事が、控訴審で懲役3年6月の判決を受けて収監された。ソウル高裁刑事12部は1日、業務上威力による姦淫等の嫌疑で起訴された安前知事に対する控訴審判決公判で、無罪を言い渡した一審判決を破棄し、このような判決を言い渡した。裁判所は安前知事の10の犯罪嫌疑のうち、一度の強制わいせつのみを除きすべて有罪と認定した。「威力」の意味を狭く解釈し、「被害者らしさ」という歪曲された神話に埋没してすべての嫌疑を無罪とした一審判決を180度覆した。ジェンダーセンシティビティを忠実に反映した今回の判決は、権力型性暴力に厳重な警鐘を鳴らした里程標的判決として記録されるであろう。
控訴審裁判所が有罪を下した根拠は大きく2つある。まず、安前知事が現職道知事であり与党の有力大統領候補としての「威力」を利用して被害者キム・ジウンさんと性関係を持ったと判断した。「業務上の威力」が必ずしも被害者の自由意思を制圧するほどの「有形的威力」である必要はないともした。「威力が存在はしたが行使されなかった」という一審を否定したものである。また、裁判所はキム氏の陳述が具体的で一貫しており、信憑性があると見た。安前知事側が「被害者らしくない行動」を根拠にキム氏の陳述の信憑性を否認したのに対して、「被害者の性格や具体的状況によって対処は異なって現れる。弁護人の主張は定形化した被害者という偏狭な観点に基づいたもの」と一蹴した。
キムさんは判決直後、「言ったのに無視され、どこにも言えず私の裁判を見守っていた性暴力被害者に連帯の気持ちを伝えたい」と述べた。彼女をはじめとして性暴力を告発した被害者の勇気に今一度敬意を表す。彼女らの「#MeToo」は韓国社会に滔々たる変化の波を起こしている。MeToo運動の本格的出発点となった徐志賢(ソ・ジヒョン)検事のセクハラ加害者安泰根(アン・テグン)元検事長は、「報復人事」を行った嫌疑で最近、懲役2年の判決を受け収監された。劇団の団員を常習的に痴漢した嫌疑で起訴されたイ・ユンテク元「演戯団コリペ」の芸術監督も先に懲役6年を言い渡された。
被害者の陳述に耳を傾けた裁判所の相次ぐ判決は意味が大きいが、それだけでは十分でない。人生をかけて性暴力に対決してたたかう被害者がむしろ美人局とか嘘つきと陰口をたたかれる等、2次被害が深刻な状況にある。性差別的権力構造が変わらない限り、権力型性暴力は消えない。共同体の構成員すべてが日常に蔓延した差別と暴力を認識し、これに対して憤然と抵抗しなければならない。


社説にもある韓国の#MeToo運動の端緒ともなった徐志賢検事の告発から1年の間に、韓国では与党の有力政治家が実刑判決を受けるまで、運動の成果が上がり、裁かれるべき罪が裁かれ、罰せられるべき者が罰せられている。
一方、日本で孤立無援状態でアベ友「ジャーナリスト」を訴えた女性は、その後、事実上の「亡命生活」を余儀なくされ、セクハラ官僚は減給20%6カ月の処分で5千万の退職金をもらって退職。それを放置し、輪を掛けたセクハラ発言を繰り返した所管大臣は今もその席にのうのうと居座り続けている……。お友だちと政権私物化した大統領をわずか数ヶ月で引きずり下ろした韓国―もはやリスペクトするしかなすすべがない天と地の違い……。

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「第二の敗戦」まで行き着くしかないのか?ーだが「戦後の繁栄」は保証されていない [Criticism]

モリカケでアベを倒せなかった代償
第2次アベ政権発足後、私はこの政権はスキャンダル以外に足をすくわれることはないだろうと思ってきた。それほどまでにこの政権は盤石で、用意周到に見えたからだ。だから私は、自覚した市民がいくら「戦争法反対!」を叫んで国会を包囲しようとも、この政権には痛くもかゆくもないだろうと、冷ややかな視線で見ていた。だが長いこと、アベに大きなスキャンダルは発覚することがなかった。
そこへ、思ってもいない森友事件が大阪の一市議によって掘り起こされ朝日新聞によってスクープされたとき、私は千載一遇のチャンスが訪れたと思った。ところが、自覚した市民の反応は、当初冷ややかだった。多くの国民にとっては「どうでもいい」戦争法反対や共謀罪反対をあれほど叫んだ市民らが、多くの国民にとってある意味下世話な関心を引くであろう政治スキャンダルになぜ触手を動かさないのか、私には理解しかねた。前年、韓国のキャンドル革命を目の当たりにしていただけに、その落差には愕然とせざるを得なかった。
しかし、森友に輪をかけた加計事件が発覚し、事態は急展開した。アベ政権の支持率はようやくデッドラインへと近づいた。私は、今度こそアベ政権の息の根を止める時が来るだろうと確信した。
だが、北朝鮮の核・ミサイル問題を最大限利用したアベは、Jアラートで国民を脅しまくり、挙げ句の果てに「国難解散」に打って出て、それに呼応した前原民進党代表の解党アシストも手伝って、アベは延命に成功した。
ところがさらに、今春に発覚した森友事件をめぐる公文書偽造という前代未聞の一大国家犯罪という信じ難い事実を前にして、私はみたび、今度こそアベも万事休すだろうと信じて疑わなかった。今までいくつもの証拠をつきつけられても白を切り通してきたアベも、この隠しようもない重大犯罪事実の前には、もはや言い逃れできないだろうと、私のみならず、大半の人々が思ったのではなかろうか。
にもかかわらず、マスコミの弱腰にも助けられ、アベは完全に居直りを決め込み、三歳児の言い訳にも劣る「ご飯論法」で国民を愚弄した。ことここに至ると、もともと政治的無関心という業病に冒されていた大半の国民は、さらに諦念という病に深く蝕まれ、一時一定の盛り上がりを見せた市民の動きも、再び高揚することはなかった。幼稚きわまりないアベの計算され尽くした策略通りの展開になったというわけだ。
その後も、加計孝太郎のアリバイ会見やオウム処刑前夜の豪雨災害が予測される中での政権中枢の酒盛りなど、醜悪きわまるアベとその仲間たちの醜聞は続発したが、もはやアベという幽霊政権を祓い除ける機会を、この国の国民は永遠に失ってしまったかのような暑苦しく澱んだ空気が、今、日本列島を覆い尽くしている。
そうした中、秋の「自民党」総裁選でのアベの3選がすでに確実視されている。かねて言ってきたように、それを許せばもはや壊憲を阻止することはできず、アベ独裁は完成形へまっしぐら、恐らくアベの肉体の死なくしてアベ政権の死はなく、アベが物理的に倒れることなくしてアベ政権が倒れることはあり得なくなるだろう。
すでにこの国は、法も正義も通用しないならず者放置国家になり果て、形だけの民主主義も朽ち果て、いちおう現行憲法で認められた権利がかろうじて保障されるだけのソフトな独裁政権への移行が完成している。無関心と思考停止のこの国の国民にとっては、それでもアベの世の継続には十分すぎるほどの保証を与えているのだが、それに飽き足らないアベは、壊憲をテコにして引き続きハードな独裁政権へのシフトを図っていくことだろう。
こうなった以上、もう、落ちるところまで落ちるしかない。一億総玉砕で完膚なきまで破壊され尽くし、「第二の敗戦」の日を待つしかない。それが果たしてどういう形の「敗戦」なのかは予想できないが、70余年前の焼け野原のような荒廃し尽くし、すべてを失った「敗戦」だ。

「戦後」にありうる3つの道
問題は「戦後」の迎え方だ。いや、そもそもそのとき、私たちには「戦後」が保障されているかどうかすら覚束ない。「敗戦」は滅亡とイコールかもしれないのだ。最悪の場合、私たちはそのことも覚悟しておかなければならない。この道を選んだ代償はそれほどまでに大きいのだ。
また、幸いにも「戦後」を迎えられたとしても、先の敗戦のように、何の反省もなく、何のけじめもつけずに、ただただ与えられた戦後体制に順応していくだけだったら、やはり私たちには「戦後の繁栄」は訪れないだろう。早晩、「第二のアベ」が出現し、私たちを「アベの世」に引き戻していくだろう。
そうではなく、「第二の敗戦」をしっかり総括し、二度と同じ過ちを繰り返さない血のにじむような努力を続けたときのみ、私たちには「戦後の繁栄」が初めて可能になるだろう。そしてそれは、正真正銘の革命によってのみ手に入れることができるだろう。つまり、アベを許したあらゆる病根を根こそぎ根絶やしにし、二度とアベの出現を許さない社会をゼロから作り直していくことによってのみ、その革命は成就されるのだ。しかも、それは私たち自身の手によってのみなし遂げなければならないし、私たち自身の手によってのみなし遂げることができることなのだが、同時に、私たちにその革命をなし遂げる能力があるかどうかは未知数だ。なぜなら、私たちは長い歴史の中で、かつてただの一度も革命の偉業をなし遂げたことのない類い希なる民族なのだから。


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極悪犯罪人アベシンゾウを逮捕はおろか辞任にも追い込めぬいじめ社会・ニッポンムラの絶望 [Criticism]

グローバルスタンダードでアベ辞任・アベ逮捕は当然
またも朝日新聞による森友事件有印公文書偽造のスクープ記事によって、今度こそ絶体絶命の危機に陥るだろうと思われたアベシンゾウだが、3月27日の佐川宜寿証人喚問の茶番劇で一件落着の様相さえ呈しつつある。首相とその夫人が首謀者である事件に関連する犯罪事実を決定的に裏付ける証拠が暴露され、自殺者まで出したというのに、当の首相が逮捕されないどころか辞任も内閣総辞職も行われない状態がここまで続いていることは、あまりに異常だ。アベ辞任もアベ逮捕も、もはや単に私の願望ではなく、グローバルスタンダードで見て極めて当然のことといっていいだろう。
隣の韓国で昨年、朴槿恵大統領辞任へと至った崔順実ゲートの発端となったJTBCの最初の報道は、一昨年10月24日のことだった。それからわずか5日後には大規模なデモが起こり、デモは日を追うごとに大規模化し、国会で大統領弾劾訴追案が可決された12月9日へ向けて、毎週土曜日、極寒の中、100万~200万の市民がソウル市中心部にキャンドルを灯して集まるようになった。それから朴槿恵が憲法裁判所によって最終的に大統領を罷免される3月10日まで、わずか4ヶ月あまりのできごとだった。

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崔順実ゲート事件はアベの森友事件の足下にも及ばない事件だった。さらにそれに先立つセウォル号事件がらみの疑惑を加えても、森友事件に加計事件を加えたらつま先にも及ばない。なのに、森友事件発覚から早1年以上が経過し、アベシンゾウがもはやこれ以上言い逃れできない決定的証拠を突きつけられても、デモはやっと1万人、もっと驚くべきことに内閣支持率が30~40%もあるという。韓国では事件発覚後、1ヶ月で大統領支持率が5%を切ったのとは雲泥の差だ。
これは、韓国が特殊なのではなく、日本が超特殊なのだ。まさに、「外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ」。『フランス・ジャポン・エコー』編集長で仏フィガロ東京特派員のレジス・アルノーは次のように述べている。
こういった行為が処罰されなければ、もはや政府を信頼することなどできなくなる。「もしフランスで官僚が森友問題と同じ手口で公文書を改ざんしたとしたら、公務員から解雇され、刑務所に送られるだろう。処罰は迅速かつ容赦ないものとなることは間違いない」と、フランスの上級外交官は話す。
また、改ざんにかかわった官僚の自殺、といった由々しき事態が起これば、その時点で国を率いている政権が崩壊することは避けられない。しかし、どちらも日本ではこれまでに起こっていない。麻生太郎財務相と安倍首相は、このまま権力を維持すると明言している。
(東洋経済オンライン「外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ」)

日本人のアパシーをもたらしたムラ社会
この日本人のアパシー(政治的無関心)はどこから来るのか? 考えてみれば、戦後の55年体制下で同じひとつの政党が30年以上、政権交代なしに与党であり続けたこと自体、議会制民主主義が正常に機能している国ではありえないことだった。そんな国は、結社の自由が認められていない社会主義国か独裁国家のうわべだけの議会制度でしかありえないことだ。私が「戦後民主主義」とかっこつきで戦後の体制を呼ぶゆえんだ。
その55年体制下で育った私は、永遠に続くかと思われるその自民党支配体制、中でも小学生から高校生まで続いた佐藤内閣にどれだけうんざりさせられ、息苦しさを覚えたかしれない。普通の政治的センスを持った他国の国民なら、別に失政がなくとも同一の政党が長らく政権に居座り続けること自体が耐えきれずに、政権を替えていたに違いない。こうした日本の特殊な政治体制と経済成長を、皮肉たっぷりに「唯一成功した社会主義国」と呼ぶ海外の学者もいた。
この日本人のアパシーは、江戸時代の封建制度に根を持ち、明治の近代化に温存されて強化された「長いものに巻かれろ」「郷に入っては郷に従え」という体制順応、思考停止、同調圧力、空気を読むムラ社会(民主主義社会とはおよそ対照的なもの)の産物といえよう。
しかし、だとしても、いわゆる戦後社会においては、ロッキード事件リクルート事件では当時の首相が退陣に追い込まれ、前者では田中角栄は有罪判決を受けている。両事件とも大変な疑獄事件だったが、森友事件、加計事件のように私利私欲と「お友だち」優遇のために権力を乱用し、そのためにウソをウソで塗り固めて犯罪行為を重ねていくほど悪質ではなかったように思う。しかも、田中角栄は日中国交回復や「日本列島改造論」など、評価は分かれるにしろそれなりの仕事をした首相だった。対するアベシンゾウは、改憲という祖父の遺訓実現のみを政治目的とし、そのために秘密保護法、集団的自衛権容認、「戦争法」、共謀罪法などで強行突破を積み重ね、外交ではなにひとつ成果を上げず東北アジアで孤立し、「アベノミクス」も完全破綻した。要するに、なにひとつ国民のためになる政策をこの5年以上の間に実行してきていない。

いじめ社会が生んだアベシンゾウ
では、なぜかくも政治が劣化し、アベシンゾウのような無能な極悪犯罪人がことここに至っても逮捕はおろか自ら国会で約束した首相辞任・議員辞職すらせず居座り続けることを許しているのか? そこには、彼のバックボーンである日本会議の強力な意志がはたらいているだろうことが容易に推測されるが、やはりそれをも許さぬ国民の意志が全くはたらいていないことの方が問題だ。
私たち、戦後民主主義のもとで日教組が強かった教育現場で教育を受けてきた世代は、まかりなりにも政治に対する批判力だけは培われてきたと思う。ところが、そこに日本会議をはじめとするこの国の極右勢力の粘り強い草の根運動が徐々に功を奏して、1970年代頃から日教組は骨抜きにされ、実質的に解体されていった。以降、教育現場には事なかれ主義が蔓延し、学校は、政治がタブーとされ、主体的に考え行動できる人格を育てる教育とは真逆の、ひたすら空気を読んで大勢に順応する奴隷のような人間を大量生産するムラ社会養成工場と化していった。
そして、そうした教育現場の荒廃が、学校のいじめ社会化をもたらすことになる。私たちの世代にとってはアベシンゾウは極めて特殊で非常識きわまりない人間と写り、私などやつのことを考えただけで吐き気がしてくるのだが、いじめ社会で育った人たちには、アベシンゾウはごくありふれた存在に過ぎないようだ。確かに私たちの時代にも、学校にアベシンゾウはいたが、彼がクラスを牛耳るようなことはなかった。しかし、いつのころからか、アベシンゾウがクラスででかい顔をし、何をしても許されるようになり、それに反発し、反旗を翻す子どもは、いじめの対象となるか、シカトされ排除されるようになった。教師たちもアベシンゾウの悪行を見て見ぬ振りをし、そのうち、あろうことかアベシンゾウを特別待遇し、賞賛する教師まで現われた。そして、子どもたちは学んだ。世の中をうまく生きて行くには、アベシンゾウに逆らってはいけない。アベシンゾウにうまく合わせて生きていくことが最上の処世術だと。
そうして子どもたちはアベシンゾウにへつらう一部の人間と、距離を置きつつ見て見ぬ振りをしてやり過ごす一部の人間を両極とし、多くの子どもたちはその範囲内でうまく立ち回ることを学んでいった。

社会化したアベシンゾウ
しかし、今から20~30年前までは、それは学校内だけの特殊な社会であり、実社会にはたしかに様々な不合理・不条理が満ちあふれてはいても、それを正す正義の装置が働いていた。職場には労働組合があって働くものの権利を守るために活動していたし、組合のない会社にもその影響力は一定程度及んでいた。だが、非正規雇用化が進み、労働組合の組織率がどんどん低下していくにしたがい、職場のいじめ社会化が静かに進行していった。そして、やがて職場にもアベシンゾウが現われ、職場に君臨するようになった。職場に不合理・不条理が蔓延し、労働者の権利は剥奪され、低賃金、長時間労働を強いられても、誰も文句を言えない空気が支配していった。学校でいじめを受けても、問題化されるのはその子が自殺したあとのみであるように、職場でも過労死して初めて遺族が問題化することができるだけとなった。
かくして、アベ政治になる前に、すでに社会はアベシンゾウに支配されていた。3・11で原発が爆発し、世界が脱原発に動く中でも、アベシンゾウ社会は誰の責任も追及せず、再稼働を目指した。
よく、過労死するほど過酷な労働を強いられ、みんな生きることに必死だから、政治のことなど考えている暇もないのだ、という主張を聞くが、それは一見もっともらしく聞こえる理屈ではあるけれど、歴史的事実に完全に反する。資本主義成立以来、世界の労働者は常にそのような過酷な労働を強いられてきたが、だからこそ労働者は団結して立ち上がり、自ら労働基本権を獲得してきたというのが、歴史的事実だ。思考力・判断力を奪うような労働の強制は、資本主義的労働ですらない。それは奴隷社会での奴隷労働だ。もしこの国の国民が、疲れてものを考える気力さえ奪われるような労働を強いられているのだとしたら、それは奴隷労働にほかならない。

ここでアベシンゾウを倒せなければ、やつが死ぬまで誰も止められない
私はまだ、完全にアベ退陣を諦めたわけではない。市民と野党の力で退陣に追い込めなくとも、9月の「自民党」総裁選でアベが敗れる可能性もある。そこまでは見届けたいと思う。
だが、アベがこのまま生き延び、9月の総裁選で再選されれば、もはやアベシンゾウを止めるものは何もない。9条のみならず、緊急事態条項、家族条項等を盛り込んだアベシンゾウと日本会議の悲願である「自主憲法」が必ずや成立するだろう。そして、おそらくアベシンゾウが死ぬまで、やつは権力を手放さないだろう。この国から完全に正義が消え去るだろう。
その時、私は海外移住、亡命、難民申請等、この国を棄てる道を探るだろう。

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3・11が産み落としたグロテスクな怪獣・晋ゴジラ。たとえ倒れても手放しでは喜べぬ [Criticism]

3・11と8・15
もうすぐ3・11から丸7年が経とうとしている。今を生きる私たちにとっての3・11とは、70年前に生きた人々にとっての8・15にも等しい重い意味を持つ。3・11も8・15も、明から暗へ、あるいはその逆へと歴史が転換したという意味ではなく、連綿と絶えることなく続く歴史のコインがただ単に裏返ったに過ぎないという意味において。
3・11から1年9ヶ月後、3・11を文字通り画期として飛躍を遂げる可能性を秘めていた脱原発運動は最終的に敗北し、戦後体制が臨界点を迎えてメルトダウンを起こした3・11の、放射能に汚染された腐敗した土壌の中から、最悪のアベ政権が産み落とされることになった。原子力緊急事態宣言下、原子力ムラの復活を密かに企む財界とその後ろ盾たるアメリカにとっては、平常時ならば許容範囲外にある改憲を最終目的とする日本会議=アベ独裁こそが、望ましい日本の政治形態だったからである。
そして事態は予想した通り、特定秘密保護法、‘戦争法’、共謀罪法の強権的制定を経て、憲法改悪へと突き進みつつある。しかし、私も想定外だったのは、独裁化を強めるアベが、国家を私物化し、違法行為を犯してまでも身内に便宜を図り、官僚を思いのままに操って国家犯罪を次々と重ねてきたことだった。
すでに森友疑惑が発覚してから1年以上経過したが、ここにきてメディアの最後の矜持をかけた朝日新聞のスクープを契機に、この1年間に及んだ一連のアベ疑獄事件は最終局面に突入した。どちらに転ぶにせよ、この一連のアベ疑獄事件は今後、数週間から2、3ヶ月以内に決着がつけられるだろう。つまりそれは、民主主義の側の勝利に終わるか、アベ終身独裁をも視野に入れた法治国家の死滅として帰結するかである。

不可欠な3・11と8・15への視点
後者に転んだとしても、幸いアベには金正恩のような血を分けた後継者がいないので、今後、数年後になるか、あるいは10年後、20年後になるかは分からないが、いつかは必ず夜が明ける。
いずれにしろ、ポストアベ政治の時代になったとき、私たちは初めてアベシンゾウという憲政史上まれに見る凶悪かつ醜悪な存在をまな板の上に載せて客観的に論じ、評価を下すときが訪れるだろう。その際、絶対忘れてならないのは、3・11と8・15への視点なのである。
私たちは本来なら、3・11がもたらした原発事故と放射能汚染という現実に真正面から向き合い、脱原発社会を志向しなければならなかったはずだが、現実には国民の多くがその問題から目を背け、考えることを放棄した。そして、その結果が怪獣・晋ゴジラの登場だった。だから、アベシンゾウを総括する際に、私たちはまずもって、3・11の総括から始めなければならない。3・11に改めて向き直ることから始めなければならない。アベの数々のフェイク量産を許すことになったのも、原発と放射能に関する数々のフェイクを、ろくに検証もせずに受容してきた結果であるといっても過言でないからだ。
と同時に、アベシンゾウの総括は8・15の総括までへと遡らなければならない。アベに反対する市民や野党の憲法(9条)守れの保守の論理は、改憲勢力の革新的情念の前に、余りに無力であった。それはひとつに、改憲派が主張するように、日本国憲法は日本の市民がたたかいとったものではなく、アメリカ占領軍によって与えられたものだったからであり、さらには戦後民主主義が、少なくとも形式的にはあの戦争の最高責任者であった大元帥=天皇裕仁をはじめとする戦争犯罪人たちを自ら裁き、国体を解体したうえに成立した革命政権ではなく、国体(天皇制)を維持したまま、GHQによって与えられた「民主主義」にすぎなかったからである。

転機となった2つの吉田証言と美味しんぼ鼻血事件
もし仮に、朝日新聞の頑張りによって数週後にアベ政権が倒れることがあろうとも、それで朝日を含む報道各社がアベに屈服を強いられてきた事実を帳消しにすることはできない。朝日が、2014年のアベ政権による2つの吉田証言攻撃に有効に反撃できず、その後しばし忖度報道を余儀なくされたことの意味は小さくない。
さらに同年のビッグコミックスピリッツにおける「美味しんぼ」放射能鼻血問題への原子力ムラによるフェイク攻撃に全マスコミが同調し、以降、「放射能」がマスコミで、次いで市民社会内でも実質的に禁句となったことの意味は計り知れない。当時あれほど気にしていた食品の産地表示も、7年経った今、どれだけの人が日々気にしながら食品を摂取しているだろうか? 例えばセシウム137の半減期が30年であることさえもう忘れてしまったのだろうか? 今日も東京電力福島第一原子力発電所跡の廃墟からは、大量の汚染水が太平洋に向けて垂れ流されていることも、もうとうに忘れてしまったのだろうか? 行政が認めただけでも150人以上の子どもたちが甲状腺がんの手術を受けており、また首都圏を中心に、3・11以前にはなかった列車内の急病人発生が日常茶飯事になっていること等々…脱原発派の人々でさえ、「いちいち気にしていたら生きていけない」とばかりに、考えることを放棄してしまっているのではないのか? しかし、そうした私たち一人ひとりの3・11への向き合い方が、怪獣・晋ゴジラを生み出したのである。そうである限り、永田町の怪獣・晋ゴジラは退治されても、私たちの心に棲みついた怪獣・晋ゴジラは消えることがない。

晋ゴジラを倒し、二度と生き返らせないために
また、韓国では数ヶ月の市民の闘争でアベほどではない政権私物化を行った朴槿恵政権さえ退陣に追い込まれたのに対し、日本は崔順実ゲートがふたつ、みっつと重なり、問題発覚後1年以上経過しても決着を見ないことの最大の原因は、ムラ社会の国民の無関心と諦めと長いものに巻かれろの奴隷根性にほかならない。
したがって、それはポストアベの対処法へも影響してこよう。アベが単に辞任するだけで、あるいは国会議員を辞職するだけでよしとするのか? あるいは韓国のように逮捕、起訴、有罪、下獄するまで許さないのか? 後者の場合は、もちろんアベシンゾウひとりに留まる問題ではない。萩生田元官房副長官、下村元文科相、麻生財務相、稲田元防衛相、菅官房長官らの政治家、迫田・佐川元理財局長、北村内閣情報官らの官僚、さらに安倍昭恵、そして加計孝太郎らの民間人まで含めて数十人の逮捕者を出すことが不可避だろうが、そこまで法治国家としての自浄作用がなされうるのか? それによっても、ポストアベ社会の様相は大きく異なってくる。
私も、数週間後になるのか、10年以上先のことになるのか、いつかアベ政権が倒れた暁には、まずは祝杯をあげて素直に喜びたい。しかし、喜びも八分、酔いも八分に抑えなければならない。そして、ポスト8・15、ポスト3・11の総括作業をしっかりとやり遂げなければならない。この国に、正義を取り戻し、真の民主主義社会を実現し、自立した市民が自分の頭で考え、自分の足で立って自己決定していく社会を実現し、二度と晋ゴジラのような奇っ怪な怪獣を生み出さないために。
怪獣・晋ゴジラが突きつけたこの国の未成熟な市民社会の課題は余りに重い。


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「あたしおかあさんだから」への返歌②ーぼくの体験に基づく「ぼくはおとうさんだから」 [Criticism]

ぼくはおとうさんだから[るんるん]

一人暮らししてたよ おとうさんになる前
ビール飲んで ジャズ聴いて
立派に働けるって強がってた
今は後回し 子供と遊ぶため
走れる服着るよ 公園いくから
ぼくは おとうさんだから
ぼくは おとうさんだから
眠いまま朝7時に起きるよ
ぼくは おとうさんだから
大好きな弁当つくるよ
ぼくは おとうさんだから
お友だちの名前覚えるよ
ぼくは おとうさんだから
ぼくよりあなたのことばかり
ぼくは おとうさんだから
ぼくは おとうさんだから
痩せてたのさ おとうさんになる前から
好きなことして 好きなもの買って
考えるのは自分のことばかり
今は服もご飯も 全部子どもばっかり
甘いカレーライス作って
テレビも子どもがみたいもの
ぼくは おとうさんだから
ぼくは おとうさんだから
得意なお料理頑張るよ
ぼくは おとうさんだから
こんなに愛せるの
ぼくは おとうさんだから
いいおとうさんでいようって頑張るよ
ぼくは おとうさんだから
ぼくよりあなたのことばかり
ぼくは おとうさんだから
ぼくは おとうさんだから
もしも おとうさんになる前に
戻れたなら 夜中に遊ぶよ
ライブに行くよ 自分のために服買うよ
それ ぜーんぶやめて
いま ぼくはおとうさん
それ全部より おとうさんになれてよかった
ぼくはおとうさんになれてよかった
ぼくはおとうさんになれてよかった
ぼくはおとうさんになれてよかった
だってあなたにあえたから

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「あたしおかあさんだから」への返歌ージェンダーに基づく理想の「ぼくはおとうさんだから」 [Criticism]

ぼくはおとうさんだから[るんるん]

一人暮らししてたよ おとうさんになるまえ
ビール飲んで ゲームして
立派に働けるって 強がってた
今ははりきるよ 子供を食わすため
丈夫な服着るよ 残業するから
ぼくは おとうさんだから
ぼくは おとうさんだから
眠いまま朝5時に起きるよ
ぼくは おとうさんだから
大好きなお酒やめるよ
ぼくは おとうさんだから
新幹線の指定ケチるよ
ぼくは おとうさんだから
あなたより仕事の事ばかり
ぼくは おとうさんだから
ぼくは おとうさんだから


太ってたんだ おとうさんになる前
好きなことして 好きな酒飲んで
考えるのは自分のことばかり
今は昼も夜も 全部仕事ばっかり
辛いカップラーメン食べて
テレビも見ずに残業だもの
ぼくは おとうさんだから
ぼくは おとうさんだから
苦手な上司ともつきあうよ
ぼくは おとうさんだから
こんなに我慢する
ぼくは おとうさんだから
いいおとうさんでいようって頑張るよ
ぼくは おとうさんだから
ぼくよりあなたのことばかり
ぼくは おとうさんだから
ぼくは おとうさんだから
もしも おとうさんになる前に
戻れたなら 夜中に遊ぶよ
ライブに行くよ 自分のために酒飲むよ
それ ぜーんぶやめて
いま ぼくはおとうさん
それ全部やめ おとうさんになってつらかった
ぼくはおとうさんになってつらかった
ぼくはおとうさんになってつらかった
ぼくはおとうさんになってつらかった
あなたと遊ぶ暇もない

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バラカーディストピアならぬ3・11リアル [Criticism]

baraka.jpg桐野夏生が2011年から4年かけて書き上げた『バラカ』が単行本化されたので読んでみだ。3・11から5年を前に、版元の集英社が新聞の全面広告で大々的に宣伝した時には、正直、羨望と嫉妬を禁じえなかったのだが、ベストセラー間違いなしと思ったのに、あに図らんや、集英社の目論見を裏切るような出足だったようだ。東日本大震災・原発事故から5年が経ち、人々の意識は「もう忘れてしまいたい過去。真実に蓋をしてでも、まやかしの日常に逃げ込みたい」のだろう。私は「亡国記、人の心は忘却記」と嘆いたが、直木賞はじめ数々の賞を受賞してきた大作家にしてこの有様だから、『亡国記』が浮かばれないのも無理はない。
それはさておき、「震災後」「原発事故後」をリアルタイムで追いながら書き継がれたこの作品は、前半はどちらかというと「震災−地震・津波」の自然災害に力点が置かれ、後半になって「福島」が前面に出てくる。しかし、小説では現実と異なり、原発事故は「すべての原子炉が核爆発する大事故が起きた」ことになっている。そして、東京を含めて東日本の広い範囲が人の住めない地域になって、首都は大阪に移転し、皇居も京都御所へ引っ越すのだが、東日本が完全に廃墟になったかというと、東京はアジアや南米の労働者が住み着き、地元福島さえ線量の低い地域には帰還が推進される。
多くの読者は、「こうであったかもしれないもうひとつのフクシマ」のディストピアとしてこれを読むだろうが、私には「ほんのちょっとだけ飛躍もある3・11後の原子力ムラと政府、そしてマスコミによって隠蔽されたフクシマの真実」そのものに思えてしまう。皇居の京都移転話は3・11当初からあったと聞くし、首都機能の地方分散化が昨今現実味を帯びてきている。そして、20mSvへの帰還政策が強力に推進され、やがて50mSvへまで拡大されそうな情勢の一方で、避難者への補償は打ち切られようとしている。サクラとタツヤが非合法に行い大金を稼いでいる「ダークツーリズム」は、東電・政府公認のもと正々堂々と行われている。甲状腺がんの手術を受けながらも健気に生きるバラカは原発推進派のプロパガンダに利用されるが、現実には100名以上の“バラカ”たちは原発事故と甲状腺がんの因果関係さえ否定され、汚染地帯に生きる子どもたちが帰還政策と復興のプロパガンダに利用されている。同様に、汚染された東京は、外国人労働者の溜まり場にすらならずに、1千万人の自国民が日々低レベル放射線にさらされて生活している。
しかし、多くの人々にはそのようには現実が写っていない。F1はアンダーコントロールされ、福島は確実に復興に向かっている。そして、2020年東京オリンピックに向かって、この国は復興と再生を果たしていくだろうと信じている。『バラカ』の世界で大阪オリンピックがそうであるように。
広告代理店に勤務、後に経営する川島はじめ、木下沙羅、田島優子、ヨシザキら邪悪な人々は、原子力ムラの化身か、あるいは原子力ムラを支えてきたもっと広いニッポンムラの象徴か? 一方、豊田老人や健太・康太をはじめとした「反原発派」に属する「良き人々」は、現実の反原発派の行く末を暗示しているのか? 不思議なことに、社会の底辺を被爆しながら支える外国人労働者たちは活写されるが、物言わぬ多くの国民がほとんど登場しない。
そして、悪の権化=川島が、バラカが死んだという誤報を聞くや、いとも易々服毒自殺してしまい、バラカは生き延び……という結末もちょっと謎だ。
作者はディストピアを描こうとしてリアルを描写したが、作者自身はそのディストピアの先に何を見出したのか? バラカはフクシマの子どもたちの未来か? 日本の子どもたちの希望か? それがいまいち伝わってこない後味のスッキリしない読了感だった。


地球温暖化の幻想-『地球はもう温暖化していない』という本 [Criticism]

私が子どもの頃、(温暖な湘南地方で育ったのだが)家の前を川が流れていたこともあってか、夏は夜、雨戸を閉め切って寝て、たまに小窓を開けたままだと寒いくらいだった。また、小中学生の頃に大雪が降り積もったことが何度かあった。
時が流れてバブルの頃、そのおこぼれに与った私はクーラーを買ったのだが、あいにくその夏は冷夏で、1、2度しか出番がなかったことを覚えている。
その後、3年間韓国暮らしをして90年代前半に日本に戻った翌年の夏はえらい暑さで、急遽エアコンを買って暑さを凌ぎ、それ以来、エアコンなしの夏は考えられなくなった。暖冬も続き、桜の開花時期も年々早まるように感じられた。
だから、90年代は「地球がCO2のせいで温暖化している」と言われると、経験的にそれを信じて疑うことはなかった。
ところが、今世紀に入ると、ゲリラ豪雨とか突風、竜巻があるかと思えば、年によっては寒い冬も多く、浦和に住んでいた10年前頃には、近くの見沼用水が凍るようなこともあった。そして、私自身は関東地方を離れていて実際に経験しなかったのだが、昨年冬の2度の大雪だ。単なる温暖化ではなく、気候の変動が激しくなったと感じられたが、テレビではこれも温暖化の影響だ、というような風説がまことしやかに語られていた。一方、数年前から「地球はむしろ寒冷化している」というような話も耳に入ってくるようになり、心のどこかに引っかかるものがあったのだが、「そのうち映画”Day after tomorrow”のようなことになるのだろうか」などと空想するくらいで、現実感は湧かなかった。
なんせ、日本では超党派的に「温暖化から地球を救うためCO2削減を!」と、政府やマスコミから環境NGO、市民団体まで一致しているのだから、それに反する意見を持つことはカルトに入信するくらいの覚悟がなければならないのではないかと思われるくらいで、あえて真面目にその説に耳を傾けることがなかったのだ。
CO22.jpg今回、ある種の覚悟を決めて深井有著『地球はもう温暖化していない』(平凡社新書)を読み、カルトになる覚悟を固めた(笑)。
上述したように、私の「温暖化」感覚は、せいぜい自分の数十年の人生に基づいた経験論に過ぎない。しかし、本書はまず、地球46億年の歴史、少なくとも人類誕生以来も何度となくくり返されてきた氷河期と間氷期の極端な温度差や海面の上昇・降下等を振り返れば、CO2温暖化説はせいぜい資本主義の時代のここ200~300年の地球の気温変化、とりわけ20世紀後半の数十年の気温変化しか見ていないという、極めて真っ当なことを指摘している。元来、地球46億年どころか宇宙138.2億年の歴史に興味のある私には、えらく説得力のある主張だ。
また、著者はCO2による温室効果の結果生じる気温上昇を否定はしていないが、地球の温度変化に最も大きな影響を与えるのは太陽の活動であり、主には黒点の変化がメルクマールになるものの、その他、地球の楕円軌道を描く公転、自転の傾き、さらにはわれわれ太陽系が銀河系の中を公転する壮大な運動まで含めて複雑な要因がからまりあっていること、地球上に目を転じても、わずかばかりの量のCO2の変化以外に、太陽風に影響される宇宙線が関係する雲の生成が大きく関係していることなど、地球の温度変化の分析は一筋縄でいかないことを説いている。
また、地球温暖化とヒートアイランド現象が往々にして混同され、後者がCO2温暖化説に利用されている実態も暴かれる。
なにより決定的なのは、日本のマスコミではほとんど報じられなかったIPCC(気候変動に関する政府間パネル)のクライメートゲート事件(2009年)によって、IPCCの数々のデータ捏造や不正が暴かれたことを知っては、これ以上CO2地球温暖化説を信じることができなくなる。
では、何故このような国際的な陰謀が繰り広げられてきたのか、日本の原子力ムラを一員とする国際核マフィアの「原子力の平和利用」陰謀のように、きっとそこには政治的・経済的に利益を得るマフィア的存在があると疑うのが筋だろうが、残念ながら本書は地球温暖化説のウソを学問的に実証し、それを平易に説くことを目的としているので、そこへは立ち入っていない。
CO2.jpgそこで他に類書がないか求めたのだが、驚くほどない! すぐに見つけたのは、広瀬隆氏が3.11以前の2010年に出した『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(集英社新書)だった(広瀬氏が反温暖化論者であることは以前から知っていたが)。この本の前半は上述書で詳述されていることと大部分重複する。そして、後半では原子力ムラがCO2悪者説に便乗していかに「クリーンエネルギー」を装ってきたかが述べられているが、犯人ははたしてそれだけだろうか? 私には1970年代にOPEC(石油輸出国機構)が石油メジャーに対抗して石油権益を握るようになったことに危機感を覚えた先進諸国が、石油枯渇説とともに産油国を叩くためにCO2地球温暖化説を唱えるようになったのではないかという気がしてならない。そして、当時の産油国の大半はアラブのイスラム諸国だ。今日のイスラム原理主義やテロの淵源のひとつもその時代の対立に行き着くだろう。(もうひとつの淵源はいうまでもなくイスラエルのシオニズムだが)

余談になるが、実は私が温暖化説に疑問を抱いた最近の出来事に次のようなことがある。NHKは昨年8月31日、「NHKスペシャル 巨大災害 第2集「スーパー台風“海の異変”の最悪シナリオ」を放送した。地球温暖化により、当初海水表面の温度が上昇したが、それが今では深海の温度が上昇し、それが原因となって南の海で巨大台風が発生、日本近海の海水温も上昇しているため、勢力を弱めずに北上し、日本列島に甚大な被害を与えるだろうという、NHKらしからぬ、いたずらに国民の不安を煽るような内容の番組だった。そして、それを見たときは正直「恐い」と思った。完全に洗脳されたのだ。
ところが今年10月19日付の「朝日新聞」「(台風被害に学ぶ)巨大台風に襲われたら 湾岸地域、広範囲に浸水」という特集記事を読んで「おや?」と思った。そこには過去に日本を襲った巨大台風として1959年の伊勢湾台風と1961年の第2室戸台風の例などが載っていたのだが、前者の上陸時の気圧は929ヘクトパスカル、後者は925ヘクトパスカルだった。温暖化したはずの近年、これほど強力な台風が日本列島を襲ったことがあるだろうか? あの2005年にアメリカ南部を襲ったハリケーン・カトリーナでさえ920ヘクトパスカルだった。(戦後の上陸時の気圧が低い台風ベスト10のうち1980年代以降は3位の1993年13号台風・930、5位の1991年の19号・940[~10位まで同じ940]の2つだけ。7つは50~60年代)
おいおい、温暖化してからはそんなスーパー台風、ほとんど上陸していないのに「これから来るぞ!」と脅しておいて、実は温暖化する前の50~60年代にスーパー台風がいくつも来てたのかよ!
上述の2書を読むと、CO2地球温暖化説にはこの種の詐術に事欠かないことが顕わになる。

亡国記CM.jpg



元少年A著『絶歌-神戸連続児童殺傷事件』を読んで考えた様々なこと [Criticism]

10日の新聞で酒鬼薔薇聖斗の名で知られた神戸連続児童殺傷事件の元少年Aの手記が出版されることを知り、関心を持った。なぜなら、自身の少年時代の体験から、私は少年事件に昔から強い関心を抱いており、さらにこの事件に関しては、本ブログでも取り上げたことがあるが、かなり説得力のある〝冤罪説〟もあるからであり、私はぜひこの本を読んでみたいと思った。しかし、その日書店に行ってもまだ店頭に出ておらず、Amazonのサイトでも見当たらなかった。
ところが、翌日Amazonを再度閲覧すると、販売初日だというのにすでに在庫切れ、しかも驚いたことに、2桁のカスタマーレビューがもう上がっており、なおかつそのほとんどが☆ひとつの酷評だった。興味をもってそのレビューをひとつひとつ読んでみると、多くが「世に出してはならない本」「今すぐ出版を中止すべき」といった内容で、なかには正直に「本を読んでいないが……」と、レビューになっていないレビューもいくつか見受けられた。ある商品を使いもせずにダメだと☆ひとつをつけるなど、ルール違反も甚だしい。文句があるなら出版社に抗議するのが筋だろう。
このように、多くのレビューが本をよく読んだうえで冷静に判断・批評したものではなく、「被害者家族を傷つける」「更生していない証拠」などと感情的な決めつけに終始したもので、私は村八分という言葉を連想した。私は日本のムラ社会の構造は基本的に明治以降に形成されたものと思っているが、江戸の封建時代に根を持つ因習が連綿と現代まで地下茎でつながっていることも否定しがたい。そして、否定的なレビューを書いた人々は、それが「正義」と疑わずにいるようだが、そもそもその正義とは何かと問いかけざるを得ない。

凶悪犯罪は減っている
殺人.jpg

未成年.jpg


図を見ると、戦後の一時期を除いて、殺人事件、未成年者のそれも一貫して減り続けているか、もしくは横ばいで、決して増えてはいないことが分かる。なのに私たちが凶悪犯罪を身近に感じるのは、テレビやネットを通じて質・量ともにそれらに関する情報が過剰に流布されているからである。とくに私たちが錯覚しやすいのは、いわゆる「凶悪犯罪」とか「猟奇事件」「無差別大量殺人」といった類いの事件は、せいぜいここ数十年の間に顕著になったという認識である。実はそうした事件は、少なくとも明治の昔からよく起きていたのである。しかし、新聞やラジオしかなかった当時は、そんな事件がどこかの地方で起きても、せいぜい新聞のベタ記事で「どこどこの男が村人7人を猟銃で殺害」などと数行で報じられるだけだった。だから、そんな情報は全国津々浦々に行き渡ることはなかったし、届いたとしても人々の関心をさほど引き起こさなかったのである。むしろ、阿部定事件のように大きな社会的反響を呼び起こした事件は例外的だった。
テレビが発達して、とりわけワイドショーの事件や事故の報道の過熱ぶりがとりざたされるようになって久しいが、その悪習はいっこうに改められる気配がない。かくいう私も、そうした報道のありかたに大いに疑問を抱きつつ、大きな事件や事故があると、ついつい野次馬根性から、少々遅い昼食時間に、「ミヤネヤ」や「ザ・ワイド」などを見てきた。それを見なくなったのは、報道ステーションの古賀茂明氏の事件に関して、「ミヤネヤ」で司会者・コメンテーター総掛かりになって稚拙な古賀叩きをする様を見た時、怒りを通り越してあきれ果て、「こんなくだらない番組を今までよく見てきたものだ!」と自己嫌悪に陥って以来のことだった。
それから数ヵ月が経ち、先日NHKのニュースを見ていたら、安保法制=戦争法案や年金情報流出問題を差し置いて、北海道の一家4人死亡事故がトップで報じられたのだが、その報道の仕方に驚かされた。ワイドショーよろしく、長男をひき逃げした容疑者の人物像を彼が住む自宅付近の住民のインタビューを交えて報じ、視聴者の怒りを買うような演出をしていた。ワイドショーを見ていた頃は、ニュースでもそうした切り口の報道があるのは承知していたが、質量ともにワイドショーのそれとは比べものにならないのでさして気にもとめていなかったが、ワイドショーを見なくなって数ヵ月が経った時点で、ニュースでそれを見せられると、明らかに客観性・中立性に欠くセンセーショナルな報道のしかたであることに今さらながら気づかされる。こうして、昔とは比べものにならないほど、重大事故や殺人事件の報道が1件ごとに詳細に、しかも被害者・加害者のプライバシーに渡るまで立ち入って報道されれば、事件や事故の絶対数は減っても、国民が重大事故や凶悪犯罪が増えているという錯覚に陥るのは無理もないことだ。

加害者にも人権はある
1999年に起きた桶川ストーカー殺人事件をひとつの契機として犯罪被害者等基本法が制定され(2004年)、今日では裁判に犯罪被害者が関与できる等、犯罪被害者やその家族の人権が大幅に認められるようになった。しかし、それに反比例するように、犯罪加害者の人権は疎かにされていないだろうか? もちろん、容疑者は逮捕された瞬間から、その人権が大きく制約される。そして、その制約は裁判で有罪が確定して刑の執行を終えるか、刑の執行を受けることがなくなる日まで続く。逆に、万一無罪が確定すれば、その間に受けた人権侵害は損害賠償されることになる。
無知の涙.jpg例えば、表現の自由も被告人や受刑者にある程度認められる。連続射殺魔と呼ばれた永山則夫は事件の2年後、未決にもかかわらず『無知の涙』(1971年)という手記を出版し、大きな反響を呼んだ。当時高校生だった私も読んだ記憶がある。もうとっくに手元から失われているので数十年前の記憶を辿るしかないが、被害者への謝罪の念はほとんど表明されていなかったと思う。本の基調は、自分を犯罪行為へと駆り立てた貧困と無知を生んだ社会への弾劾、そしてそれを客観的に認識できるようになったのは獄中で猛勉強したからだという矜持に貫かれていた。そして彼はその後も獄中で執筆活動を続け、最高裁で係争中の1983年には自身の幼少期の体験をもとにした自伝的小説『木橋』で第19回新日本文学賞を受賞した。彼を批判する人々も少なからずいたが、一方で彼の言動を支持したり、支持とまでいかずとも理解を示す文化人等もまた少なからずおり、新日本文学賞の受賞は作家としての彼の評価を不動のものにした証でもあった。
そのほか、死刑囚の獄中出版で有名なのは、連合赤軍事件の首謀者・永田洋子の『十六の墓標』があげられよう。この中で彼女は16人の同志殺しを、独特の左翼用語で「総括」しているが、その内容は今日いうところの「真摯な反省」とか「被害者・家族への心からの謝罪」とはおよそかけ離れていたように思う。
当時は被害者遺族の人権などこれっぽっちも認められていなかった時代だからだという反論もあろうが、被害者やその家族の人権が認められたからといって、反対に加害者の人権制限が強化されていいことにはならない。むしろ逆である。ときにそのふたつは対立することがあるだろうが、どちらも守られなければならない。

法治国家の原則に立ち返れ
どんな凶悪犯罪を犯した者であろうと、刑務所でその刑期を終えれば、文字どおりその「おつとめ」は果たしたことになるのであり、仮釈放後の保護観察期間などを除いたら、あとは再び犯罪を犯さない限り、その人は一市民としての権利を回復するというのが、法治国家の原則である。ところが、現実には就職をはじめ、彼には様々なハンディが課せられ、「前科者」というレッテルは一生剥がれることはない。
しかし、勘違いしてならないのは、法的なけじめと被害者-加害者の倫理的問題は別だということである。いくら刑期を全うしても、加害者の倫理的責任は一生ついて回るし、被害者の恨みもそう簡単に晴れるものでない。加害者は被害者にいつまで謝罪し続けなければならないのかといえば、被害者またはその遺族が「もういい」と言う時までだと答えるしかない。しかし、それはあくまで両者の倫理的な問題であり、そこに第三者は介入すべきでないし、介入すべき問題でもない。
また、犯罪被害者の権利が主張されるようになって、よく強調されるのは、被告は裁判を通して事件や事故の真相をすべて明らかにせよ、との要求である。だんまりを決め込んで死刑判決を受けたオウム真理教の麻原彰晃の裁判が典型例だ。しかし、一方で、とくに判決が出ると、被害者や遺族は「もう事件には触れたくない。そっとしておいてほしい」と言う。そのどちらも真実だろうがこれほど矛盾したことはない。裁判で明らかにされた事実がすべて真実とは限らない。いくら被告人が誠心誠意事実を陳述したとしても、少しでも軽い判決を受けたいと願うのが人間の心理だからだ。そういう意味では、むしろ刑が確定した後に受刑者なり元受刑者が書いた手記の中にこそ、事件の核心や真相が隠されている可能性は高い。

少年事件のジレンマ
神戸の事件に立ち返ると、元少年Aはこの事件を14歳の時に起こした。この事件を機に少年法が一部改正され(2000年)、14歳以上の少年も刑事裁判で刑事責任を問えるようになったが、A自身は旧少年法のもとで医療少年院へ送致され、2004年に更生保護施設へ送られた後、その年のうちに保護観察期間も終わり、完全に「自由の身」となった。少年法は「非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行う」ことを目的としている。つまり、犯した罪を罰するのではなく、あくまで更生を目的としているのである。
大人の刑法犯でさえ、刑期を終えれば普通の市民生活が原則的に許されるのだから、少年法で少年院送りになった少年は、退院して保護観察期間が終われば、本来ひとりの青年としてその人格が全面的に認められてこそ、少年法の本来の目的に適うといえよう。なんといっても、未来のある青年(少年)だ。過去に犯した罪はすべて水に流して、二度と犯罪に手を染めることなく生きるべく、きちんと市民としての生活を保障されるべきではないのか?
しかし、現実はAのような凶悪犯罪を犯した少年は、一生十字架を背負って生きていかなければならない。それは単に内面の倫理的問題(被害者家族との問題を含む)にとどまらず、社会的な有形無形の「制裁」についてもだ。

『絶歌』を読んで
・A=冤罪説の崩壊
絶歌.jpg最初に述べたように、私が本書を手にした理由のひとつは、この事件に冤罪説があるからである。『神戸事件を読む』という本では、数々の疑問点が提起されていたが、もちろんAはその点に関して何も答えていない。しかし、もし仮にAが警察権力のでっち上げたダミーだったとしたら、Aは権力によって生活を保障される代わりに、一生日陰の人生を監視下で送ることになろう。今回のような手記の出版は権力にとって何のメリットもないはずだ。また、もし権力の意向に背いて彼が手記を出版したのだとしたら、その内容は冤罪を暴露するようなもっとセンセーショナルなものになったはずだ。
また、『神戸事件を読む』の著者はひとつ致命的な思い違いをしていたようである。それは、当時Aの学力、とくに国語の成績が悪かったことをもって、あのような脅迫文を書く能力はとうてい彼にはなかったという点を冤罪説の有力な証拠のひとつとしてあげていることである。しかし、本書の最初の数ページを読めば分かるように、Aは並外れた文章力の持ち主である。もちろん、その表現力は少年院やその後の社会生活の中で多くの本を読んで身につけた面も多分にあろうが、事件当時も、彼はホラーもののビデオやマンガに精通し、それらの台詞をつなぎ合わせた詩のような文章も書いており、例の酒鬼薔薇聖斗という名前も、小学生の頃に描いた自作の漫画のキャラクターにつけた名前だと告白している。学校の勉強ができないからといって、かならずしも国語力がないとか、頭が悪いということではないのである。本書を読めば、Aはかなりの知能の持ち主で、事件当時も決して単なるできの悪い落ちこぼれでなかったことが推測できる。そうすると、ここで冤罪説は大きく揺らぐことになる。
そこで、以下はA=真犯人という前提で話を進める。

・不十分な事件の自己分析
本書の前半は事件前後の生活から逮捕、医療少年院に至る経過を述べているのだが、まず驚かされるのが、上にも触れたように、その文学的表現力の豊かさである。この本が小説で、筋道だったストーリー展開があれば、もしかして純文学の新人賞でも受賞できるのではないかと思われるほどである。もちろん、それは、この20年近くの間に読んできた膨大な読書量に負うところが大きいだろう。しかし、いくら読書家でも、必ずしも名文家とはかぎらない。
ところが、その美しい文学的修飾語で彩られて語られる事件を巡る経過が、その美文故に大いなる違和感を醸し出す。小説ならふさわしい文体が、ここでは全くふさわしくないだけでなく、むしろAの事実と向き合うことへの恐れのカモフラージュであるかのようにすら思われなくもない。
実際、彼はなぜふたりの年下の子どもを殺すに至ったのか、その心理の自己解明が十分になされているとはいいがたい。というより、当の彼自身、まだそこにたどり着いていないのだろう。
最愛の祖母の死、それに加えて家族の一員であった犬の死が、彼に生と死への現実を遊離した興味を呼び起こし、たまたま祖母の遺品であったマッサージ器をいじっているうちに性の快感に目覚め、その快感が祖母の死と結びついたことから、以降猫の虐殺に手を染めエスカレートしていく……というストーリー展開は、いかにも説明力不足だ。唯一説得力がある場面は、当初庭の祖母が残した畑に埋めるつもりだった淳君の頭部を、処分前日の夜に急に学校の校門に置こうと思いついて実行するというくだりである。
校舎南側の壁沿いに二本並んだナツメヤシの葉が、降りかかる月の光屑を撒き散らすように音もなく擦れ合っている。呪詛と祝福はひとつに融け合い、僕の足元の、僕が愛してやまない淳君のその頭部に集約された。自分がもっとも憎んだものと、自分がもっとも愛したものが、ひとつになった。僕の設えた舞台の上で、はち切れんばかりに膨れ上がったこの世界への僕の憎悪と愛情が、今まさに交尾したのだ。
 告白しよう。僕はこの光景を「美しい」と思った。
嘘偽りのない告白だと思う。しかし、その憎悪した学校への憎悪の記述があまりにも不足している。勉強も運動もできないカオナシのような自己の存在、一方、勉強も運動もできるすぐ下の弟を虐めたこと、父が好きでなかったこと等が断片的に語られるが、それがひとつの像を結んでこのショッキングな場面の告白へ結びついたのではない。そこには大きな空白と断絶がある。彼自身、まだ自己分析が未整理なのか、故意かあるいは無意識的に何かを避けているのか?

・「書く」ことと「世に問う」ことの意味
後半は社会に出てからどんな生活を送ってきたのかについて、時系列的にかなり詳しく描かれている。それによると、彼は事件前からもその傾向があったようだが、人と交わり、回りの空気を読むのが苦手な、多少「自閉症的」傾向があるようだ。そうした傾向のある人に多いことだが、彼もひとつのことにとことんこだわり、熱中するタイプであるようだ。手先の器用さも手伝って、だから就いた仕事はどこでも器用にこなすし、ひといちばい仕事熱心だ。
終盤に至って、彼はある確信にたどり着く。それは「僕にとって「書く」ことは、自分で自分の存在を確認し、自らの生を取り戻す作業だった。」「そうして僕が最後に行き着いた治療法が文章だった。もはや僕には言葉しか残らなかった。」「居場所を求めて彷徨い続けた。どこへ行っても僕はストレンジャーだった。長い彷徨の果てに僕が最後に辿り着いた居場所、自分が自分でいられる安息の地は、自分の中にしかなかった。自分を掻き捌き、自分の内側に、自分の居場所を、自分の言葉で築き上げる以外に、もう僕には生きる術がなかった。」
何と身勝手な!と非難することはたやすい。あるいは、これは自己逃避、退行だと分析することも可能だろう。しかし、私はこれを彼の魂の叫びと受け取った。そしてまた、正しい選択だとも思う。
実際、青少年期の私、いや、つい十数年前までの私も、実は書くことによって自己を対象化し、それを踏み台にして次のステージへと上り詰めてきた人間だった。とりわけ、青少年期の思春期危機や学生時代の挫折体験を乗り切るために、私には書くこと以上の手段は残されていなかった。彼も私も、話すのが苦手で、人と交わるのが苦手で、逆に書くことだけが得意だ。そういう人間にとって、書くということは自己と向き合う手段であり、自己を対象化し分析しうる武器なのだ。
であっても、何も本にして出版しなくてもいいだろう。日記を毎日つけていればいいじゃないか、という反論があるかもしれない。私も中学生のある時期から結婚するまで20年ほど日記をつけていた。しかし、日記はその日、あるいはある一時期の「自己対象化」「自己総括」を可能にする手段ではあっても、人生に立ちはだかった大きな難題を解く手段にはなりえない。私の場合、それを可能にするのは小説という形以外になかった。学生時代の学生運動の挫折体験を乗り越えることができたのは、10年間も苦闘して『極北のレクイエム』という小説を脱稿して出版したことによる。高校生の時にぶち当たった思春期危機という絶体絶命の危機は「無意識の認知行動療法」によって自ら克服したとはいえ、それを客観的に対象化できたのも、それから十数年後にひとつの小説を完成したことによる。結婚-離婚という出来事も、その数年後にいくつかの小説を書き上げて初めて区切りをつけることができた。
そして何より、人間は社会的動物であり、人との関係性によってのみ自己を確認することができる。孤立し自己の内面にしか自分の居場所を見いだせないAにしたところで、だからこそなおのこと、社会との繋がりを通してしか自己の存在意味を確認できないだろう。書かれたものは、読まれることによって初めてその価値を発揮するのだ。そして、その価値はA自身だけでなく、Aが社会にあれだけのショックを与えた事件を引き起こした張本人であってみれば、少し大げさにいって〝歴史的〟資料としての価値がある。この場合の歴史とは、犯罪史程度のものかもしれないが……。
手記の出版を感情的に許せないという淳君の父親の気持ちは分かる。しかし、その被害者の感情に便乗して、本をろくに読みもせずにAや版元の出版社をバッシングすることは許されない。最低限、本を精読すれば、この本が自己満足や印税目的で書かれたものでないことは、一切の予断や偏見を排除すれば、誰の目にも明かだと思う。ただ、十全ではない、完璧ではない、第一歩に過ぎない。

・真の更生、被害者・加害者の真の救済とは何か?
実は本書を読んでいて最も物足りなかった点、本来最も本質的な問題として何よりも語られなければならないのに語られていない点は、「性の問題」だと思った。確かに、上述したように、事件へ至る性倒錯については触れられている。ところが、後半では、本来なら20~30代と最も異性に対する関心の高い年代、性欲の最も強い年代であるにもかかわらず、本書にはAのそれへの言及が一切ない。「はたして彼の性倒錯は「矯正」されたのだろうか?」という疑問も解消されずじまいだ。そうであっても、彼は倫理的に「人を殺してはいけない」という強い確信と信念に辿り着いているようなので、まかり間違っても同じような犯罪を再び犯すことはないとは思うのだが……。
恐らくこの点は医療少年院で法務教官や精神科医が彼を矯正すべき最大課題であったはずだ。そして、この点に関して彼にはみっつの解決方法があったはずだ。ひとつは「治療」がうまくいき、性倒錯が矯正されること。ふたつめは矯正は不可能であり、一生その欲望を抑圧しコントロールして生きていく以外にないという道。そして、もしありうるとしたら、その欲望を文学やマンガや絵画や映画などの芸術に「昇華」させる方法。
もしかしたら、彼の「書く」ことへの渇望は、このみっつめの表現行為なのかもしれない。だとしたら、彼は書くことが許されるべきだというにとどまらず、是非とも書き続けなければならないだろう。事件そのものを小説にすることはできないが、今後もこの本で解明しきれなかった自己とのたたかいをし続けること、また、事件とは直接関係のないフィクションを創作することは、あらゆる意味で良いことであっても、決して非難されるべきことではないと、私は思う。
彼がもっと年を重ねてからあの犯罪を犯していたならば、彼は確実に死刑宣告を受けていただろう。そして、永山則夫のように、あるいは宅間守のように、さらに本書でAが触れている山地悠紀夫のように、今ごろはあるいは自ら望んだように、死刑に処せられ、死ぬまで続く贖罪の苦しみから解放されていたかもしれない。死刑を望んで多数の罪なき民を殺した者に望んだ死刑を与えられ、生と死の意味も分からず犯した未熟な未成年の犯罪者が、一生重い十字架を背負って生きていかなければならないとしたら、それはどう考えても不合理ではないか? やはり死刑は廃止して終身刑が導入されるべきだと思うと同時に、罪を犯した者が死ぬまで十字架の責め苦を負う不合理も解消されなければならないとも思う。
本書の最後に、ある晴れた春の休日に、Aが公園で赤ん坊を連れた若い夫婦に出会う場面が描かれている。彼はそれを見て、自分はその場にふさわしくない、いてはいけない存在だと思い立ち去るのだが、私はいつの日か、彼がそのような幸せな家族の一員になることが、彼の最終的な救済であるだけでなく、実は被害者家族にとっても、最終的な救済に結びつくのではないかと密かに思ってみたりする。

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