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[社説]「ノージャパン」ではなく「ノー安倍」、賢明で成熟した対応を(ハンギョレ) [Korea]

日本政府の経済報復措置以降、日本製品の不買運動など自発的な実力行使が地域と領域を問わず広がっている。覚醒した民主市民として当然の意思表示であり、正当な主権行使であることはもちろんだ。韓日間「経済戦争」が繰り広げられている中でも、両国の市民団体が連帯の動きを本格化していることも、やはりこうした延長線上で注目すべきことだ。ただし、一部で繰り広げられる過度な対応や無意味な行動は、眉をひそめさせる。両国の衝突が長期化するものと予想される状況において、今からでも「ノージャパン」ではなく「ノー安倍」に焦点を合わせるなど、賢明で成熟した対応を模索する必要があるように思われる。
両国の市民団体によってそれぞれ結成された韓国と日本の「強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」(共同行動)は、光復節の15日、ソウルで国際平和行進をともに行うことにした。ソウル広場から出発して、日本大使館まで行進した後、抗議署名を手渡す予定という。日本の共同行動は、すでに去る3日、旧日本大使館前のキャンドル文化祭で、「日韓市民が手をつなぎ強制動員問題の解決を求めていかなければならない」という連帯声明を発表した。
韓日の市民団体は光復節を前に、韓日関係の対応策に関する非公開フォーラムを開き、原爆被害者を称える場も設ける。宗教関係者が共同時局祈祷会を開くなど、市民の連帯の動きはこれまで以上に活発だ。 「安倍政権に反対する日本の良心的市民が日本国内における影響力を持つことができるように、韓国で支持し連帯することが重要である」という市民団体代表の発言は傾聴に値する。したがって、韓国市民の活動も「日本に反対」ではなく「安倍政権への批判」でなければならないという主張は、首肯するに値する
ソウル中区役所が6日、一時管内に「ノージャパン」の旗を掲げて物議を醸した。中断してほしいという国民請願掲示板の文章に1万人以上が署名し、「ノージャパン」と「ノー安倍」は区別しなければならないという指摘がなされると、結局撤回した。賢明な判断だ。一部の政治家が「日本に行くと(放射能で)鼻血出る」と書かれたTシャツを販売しているのも「不適切な愛国マーケティング」に見える。羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)自由韓国党院内代表が文在寅大統領の発言に「砂の中に頭を突っ込んだダチョウ」「新鎖国主義」云々と言ったたことも、政治攻勢としては行過ぎである。一部プロテスタント信者と右翼団体が「韓国も戦犯」とか「ムン・ジェイン膺懲」「日本ファイティング」を叫ぶ場面は不可解極まりない。

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Kポップ20年…「現地化戦略」BoAから韓国語で歌うBTSまで(ハンギョレ、5月11日から翻訳) [Korea]

Kポップは韓国の文化コンテンツの世界化現象をさす用語である「韓流」の一部分と見ることができる。韓流が国内外で注目される文化現象になったのは、一般的に1997年に中国の国営放送・中国中央テレビ(CCTV)で放送されたドラマ「愛が何だって」の成功以降と見なされる。以降、00年代半ばのドラマ「冬のソナタ」のヒットとそれによる文化現象である「ヨン様」(ペ・ヨンジュンの日本のニックネーム)ブームを通して、日本も韓流の流れに合流した。音楽の韓流の場合、ダンスデュオのクローンが2000年に発表した歌「初恋」が台湾で大きな人気を得たのが始めである。
初期韓流の主な市場は中国と日本を中心とする東アジアであった。最近、韓流の中心がドラマからKポップに移り、東アジアを越えて北米と南米、ヨーロッパ、中央アジア等、全世界に拡大していっている。
Kポップは現地エージェンシーと契約を結び現地化戦略(その地域の言語とスタイルの歌)を通してアルバムを作った第1世代、現地に支社を置き国内で人気のあるアイドルの音楽を現地で宣伝することによって海外進出を模索した第2世代を経て、YouTubeやソーシャルメディア等をベースに韓国語の歌自体で勝負する第3世代に発展してきた。(韓国国際文化交流振興院「2018海外韓流実態調査」)
日本進出に真っ先に目をつけたのはSMエンターテインメントであった。00年代初期に、SMは現地化戦略をとった。現地会社であるエイベックスと協力して日本の作曲家の曲を受けて日本の企画会社で日本語の歌でアルバムを出した。代表的な歌手がBoAだ。日本の大衆はBoAの人気が出た後になって、彼女が韓国人であることを知った。00年代後半、東方神起も同じ戦略で日本で成功した。
以降、現地に支社を置き国内で人気のあるアイドルの音楽を現地でプロモーションする方式に変わった。韓国語でも歌うが、現地の言語に歌詞を変えもした。日本、アメリカ、中国、タイ等、現地の国籍を有するメンバーを1、2名ずつ入れて「軟着陸」に活用した。その国に自分たちを紹介しやすいからだった。こうした方式で00年代後半から2PM、スーパージュニア等が中国、タイ等で大いに人気を博した。
しかし、それまでKポップの人気は東アジアだけに留まっていた。東アジアの外における可能性を示した事件が、2011年5月のSM所属歌手の合同公演「SMタウンライブ」フランス・パリ公演だった。この公演のチケットが早くに売り切れ、チケットを手に入れられなかったヨーロッパの国々のKポップファンたちが、ルーブル博物館の前でスーパージュニアのダンスをフラッシュモブで再現したのが話題になった。これは、Kポップが東アジア以外の地域でもファンを増やしていることを示した象徴的な事件だった。
しかし、唯一アメリカの音楽市場の壁は高かった。Kポップ歌手のアメリカポップ市場進出は2008年頃に始まった。当時、国内で最高の人気を謳歌していた少女時代、KARA、ピ、Wander Girls、BoA、2NE1等が進出したが、すべてビルボードのチャート上位に進出することに失敗した。BoAが2009年にビルボード200チャートの127位に入り、2014年に2NE1が同チャート61位に入ったに留まった。
以降、2012年にPSYの「江南スタイル」がアメリカのビルボードシングルチャート2位を記録し、Kポップを全世界に広める契機となった。しかし、以降引き続き人気を得ることには失敗し、米国市場でKポップの人気は停滞した。
2017年頃、防弾少年団(BTS)が米国市場でKポップの復興の先頭に立った。BTSはYouTube、Twitter、Facebook等、様々なデジタルチャンネルを活用して、海外のファンと直接的にコミュニケーションし、英語でなく韓国語の歌で勝負する等、新しい海外進出方式を試みた。結局、BTSはビルボードトップアーティスト賞を3年連続受賞する等、Kポップの歴史を書き換えた。
大衆音楽評論家キム・チャッカの「Kポップ制作システムの変化:Kポップの両翼」(2019)を見ると、「BoAがブランドは日本で、つくるのは韓国人という一種のOEM方式であったとするなら、以降のKポップグループは韓国が企画と制作を引き受け現地人メンバーが部品として投入される形態に制作方式を変えた。こうしたシステムが可能だったのは、韓国の練習生システムと20年間蓄積されたアイドル育成のノウハウをビジネスモデルとしたため」と述べている。彼は「BTSの成功は既存のKポップシステムにさらにいくつかを加減した結果であり、自ら曲を作り歌詞を書いてアーティスト型アイドルとしてのポジショニングをし、ソーシャルメディア時代に合った豊富なコンテンツで勝負し、英語でなく韓国語で歌ったという点が既存のKポップと違っていた」と評価している。
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[社説]「WTO判定」に言いがかりをつける安倍政権の下心(ハンギョレ) [Korea]

日本政府が「福島の水産物輸入禁止」に関連して世界貿易機関(WTO)の最終審の判定に難癖をつけている。「日本は敗訴していない」と意地を張ったり、WTOに対するあら探しに熱を上げている。国際規約を尊重すべき国際社会の一員としてありえない態度だ。
世界貿易機関への提訴は日本政府が行ったものだ。韓国政府は、福島原発事故後、2013年に福島とその周辺地域の水産物の輸入禁止措置をとった。国民の安全と健康に責任を負うべき政府として当然なすべきことをなしたのである。韓国だけでなく、50ヵ国余りが輸入禁止措置をとった。にもかかわらず、日本政府は、この問題を貿易紛争へと持っていった。唯一、韓国政府のみを相手に提訴を行ったのである。世界貿易機関の最終的な判定を当然、日本政府は受け入れるべきだ。
しかし菅義偉官房長官は、世界貿易機関の「韓国勝訴」判定の直後に記者会見を開き、「日本の主張が認められなかったのは非常に遺憾。日本の食品は科学的に安全であり、韓国の安全基準にも十分適合するとした1審の判断は2審でも維持された。日本が敗訴したという指摘は当たらない」と強弁した。我田引水このうえない。河野太郎外相は「韓国の輸入制限措置の撤廃を要求するという立場に変わりはない」と述べた。一言で言って前後の見境のない無法な態度というほかない。また、日本政府と一部のメディアは、突飛な「世界貿易機関改革論」を持ち出した。河野外相は「世界貿易機関の上訴機関が機能していない。日本は世界貿易機関の近代化に努力する」と述べた。極右性向の「産経新聞」は「何のためのWTOなのか」というタイトルの社説で、「到底、納得できない乱暴な判断である。今回の判断はWTO改革の必要性を再認識させるものでもある。」と主張した。昨年2月に世界貿易機関が1審で、日本勝訴の判定を下したとき、日本政府は「歓迎する。韓国は世界貿易機関の決定を重く受け止めることを望む」と述べた。 ご都合主義の典型だ。
勝訴を予想していた日本が受けた衝撃は大きいだろう。日本が勝訴すれば、韓国だけでなく、他国にも輸出を拡大できると期待していたが、当てが外れた。むしろ日本の水産物の安全性に対する国際社会の疑いを生む格好になった。
日本の中で安倍政権に対する批判と責任論が沸き上がっているという。こうした状況で安倍政権が攻撃の矢を韓国政府と世界貿易機関等、外部に向けるのは、「国内政治用」という分析が出ている。7月に予定されている参院選の前哨戦である大阪と沖縄の補欠選挙(4月21日)を控え、責任論を薄め支持勢力を結集することを意図しているというのだ。日本政府関係者が14日、「安倍首相が6月に大阪で開催されるG20首脳会議で、文在寅大統領との会談を見送る方向で検討に入った」と共同通信等のメディアに流したのも、これと無関係ではないようだ。
日本政府のこうした態度は無責任きわまりない。韓国内の反日感情を高め、両国関係の回復を困難にしうる。日本政府は今、他人のせいにするのではなく、世界貿易機関の判定を潔く受け入れ、自国の水産物の安全性を高めることに力を注がなければならないであろう。

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社会学的ノベライズ本として読むべきーチョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』 [Korea]

51roAbTNwzL._SX344_BO1,204,203,200_.jpg「よくできた再現ドラマのノベライズ本」
一昨年、韓国で100万部のベストセラーになり、昨年末日本でも翻訳出版されるとたちまち5万部を売り上げたという本書、遅まきながら購入し、久々の韓国小説を読んでみた。
それまでにもいくつかの文学賞を受賞している作家であり、かつ名門・梨花女子大学社会学科を卒業して放送作家になった経歴の持ち主なので、恐らくあえてこのような構成にしたのだろうが、私に言わせると「よくできた再現ドラマのノベライズ本」といった趣で、小説としては失敗だと思う。精神科医のカルテ(orカウンセリング内容?)というかたちをとって描かれ、統計資料も随所にむき出しのまま無造作に挿入され、主人公が生きてきた時代の各年代ごとの象徴的な事件が生のまま物語に取り込まれるといった手荒な手法は、私にはとても首肯できない。たとえ、このような構成にするにしても、もう少していねいに主人公を造形化てほしかったという気がする。付言すれば、わたくし的にはキム・ジヨン氏が精神科に通って抗うつ剤と睡眠剤を処方されているという前提も気にくわない。

プロレタリア文学との類似性
著者がキム・ジヨンという韓国で最も多い女性の名前を主人公に命名し、他方、登場する男性は夫以外すべて家族関係の呼称か役職などで呼ぶという手法も、主人公に現代韓国女性の最大公約数的人格を与え、他方、男性はあえてそれさえ与えずに記号化したのだろうが、こうした手法は私に、古くは労働者階級(プロレタリア)の階級的属性を形象化した主人公を描くことによって階級対立と階級矛盾を浮き彫りにして階級闘争を鼓舞したプロレタリア文学の手法を思い起こさせる。もっとも、多くのプロレタリア文学の登場人物たちはあまりにステロタイプな階級性によって縛られすぎて、個性や人間味が捨象されていたことを考えると、この小説で描かれるキム・ジヨン氏は個性もあり、個人的に抱える悩みもある人間臭さが感じられる点はプロレタリア文学よりましだし、だからこそ、女性を中心とした多くの読者の共感を呼び起こしたともいえよう。だから本書は、現代韓国の女性問題についての社会学的ノベライズ本としては大成功を収めたのだ。おそらくこの本で提起された現代韓国の女性をめぐる諸問題を社会学の専門書なり、多くの女性に取材したルポルタージュとして出版していたら、これほどまでのベストセラーになることはなかっただろう。

相似形にある日本と韓国、だが日本に欠落している部分
主人公は1982年生まれだが、主人公の抱える問題、直面する問題は、恐らく韓国で女性の大学進学率が大幅に上昇した1980年代に大学入学期を迎えた世代から、現在成人を迎えた世代まで、かなり幅広い年齢層に共通する問題だと思う。そして、韓国の相似形として、それは日本においても同じことがいえる。多くの場合、今世紀に突入するまで、韓国は日本を20~30年後追いしてきたので、日本でいえば1970年代前半に大学入学を迎えた世代以降の女性に多く共通する問題であろう。だからこそ、韓国小説の邦訳としては異例のベストセラーになっているのだろう。もちろん、相似形ということは合同ではない。違いのひとつは、儒教の影響が色濃く残る韓国では、日本では高度成長期にいち早く核家族化して希薄化した家族の紐帯が未だに強いため、「嫁」が夫の実家によって受けるストレスは日本と比べものにならないほどだという点。だが、つい20~30年前までは、「韓国人男性と結婚して韓国に嫁ぐ日本人女性は大変」といわれていた状況は、その間に完全に逆転してしまったのではなかろうか? もともと、仕事中心に生きて家庭をおろそかにする日本人男性と違い、韓国人男性は仕事より家庭を大切にしてきた。共稼ぎ化が進むにしたがい、それまでの「男子厨房に入るべからず」といった儒教的慣習は廃れ、おそらく家事・育児参加率は今では韓国の方が日本よりましなくらいではなかろうか?
とはいえ、あくまで韓国と日本の社会は相似形なので、女性が職場で受けるセクハラや賃金差別、さらに女性に限らず、長時間労働、非正規雇用率、貧富の格差等、両国はどっこいどっこいの現状にある。
だが、日本社会が「失われた30年」を経て、そうした後進的面の改革にほとんど着手しないか、おざなりにしてきたのに対し、韓国はこの30年間のうちに、単に日本に追いつく経済成長を遂げてきただけでなく、制度改革、それに伴う社会・意識改革を着実に積み重ねてきた。そして、その原動力は、本書の登場人物を見ても分かるように、おかしいことをおかしいとはっきり言い、民主化によってひとたび勝ち取った権利を守り育て、行動してでもたたかいとっていこうという国民性にある。そこが韓国と日本を重ねたとき、日本に決定的に欠落している部分だ。
具体的に言えば、2016年から17年にかけて政権を私物化してきた朴槿恵大統領を毎週、100万、200万の市民が厳寒の夜にキャンドルを灯して集まり退陣に追い込み、その半分のエネルギーを担った女性たちが、その後、盗撮ポルノ問題や女性検事の上司からのセクハラ告発に端を発した各界でのMeToo運動へと引き継がれて、今、儒教倫理を引きずってきた韓国社会における女性の状況が大きく変わろうとしている。
そういう状況下で出版されたこの本がベストセラーになったのだ。女性読者は本書を読んで、「私もそう!」と共感した。一方、この邦訳を読んだ日本の女性たちはどう思うのだろうか。恐らく「(日本にもこういうの)あるある」とか「(日本にもこういうの)いるよね」と日本との類似性に共感は覚えても、はっきりと「私もそう!」とわがこととして捉え、考え、声を上げる人がどれほどいるだろうか? そこが日本と韓国の似て非なるいちばんの違いだと思う。
最後に、同じ韓国語翻訳者として、邦訳に関してはいいたいことが山ほどあるが、一般読者にはさほど関心のない問題だと思うので、あえて触れないことにする。

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(社説)和解・癒やし財団解散、「慰安婦問題」真の解決の契機に[京郷新聞11.22] [Korea]

女性家族部が21日、「韓国・日本慰安婦問題合意により設置された和解・癒やし財団の解散を推進し、財団の事業を終了することに決定した」と発表した。日本から財団の基金として受け取った10億円のうち残りの5億7000万円の処理については、慰安婦被害者等の意見を聞いた後に決定すると明らかにした。
韓国・日本慰安婦問題合意は、朴槿恵政権が慰安婦被害ハルモニの意に反した拙速外交の産物である。何より「被害者中心主義」の原則を無視したもので、財団が生命力を持つことができないのは当然である。また、財団の解体には1990年代に日本の民間募金形式で推進されたアジア女性基金に続き、金による日本の慰安婦問題解決の試みが挫折したという意味もある。当事者の意思を排除したまま金銭を用いた慰安婦問題の解決は不可能であるという点が、二度の失敗で確認されたのである。
和解・癒やし財団の設立は、日本の総理の謝罪とともに韓国・日本慰安婦問題合意の中心的な条項であった。今や、財団の解体で韓国・日本間の合意は有名無実化した。政府は慰安婦問題合意に関して破棄または再協議の要求をしないことにしたからには、新たな解決方法を提示すべき課題を抱えることになった。日本も、慰安婦問題が最終的・不可逆的に解決されたという主張を撤回すべきである。普遍的人権と正義に該当する事案は、政府間合意でだけで解決されるのではないという点を認めなければならない。当面の課題は、日本が拠出した10億円をどのように処理するかである。外交当局は10億円の即時返還を要求する被害者の意見を反映して、日本側と10億円処理問題を賢明に解決しなければならない。現実的に生存被害者と死亡被害者の慰労金額が異なることと、慰労金を受け取らなかった被害者に対する対策も講じなければならない。
今回の財団の解散は、誤った方向へ流れた慰安婦問題解決の道筋を正したものである。だが、安倍晋三総理は「(韓国・日本慰安婦問題合意の)国際的約束を守らなければ、国と国との関係が成り立たなくなる」と述べるなど、財団解散を強く非難した。日本は、そうでなくとも最高裁の徴用工賠償判決に対して反発してきた。日本は安倍総理の心からの謝罪拒否によって慰安婦問題合意破棄が始まったという点を考えなければならない。国家間の約束が破棄されたとだけ主張するのではなく、誤った国家の行為を正す意味があるという点を理解しなければならない。今回の解散が慰安婦問題の真の解決の出発点になることを願う。
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『ジニのパズル』の謎 [Korea]

在日朝鮮人文学との出会い
学生時代に出会った在日2世の友人(父が韓国人で母は日本人)との出会いを通して在日問題や韓国・朝鮮に関心を抱いた私は、20代を通して、金達寿(キム・ダルス)、金石範(キム・ソクポム)、李恢成(イ・フェソン)らに代表される1世・2世の在日朝鮮人文学に深い共鳴を覚えて耽読した。しかし、その後、李良枝(イ・ヤンジ)や柳美里(ユ・ミリ)ら第2世代の在日作家らが登場すると、そこにある種の違和感を覚え、その後、在日文学からは遠ざかることになった。
その後私はニューカマーの韓国人と結婚し、韓国にも3年間住んでみて、私が在日朝鮮人文学を通して知った在日家庭に共通する特徴―父母を敬い、親族のつながりを大切にし、先祖の供養を怠らないといった儒教的風習はもとより、酒飲みで妻や子どもに暴力的な父親像、それに対して「アイゴー、アイゴー」とただ嘆くだけしかなすすべを知らない母親像―といったものは、実は植民地時代の遺物、少なくとも南の韓国ではタイムカプセルの中に閉じ込められた過去の家族像であることを知るに至った。
もっとも、在日家庭も3世、4世の世代になれば多分に日本人化し、そのうえ、この四半世紀のうちにも多くに人々が日本に「帰化」した。
在日韓国・朝鮮人という歴史的に特別な過程をたどって形成された人々も、戦後70年も経てばその様相は大きく変化して当然だ。それは例えば、在米日本人、ブラジル移民3世・4世・5世といった人々、さらにいえば、アメリカのアフリカンや世界中の難民や移民のたどる歴史と共通するものがあるだろう。民族的風習が失われ同化するのも無理はない、言語に至っては、2世以降どんどん失われていくのは防ぎようがない。

朝鮮人学校の特殊性
そうしたなかで、日本の朝鮮人学校が守ってきたものは、戦後史の中でかつて日本の植民地支配によって奪われたものを取り戻し守っていくという1世たちの強い民族意識に支えられてきたとはいえ、今となってはそれは歴史遺産的存在になったといってもいい。
私が長らく疑問に思ってきたのは、例えば制服としてのチマ・チョゴリだ。日本の和服同様70年前までは日常服として珍しいものではなかったチマ・チョゴリも、北朝鮮も含めて、今ではそれは日本同様、特別の日にしか身につけるものではない。また、女子だけがチマ・チョゴリで、なぜ男子生徒はパジ・チョゴリでないのかも不思議だ。現に、韓国系の数少ない民族学校の制服は、日本の私立学校同様、男女ともブレザーのところがほとんどだ。
また、朝鮮語を第1言語とするといいながらも、教師自身が2世・3世なので、その発音ははなはだ怪しいもので、朝鮮学校出身者でも何不自由なく朝鮮語が話せる人はそう多くはないようだし、話せる人も日本訛りがひどい人がほとんどだ。つまり、それは生きた朝鮮語とはいいがたい。
その点、上述した韓国系の学校では英語も含めて言語教育に力を入れていて、本国派遣の教師も多いようなので、生きた言語を身につけることができるようだ。民族教育の観点というよりも、より実用的観点に立脚しているのだろう。
70年代以降、金日成独裁への反発と日韓国交回復を受けて朝鮮籍から韓国籍へ移る人が増加したが、前述したように、今ではさらにそこから日本への「帰化」者が多数派になっている。だからといって、彼らのすべてが自分の出自を捨てて、完全に日本人化しているわけではない。80年代に李良枝が日韓の狭間で在日としてのアイデンティティーに苦悩した時期を通過して、今、多くの在日韓国・朝鮮人あるいは韓国・朝鮮系日本人は、アフリカン系アメリカ人、ヒスパニック系アメリカ人、日系アメリカ人、韓国系アメリカ人といった人々と変わらぬ、韓国系日本人、朝鮮系日本人としてのアイデンティティーを確立しているのではなかろうか。

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ピースがはまらないパズル
『ジニのパズル』という第59回群像新人文学賞受賞作で芥川賞候補作にもなった作品が注目されているというので、これは読まざるを得ないと思い読んでみた。
作者の崔実(チェ・シル)の経歴は1985年生まれの東京在住ということ以外未だ詳らかにされていないので想像に任せる以外にないのだが、作品に書かれている時代背景から考えて、主人公のジニは作者の分身と考えて間違いなかろう。どこまで作者が実際に体験したことなのか、どこからがフィクションなのかは定かでないが、ジニの朝鮮学校での体験を記した部分は、恐らく作者が10年以上暖め続け、何度も書き直して推敲を重ねてきた部分と思われる。金父子の肖像画をめぐる事件の記述は確かに圧巻だ。一方、ジニのアメリカ留学の部分は後から付け足したフィクションなのか、文体も少し違っていて、明らかに異質なパズルのピースという気がする。私も昔は純文学指向で、尊敬する大作家の文体を無理に真似ようとした時期もあったが、名だたる芥川賞受賞者の作品の珠玉のような文体は、詩人の紡ぎ出す言葉にも似て天性のもののようで、私のような者にはとうてい真似できないことを悟って以来、自然体を心がけるようになった。この作品も芥川賞候補になったそうだが、文体のみならず、構成を含む作品の完成度や掘り下げの浅さからいって、そこまで芥川賞の値打ちは下がっていないだろうと思った。
それはさておき、小説のサビの部分では確かに圧倒されはしたものの、この作品にはいくつもの謎が残る。
まず、ジニはなぜ日本の小学校に通いながら、中学校から朝鮮学校に通うことになったのか? 日本人の友だちもたくさんいたのに、たった1人の同級生の心ない言葉だけでは、朝鮮学校への転学を決意させる動機としては弱すぎる。また、小学6年生の少女の気まぐれとするにはあまりに突飛な選択のように思われる。
しかも、いざ自ら選択して入った朝鮮学校なのに、そこで朝鮮語を積極的に学んだり、チャング(太鼓)や民族舞踊などを積極的に習おうというのでもない。「누구?」(ヌグ:誰)という朝鮮語を「脱ぐ」という日本語と勘違いするくだりでは、正直笑う気にもなれなかった。なぜなら、音は確かに同じ「ぬぐ」なのだが、イントネーションが「脱ぐ」を「脱ぐ?」と疑問形にしても「누구?」とは全く異なるので、日韓(朝)両国語に通じている人だったら絶対に勘違いするような言葉ではないからだ。これが実際に作者が体験したことであろうとなかろうと、作者の朝鮮語力は未だにその程度のものなのだろう。
といって、私は作者を非難したり上から目線で見下すつもりはない。先ほども述べたように、3世、4世ともなれば、言語が失われない方がおかしいからだ。私がここでいいたいのは、こうした記述ひとつひとつが、前述した謎を深めるからなのだ。
テポドンが日本上空を飛んで太平洋に落下した翌日、ジニはチマ・チョゴリを着て登校しようとして酷い目に遭う。同様のことが当時実際に各地で起こり、人権問題化した。そう、これは民族問題というより、明確に人権侵害問題だ。80年代の第1次日韓ブームを経て、00年代の韓流ブームへと続く端境期にあって、戦後連綿と続いてきた在日差別の底流が一時的に吹き出した時期であり、その底流が今のヘイトスピーチへもつながっているわけだが、ジニの怒りはそうした日本社会の差別構造へと向かうのではなく、朝鮮学校へ、しかも、上述したような歴史遺産的な諸側面のなかでも最も象徴的な金父子の肖像画へのみ向かうのだ。一方で、私が常々違和感を抱いてきた女子のみのチマ・チョゴリは、唯一の親友のニナの民族舞踊を通して全肯定される。
朝鮮学校への入学とヘイトクライムまがいの被害、そこから金父子肖像画事件へと至る葛藤が、いくら中学1年生の少女だからといって、30歳を超えた作者の視点を通しても、納得いくような脈絡で描かれていない。それはとりもなおさず、そのことが作者自身にとっても、未だに完全に消化され理性的に整理がついていないからに他ならないのだろうか、とも思ってみる。
数年前に、ヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」という映画を観た。北へ渡った兄が25年ぶりに監視員を伴って家族の下へ一時帰国する話だ。すごくリアルな話だった。
また、それと前後して「アジアの純真」という映画も観た。こちらは方嶋一貴という日本人監督の作品で、ジニのようにチマ・チョゴリを着ていた朝鮮高校の生徒がヘイトクライムによって殺され、その双子の姉妹がテロリストになって日本社会全体に復讐するという物騒な話だが、ある意味説得力のある作品だった。
ジニは自らを「革命家の卵」と規定するのだが、日本の地における金父子への反乱は、あくまでバーチャルなたたかい、それは極端な話、ゲームソフトの中のたたかいと変わらないかもしれない。ハリウッドでの金正恩の首が飛ぶエンタメ映画が物議を醸したが、それほどまでに現実にコミットすることもない。
ジニは現実には学校側によって処分―退学、そして精神科への入院も学校側の手配によるものかもしれない―は受けたのだが、本国なら間違いなく公開処刑だから、この落差は大きすぎる。
そして、「事件後」の顛末も述べられなければ、ジニのその後の精神的葛藤の変遷も述べられない。
突如としてアメリカへ飛ぶ。そして具体性のない記述の果てに、ある種の「救済」を得る。
パズルを解く唯一の手がかりといえば、断片的に挿入される北朝鮮へ「帰国」して死んだジニの祖父からの幾通かの手紙だが、それこそばらけたピースのままだ。

日韓、日朝を超えて羽ばたく
日本人の父親とニューカマー韓国人の母親の間に生まれた私の娘は、作者とひと世代も歳が離れていないが、作者とは全く異なる人生を歩んできた。彼女も幼少期から自分に韓国人の血が流れることを隠すことなく日本社会で生きながらも、それと意識するような差別を受けることもなく育ち、2年半の韓国生活で韓国語も身に付け、おまけに英語も韓国語以上に堪能になった。日本語で母親と話すときはママだが、韓国語で話すときは自然にオンマとなる。サッカー日韓戦ではいつも熱烈に日本チームを応援するが、竹島問題では日韓共同管理にして仲よく資源を分け合えばいいではないかと小学生の時、新聞に投書した。
私自身も、若い頃は「贖罪派」に近い意識を持っていたが、3年間韓国に暮らし、韓国のおかしいところはおかしいとはっきり言える日韓関係を築かなければならないと思うようになった。そして、娘の成長を通して、今や韓国だ日本だとこだわる時代でないと思うようになった。
もちろん、在特会等のヘイトスピーチは人権問題として絶対許されないと強く思っている。歴史から目を背けてはならないとも思っている。北朝鮮の独裁体制が一刻も早く崩壊して北の住民たちに自由と豊かな生活が訪れることも願っている。
そんな私にとっても、ジニのパズルは謎が多すぎてちっともピースが埋まらない。
そういえば、娘は小さい頃ジグソーパズルが大好きで、ひとりで難なく完成させたトトロの絵は今でも額縁に飾ってある。今度娘に会ったら、ジニのパズルを解いてもらおうか。

안중근은 테러리스트인가 의사인가? [Korea]

경건한 천주교 신자였던 안중근
안중근은 양반집안에서 1879년에 태어나 18살 때 천주교에 입신하여 일생을 경건한 천주교 신자로 살았다. 그러다가, 러일전쟁에 승리한 일본이 한국을 보호국화하고 초대 조선통감으로서 이토 히로부미가 부임할 무렵부터 한국국내에서 일어난 의병에 참여하고, 당시 많은 조선인들이 유입해 있던 러시아 연해주에 체류하던 중 1909년 10월 26일, 이토 히로부미가 조선통감을 사임하고 연해주를 방문중이라는 사실을 듣고 하얼빈역으로 거사를 치르기 위해 갔다.
러시아군에 체포된 안중근은 일본정부쪽에 넘겨져 당지에서 재판을 받고, 1개월의 공판을 거쳐 사형이 선고되었고, 다음해 3월26일, 사건 후 5개월만에 처형되었다.
천주교 신자인 안중근은 ‘죽인자는 죽음을 당한다’는 구약성서의 가르침을 알고 있었으므로, 근거없이 이토 히로부미를 죽인 것이 아니었다. 의병 중에는 난폭한 사람도 있었지만, 그는 포로로 잡은 일본군을 감화시키고 석방한 적도 있었다. 또, 자신의 행위의 정당성을 도리에 맞게 정정당당하게 주장하는 안중근의 태도는, 체포 후에 그를 만난 공판 관계자나 형무관들을 감화시켰다. 특히 젊은 간수, 육군상등병인 지바 주시치(千葉十七)는 그에게 깊이 탄복하고, 안중근이 지바에게 남긴 유묵(遺墨)을 일생동안 소중히 간직했다고 한다. 이 이야기를 듣고 나는 넬슨 만델라가 수감중에 간수를 감화시켜 동조자로 만들었다는 일화가 생각났다. 남아프리카 백인정부의 아파르트헤이트 정책에 저항하여 무장투쟁을 전개하고 긴 세월을 옥중에서 보낸 만델라 ANC의장도, 이스라엘의 시오니즘에 저항하여 게릴라 투쟁을 전개한 야세르 아라파트 PLO의장도, 일부에서는 테러리스트라고 부르는데도 불구하고 노벨평화상을 수상했다.
한편, 일본 지폐의 초상화가 된 이토 히로부미는 어떤 인물이었는가? 조슈한 출신인 그는 막부를 타도하는 운동에 참여하며, 1862년에는 막부 말기의 공무합체론(公武合体論)을 주장한 나가이 우타 암살을 꾀하고, 시나가와 고텐야마에 있던 영국공사관 전복을 위한 공격에 참여했고, 야마오 요조와 함께 하나와 지로•가토 고지로를 암살하는 등, 천황을 받들어 모시기 위한 존왕양이의 지사로서 활동했다. 정치적 목적으로 사람을 죽이는 행위를 테러리즘이라고 한다면, 동포를 몇 명씩이나 죽인 그야 말로 테러리스트라는 명칭이 어울릴 것이다.
그리고, 두번째 수상 재임중에 일어난 한국의 왕비 민비 살해에 있어서, 주범이었던 주조선국 특명전권공사 미우라 고로는, 일국의 왕비를 정부 관계자가 살해한 그야말로 국가 테러 그 자체인데도 불구하고 증거 불충분이라는 명분으로 면소판결, 석방되었다. 또한, 초대 한국 통감에 취임하고 한국의 실질적인 식민지화를 추진한 이토 히로부미는, 당초에는 ‘한일합병’에 반대했으나 후에 생각을 바꾸어, 자신의 역할은 끝났다고 하며 1909년5월 스스로 사임하고, 다음 해 ‘한일합방’의 길을 열었다.

메이지유신 이후의 역사를 전면적으로 부정하고, 시민사관을 창조하자
이전에 영토문제를 논했을 때도 언급했듯이, 오늘날 구미 국가들로부터 ‘역사 수정주의’로 불리는 일당들이 되풀이 하고 있는 역사관련 문제들과 전면적으로 대결하여 그들을 타도하려면, 전쟁에 대한 총괄뿐만 아니라, 메이지유신 이후 백 수십년간에 걸친 일본의 역사총괄이 필요하다.
옛부터 언급되어왔듯이 메이지유신은 신흥 부르조아에 의해 거행된 시민혁명이 아니라, 개혁파였던 하급무사가 오랫동안 문자 그대로 ‘상징적인 지위’에 머물러 있던 천황을 권위의 상징으로서 받들기 시작하면서 절대주의 왕조를 표방하여 이룬 개혁으로, 이 정권은 부국강병이라는 명분 하에 국가 주도로 자본주의화가 강력하게 추진되었다. 다른 아시아국가들이 모두 구미열강의 식민지, 반식민지화 되어 가는 가운데, 일본만이 그것을 피할 수 있었던 것은, 그 이유의 하나로 일본에게 개국을 강요했던 미국이 남북전쟁(1861∼65)으로 꼼짝달짝 못하는 상황에 처해 있었기 때문이었다는 것을 들 수 있다 (그러나, 이것은 과연 일본에게 있어서 생각지도 못 한 행운이었을까? 차라리 일본도 다른 아시아국가들과 함께 구미 열강의 식민지가 되어서 절처하게 박탈당한 후에, 내면에서 끓어오르는 민족해방운동을 거쳐서 독립을 쟁취했다면, 일본도 오늘날 더 나은 민주주의 국가가 되지 않았을까. 아니면, 그래도 여전히 이 나라는 아시아에서 유일한 모 나라의 식민지로서 계속해서 존재했을까?)
그리하여 아시아에서 유일하게, 독립 자본주의 국가로서 걷기 시작한 일본은, 구미 열강에 대항하기 위해 ’탈아입구(脫亞入歐)’, 즉 같은 아시아국가를 지배하여 식민지화하여 제국주의화를 완수한다. 메이지시대에서 쇼와시대 전기는, 그야말로 일본은 전쟁시대였다.
그러므로 일본은 메이지유신이래 1945년의 패전까지, 절대주의적 천황제를 이데올로기의 기반으로 하여, 철저히 반민주주의적, 전체주의적, 군국주의적 정치지배를 계속해왔고, 그 과정에서 국가경영을 실질적으로 지배해 온 것은 강력한 관료제였다.
그런 과정에서 하급무사였던 급진세력은 보다 민주적인 정권을 목표로 하여 자유민권운동을 일으켰으나 패배했다. 20세기에 들어서서 일어난 사회주의, 무정부주의운동도, 바로 한국의 식민지화와 시기를 같이 하여 날조된 대역사건(大逆事件)에 의해 탄압되었다. 그 후, 1917년에 일어난 러시아혁명에서 힘을 얻은 국제공산주의 운동 속에서 1921년에 결성된 일본공산당도 보통선거법 대신에 성립된 치안유지법에 의해 탄압, 전시하에서 근절되었다. 이 점이, 같은 추축국 중에서도 나치스 반대운동의 뿌리 깊은 저항에 부딪힌 독일 및 빨치산투쟁으로 무솔리니를 타도하고 왕정에서 공화제로 이행시킨 이탈리아와, 하늘과 땅만큼의 차이를 보이는 부분이다.
잘 알려져 있듯이 ‘1억 총옥쇄(總玉碎)’체제하에 있었던 일본은, 미국이 투하한 2발의 원자폭탄에 의해 항복할 수 밖에 없었다. 일본은 연합국=미군의 지배하에 들어갔지만, 천황제는 유지되었고, 전쟁 전의 정치체제를 옹호해온 반민주주의적, 전체주의적, 군국주의적인 세력도, 온건보수 여당에 내포되어 살아 남았다.
전쟁 후, 감옥에서 해방된 공산주의자•사회주의자•민주주의자들은 한 때 대중운동의 주도권을 장악했으나, 정권을 장악한 적은 결국 없었다. 따라서, 일본에서는 전쟁에 대한 총괄이 제대로 이루어지지 않았고, 직접 전쟁과 관련된 사람들이 공무에 복귀하는 일마저 암묵리에 승인되었으며, 표면상 ‘민주화’된 일본은, 그 지하에는 메이지유신 이래의 관료와 반민주적 보수 정치세력의 지배가 끊임없이 이어졌다. 유일하게, 선거를 통해 실현된 민주적인 정부라고 부를 만한 것은 2009∼12년의 민주당 정권이었으나, 그것은 다이쇼 데모크라시처럼 열매없는 꽃으로 끝났다.
이런 점에서 보면, 세계의 냉소를 받고 있는 ‘역사수정주의자’들이 활보하면서 ‘종군위안부는 어느나라에나 있었다’’난징대학살은 없었다’’센카쿠, 다케시마, 북방 4개섬은 일본 고유의 영토다’’도쿄재판은 부당하다’’안중근은 테러리스트다’ 와 같은 주장을 하는 것은 놀랄 만한 일이 아니다.
우리 일본의 진정한 민주주의자들은 이러한 패거리들의 헛소리를, 메이지유신으로 거슬러 올라가서 전면적으로 부정할 수 밖에 없다. 안중근은 죽음을 눈 앞에 두고 ‘동양평화와 한일우호’를 빌어 마지 않았다. 국경을 초월한 ‘시민사관’을 목표로 하는 우리 국제시민들은 100년전에 안중근이 남긴 유언이야말로 마음의 양식으로 해야 한다.

‘우리나라 고유의 영토’는 고작해야 혼슈•시코쿠•규슈 정도이다 [Korea]

일본정부나 언론이 센카쿠열도다케시마(독도), ‘북방영토’를 부를 때, 반드시 ‘우리나라 고유의 영토’라는 접두사를 붙인다. 게다가 최근에는 일부러 ‘시마네현 다케시마’라든가 ‘오키나와현 센카쿠열도’ 등과 같이 현을 붙여서 호칭하고 있다. 그러나, ‘일본 고유의 영토’는, 고작해야 혼슈•시코쿠•규슈의 3개 섬과 그 주변의 작은섬이 전부라는 것은 에도시대로 거슬러 올라가기만 해도 명백히 알 수 있다.
대체로 근대사회에 들어설 때까지는 측량기술도 확실하지 않았고, 세계의 대부분의 경계선 지역은 미개척지로서 국경 같은 것은 없었다. 일본을 보더라도, 홋카이도는 에조치라고 불리는 아이누의 거주지였는데, 최남단의 마쓰마에반도를 마쓰마에 번이 지배했을 뿐이다. 나머지는 아이누민족의 토지(아이누모시리)였다. 마찬가지로, 오키나와는 일본천황이 아닌 다른 왕권이 지배하는 류큐왕국이었는데, 그 작은 왕국은 지혜를 짜내어 청나라와 일본의 사쓰마 번 양쪽에 속하는 형식으로 독립을 유지해 왔다.
(센카쿠열도나 다케시마(독도)를 둘러싸고 대립하는 양국이 다 찢어진 고문서를 찾아내어 ‘이거 봐라, 이렇게 옛날부터 ××는 우리나라 고유의 영토였다’고 서로 주장하는 것 만큼 결론 없는 논란도 없을 거다. 그러기에 ‘영토문제’ ‘영유권 문제’가 발생하는 것으로, 처음부터 만국이 인정하는 일개국의 토지였다면 아예 문제가 일어나지도 않았을 것이다. 영토문제는, 시라이 사토시(白井聡)가 언급했 듯이, 직근의 전쟁결과가 ‘영토지배의 경계선을 원칙적으로 규정’한다. 역사를 거슬러 올라가서 영유권을 주장한다면, 몽골은 세계 최고의 대국이 될 것이다. )
메이지유신 후, 류큐왕국은 1871년에 류큐처분에 의해 일본정부에 합병되었고, 원래 수렵과 어업경제 하에서 국가가 없었던 ‘아이누모시리’는 일본 내지에서 들어온 이주민에 의해 토지를 약탈당하고, 생활권을 빼앗겼다. 그것을 ‘합법화’한 법률이 악명높은 ‘홋카이도 구 토인 보호법’ (1899년)이었다.
메이지정부는 부국강병이라는 명분 하에, 국내에 대해서는 국가주도의 자본주의화, 국외에 대해서는 구미열강의 대열에 끼기 위해 주변지역에 군사적인 침략을 시도했다. 그것이 1894년부터 시작된 청일전쟁이며, 1904년부터 시작된 러일전쟁이었다. 바로 이 두 전쟁이 한창일 때, 일본이 전황을 유리하게 이끌어가기 위한 과정에서, 센카쿠열도는 1895년1월, 다케시마(독도)는 1905년1월에 일본 영토에 편입시킨 것이다. 그리고, 그 두 전쟁의 결과, 전쟁에 이긴 일본은 중국으로부터 대만을 얻어 식민지화하고, 한국은 ‘보호국’으로서 통감부를 설치하여 반식민지화, 1910년에 완전히 식민지화하고 총독부를 설치했다.
또, ‘북방영토’에 대해서 말하자면, 에도막부 말기의 러일화친조약(1855년)으로 에토로후와 우루프섬 사이에 국경선이 그어졌다고는 하지만, 그 후 지시마 가라후토 교환조약과 포츠머스조약 등 일련의 변천을 거쳐, 결국 1956년의 러일공동선언을 통해 ‘평화조약체결 후 하보마이열도와 시코탄도를 일본에 반환한다’는 합의가, 일본이 두 섬에 대해 유일하게 영유권을 주장할 수 있는 근거이다.
그러므로, 센카쿠열도, 다케시마(독도), ‘북방영토’ 모두, 일본이 제2차 세계대전에서 패배하고 포츠담선언을 수락, 샌프란시스코강화조약을 체결했다는 역사적인 사실을 인정하는 한, ‘일본 고유의 영토’라고 주장할 수 있는 근거가 없다(하보마이, 시코탄 두 섬의 반환에 대해서만, 러일평화조약을 전제로 한 현실성이 있겠지만).
한편, 센카쿠열도와 다케시마(독도)가 ‘일본 고유의 영토’가 아니라고 해서, 그것이 곧바로 중국이나 대만, 그리고 한국의 영유권을 정당화할 수 있는 것이 아니라는 것도 명백하다.
처음부터 영토문제라는 것은, 국경 변두리 지역의 작은 토지를 둘러싸고 야기되는 것이다. 과거에 일어난 중-소 국경분쟁도 그렇고, 영국과 아르헨티나 사이에 전쟁으로까지 치닫게 한 포클랜드분쟁도 그렇다. 센카쿠열도나 다케시마(독도)는 원래 무인도. ‘북방 영토’에 일본의 어민이 살았다고 해봤자 겨우 몇십년간. 그런 식으로 주장한다면 몇백년에 걸쳐 조상대대로 홋카이도에서 살아 온 아이누 사람들이야말로 ‘샤모’(일본민족)에 대하여 영유권을 주장할 권리가 있다고 할 수 있고, ‘북방영토’인 구나시리, 에토로후의 영유권에 대한 근거가 부족하다면, 반대로 그 이북의 지시마열도에 살았다거나, 사할린에 살았다거나, 또한 식민지시대 때 조선이나 대만, 나아가 ‘만주’에 살았던 일본인하고 무엇이 다르다고 할 수 있는가? 게다가 세월이 몇 세대나 흐른 지금, 그들 자손들이 어디에 살고 있는가?
아니다, 센카쿠열도에는 석유, 천연가스 등 해저자원이 있다고 한다면, 일본-중국-대만이 공동으로 개발하여 이익을 서로 나누는 것이 신사적인 해결방법일 것이다. 기타 지역의 어업권 문제도 마찬가지다. 실제로, 어업권에 대해서는 그렇게 교섭을 하여 그나름대로 타협해왔다.
도대체, 그렇게 작은 섬, Googlemap을 초 대형으로 확대하지 않으면 보이지 않을 정도로 작은 섬을 둘러싸고, 대국이 서로 눈을 부라리며 싸우는 것은 한심한 일이다. 야생동물의 세력권 다툼에도 뒤떨어지는 행위라고 할 수 있을 것이다.
더구나 시대는 21세기. 글로벌화, 보더레스화로 국경이 점점 더 사라지고 있는 시대다. 나는 각국의 국가주의적인 역사관에 대해, 각국의 국경을 초월한 공통된 ‘시민역사관’을 지금이야말로 만들어야 한다고 생각하는데, ‘영토문제’도 그 속에 포함시켜, 시민역사관에 의해 국경을 아예 없애는 것이야말로 근본적인 해결 방법이라고 생각한다.
그보다는, 센카쿠열도에다 다케시마(독도), 그리고 ‘북방영토’를 합한 것보다 훨씬 광대한 영토를, 우리 일본국민들은 도쿄전력 후쿠시마 제1원전의 폭발사고로 방사능오염시켜 실질적으로 영토를 빼앗기고, 몇십만이나 되는 사람들이 국가로부터 버림받고 있는 현실을 보기 바란다. 또한, 일본에 40년전에 반환된 오키나와가 지금도 미군이 10% 이상의 토지를 점거하고, 시내를 온통 군용기가 폭음을 내면서 어지럽게 날아다니며, 미국병사가 제멋대로 거리를 활보하며, 깡패 같은 병사가 강간 등 범죄행위를 저질러도, 미일지위협정때문에 재판조차 충분히 할 수 없는 반식민지상태에 놓여있는 현실을 직시하기 바란다. 이쪽이 일본사람 한테는 한층 더 절실하고 긴급을 요하는 문제이다.

2014년을 한-중-대-일 시민연대 행동 원년으로! [Korea]

몇년 전까지만 해도 중국이나 한국의 위정자들은 국내의 모순을 감추기 위해 반일감정을 부채질하여 국민의 관심을 해외로 향하게 했다. 이에 대해 경제 대국 일본은 냉정하게 대처해 왔다고 할 수 있을 것이다. 그러나, 유일한 장점이었던 경제가 침체하고, 게다가 3.11 후쿠시마 사태로 인해 일본정부에 대한 비판이 쇄도하자 일본 위정자들도 일부 국민 사이에 뿌리 깊게 존재하는 편협한 반중-반한 민족주의를 부채질하여, 센카쿠제도(尖閣諸島)-다케시마(竹島-독도)와 같은 영토문제를 내세우고 반중-반한 정책으로 바꾸어 언론을 총동원한 배외주의 캠페인을 시작했다. 특히 재작년 말에 아베정권 출범 후 작년 여름에 참의원선거에서 자민당이 중참양원의 과반수를 차지한 이후, 그들이 파시즘화 노선 을 노골적으로 추진하기 시작한 후, 일한, 특히 일중간에 언제 전쟁이 일어나도 이상하지 않을 정도의 불온한 상황으로 치닫고 있다.
이런 상황에서, 우리 일본시민들이 국내에서 반전평화를 외치는 것만으로는 너무도 약세하다. 한-중-일의 권력자들이 서로 적대하는 지금이야말로, 대만을 포함한 4개국 시민들이 연대하여 반전평화 행동을 일으켜야 한다.
일본에서는, 최근 20∼30년간 대중, 대한 의식은 호전되었다. 특히 10년 전의 한류 붐은 과거에 볼 수 없었던 열기를 띄웠으나, 위와 같은 국가주의의 대두로 인해 그러한 붐도 풍전등화와 같다. 시민간의 교류나 문화교류도 중요하지만, 지금은 그것을 초월하여 시민간의 정치적 교류와 연대행동이 필요한 때이다.
우리 일본시민들은 이미 3.11이후, 2번에 걸쳐 탈원전세계회의를 비롯하여 여러차례 탈원전 세계통일 행동을 호소하고, 한-중-대-일 4개국 뿐만이 아니라, 전세계의 세계적인 차원에서 탈원전 국제연대행동을 시도해왔다.
이러한 경험을 기초로, 우선은 올해 3.11을 도쿄-서울-베이징-타이베이에서 동시에, 같은 명칭의 집회-데모를 실시하여 공동선언을 발표했으면 한다 (실제적으로 베이징은 어려운 상황이지만). 이 4개국에는 건설-계획중인 것을 포함하여100기를 넘는 핵발전소가 존재하여 동아시아는 세계 유수의 핵발전 밀집지대가 되었다. 또한 이 4개국의 정권은 모두 핵발전 추진 정권이다. 후쿠시마의 교훈에서 볼 때, 이 중의 어느 한 나라에서 사고가 일어났을 때 그 피해가 일개국에 멈추지 않는다는 것을 알 수 있다. 일본 국내 뿐만 아니라 동아시아를 비롯한 전세계가 후쿠시마를 망각하기 시작한 지금이야말로, 그리고 일본에서는 각 핵발전소 재가동 허용 여부가 결정되는 중요한 시기인 올해야말로, 3.11을 전세계에 다시 호소해야 하다.
또 하나는, 8.15반전-평화 통일행동이다. 3.11처럼 도쿄-서울-베이징-타이베이에서 동시에 같은 명칭의 집회-데모를 열어 공동선언을 발표한다 (중국 당국도 전쟁에서 일본에 승리한 이날 열리는 반전-평화집회-데모를 방해할 이유가 없을 것이다). 그리고, 4개국의 시민들은 각국이 교전하는 사태가 발생하더라도 절대로 서로 싸우지 않을 것을 맹세하는 것이다.
또한, 탈원전세계회의와 같은 심포지엄, 워크숍 등을 매년 각국이 차례로 열어 깊이 논의해야 한다. 독일과 프랑스와 같은 성숙한 민주국가 사이에서는 공통 역사교과서를 만들어 교육현장에서 사용할 수 있으나, 유감스럽게도 동아시아 각국에서 그것은 하늘의 별 따기다. 그러나, 시민 수준에서라면 역사인식을 공유할 수 있을 것이다. 단순히 공유하는 것만이 아니라, 논의와 토론을 통해 깊이 인식하고, 국가간 대립을 초월한 시민사관(市民史觀)을 육성하고 공유해야 한다.
대립하는 국가 사이의 시민들이 서로 손을 맞잡고 우호관계를 깊이 하여 일어서는 일이야 말로 국가 권력자들을 위협하는 일은 없을 것이다. 그렇게 되면 국가간의 불모하고 허망스러운 대립은 국가 권력자들과 시민의 국경을 넘은 대립으로 전화할 것이다.

しなり君、無知は恥ずべきこと、君の行為は許されない [Korea]

しなり君、君へのインタビュー記事読みました。
君は自らを「無学で無教養。歴史や政治に対してはあまり関心がないし、熱心に勉強したこともないノンポリ」と語っているが、そのことに僕はまず驚きを覚えました。僕は旭日旗を振った犯人をネトウヨとか在特会につらなる右翼思想の持ち主かと推測していましたが、君はそれを否定し、自らの行動について「政治的な解釈を勝手にされてしまうことは、とても不本意」と述べている。しかし、君のとった行為自体が政治的行動であることを、まず君は認識しなければならない。
君は韓国人の旭日旗に対するアレルギーについては、不勉強であるがゆえに「戦争を知らない若い世代には、薄くなっているのではないかという思いしかなかった」と語りつつ、「旭日旗を振ることで韓国側が動揺し、結果、日本チームに有利な空気が作れるのではないか」と思ったというが、これは明らかに矛盾した論理だね。君は旭日旗を振れば「韓国側が動揺」することを知っていた。つまり、旭日旗の持つ政治的意味、それに込められた政治的メッセージを知っていたわけだ。ただ単に韓国サポーターを挑発する目的だったら、「바보!(バカ!)」と書いた旗でも振ればよかったわけだから。
君は35歳のいい大人だ。である以上、自らの行動には責任が伴っていることを知っているはずだ。自分のとった行動が政治的意味を持ち、それ故相手(韓国人)を挑発し、傷つけることを認識しつつ、自分を「無学で無教養。歴史や政治に対してはあまり関心がないし、熱心に勉強したこともないノンポリ」と規定することは、責任逃れの自己弁明でしかく、決して許されることではない。
もし君が、どうしてもあのような行動をとりたかったのなら、歴史-特に明治維新後の日韓関係史、植民地史、第2次世界大戦において日本が行ったこと、等々を寝る暇も惜しんで勉強し、あの行動をとった後、ソウルで韓国人記者たちを前に記者会見して、自分の行動の正当性を堂々と主張しなければならなかった。それほど君のとった行動は重い意味を持つということだ。
ついでに言えば、君はサポーターの役割を相手チームやサポーターを挑発しダメージを与えることであると認識しているようだが、それはどうだろうか? 僕は昔、プロ野球のファンで、何度も球場に足を運んだことがあるが、ある日、応援するチームの応援団が、相手チームの攻撃の時、ある打者に、「アホ、アホ、アホの○○、アホ、アホ、アホの○○」と大声で叫び始めたのを聞いて、とても嫌な思いをしたことがある。また、被爆者で在日韓国人二世でもある往年の大打者=張本勲氏は、現役時代、心ないファンのヤジを日常的に受けていたそうだ。
僕は中学2年生の時の運動会の徒競走で、初恋の人から「○ちゃん、頑張って~!」という思わぬ声援を受け、めっちゃ嬉しくて、そのせいか2位に入った経験があるけれど、その時、逆に誰かから、「○○、きもいぞ!死んじまえ!」なんていうヤジを受けてたら、本当に死んでしまいたくなったかもしれない。
野球でもサッカーでも何でも、本当のファンとかサポーターというのは、「がんばれ~! がんばれ~!」って、応援するのが本来の姿じゃないのかな。相手を挑発したり、悪口言ったりするのは、フェアじゃないし、応援とはいえないと思うよ。
もし僕が君の立場だったら、えげつない韓国サポーターに対して、次のような横断幕を掲げたり、旗を振ったりすると思うよ。
「우리는 한국을 사랑해요! 하지만 이 시합은 일본이 이길 거에요[黒ハート](私たちは韓国が好きです!でもこの試合は日本が勝つでしょう!)」
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