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2019-私のベストアルバムRYMDEN『REFLECTIONS & ODYSSEYS』 [Jazz]

IMG_3340.jpge.s.t.のダン・ベルグルンド(b)とマグヌス・オストロム(ds)がノルウェーのピアニストのブッゲ・ヴェッセルトフトと組んだRYMDENのファーストアルバム。
2000年前後にe.s.t.がもてはやされた頃、私は1枚だけそのCDを買って聴いてみたことがあるのだが、当時、欧米の最新のジャズ情報といえばFMのジャズ番組か「スイングジャーナル」で仕入れるくらいで、普段は60~70年代の主流派やフュージョンばかり聴いていた私には、正直、e.s.t.の音楽は斬新過ぎて共感するところがほとんどなかった。(あるいは単に、エスビョルン・スヴェンソンが性に合わなかっただけかもしれないが…)
だが、ここ3年ほど音楽配信サービスで世界中の最新ジャズを聴くようになり、私の耳も肥えて、ようやく時代の最先端の音に慣れてきた。そんな今の私にとって、昨年聴いたジャズのベストアルバムといったら、絶対にこの作品をあげたい。
ピアニストのブッゲ・ヴェッセルトフトは1960年代から北欧ジャズをリードしてきたノルウェーの出身で、1980年代からヤン・ガルバレク、テリエ・リピダルなどと共演してきたという。
このグループ名RYMDENはスウェーデン語でスペース=宇宙を意味するそうで、ロケットを描いたカラフルなジャケットデザインもいい。
北欧ジャズの伝統とe.s.t.の継承-それは、イントロ的な1曲目のReflectionsを経て、ヴェッセルトフトの力強い同一旋律の繰り返しが印象的なアコースティックピアノで始まる2曲目のThe Odysseyから、質の高い演奏を繰り広げる。そして、短いベースソロの次の4曲目のPitter-Patterは打って変わってリズミカルなフェンダーローズのエレクトリックサウンドだ。
とりわけ私のお気に入りは、親しみやすいメロディーラインからなる7曲目のBergenだ。ヴェッセルトフトのアコースティックピアノにオストロムのドラミング、ベルグルンドのベースソロやアルコベースが絶妙なハーモニーを醸し出し、ラストにコーラスが加わりエンディングへ盛り立てる。
9曲目のRåkはオストロムのシンセドラムから始まり、ヴェッセルトフトのアコピからフェンダーローズへ移る最もエキサイティングな演奏。
最後はフォークっぽいスローな曲で終わる。
とにかく、何度聴いても飽きさせないアルバムだ。

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2020東京五輪ー近代オリンピック廃止の契機に [etc.]

輝いていた1964東京五輪
 当時小学生だった私には、1964年の東京オリンピックに関して、今も多くの記憶が残っている。日本は高度経済成長真っ盛りの時代で、その年の4月にOECDに加盟して先進国の仲間入りを果たしている。そして、開会直前に「夢の超特急」=東海道新幹線が開通した。オリンピック景気は経済に好循環をもたらし、池田内閣の「所得倍増計画」とも相まって、順調にGDPを伸ばしていった。
 私の住んでいた町も東京のベッドタウンとして急速に人口が増え、五輪翌年には市初のデパートが駅前にオープンした。それまで東京に行くと見かけた募金を求める傷痍軍人の姿はいつしか消え、高速道路があちこちに出現した。
 五輪見物自体は、姉が手に入れたウエイトリフティングの予選を母を含めて3人で代々木体育館に見に行っただけだったが、開会式からマラソン競技・閉会式に至るまで、家の白黒テレビで毎日観戦した。参加国は過去最多の94ヵ国で、独立間もないアフリカ諸国が大挙参加した。当時、私は社会科が大好きで世界中の国や首都や国旗をほとんどすべて暗記していたので、その面でも五輪への興味が尽きなかった。

近代五輪の矛盾が凝集された2020東京五輪
 1896年に始まった近代オリンピックは、「平和の祭典」と謳われるが、実際には常にその時々の国際政治に翻弄され、また、1936年のベルリン五輪のように政治利用されてきた。そうした中でも、1964年の東京五輪は、上述したようにかなり成功した例ということができるだろう。
 その後の1972年のミュンヘン五輪ではパレスチナの武装勢力「黒い九月」によってイスラエル選手11人が殺害された。また、1980年のモスクワ五輪ではソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して西側諸国がボイコットし、次のロサンゼルス五輪ではその報復として東側諸国がボイコットした。
一方、その1984年のロス五輪当たりからオリンピックの商業主義化が進み、かつて「アマチュアスポーツの祭典」と呼ばれたオリンピックも1974年にプロ選手の参加が容認されて以降、この頃からプロ選手の参加が顕著になっていった。
 1964年の東京五輪もそうであったが、五輪を招致すると競技施設や選手村の建設を中心にゼネコンをはじめとした建設資本が潤い、さらにテレビの普及につれて莫大な放映権料をめぐる金の動きが活発化していった。さらに、選手にスポーツウエアや競技道具を提供するスポーツ関連産業、各国のマスコミ、観光産業等々、五輪を巡る莫大な金が動くようになった。
 一方、冷戦時代は東側諸国の選手らはメダルを取ると生涯年金が保障されるなどの優遇が受けられ、国家ぐるみでメダル獲得競争に邁進した。また、冷戦崩壊後はプロ選手の参加とも相まって、メダル争いが熾烈化し、そのためのドーピング問題も深刻化した。
 そうした近代五輪の矛盾が集約されたのが2020東京五輪といっても過言ではないだろう。招致を巡る電通を主体とした贈収賄疑惑、フクシマ・アンダーコントロールに「温暖で最適な気候」といった真っ赤な嘘のプレゼン、国立競技場デザイン問題やエンブレム問題、「安価でコンパクト」の謳い文句を反故にする3兆円とも言われる予算にマラソン・競歩札幌開催を含む広域化、ブラックボランティアに猛暑への無策、なにより「復興五輪」といいながら復興がなおざりにされ、原発事故や放射能汚染がこれを機になかったことにされかねない危惧等々、問題点をあげれば切りがない。

「平和の祭典」がはらむ矛盾の数々
 確かに五輪は、古代オリンピック以来、戦争を休戦してスポーツを競う「平和の祭典」としての意義はあったろうが、それは裏を返せばほんものの戦争をスポーツで代替するものに過ぎず、血は流されず殺人はなされないものの、スポーツ競技の本質は人間の闘争本能に根ざし、優劣を競い、勝者が賞賛されるものであった。そういった意味ではオリンピックは「平和」とはほど遠い、「疑似戦争」による戦争の代償行為といってもよい。
そして、近代五輪はそれを国家単位で競うため、ナショナリズムを必然的に伴う。「スポーツの祭典」は「スポーツによるナショナリズムの鼓舞」であり、「スポーツによるメダル獲得を競う国家競争」にほかならない。
それは、ソ連・東欧圏の社会主義体制の崩壊によって、いったん弱められたかに思われたが、西側資本主義一強体制のもと、商業主義とプロスポーツ化が一体化して、より過酷でグロテスクな競争を生むことになった。
少なくとも1964年東京五輪の頃までは、学校の部活の延長線上のはるか先に五輪出場やメダル獲得を夢見て、その夢を叶えることも不可能ではなかったが、今ではそれは夢の夢に過ぎない。アクロバット化した各競技は、子どもの頃から英才教育を施された一握りのエリートアスリートのみが挑戦権をうることのできる世界になっている。そのためにはすべてを犠牲にしたトレーニングと、ときには不正なドーピングが行われ、それが選手生命はおろか、選手の生命そのものも縮め、奪うことにもなりかねない。1988年ソウルオリンピックで陸上競技100m、200m、400mリレーの金メダリスト、フローレンス・ジョイナー選手が38歳で夭逝したのも、薬物の副作用が疑われた。
 現在では、4年に1度のオリンピック以外に、サッカーやラグビーのワールドカップ、世界陸上はじめ各競技のW杯にフィギアスケートのグランプリシリーズ……と、各競技ごとの国際大会が目白押しで、それは各国で放送されて高い視聴率をたたき出している。そうした娯楽が少なかった昔と違い、それらすべての競技を一堂に集めて「スポーツのデパート」を開催する必要性はもうないのではないのか?
 上でも触れたように、「平和の祭典」にメダル競争、国家競争はふさわしくない。特にそれは、オリンピックとともに開かれるパラリンピックについて特にいえるのではなかろうか? 「ナンバーワンよりオンリーワン」。それが障害者の真に輝ける姿なのではないのだろうか? ナンバーワン至上主義のメダル競争は、パラリンピックにかぎらず、「オリンピック精神」そのものに反するものだと思う。
 また、オリンピックは男女別に分かれて競われるが、LGBTの権利が叫ばれる現在、そうした男女区分は時代にそぐわないものになってきている。また、以前にも何度か性別確認検査によって失格とされメダルを剥奪された選手がいた。トランスセクシュアルやインターセックスの人にとって、これは残酷なシステムだ。

悪評のうちに幕を閉じるだろう2020東京五輪を五輪廃止の契機に
近代オリンピックは、良きにつけ悪しきにつけ、近現代資本主義の世界化と歩を合わせて進んできた。その資本主義自体が終焉期に突入しつつある今、近代オリンピックもその歴史的使命を終えようとしているのだ。これ以上、無理矢理それを続けようとすれば、利権まみれの汚職の温床となり、選手たちが各国のゼネコン、スポーツ産業、放送業界、観光業界、その他世界的独占企業スポンサーの食い物にされ、アクロバティックな超絶技巧に大衆が感動を強いられる「感動ポルノ」化さえ危惧される。娯楽としてのスポーツは、各種スポーツ単体で、そのスポーツのファンがいくらでも好きなだけ楽しめばいい。オリンピックだからといって、ふだん見向きもしない種目のにわかファンになっても、その選手らは本当に嬉しいだろうか? ルールさえろくに知らないファンらの声援が……。
 さらに2020東京五輪は、1936ベルリン五輪のように、ナショナリズムの鼓舞に政治利用される危惧さえある。組織委の旭日旗容認問題は、国家間、民族間の対立・紛争を惹起しかねない。
 そうでなくとも、2020東京五輪はすでに数々のケチがつき、マラソン・競歩は札幌へ避難したが、聖火リレーや合宿地での福島原発事故由来の高濃度放射能の検出、東京湾のトイレレベルの汚水の中で行われるトライアスロン、そしてなにより大会期間を通しての酷暑・猛暑による選手、観客、ボランティアらの熱中症の恐れ……と、場合によっては「史上最悪の五輪」の悪評とともに幕を閉じることになりかねない。
 だが、もしそうなれば、それを機に、「五輪不要論」「五輪廃止論」の国際世論が一気に吹き出すこともありうるだろう。それでもIOCが五輪を継続するなら、そのうち選手の方がそっぽを向くようになり、参加国もどんどん減っていくのではないだろうか?


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福島の放射能汚染そのままで…東京オリンピック聖火リレーを?(ハンギョレ) [No Nukes]

聖火出発地の放射線量測定結果
福島原発事故以前の1千倍
今年の台風で除染作業が水の泡
「日本政府汚染実態過小発表」

日本政府が提示した1人当たり許容基準
原発労働者被曝制限値と同じ
「がんに安全な放射線値はない」

汚染地図・疫学調査情報すべて不確か
平和なオリンピックを行うには透明な情報公開を

国際環境NGOグリーンピースは4日、東京オリンピック聖火リレー出発地に指定されたJヴィレッジで高濃度放射線量が測定されたと発表した。グリーンピースが10月末にこの地域の放射線量を調査した結果、Jヴィレッジの駐車場で福島原発事故前の1千倍を越える最高71μSv/hの放射線量が検出された。ここは福島第2原発から20km離れた地点で、2011年3月の東日本大震災の時には福島原発事故の対応拠点として使用された。日本政府は来年3月26日にJヴィレッジ近隣から聖火リレーが出発し、福島県全域を回ると発表している。グリーンピースソウル事務所気候変動活動家のチャン・マリは、先月28日に韓国国会で開かれた「東京オリンピックと放射能リスク」セミナーで、「最近、福島の現場を訪れて、福島県の面積の70%を占める山地が放射能汚染の貯蔵庫であるという事実と、今年夏の台風19号がこの地域を再汚染したことを確認した。オリンピックの2種目が開かれる予定の福島県に集中豪雨や台風が接近したら、果たして平和なオリンピックが可能だろうかという疑問が生じた」と述べた。
福島地域の除染作業が円滑に行われたという日本政府の発表とは異なり、東京の北の地域は相変わらず放射能被害が発生しているという指摘が相次いでいる。オーストラリア・メルボルン大学のティルマン・ラフ教授は、「今年5月中旬、福島県飯舘村の除染敷地のモニタリング測定所では0.25μSv/hが測定された一方、測定所の外では0.3~0.4μSv/hが検出された。さらに子どもたちが遊んでいる運動場では2.5~2.6μSv/hが測定された。日本政府が汚染の実態を過小発表している」と指摘した。ラフ教授は1985年にノーベル平和賞を受賞した「核戦争防止国際医師会議」と2017年にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に所属し、世界保健機関(WHO)諮問委員を務めている。飯舘村はラオスのオリンピックホストタウンである。
福島県住民である加藤凜は国会のセミナーで、「山地は除染が不可能であり土壌汚染が深刻で、キノコや山菜、野生のイノシシなどで高濃度放射線量が測定されている。今年9月5日にはキノコ類の出荷が制限された」と証言した。福島原発事故が起きたところから60km離れた福島市で生活していた凜は、原発事故の後、お腹が痛くないのに下痢をし、娘がずっと鼻血を出したため、避難地域でないにもかかわらず大阪に引っ越した。彼女は「今年2月に以前住んでいた家を訪ねてみると、高濃度土壌を除染して集めたフレコンバッグが山のように積まれていて、放射線量が急上昇した。昨年の福島県放射能汚染地図を見ると、福島原発から遠く離れているこちらの濃度が原発付近と同様に高線量だった」と述べた。

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日本政府が1年間に1人当たり被曝許容値を20mSvと示しており、それ以下の濃度ならば何の問題もないかのように許容していることに対しても、専門家らは批判の声を高めている。チュ・ヨンス翰林大学医学部教授は、「国際的に報告された研究結果は、いくら低い放射線量でも、被曝すれば安全でないことを示している。放射線とがん発生の間に閾値(一定水準以上なら発病する臨界値で、逆にそれ以下ならば安全という数値)はないというのが通説」と話す。韓国は原発従事者が5年間累積100mSv被曝しないようにしなければなければならないと規定している。日本政府が提示した20mSvは原発労働者の被曝制限数値であるわけだ。
閾値に関連する最新の報告書は、2018年8月、医学ジャーナル「ランセット」に掲載された論文で、アメリカ・イギリス・日本・フランス・スウェーデン・イスラエルの6ヶ国で9つのコホート(同一集団追跡調査)研究データを総合して、児童・青少年期に年間100mSv以下の低線量放射線に被曝した時のがん発病傾向を分析したものである。1915~2004年の26万2573人に対する分析で、平均約20年間観察し、骨髄に被曝した放射線量は平均累積19.6mSvであった。そのうち154人は急性・慢性骨髄性悪性腫瘍に、40人は急性リンパ性白血病にかかり、221人はその他の白血病(慢性リンパ性白血病等)にかかった。チュ教授は「論文は最も低い5mSvに比べて5~100mSvまでが3倍程度危険であることを示している。論文の結論は電離放射線の安全な閾値はないということだ」と説明した。
キム・イクチュン反核医師会運営委員(元原子力安全委員会委員・元東国大学教授)は、「東京オリンピックに行けばどれくらい放射線に被曝するのか、日本国民は一日どれくらい被曝しているのかを知っていることが最も重要だ。しかし、日本政府が公表する汚染地図は福島近辺だけ表示されていて、疫学調査情報も不十分だ」と指摘する。現在、日本では「みんなのデータ」という市民団体が、市民が測定した放射線量結果を集めて全国汚染地図を作っているのが実情だ
キム運営委員は、「日本政府が唯一公表している疫学資料が福島の子どもの甲状腺がんであるが、30万人中218人と公表しただけで、比較対象は明らかにしていない。アメリカ人全体を対象にした結果値(年間100万人当たり1人)に比較すると70倍、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の資料(100万人当たり3人)と比較しても23倍に達する」と言う。彼は「停留睾丸(胎児の睾丸がお腹の中で作られて降りてこないまま生まれた状態)が13.4%増加し、死産率が2012年に12.9%増加した後、まだ原状回復されていない点等に関する精密な疫学調査が必要だ。日本政府が東京オリンピックを平和のオリンピックとして行うには情報公開から透明にしなければならない」と強調した。
2019.12.9(イ・グニョン記者)

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死後の世界はないが、「永遠の天国」はある? [etc.]

昨年、βエンドルフィンという言葉に出会って臨死体験に興味を覚え、立花隆『臨死体験』(文春文庫)を読んでみたりもした。この本の元となったNHKスペシャルが放送された1991年当時、私は韓国に在住していたので知らず、その後、本にまとめられたときもそれを知らずにいた。
立花隆はこの本で、取材で会った多くの臨死体験者の話を通して臨死体験そのものは疑っていないが、死後の世界があるのかどうかについては明確な考えを述べていない。
私自身は、元来が無神論者で唯物論者なので、臨死体験もβエンドルフィンをはじめとした脳内の鎮痛・多幸感をもたらす神経伝達物質の作用によるものと考えている。ただ、そうすると、立花も述べているように説明のつかない現象-例えば「幽体離脱」とか、何百キロ、何千キロも離れた場所に住む人の様子を見た(しかもその情景が客観的な状況と一致する)、というような-に説明がつかない。
だが、その点に関しては、私は「テレパシー」の存在を信じる。といっても、オカルト的な意味でのそれでなく、脳波(電磁波)の強力な作用が「テレパシー」だと思うのだ。いわゆる第六感というものも、恐らくそれに近いだろう。
私は子どもの頃、予知能力があった。年に1度くらいしか来ない親戚のおばさんが、ある朝突然「○○おばさんが来る」と予言すると本当に来たりした。また、学生時代に深刻な挫折体験をして引きこもり、死と向き合う毎日を送っていた頃、ある晩、800キロも離れた実家の姉から珍しく電話があり、「私とお母さんが昨夜、あなたの不吉な夢を見たのだが大丈夫か?」と心配してきたことがある。その時私は、無意識にテレパシーを発し、誰かに助けを求めていたのかもしれない。
もしかすると、言語を持たない動物同士は、テレパシーによって私たちが想像するよりはるかに豊富な情報交換や感情のやり取りをしているのかもしれない。私たち人類は、言語能力を獲得することによって、本来持っていた能力を失ってしまったのかもしれない。しかし、純粋無垢な子どもや、死に臨んだ人、精神的危機に直面した人などに、わずかに残されたその能力が一時的に強化されるとも考えられる。
それはさておき、昨年、いろいろ臨死体験について調べてみた結果、私も臨死体験の普遍性を疑わなくなった。実は、私の身近にも、昔、一酸化炭素中毒で死にかけたとき、臨死体験をした人がいる。人間は、どんな形にせよ、死を悟ったとき、その苦痛から逃れようとする本能に根ざして、鎮痛や多幸感を呼び起こす脳内神経伝達物質を通常の何十倍も一気にニューロンからシナプス間隙に放出する。その結果、眩しくはないが強烈な白い光の中を漂って得も言われぬ幸福感に浸ったり、真っ白な石が敷きつめられた清流のほとりに出たり、色とりどりの花が咲き乱れる坂道をひたすら登っていったりする光景に出会う。
しかし、臨死体験者はいうまでもなく死者ではなく、死直前からの生還者だ。だから、その先に何があるのかは、誰も知らない。ある人は死後の世界-天国や極楽-を信じ、そこから恐らく、その昔、宗教や信仰心も生まれたのだろう。一方、私がこの問題に対して出した結論は、「死後の世界はないが、永遠の天国はある」だ。
アインシュタインの一般相対性理論によると、例えばブラックホールに落ちていく宇宙船と、それを観察している人がいるとすると、宇宙船の中の人にとっては普通の感覚で時間が流れ、ブラックホールが近づくとどんどん速度を増して宇宙船は吸い寄せられていき、あっという間にブラックホールに飲み込まれてしまう。しかし、それを観測している人からすると、最初のうちどんどんブラックホールに向かって落ちていった宇宙船は途中からだんだん速度が遅くなり、ブラックホールに飲み込まれる直前になると、とうとう止まったように見え、いつまで経っても中に吸い込まれない。
人間の死に当たっては、喩えていえばこれと逆のことが起きているのではないだろうか? つまり、死を看取る家族や医者や看護師などにとっては、時間は時計通りに流れ、患者の死は一瞬の出来事、一通過点に過ぎない。しかし、死にゆく人にとっては、臨死体験の最終局面を経て、ついに「天国」へと至るのだ。それは、もしかすると、上述したような多幸感に包まれた情景の延長かもしれないし、その先の何かかもしれない。とにかく、死の直前、人は多幸感の頂点で「永遠の天国」に到達する。エクスタシーの絶頂で時間は止まり永遠と化す。死とともに時は止まるのだ。したがって、永遠は時間の停止と同義だ。(その「永遠」を「死後の世界」と思うかどうかは自由だが)
最近、量子重力論の第一人者であるカルロ・ロヴェリの著書『時間は存在しない』(NHK出版)を読んだ。それによると、私たちの世界にとって絶対的な存在条件と感じられる時間は、実はエントロピーの増大の結果に過ぎない。また、近代になって時計が時間の尺度として定着するようになるまでは、時間の流れは時と場所によって大きく異なっていた(日時計のように)。また、人は何かに熱中しているときはあっという間に時間が流れるが、苦痛に耐えているときは時間はゆっくりと流れる。要するに、この世、この宇宙に、「絶対的な時間」など存在しないのだ。
そうだとすれば、上述した人の死の瞬間における「永遠の天国」=時間の停止説も、あながち的外れな推論ではないような気がする。

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京都 紅葉 2019 [Photograph]

先週末、念願の京都紅葉見物に行ってきた。晴天に恵まれ、初詣並みの人出を除けば、最高の紅葉日和だった。

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桂川


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渡月橋


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天竜寺


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東寺

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HPSとADHD-障害か気質か? [Anti-psychotropic drugs]

最近、HSP(Highli Sensitive Person)という言葉に出会った。一般に繊細・神経質・内向的といわれる人たちが持つ「気質」のことで、まさに私自身がそうだ。1996年にエレイン・N・アローンという学者が提唱した概念だというから、比較的最近できた言葉だ。詳しくは「HSP診断テスト」(hsptest.jp)を参照されたい。
私の年になると、自分がHSPに当てはまると分かってもさしたる感動はないが、その自分も、今から15年前に場面緘黙症という言葉に出会った時は大きな感動を受けた。幼い頃から心の片隅にわだかまり続けてきた疑念が一気に解消されたからだ。自身の孤立、孤独、生きづらさの原因が分かり、自分は決して特殊な存在ではなく、その概念で括られる「仲間」がいたことに安心と慰めを得られた。こうした体験は、たとえばある程度成長してから、自身がアスペルガー症候群であることを知った人の口からも聞いたことがある。
人の性格や気質、人格のこうしたカテゴライズそのものがナンセンスだという人もいるかもしれないが、「自分が何者か」を知ることを通して、自己とより正確に向き合い、自己解放の一助とできるなら、それは決して意味のないことではない。
HSPのいいところは、「障害」ではなく「気質」と定義していることだ。「障害」と概念づけることからは、→病気→治療の対象(→向精神薬の投薬)というベクトルが生じ、「障害」の克服こそが自己解放という方向づけが与えられ、自分を回り(社会)に合わせていこうとする発想しか生まれない。だが、「気質」と概念づければ、それは持って生まれた「個性」なのだから、いい面は伸ばし、ネガティブに捉えられがちな面もポジティブに活かす道を模索し、時には回り(社会)に合わせる方法を模索することも必要になるだろうが、もし仮にそのことに「障害」や生きづらさを感じたら、逆に回り(社会)に自分の「個性」を理解してもらい、回り(社会)の意識やシステムを変えていく解決法も探られなければならない。
LGBTもひと昔前までは「病気」「障害」とされ、「矯正」の対象とされていたが、今は持って生まれた「性的指向」や「性自認」と捉えられ、彼らの生きづらさを社会を変えることで解消する方向へ向かいつつあるのが世界の趨勢だ。
ADHD(Attention-deficit hyperactivity disorder)という「障害」がある。注意欠陥多動性障害と訳されており、21世紀に入って日本でも多くの子どもたちがこれに該当するとされ、医療の対象とされてきた。最近では「大人のADHD」が真面目に語られ、「発達障害」というより曖昧な概念とともに一人歩きして社会に認知されている。私はかねがね、ADHDに関しては1980年代以降、アメリカの製薬会社、精神医学界によってつくり出された「障害」であり、子どもたちが向精神薬によって医療の食い物にされていると批判してきたが、残念ながら日本でも、そうした事態はますます深刻なものになっている。昔なら、クラスに一人や二人はいた授業の妨げになる「ちょっと困った子」を、授業の生産性を妨げる因子として排除・矯正すべく、また向精神薬を投与することで製薬会社に巨額のマネーを生み出す「障害」として考え出されたのが、ADHDだ。
私は以前、「大人の発達障害」の会をやっている「広汎性発達障害」を自認する人物に会って話を聞いたことがあるが、その人自身は向精神薬の危険性をある程度認識しながらも薬をやめられずにおり、会のほとんどのメンバーも薬を飲んでいると言っていた。「障害」を克服し、回り(社会)に自分を合わせようとして、みな最も手っ取り早い手段として向精神薬に頼っているのが現状だ。
だが、私は今回、HSPという言葉に出会って思ったことがある。たとえばADHDもADHPと置き換えてみたらどうか? つまり、「注意欠陥多動性障害」ではなく「注意散漫多動性気質」だ。確かに、「診断テスト」で高得点するような「気質」の人々は子どもにも大人にも一定数おり、その「気質」の偏りがときに回りの社会と軋轢を生む。しかし、前述したように、「気質」であって病気でも「障害」でもないのなら、その人は必ずしも回り(社会)に合わせて生きて行く必要はないし、むしろ自分にあった仕事なり場所を見つけたり、それでも逃れられない生きづらさは、回り(社会)に変わってもらうしかない。
このことは、すべての「障害」についても言えることかもしれない。確かに私も罹ったことのあるパニック障害や強迫性障害のような「障害」のように、ある一定の「気質」を持った人が一定の環境下で発症する「病気」もあり、それは薬以外の方法で「治療」可能であり、「治る」ことができる。だが、多くの心身の「障害」は、先天的なものであれ、後天的なものであれ、「治すことのできない」その人の「個性」の一部になっている。生きづらさを人々にもたらす「障害」の多くは、その人自身にあるよりも、むしろ社会にこそあると言えよう。
「障害(者)」という言葉自体が、生産性を基準に社会がつくり出した概念と言ってもいいかもしれない。だったらやたらと人々に「障害(disorder)」というレッテルを貼るのをやめ、「そういう(あるカテゴライズされた)person」と捉えて、回りの意識と社会のシステムを変えることによって、彼らの生きづらさを軽減し、いろいろにカテゴライズされた人々が、一人も生きづらさを感じることなくともに生きていくことのできる世の中を目指したいものだ。

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“アコーストリック”なJAZZ [Jazz]

IMG_3214.jpg★ファンタジックな爽快感★
PORTICO QUARTET Memory Streams
イギリスのPORTICO QUARTETのニューディスク。ハングドラムの幻想的ながらも単調な基調音に、力強いドラミングが時折アクセントを添え、叙情的だがメリハリの効いたサックスのメロディーが全編を漂うように流れ、功を奏している。北欧的な透明感溢れるリリカルな演奏は、ありきたりのUKジャズとはひと味もふた味も違うものがある。ハングドラムという楽器そのものもそうだが、アコースティックとエレクトリックなサウンドが渾然一体となって融合し、ノスタルジアを感じさせながらも近未来的なポストモダンジャズを具現しているなんとも形容し難いマジカルな音の世界に引き込まれる。

IMG_3213.jpg★キーボードの七変化★
Casimir Liberski Cosmic Liberty
Casimir Liberskiは10代からその才能が注目されたベルギー出身のピアニスト、キーボード奏者。2014年のベルギー映画「東京フィアンセ」の音楽も担当している。このアルバムはアメリカのドラマーMatt Garstkaとフランス出身のベーシストLouis de Mieulleとのトリオでニューヨークで録音された。
Casimir Liberskiはアコースティックピアノをはじめ、あらゆるキーボード楽器を駆使して、アコースティック、エレクトリック渾然一体の音楽世界を創り出している。アップテンポ基調の曲の中でも、6曲目のAzuwiの旋律が印象的。75分間、次から次へと楽器を代えていく変幻自在なキーボードの演奏は圧巻。

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美瑛町・上富良野町 [Photograph]

今年の北海道滞在も残り少なくなり、初めて美瑛町、上富良野町方面へ行ってきた。

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青い池


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噴煙を上げる十勝岳


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しらひげの滝


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白金不動の滝


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その日は一日中ほぼ快晴で、夜には満天の星空、そして天の川まで見ることができた! 今回は準備不足で夜空を撮影することができなかったが、次に天の川を見るチャンスがあったら、ぜひ撮影に挑戦したい。


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[社説]「ノージャパン」ではなく「ノー安倍」、賢明で成熟した対応を(ハンギョレ) [Korea]

日本政府の経済報復措置以降、日本製品の不買運動など自発的な実力行使が地域と領域を問わず広がっている。覚醒した民主市民として当然の意思表示であり、正当な主権行使であることはもちろんだ。韓日間「経済戦争」が繰り広げられている中でも、両国の市民団体が連帯の動きを本格化していることも、やはりこうした延長線上で注目すべきことだ。ただし、一部で繰り広げられる過度な対応や無意味な行動は、眉をひそめさせる。両国の衝突が長期化するものと予想される状況において、今からでも「ノージャパン」ではなく「ノー安倍」に焦点を合わせるなど、賢明で成熟した対応を模索する必要があるように思われる。
両国の市民団体によってそれぞれ結成された韓国と日本の「強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」(共同行動)は、光復節の15日、ソウルで国際平和行進をともに行うことにした。ソウル広場から出発して、日本大使館まで行進した後、抗議署名を手渡す予定という。日本の共同行動は、すでに去る3日、旧日本大使館前のキャンドル文化祭で、「日韓市民が手をつなぎ強制動員問題の解決を求めていかなければならない」という連帯声明を発表した。
韓日の市民団体は光復節を前に、韓日関係の対応策に関する非公開フォーラムを開き、原爆被害者を称える場も設ける。宗教関係者が共同時局祈祷会を開くなど、市民の連帯の動きはこれまで以上に活発だ。 「安倍政権に反対する日本の良心的市民が日本国内における影響力を持つことができるように、韓国で支持し連帯することが重要である」という市民団体代表の発言は傾聴に値する。したがって、韓国市民の活動も「日本に反対」ではなく「安倍政権への批判」でなければならないという主張は、首肯するに値する
ソウル中区役所が6日、一時管内に「ノージャパン」の旗を掲げて物議を醸した。中断してほしいという国民請願掲示板の文章に1万人以上が署名し、「ノージャパン」と「ノー安倍」は区別しなければならないという指摘がなされると、結局撤回した。賢明な判断だ。一部の政治家が「日本に行くと(放射能で)鼻血出る」と書かれたTシャツを販売しているのも「不適切な愛国マーケティング」に見える。羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)自由韓国党院内代表が文在寅大統領の発言に「砂の中に頭を突っ込んだダチョウ」「新鎖国主義」云々と言ったたことも、政治攻勢としては行過ぎである。一部プロテスタント信者と右翼団体が「韓国も戦犯」とか「ムン・ジェイン膺懲」「日本ファイティング」を叫ぶ場面は不可解極まりない。

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17年飼ったカメを引き取ってもらいました [Photograph]

うちには17年間飼ってきたミシシッピアカミミガメの雄の亀吉がいました。子どもが小学生の時、ホームセンターでタダで配っていたのをもらってきたのが始まりでした。子どもの掌ほどの子ガメで、1匹じゃかわいそうだとほかのホームセンターで買い足したものの、最初にもらった奴は1年ほどで突然死し、また買い足しました。当時、ホームセンターで無料でミドリガメを配る行為に批判が集まり、そのようなことはじきになくなりました。私は別にカメや爬虫類が好きなわけではないので、あの時、子どもがもらってこなかったら、カメを飼うことはなかっただろうと思います。
2匹のカメはそれぞれオスとメスで、メスはオスの2倍ほどの大きさに育ちましたが、そちらのお亀の方は私が岡山に単身住むようになる前年に脱走し、行方不明になってしまいました。意図したものではないとはいえ、結果的に生態系に悪影響を与えることになりました(そのまま近くの用水路まで辿り着いて生き延びたならの話ですが)。

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ここ3年、夏が苦手な私は、北海道に緊急避難するようになりました。2年間、亀吉を連れてきましたが、連れて来る方も大変なら、カメ自身はもっと大変。ミシシッピアカミミガメというのは大変な繁殖力で生命力が強い半面、とても神経質な生き物で、輸送中のストレスはもちろん、環境が変わると10日くらい絶食することも珍しくありません。特に昨年は、引っ越しとも重なり、夏のいちばん食欲のある時期に、十分な栄養が取れなかったこととストレスから、水カビ病に罹ってしまいました。
私は、もう限界だなと思いました。これから先、順調に生きていけば、恐らく亀吉は私より長生きすることでしょう。それに、ミシシッピアカミミガメは近いうちに特定外来生物に指定されるという話もあります。そうすると、届け出て、以降、誰にも譲渡することもできず一生面倒をみるか、さもなくば殺処分する以外になくなります。
調べてみると、伊豆半島の下田の近くの川津に、iZooという爬虫類専門の動物園があり、爬虫類の引き取りを行っていることが分かりました。しかも、昨年にはクラウドファンディングで募った募金をもとに、25メートルのミシシッピアカミミガメ専用のプールができたそうです。そこなら、亀吉を安心して預けられそうです。
今年も北海道避暑を行うに先立ち、私は最後の亀吉とのフライトを行い、東京で2泊して中日に1日かけてiZooに行ってきました。あいにくカメのプールは工事が入っていて見られませんでしたが、他の動物たちを見学して帰ってきました。
亀吉の新生活に幸あれ!

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人なつこいゾウガメ

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