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3.11で開かれたパンドラの箱の中身 [Post capitalism]

3.11は、単にこの国を実質的に支配している「原子力ムラ」の実態を明らかにしただけでなく、「原子力ムラ」的構造が特殊なものでなくこの国に普遍的に存在していることを人々に気づかせ、さらにはそれが資本主義というシステムそのものに根ざすものであることを見抜く契機を人々に与えることにもなった。
すでに、社会主義崩壊後、新自由主義というむき出しの資本主義が台頭することによって、資本主義が最もうまくいっていた時期に人々が享受することのできた自由で平等で豊かな社会が、ひとたび傾き始めるやいなや、1%の利益を守るために99%の人々を犠牲にして顧みない冷酷なシステムであることを、先進国の多くの人々が、うたかたの夢から目覚めて気づき始めていた。ただ、一国の例外だけを除いて。
その夢が桃源郷のようにあまりにも甘美であったがゆえに、その夢の余韻から目覚めるには「千年に一度」の大地震というショックが必要であったこの国の人々も、ついに史上最悪の原発事故を経て目覚めざるを得なくなった。そして、ひとたび現実を直視するようになると、すべてのことの本質が透けて見えるようになる。原発再稼働、消費増税、TPP、オスプレイ配備……。それらのすべてが、1%の人々(経済界、官僚、それに操られた政治家)の支配する資本主義というシステム、そして、その資本主義の総本山=アメリカの利益のために動いているという事実が。
にもかかわらず、野田がすべてのことを強行突破しようとしている理由は、「もう後がない」という一点に尽きる。後がないことが明らかだからこそ、彼らはこの際、できるうちにすべてのことをやっておこうという「自爆テロ」にも等しい暴走を続けるのである。
だが、彼らの命もあと1年足らずだ。その間に、それらのすべてを既成事実化することはできない。1年後、市民の意思を代表する政権が誕生すれば、オセロゲームのようにそれらの決定はすべて覆されるだろう。そして、資本主義の暴走はやみ、資本主義は葬送行進曲とともに、静かに、そしてゆっくりと墓場への道を歩き始めるだろう。54基の原子炉を懐に抱いて。

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