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ほんとにあった怖い話ー健康な子宮を全摘? [Novel]

私は1954年、四人兄弟の末っ子として、栃木県のK市に生を享けた。父はN生命の支部長として、関東地方の町々を数年おきに転勤していた。K市には、私が生まれた年から4年ばかり住んでいた。父は私が小学校に入学する年に、神奈川県のF市に家を建て引っ越したので、以来私は、高校を卒業するまでそこで過ごすことになる。しかし、兄姉たちは、父の転勤に従って、数年おきに転校していたそうだ。
母は私を産むとすぐ、子宮がんの手術を受け、子宮を全摘した。恐らく、出産後の検診でがんが発見されたのだろう。その後、母は10年、20年の間、がんの再発・転移に怯えながら暮らした。私が小学校1年生くらいの時、母が海辺の病院へ検査を受けに行くのについて行ったことがあるが、思えばあれもがんの検査だったのだろう。
私の子どもの頃、父と母の仲は必ずしもいいようには思えなかった。仮面夫婦というほどではないにしろ、どこかよそよそしさがあった。40過ぎて私をつくったはずなのに、そんなふうにはとても思えなかった。私は小学生の頃まで、両親と同じ部屋に寝ていたが、いつも私がふたりの真ん中になって川の字を描いた。今思うと、母は子宮を失うことによって、女であることを捨てたのかもしれなかった。
幸い母はがんの転移もなく、88歳で天寿を全うした。父が他界して3年後のことだった。

上の姉は、縁あってK市の高校の同級生と結婚したが、10年あまりでその夫を脳腫瘍で亡くした。以後、姉はK市を離れ、女手ひとつでふたりの子どもを育てた。
その姉が、夫の法事で久しぶりにK市を訪れたとき、高校の同級生に会う機会があった。そして、彼女とお茶を飲みながら、母の死の話になった。
「実はあの頃、○病院は経営難で、やたらと手術をしまくっているという噂がたっていたのよ。特に産婦人科はひどかったそうよ」
旧友がそう言ったそうだ。前述したように、うちは4年でK市から引っ越していたので、誰もそんな噂を耳にする機会がなかったのだ。ちなみに○病院は、今も地域の総合病院としてK市に存在している。
もしその噂通りだったとしたら、可能性はいくつか考えられる。母は本当に全摘を必要とする子宮がんだった。母は確かに子宮がんだったが、全摘する必要はなかった。母は子宮筋腫とかほかの病気だったが、子宮を全摘された。母は健康なのに子宮を全摘された。
その後、再発・転移もなく天寿を全うしたという事実に照らして、二番目以降の可能性が高いと思う。私は、必要もない手術を受けて母が子宮を全摘されたのではないかと疑っている。
今だったら、社会的に大問題になるようなスキャンダルだ。被害者が何人いたのか、今となっては知りようもないが、被害者たちは数千万から億単位の損害賠償を受けていたかもしれず、○病院は経営破綻していたことだろう。しかし、半世紀以上前のことなので、当時のカルテが残っているはずもなく、犯罪行為は闇に葬り去られてしまった。
そのせいで、母は女であることを捨て、父との関係にもひびが入り、何年も間、がんの影に怯えて暮らすことになったのだ。
ついでにいえば、私は子どもの頃から神経が過敏で、幼稚園で場面緘黙症だったのをはじめ、不安障害、強迫神経症、自律神経失調症…と、様々な症状に苦しめられてきたが、その原点は、生後間もなく、母から強制的に引き離された不安と恐怖にあったのではないかと考えている。
それにつけても、世の中は悪事に満ちあふれており、それが暴かれるのはほんの氷山の一角に過ぎないのかもしれない。そう思うと、つくづくこの世が恐ろしくなってくる。
(この物語はノンフィクションであり、登場する団体・人物等はすべて実在のものです)

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安倍首相、強権化 3カ月間の緊急事態宣言(201X年7月22日、ニューヨークタイムズ) [Novel]

 北東アジアの経済大国日本で「激震」が続く。クーデター未遂を受けて安倍首相は20日夜(NY時間20日朝)、3カ月間の緊急事態を宣言した。「テロ対策」で事実上の白紙委任を取り付けた形だが、強権化が進めば人権侵害につながりかねない。「愛国」で高揚する政権支持者と、絶望を深める民主派。日本社会は分断が進む。

 ■法律同格の政令 憲法の一部を停止

 「テロ組織関係者をすべて排除するため、憲法98条に基づいて緊急事態を宣言する」。20日深夜、首都東京の首相官邸で開いた記者会見。安倍首相は落ち着かない表情で、早口に語った。
 憲法98条は「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」を理由に緊急事態の宣言を認めている。日本政府高官によると、官報に掲載された時点で発効したが、国会にも付託され、21日夕、賛成多数で承認された。
 宣言により「緊急事態に対処するために必要な問題」については、首相が議長を務める閣僚会議が、国会の審議や議決を経ずに、法律と同等の効力を持つ政令を発布できるようになった。安倍晋三氏は「決して民主主義や法の支配、自由に反するものではない」と述べ、市民生活や経済活動に影響はないと強調した。
 ただ安倍氏が、自身に批判的な勢力の弾圧につながる政令を出すことも懸念される。クーデターが未遂に終わって以降、日本政府は「首謀者」とみなす米国亡命中の中村一郎や信奉者らの団体と関係があるなどとして、公務員ら6万人以上を矢継ぎ早に拘束・解職・停職にしたからだ。
 稲田朋美副首相は21日、緊急事態の間、人権や基本的自由の保護を定めた大日本国憲法の一部を一時停止させることを明らかにした。欧米や国際人権団体は、日本の人権状況の悪化を懸念している。
 (東京=ポール・レノン)

 ■支持者ら熱狂 民主派は距離

 首都東京中心部の日比谷公園。16日から全国規模で政権側が催している集会には20日夜も、与党・皇民党の支持者ら1万人以上が集まっていた。掲げられた日章旗や、日章旗をあしらったTシャツや帽子……。一帯が赤と白に染まる。

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 公園中央のステージに登壇した皇民党幹部らが「すべての国民が絆で一つになる」と熱っぽく語る姿を、左右の巨大スクリーンが映し出す。安倍氏をたたえる曲を合唱する若者たちが時折、日本語で絶叫する。「安倍総理万歳!」
 広場の近くに住む自営業の山田二郎さん(40)は連日、日章旗を手に参加している。日本の伝統を重視する安倍氏の熱烈な支持者。「ここに来ると、日本が一つになったと感じることができる」と満足そうだ。
 プログラマーの佐藤三郎さん(30)は20日夜、初めて家族3人で集会に駆けつけた。頭にはちまきをした妻(25)があやす娘(2)を見つめ、「国のため、この娘の将来のために来た」。
 安倍氏の政策には賛同できない点もあった。「独裁は私も嫌だ」。それでも、「日本はテロリストや裏切り者など、足かせを外さないといけない」と愛国と団結に異存はない。
 緊急事態を宣言した安倍氏は、国民には団結を求める。憲法に明記された日本の国是「家族主義」を疑問視する人々は、個人の尊厳が揺らぐことを警戒し、「排除」を唱える政権が導く日本の将来に、絶望すら感じ始めている。
 日比谷公園に近い六本木地区は、通りに昼間から酒を出す西欧風カフェやバーが並び、民主派の人々が多く集う。
 「もう手遅れかもしれない」。カフェにいた大学生の男性(21)はつぶやいた。クーデター未遂後、政権が中村氏の信奉者らの拘束を続ける姿に「独裁」の怖さを感じるという。
 政権側の集会に参加する人たちには、自らの意見を言えず、危害を加えられそうな気がする。最近は周囲をうかがって小声で話すようになった。集会がある広場には近寄らぬよう裏道を歩く。「日本のために役立ちたいと思って勉強してきたが、今は未来に目標が見えない」
 ツアーガイドの男性(52)も事件後、フェイスブックに安倍氏への批判を書こうとしてやめた。政権による大量拘束に思いが及んだためだ。「政権を支持しなければ、誰もが敵と見なされる。悲しいが、それが今の日本だ」と声を潜めた。
 (東京=チック・ジャレット、キース・コリア)

※このノベルは以下の記事のパロディーです。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12472576.html

気がつけばここはもうファシズム [Novel]

*以下の文章はフィクション、ないしは筆者の妄想です。

今回の朝日新聞従軍慰安婦問題と東電福島第一発電所事故の吉田調書をめぐる誤報謝罪事件について、そのディテールについてあれこれ論ずる意味は全くない。問題の本質は、このふたつの事件が、同一組織によって仕掛けられた罠であり、後世の歴史に残る言論弾圧事件の幕開けであるという点にある。
その男は、若い頃から朝日新聞を日教組とともに「戦後レジーム」の象徴として忌み嫌い、目の敵にしてきた。そして、いつか自分がこの国の絶対権力を手に入れた暁には、どんな手を使ってでも叩きつぶしてやるという執念を持ち続けてきた。
おそらく、かなり以前から、朝日新聞社内には「A組織」によって送り込まれた工作員か、買収されたスパイが複数おり、彼らは社の幹部級クラスにのぼりつめていたのだろう。したがって、吉田証言問題は彼らが社内で提起してあのような特集記事となったのだ。当然その結果は目に見えていた。久しい以前から、反中・反韓の扇動機関と化していた一部週刊誌から一斉攻撃が浴びせられ、他のマスコミからも批判される。
それに先立ち、別の工作員らは「A機関」から吉田調書を極秘裏に手渡され、スクープする。しかも、歪曲された形で。そして、従軍慰安婦問題で社が一斉砲撃を浴びているさなかに、「A機関」直属の産経新聞が吉田調書を入手したとして、朝日と違う内容を報道し、間を置かずに政府は、それまで非公開としてきた吉田調書の公開に踏み切る。
こうして朝日新聞は、ふたつの連続して起きた「誤報事件」に謝罪することとなり、社長は引責辞任へ追い込まれる。
先にNHKの完全私物化に成功していた「A機関」は、こうしてマスコミ界のいちばんの敵である朝日新聞を解体的危機へ追い込み、社会的影響力を決定的に削ぐか、御用メディア化させる。
テレビ界では系列のテレビ朝日の報道ステーションで、フクシマのタブーを追い続けてきたディレクターを「怪死」させスタッフを萎縮させたところで、これまた「誤報謝罪」をつくり出し、キャスター降板へと追い込む。
こうしていちばんの敵を叩けば、日本のマスコミはそれ以上直接手を下す必要はない。2番目に「困った存在」だった毎日新聞・TBSは、自己保身に走るのが自明である。それでなくとも、毎日新聞にはかつて西山問題で大打撃を被った苦い過去がある。首脳陣はむしろ朝日の苦境を自社の再浮上のチャンスととらえ、積極的に御用メディア化するだろう。
「A機関」にとって、東京新聞は一地方紙扱いである。当面はやりたいようにさせておくだろう。日刊現代も、タブロイドの駅売り夕刊紙だ。勝手にほざけ、といったところだろう。
失言.PNGすでに絶対権力を手中にしたその男は、権力獲得以来、1人の閣僚も辞任させていない。「ねじれ国会」、いや、それ以前の政権でも、すでにとっくにいくつもの首が飛んでいたであろうほど、失言・暴言・軽率行動大臣が続出したにもかかわらず、である。(「朝日新聞」6月24日の一覧参照)民主党政権時代には鉢呂経産大臣を「A機関」直属の記者を使って謀略事件をでっち上げ辞任に追い込みさえしたのとは、あまりに対照的だ。
その男のマスコミ戦略の目的は、まさに総御用メディア化にある。批判を一切許さず、「戦後レジーム」=民主的政治機構の解体を容易に進めるためである。その先にあるのが改憲であることは言を俟たない。
その男は、一見アホに見えるが、権謀術数をめぐらす才能にかけては他の誰よりも長けている。甘く見ると、今回の朝日のようなことになる。
その男を葬り去るか、逆にその男によって日本の未来を葬ることになるか、恐らく次の総選挙が天下分け目のたたかいになるだろう。しかし、2年前、脱原発を実現するか日本滅亡への道を歩むか天下分け目のたたかいで後者の選んだこの国の有権者は、次の、恐らく現在のような、形だけでも民主的な方法によって行われる最後の選挙で、どんな選択をすることになるのだろうか???

国旗掲揚義務法施行(近未来新聞) [Novel]

阿保神造総統の発議に基づき、先の大日本国国会で全会一致で可決成立した国旗掲揚義務法に基づき、国内の全世帯に国旗の配布が完了したのを受け、昨日同法が施行された。
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町にはどの家も早朝から日の丸の国旗が掲げられ、朝日の中、眩しく映えていた。戸建ての世帯には大型の国旗を玄関脇に、集合住宅には小型の国旗がベランダやバルコニーに掲げられる。掲揚時間は午前7時から日没まで。また、商店や商業施設、オフィスビルにも最低一旗の掲揚が義務づけられる。掲揚は営業時間内または開館時間内。これとは別に、国民の祝日や政府が定めた日には、第二国旗である旭日旗が併せて掲げられることになる。
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左翼思想や反日思想などにより国旗を掲げなかった世帯主は、不掲揚1日につき1日の徴用が課せられ、累計7日に及ぶと、1年の禁固刑に処せられる。
国旗が整然と掲げられた街並みを見た会社員・桜一郎さん(32)は、「すばらしい光景です。日本人として生まれたことに誇りを感じます。」と目を輝かせていた。また、商店街で買い物をしていた主婦・屋良瀬花子さん(48)は、「商店街が蘇ったように明るく感じられます。愛国心の大切さをしっかり子どもに教えたいと改めて思いました。」と感想を述べた。

あなたはこんな国の姿を望みますか?

今ならまだ、違う道が間に合います!

渾身の400枚反原発小説『日本滅亡』(kindle版)刊行しました! [Novel]

久々のブログです。何故久々かというと、いろいろ理由はあります。まず第一に、私は夏がもともと苦手。自律神経がほとんどはたらかなくなるのですが、向精神薬依存症になってから、よけいに夏場の暑さが堪えます。おまけにこの夏の異常な猛暑! 私はほぼ2ヵ月間、早朝のウォーキング以外、毎日家にこもってじっと酷暑に耐えていました。
一方、外に目を向ければ、7月の参院選後から2020東京オリンピックの決定まで、暑さに参っている頭には堪え切れないことばかりで、ブログを書く気力も失せてしまいました。
でも、いちばん大きな理由は、この2ヶ月の引きこもりの間に、実は私は、残るエネルギーのすべてを、渾身の力を込めて、反原発長編小説『日本滅亡』の執筆に注いでいたのです。反原発、再稼働阻止、日本救出のために、何が自分にできるいちばんふさわしいことかと考えて、まだ誰もやっていない、やらなければいけない(と私が考える)小説を書いて、「反原発文学」の一翼を担うことに決めたのです。
長編小説としては四半世紀振りの挑戦でした。しかも、今までの私は、広い意味の「私小説」、つまり、私と私の回りで起きたことを題材にした小説しか書いたことがなく、また、それ以外の小説が書けるとも思っていませんでした。でも、3.11が私を変えました。このブログでいくつかのショートストーリーを書くうちに、自分にも100%のフィクションが書けるような気がしてきたのです。そして、実際始めてみると、作中の人物が勝手に人生を生きていく経験を、私もすることになりました。
自分としてはけっこう自信作ですが、評価は読者がするものです。ぜひご一読ください。

内容紹介すべての日本人に読んで欲しい。そして考えて欲しい。これは荒唐無稽な空想小説か? それとも現実性のある近未来小説か?
2017年4月1日、マグニチュード8.6の南海トラフ巨大地震が発生し、浜岡原発3号機が核爆発……深田大輝・陽向(ひなた)親子を通して描く日本人の運命。京都・韓国・中国・リトアニア・ポーランド・イギリス・カナダ・オーストラリアと、世界的スケールで描く、国を失った民の1年間の流浪の旅。果たして彼らが行き着く先に待ち受けているものは?―著者渾身の400枚書き下ろし長編小説。
定価700円(ただし、9.13.17:00~9.15.16:59まで、2日限りの出版記念無料キャンペーン実施!)
※kindleはすべてのタブレット、スマートフォンに無料アプリ(kindle)をインストールすることによって、読むことができます。

安倍晋三の歴史的な1日 [Novel]

今から3年以内のある日の晩、安倍首相は事実上NHKと民法全テレビ局を電波ジャックして、1時間の特別番組を放送した。題して「憲法改正国民投票を明日に控えて全国民に訴える

国民の皆さん。いよいよ明日、わが国が戦後、GHQ占領軍によって押しつけられてきた屈辱的な憲法を改正し、古き良き日本を取り戻す新憲法の是非を問う国民投票の日を迎えます。
国民の皆さん。私は第1次小泉内閣の時、内閣官房副長官として平成14年の北朝鮮拉致被害者5名の奪還に尽力しました。しかし北朝鮮は、その後拉致問題は解決済みとして、他の拉致被害者の存在すら認めていません。私が総理就任後、すでに○年以上たちましたが、残念ながら拉致被害者の奪還に成功していません。そのことを国民の皆さんにお詫びするとともに、なぜそれほどまでにわが国は北朝鮮に愚弄され続けなければならないのかを考えてほしいのです。
国民の皆さん。北朝鮮ばかりではありません。ここ数年、中国と韓国はわが国固有の領土である島根県竹島と沖縄県尖閣諸島の領有権を主張して、わが国を挑発し続けてきました。韓国は島根県竹島を不法占拠し、わが国固有の領土に韓国国旗を掲げるという屈辱的な状況が続いています。また中国は、たびたび沖縄県尖閣諸島周辺のわが国の領海に不法侵入してわが国を挑発し続けています。わが国固有の北方領土、すなわち北海道の国後、択捉、歯舞、色丹についても同様です。大国ロシアは一貫してわが国固有の北方領土をロシア領と主張し、2島返還などわが国としてとうてい飲むことのできない条件を持ち出してわが国を愚弄し続けているのです。
あまつさえ、某党の元総理は、「北方領土2党返還論」や「尖閣諸島は中国側から日本が盗んだと思われても仕方がない」などと売国的な発言を繰り返して国民の皆さんの激しい怒りを買いました。
国民の皆さん。どうしてわが国はこのように周辺諸国から愚弄され続けなければならないのでしょうか? 答えは明白です。憲法9条があるためです。そのため、わが国が国防軍を持てないのです。今や憲法9条を改正し、世界に誇れる国防軍を持ち、ロシアや中国と対等に渡り合い、韓国や北朝鮮に実質の伴った圧力をかけていかなければなりません。そして尖閣諸島に美しいわが国の国旗を堂々と掲げ、竹島から韓国人を追い出し、北朝鮮から残る拉致被害者を実力で奪還するのです。
国民の皆さん。国内に目を向けてみましょう。いじめ問題です。私が総理になってから、いじめ撲滅の対策を講じたために、以前に比べていじめやいじめによるものと思われる自殺は減ってきているものの、いまだいじめ問題はわが国の教育を蝕む深刻な問題です。
国民の皆さん。この問題の根幹は、古くは日教組という左翼偏向の組合組織が子どもたちに権利ばかりを教え、それには責任ある義務を伴うという当然の道理を教えてこなかった誤った偏向教育にあります。そうして、戦後の日本には、自己中心の自由や権利ばかりを主張して、それに当然伴うべき責任や義務を忘れた若者たちが育ってきたのです。
国民の皆さん。その結果はどうでしょう。古き良き美しい日本の伝統は失われ、家族は破壊され、地域の紐帯も失われ、社会には理解不能な凶悪犯罪があふれるようになってしまいました。
日本は古来、一家の主が大黒柱としてその家を経済的にも精神的にも支え、母親は慈愛を持って子どもたちを育て、子どもたちは成長した暁には、今度は年老いた両親の世話をするという美しい伝統がありました。それを破壊したのは、無責任な戦後の教育であり、その元凶となったのが屈辱的な現憲法にほかなりません。子どもは生まれたときから母親がしっかりと躾を施し、人としての礼儀や作法、家族や友人の絆や助け合い、年長者を敬う心等を教え込めば、いじめなど起こるはずがないのです。
国民の皆さん。私は総理就任以来、強力にアベノミクスを推進し、お陰様でこの言葉は平成25年の流行語大賞をいただくことになりましたが(笑い)、それにも関わらず、生活保護を受給する者が相変わらず200万人を下らないという情けない状況が続いています。しかし皆さん、このことをご存じですか。すなわち、生活保護受給者の実に4人に3人は単身者なのです。また、母子家庭の受給割合も多いのです。つまり、彼らが本来の家庭生活を営んでいれば、保護など受ける必要がないのです。生活保護世帯の半数近くは高齢者世帯です。わが国は古来、お年寄りを大切にする美しい道徳心をもった国でした。お年寄りは子どもたち、孫たちが世話をし、地域全体で支え合うことが、美しい国の美しい社会のありかたなのです。たしかに、雇用問題の深刻化から、若年層の受給割合も増えてはいます。しかし、一生懸命働いて、それでたままた運悪く失業してしまった人は、親や兄弟が支え合うのが本来の家庭のありかたではないでしょうか。わが国は古来そのように家族同士の絆と支え合いを基礎として社会が成り立ってきたのです。今こそそのような美しい伝統を取り戻すべき時です。
国民の皆さん。最後に、わが国の美しい伝統は、万世一系の天皇陛下を国の父として頂くことにより、国民が等しくひとつの家族のように愛し合い、深い絆を結んできました。ところが、あの屈辱的な憲法によって、天皇陛下の地位は象徴というようなわけの分からないものに甘んじさせられてきました。今般の憲法改正を機に、天皇陛下の地位を国の元首とはっきり規定し、日本国という美しい大家族を取り戻しましょう。日本を取り戻す。それは正しい憲法の改正から! ご静聴ありがとうございました。

同時刻、代々木の国立競技場には立錐の余地もない5万5千の老若男が集結し大型スクリーンを見つめ、安倍首相の演説が終わると一斉に「天皇陛下万歳!」の三唱が怒濤のようにわき起こり、神宮一帯に響き渡った。そして広いスタジアムでは、安倍首相言うところの「美しい国旗」があちこちで打ち振られ、スクリーン下の客席では幅数十メートルの巨大日章旗が波打っている。

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翌日の国民投票の結果は、投票率63%、賛成票が61%を占めた。賛成票は有権者の4割に満たなかったが、安倍首相は憲法96条の「投票において、その過半数の賛成を必要とする」という文言を「有効投票の過半数」と勝手に解釈し、改憲手続きを強行した。
改憲支持は意外にも若年層に多かった。棄権率もいちばん多かったが、有効投票のなかでは、若年層の賛成票は7割にのぼった。彼らは社会に出て、運よく正社員として雇用されれば過労死寸前まで働かされ、「うつ」にでもなれば精神科や心療内科に通って向精神薬漬けになって働き続け、限界がくれば首になるか自ら首を括る。一方、多くの非正規労働者たちは、食うか飢えるかの生活を強いられながら、労働者としての権利がなんら保障されない職場で雇用打ち切りの恐怖に怯えながら、文字通りロボットのように無味乾燥な労働に従事させられる。
若年者に限らない。正社員でも景気がいくら上向こうが給料は一向に上がらず、会社に忠誠を尽くして身を粉にして働く一部の「できる社員」を除けば、いつ首になるか、追い出し部屋に追いやられるか不安の中で働いている。
そして、年をとればいったん退職したあと、非正規として70歳まで働くことを事実上義務づけられる。年金受給年齢になっても、厚生年金受給者は年々減る一方なので、多くの基礎年金のみの受給者や無年金者は生活保護に頼らざるを得ない。
それでも、それでも、彼らの圧倒的多数は自らが置かれた不条理を不条理と考えることすらできず、たとえ不条理と思っても「仕方ない」と諦めて、不遇な運命に従うだけなのだ。
だから、こうした国民の多くは、安倍政権の改憲案も自らの問題として考える余裕もなく、意識しても「仕方ない」と諦めて、賛成するか棄権した。それどころか、ごく一部の若年層を中心とした人々は、独裁権力を恣にする安倍首相の姿をヒーロー視し、国立競技場や全国あちこちに設置された巨大スクリーンの前にはせ参じたのだ。
(この作品はフィクションでありますが、登場する人物、団体等は実在する人物、団体等とおおいに関係あります。)

Back to 1988(下) [Novel]

「そりゃ、バブル崩壊かなんか知らんが、そういうことはあるだろう。だがね、景気が後退したら、そのうちまたよくなるものだ。あなた、景気は循環するんですよ。そうやって、日本もずっと経済成長を続けてきた。えっ、それが何ですか? 20年もマイナス成長を続けるだと。あきれて開いた口がふさがらない。北野さんは、経済を知りませんねえ。危うくあなたの話を信じるところでしたが、もう欺されませんよ。そもそも、あなたの目的は何なんですか。正月早々、縁起でもない話ばかりして。私たちを不安がらせて、何か詐欺でもはたらくつもりですか。」男の表情がこわばった。
「め、滅相もない。そんな意図は全くありません。私はただ、事実をお話ししているだけで。正直申し上げて、この先日本には、あまりいいことはありません。経済はお話しした通り、高度成長・安定成長の時代は終わり、年功序列、終身雇用の日本的な雇用制度も崩壊します。それに代わって、パート、契約社員、派遣社員などの非正規雇用労働者がどんどん増えて、貧富の格差も広がります。この時代には、ホームレスなどというとアメリカあたりの話しか頭に浮かばないかもしれませんが、2013年の日本では大きな街ではごく普通に見かけられます。それだけでなく、ネットカフェ難民-えーと、この時代にはまだインターネットもないんですね。だから、たとえて言えば、寝る場所がなくて喫茶店のような場所、そうそう、深夜営業のマクドナルドなんかで夜を明かす人々も少なくありません。自殺者もどんどん増え、毎年3万人が自ら命を絶っています。また、学校ではいじめ問題が深刻化し、いじめが原因で自殺する生徒も多いんです。……」
「やめなさいと言ってるでしょう。どうしてあなたはそう暗い話しかできないんですか。もっと、明るい話だってあるでしょう。ほんと、正月早々縁起でもない。」男の表情に暗い影が差している。
「明るい話ですか。……。そう、2002年に日韓共同でサッカーのワールドカップを開催します。93年にJリーグが発足して以来、サッカー人気は野球を凌ぐものがあります。今の日本で期待が持てるのは、正直サッカーぐらいですよ。そう、スポーツと言えば、オリンピックでのメダルの数もけっこう多かったですよ。2000年のシドニーオリンピックでは、女子マラソンで高橋尚子という選手が金メダルを取って、国民栄誉賞を受賞しましたしね。それから、そう、ノーベル賞受賞者が、特に2000年代に入って、物理学賞、化学賞を中心に相次ぎますよ。そして、2012年には東京タワーに代わる634メートルの東京スカイツリーが押上にできました。」
「ほうら、明るい話だってあるじゃないですか。北野さんも意地が悪い。」男の顔に再び明かりが灯った。いつの間にか、男も私の話を信じ切っている様子だ。
「そりゃ、日本は戦後、ずっと順調すぎるほど順調に発展してきた。正直私もできすぎだと思っていました。だから、今後はいいことばかり待ち受けているとは思いません。私たち、戦争を体験した者は、そのくらいのことは分かっている。でも、いつの時代にも未来への希望はある。大変な世の中ならなおのこと、未来は光り輝いているものです。そうじゃありませんか、北野さん。」そう言って男は私の杯に酒を注ぎ足した。
「さあ、もっと明るい話を続けてください。お正月なんだから。なあ、おまえ。」そう言って男は妻の方を向いた。奥さんも安堵の表情を浮かべてうなずき、私に先を促した。
「……あの、いつも水を差すようなことばかり言って申し訳ないんですが、私は鈴木さんに、まだお話ししていない重要なことがあるんです。」私自身、今初めてそのことに思い至ったのであった。しかし、この話だけはしなければならなかった。
「……」夫妻が不安そうな表情で私の目を見た。
「実は2011年3月11日、三陸沖を震源地とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、主にそれによって引き起こされた津波によって1万5千人以上の人が死亡しました。日本では1994年にも阪神淡路大震災という直下型地震によって、兵庫県を中心に5千人以上の人が亡くなりましたが、今回の地震は千年に1度といわれるほどの大地震でした。」
「まあ、なんということでしょう。」奥さんが表情を曇らせ、ため息をついた。
「それだけではないんです。この地震と津波によって、福島第一原子力発電所の4つの原子炉が、電源が停止して相次いで爆発し、チェルノブイリ並みの大事故を起こしたんです。」
「チェルノブイリって、あの去年だか一昨年、ソ連で起きた原発事故?」男が訊いた。
「そうです。当時日本は、チェルノブイリの原発は古い型の原子炉で、日本の原発は何重にも安全装置が施されているから安全だと言っていたと思うのですが。」
「その通り。まさか、日本でソ連のような事故が起きるはずがないじゃないか。」男が語気を強めた。
「ほとんどの日本人が、そういう政府や電力会社の安全神話を信じ込まされてきました。しかし、残念ながら事故は起きてしまいました。そして、関東地方を含む広範な地域が放射能に汚染されてしまいました。地元福島では、事故から2年近くたった今も、16万人の人々が避難生活を送っています。」そう言いながらも、私はまさにこのことをこの時代の人々に伝えるためにタイムスリップしてきたのではないかという思いに突き動かされていた。
「もしそれが本当だとしたら、えらいことですね。25年後、いや23年後ですか。その時には、私はええと、83歳、おまえは81歳か。生きていればの話だがね。」男はそう言いながら奥さんを見て、首をすくめた。
「私はもしかすると、このことをこの時代の人々に伝えるためにやってきたのかもしれません。地震は自然災害だから仕方ないかもしれませんが、いや、今から津波対策、耐震対策を万全にしておけば、1万5千人もの犠牲者を出さずにすむでしょう。そして、原発事故は完全に人災ですから、防げます。そして、今回の事故で分かったのは、少なくとも地震国日本では、ひとたび事故が起きれば甚大な被害を後世にまで及ぼす原発はあってはならないということです。ですから、福島に限らず、今から日本中のすべての原発をやめていくべきなのです。」われ知らず言葉に力がこもった。
「はあ、そう言われてもねえ。あたしら、普通の庶民に何かできるというわけでもないし。なあ。」
「ええ、そうねえ。」二人とも困惑した表情をしている。
「あなた方はいいかもしれません。しかし、原発の、放射能の被害は、子どもたち、そしてこれから生まれてくる孫の世代にまで及ぶものです。だから、原発を止めることは、私たちの世代の責務であるんですよ。」私の言葉はさらに熱を帯びた。
「でもねえ、あたしらには子ども孫ももいないし。その時にゃ、あたしら棺桶に片足突っ込んでいる歳だしなあ。」
「そうねえ。さっきの話を聞いていても、これからの時代はとても生きにくそうで、私たち子どもがいなくてよかったわねえ。苦労させるだけじゃない。実は私たち、子どもができなくて、一時は養子をとろうかなんて話もあったんですよ。でも、そうしなくて本当によかった。」奥さんが無邪気にほほえんだ。
「そうだなあ。余計な心配をせずに死ねる。まあ、わしらはいい時代に生きた。生まれ育った時代は戦時中で大変だったが、それ以降は本当にいい時代だった。運がよかった。」そう言う男の顔はおだやかそのものだ。
「……」私は返す言葉を失った。
その時、私ははっきりと悟った。私がこの時代に送り込まれたのは、鈴木夫妻に3.11のことを伝えるためではない。私自身が予言者となって、この時代の人々を正しき道に導くためにきたのだ、と。とりあえず私は“予言者”として、思い出す限りのことを予言してみせ、人々の信頼を得よう。「百発百中の予言者」になるのだ。そして、時が来たら3.11を予言して、人々を恐怖の底に突き落とし、その効果を見計らってから脱原発を説くのだ。その方法が成功するかどうかは分からない。ひょっとしたら、私は人々の心を惑わす“邪教の教祖”として捕らえられるかもしれない。「原子力ムラ」の手によって消されるかもしれない。しかし、私は私に与えられた使命を全うするしかないのだ。
私は鈴木さんから5万円を借り(彼は気前よく、身元の知れぬ私の借金の申し出を受け入れてくれた。それもバブルの時代の恩恵だったかもしれない)、昼近くに鈴木家を出た。長閑な正月の空が広がっていた。私はここがどこなのかもよく分からないまま、ゆく当てもなく歩き始めた。上気した顔に、外気が心地よく感じられた。
私はその時、男が言うように、未来に明るい希望の光が差した気がした。もしこれが正月の初夢で、もうじき冷めてしまうのでない限り……。(了)
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Back to 1988(上) [Novel]

50年の人生で、年末から年始にかけて風邪で寝込んだのは初めてだった。10年ほど前、まだ1歳にならない子どもが大晦日に熱を出して、当番の小児科に連れて行ったことはあったが……。
大晦日は朝から保健センターの急患窓口に並んで薬をもらい、夜は年越しそばを食べるとすぐに床に就いた。寝る前にiPadを開いてtwitterを見ると、斉藤和義が“NUKE IS OVER”と書かれたギターストラップを掛けて紅白に出たという話題で持ちきりだった。
いつの間に眠りに就いたのか、あまりの寒さに目が覚めた。すでに夜は明け、私は寒々とした見知らぬ畳部屋に外出着で横たわっていた。ここはどこだ? 私はとっさに跳ね起きてあたりを見回した。そこは、まだ畳の臭いがぷんぷんする真新しい六畳間で、明るい窓の外にはこざっぱりした隣家の建物が見えた。寒いものの、私の気分は爽やかで、昨夜まで私を苦しめていた熱も下がり、のどの痛みや鼻水も治まっていた。
襖が開く音がしたので振り向くと、頭の薄い初老の男が立っていた。
「気がつきましたか。具合はどうですか?」
「はい、爽快です。」
「そうかい、それはよかった。なんちゃってね。…あ、これは失礼」
開口一番冗談の飛び出した剽軽な男の話によると、奥さんが元旦の朝に雨戸を開けたところ、私が庭に倒れていたそうだ。それで、夫を呼んで2人で部屋へ運び入れ、介抱したのだという。救急車を呼ぼうとしたが、私が微かに「大丈夫です」と言うので、そのまま横たえ、毛布を掛けて様子を見ることにしたらしい。
「お腹が空きませんか。私たちもこれから食べるところですから、よろしかったらご一緒に。」横から品の良さそうな白髪交じりの小柄な奥さんが顔を覗かせた。
「はあ…。」
「なに、遠慮はいりませんよ。私たちは夫婦2人暮らしですから。正月だからといって訪ねてくる子どももいません。」気さくな表情で男が後を続けた。
ということで、私は行きがかり上、その家の元旦のおせち料理に与ることになった。
「いいお宅ですね。新築ですか。」私は2人に招かれるまま、暖房の効いた隣の広い和室に移り、すでにおせちの並べられた炬燵に腰を下ろした。掘り炬燵だった。私は足を下ろして冷え切った体を温めた。
「ええ、10月に引っ越したばかりです。」
「そうですか、それはおめでたい。」
「結局7千万円もかかってしまいましたよ。退職金に預金も全部つぎ込んじゃいました。」
「はあ……。」7千万円という言葉に、私は二の句が継げなかった。見たところそんな豪邸には見えない。小さな庭もついてはいるが、どう見ても、どこにでもある普通の建売住宅だ。
腑に落ちない表情をしたまま黙って座っていると、男は奥さんが持ってきた杯に日本酒を注いでくれた。
「では乾杯といきましょう。昭和63年がよい1年でありますように。」といって男が杯を上げた。
「昭和63年!? って、え~と、つまり1988年!」私は素っ頓狂な声を上げた。
「?」夫妻の不可解な視線が私に注がれた。
「ちょっと待ってください。え~と、お互いに自己紹介もまだでしたね。」私は気を落ち着けようと努めた。
「私は北野慶と申します。50歳です。大晦日から風邪で寝込んでいたんですが、どういうわけか、気がつくとお宅にいました。」
「はあ。私は鈴木敬吾、60歳。これが家内の良子、58歳です。私は、今年、いや、去年、大手の保険会社を定年退職し、さっきも言いましたが、この家を建てました。」
「そうですか。よろしくお願いします。」
「こちらこそ。で、先ほど何かおっしゃろうとしたことは?」と、男が先を促した。
「ええ、たしかご主人、さっき昭和60……」
「昭和63年、西暦で言うと88年ですね。9月にはお隣の韓国ソウルでオリンピックが開かれますよ。まさか北野さんは、10年間も眠っていて、今年が昭和53年だと思っていたなんて言うんじゃないでしょうね。」男がてかてかした頭に手をやりながら笑った。
「いえ、実はその逆です。私は今からえ~と、25年後の2013年から、どうしたことか迷い込んでしまったようです。」私は真顔で答えた。
私は男の言葉がまだ信じられず、改めて部屋の中を見回した。テレビ-家の新築に合わせて買い換えたのか、大型の真新しいそれは、懐かしいブラウン管テレビだ。同じく新品のエアコンも、大きくて平べったい旧式。そして何より、壁に掛かったJALのカレンダーが、今年が1988年であることを雄弁に物語っていた。
「ははあ。それは新年早々、縁起のいい話じゃないですか。」もう酔いが回ったのか、男が興に乗った声を上げて笑い、私に酒を勧めた。
「本当なんです。だいたい、なぜ私はお宅にいるのでしょう? 不思議じゃありませんか。」私は少々むきになった。
「まあ、それはそうですね。私も知りたいところです。でも、25年後からいらっしゃったとは。」男は相変わらず笑みを絶やさないまま、私の杯になみなみと酒を注いだ。
「あなた。そんなに笑っちゃ失礼ですよ。その、ええと、北野さんの話も聞いてあげましょうよ。」そう言う奥さんの口元も笑っており、私の言うことを真に受けていない様子だ。まあ、それも無理からぬ話だ。庭先に倒れていた見知らぬ人間を介抱して事情を聞いたら、未来から来たなんて、いったい誰が信じようか。
「そうですね。失礼しました。じゃ、何か証拠品でも見せていただきましょうか。そうすれば、私たちもあなたの言うことを信用することができる。」男がやや真面目な口調でそう言ったが、相変わらず口許は笑っている。
私はとっさに上着のポケットを探り、携帯電話を探したが、どこにもなかった。どうやら置いてきてしまったらしい。それで、シャツの胸ポケット、ズボンのポケットと、ありとあらゆるポケットをまさぐってみたが、衣服以外、身につけている物といったら、顔に掛けている眼鏡くらいしかないことを悟った。
「何をお探しで。」
「ええ、携帯電話を……。置いてきてしまったようで。」
「携帯電話?」
「ええ、こう、どこにでも持ち運べる無線の電話で……」
「ああ、それなら私も知ってますよ。去年、NTTが発表しましたよね。こうやって、肩から掛けて歩くやつ。でも、そんなもの、庭にもありませんでしたよ。」
「いえ、ですから、それが90年代になると、こんな、手のひらに載るほど小型化して、そして、今では子どもも含め1人1台にまで普及しているんです。」
「ほほう、そうですか。21世紀の世の中は便利になるんですね。北野さんも実に想像力が豊かだ。なあ。」男はそう言って奥さんの方を見やった。奥さんも伊達巻きを口に運びながら楽しそうに笑っている。
私は少々焦ってきた。どうしたら、私が2013年から来たことを証明できるのか?
「……そうだ、証拠品がないんだったら、言葉で信じていただく以外にありません。私は、今から、この先日本、そして世界で起きることを“予言”して見せます。それが見事当たったら、鈴木さんも私が未来から来たことを信じてもらえますよね。」名案を思いついて、私は顔がほころぶのを意識した。
「なるほど、それだったら、もちろん信用します。で、早速ですが、今日、これから何が起きますか?」男がいたずらっぽく笑った。
「今日? はっ、それはちょっと……。でも、今年1年を通してみると、8月のソウルオリンピックでは、水泳の鈴木大地選手が100mm平泳ぎで金メダルをとり、シンクロの小谷実可子選手がシングルとデュエットで銅メダルをとったのを覚えています。それから、その後昭和天皇の容態が悪化し、世の中に“自粛ムード”が広がります。」
「そうですか。去年手術を受けられてね。お元気になられたと思っていたのに。」奥さんが早くも“その気”になりかけている。
「今年いっぱいはそれでも持つんですがね、来年早々、亡くなりますよ。新年早々、縁起でもない話ですけどね。」私はそう言って奥さんの言葉を引き継いだ。
「でも、北野さん。あなたの話は、別に未来から来た人でなくても、当てることはできる。鈴木選手、小谷選手のメダルは今から期待されていますし、天皇の話にしても、もうお年ですからね。口にこそ出しませんが、皆“そろそろ”と思っている。それが当たったところで、それほど驚きませんよ。」旦那の方は、奥さんのように簡単にいきそうもなかった。
「では、1年先の話になりますが、天皇が亡くなったその日のうちに、小渕官房長官が新しい元号を“平成”と発表すると言ったら、信じてもらえますか?」
「ヘイセイ?」
「そう、平らに成ると書いて平成です。」
「なるほど、覚えておきましょう。で、それから。」男はさらに“言質”を求めた。
「ええと、来年、ベルリンの壁が崩壊し、91年の12月にはソ連がなくなります。」私は語気を強めた。
「まあ、東欧社会の自由化が進んでますからね。ベルリンの壁が崩壊することまでは驚きません。しかしあなた、ソ連がなくなるなんて、北野さんもかなり大胆なことをおっしゃいますね。で、ソ連がなくなったらどうなるんですか? まさかアメリカに占領されるわけでもないでしょう?」男はまだ私の言葉が信じられない様子だ。
「ソ連を構成する各共和国がみな独立するのです。」
「そうですか。よく覚えておきましょう。で、日本国内ではどんなことが起きますか?」男はまだ納得しない。
「91年にはバブル経済が崩壊し、日本経済は以降20年間、“失われた20年”などと呼ばれ、低成長、マイナス成長を続けます。」
「バブル経済?」男が顔を傾げた。
「ええ、まだ今はあまり一般的に使われていないかもしれませんが、地上げに湧く今のこの景気をバブル経済と呼びます。それが、91年頃に弾けるんです。」
「まあね、近頃の地上げや地価の高騰は異常ですからねえ。そりゃ、いつかは崩壊するでしょう。郊外のこの家も、数年前だったら半値で買えたのに……。」男の顔が急に真顔になった。
「そうね。あなたの定年があと5年早かったらねえ……。」奥さんが相づちを打った。
「こう言っちゃ失礼ですが、住宅の値段も今がピークといったところですよ。90年代にどんどん下がり続け、今じゃ、東京郊外でも、場所によっては4LDKの新築一軒家が2千万台で買えます。」ここぞとばかりに私は続けた。
「あんた、冗談もほどほどにしないか!」男が急に声を荒げたので、私はびっくりして話をやめた。
(続く)

かつて日本にもデモする市民がいた!―『金曜官邸前抗議』 [Novel]

グランパの遺品の中からこの本を見つけたのは、5年前にグランパが死んでママがグランパの書斎を整理している時だった。その時以来、僕はこの本を大切に保管してきた。大学に入ったら、日本語を勉強してこの本を読んでみたいと思ったのだ。
2012年に出された本であることは、当時の僕でも奥付を見てすぐに分かった。紙の本が世の中から消える数年前のものだと推測された。その意味でも、この本は貴重なものだと思われた。
去年大学に入って、僕は日本語の授業を選択した。日本語を学ぼうとする学生はとてもまれだった。そのほとんどが滅亡した日本の歴史を研究しようという学生だった。僕のように、「1冊の本を読みたくて」日本語を学ぼうという物好きはいなかった。だいたい、世界地図や歴史の中で日本を知っていても、日本語という言語の存在を知っている学生はほとんどいなかった。そして、僕の大学でも、日本語は「滅びゆく歴史的諸言語」のカテゴリーの1言語に過ぎなかった。
僕のグランパは、あの日本の2度目の、そして破滅的な原発の爆発によって、当時7歳だった僕のママを連れて、命からがら海外へ逃れた難民だった。グランマは不幸にもあの爆発の時、爆心地から50キロの都市で仕事をしていて、逃げる間もなく放射能にやられて死んでしまったそうだ。そして、グランパとママは、中国、ロシア、ポーランド、イギリス、カナダと西に逃れて、1年かけて地球を1周し、オーストラリアで難民として受け入れてもらったのだそうだ。
そんな、着の身着のままの難民暮らしで、グランパがどうしてこの本を持ち歩いてここまでたどり着いたのか、考えてみればとても不思議なことだった。それに、グランパもママも、この国の国籍を取得してからも、日本人ということで差別され、ずいぶんつらい目に遭わされたそうだ。グランパやママは自分が日本人であることを隠しはしなかったが、日本人の中には、韓国人や中国人と偽って生きている人がたくさんいるのだと、グランパがよく言っていた。だから、この国に来た頃、もしグランパが日本語の本を持っていることが周囲の人に知られたら、どんな目に遭わされたかしれない。なのにグランパは、どうしてそこまでしてこの本を大切に持っていたのか? ママにこの本の内容を聞いてみることもできたが、僕がいつか、じっくり自分の目で、この本に書かれていることを読んでみたいと思った理由は、そのことを知りたいからでもあった。
金曜官邸前抗議.jpg日本語を学び始めて1年以上たち、ついに僕がこの本と向かい合う時がきた。『金曜官邸前抗議 デモの声が政治を変える』。ブックカバーの色あせた写真に写っている暴徒のような群れは、かつて東京にあった首相官邸前に集まったデモする人々のようであった。それがまず驚きであった。2度目の爆発で日本の北と南の島を除いて人々が住めなくなって、生き残った大部分の人々は海外に逃げたのだが、その過程で先を争う人々が暴徒と化して、たくさんの死者を出したという話はいつか聞いたことがあったが、最初の爆発から2回目の爆発までの間に、このような大規模な市民のデモが日本にもあったことを、今まで僕は知らなかった。グランパは生前、日本に住んでいた頃のことをほとんど話さなかったし、僕も子どもながらに、グランマをなくしたグランパの心中を察して、敢えて聞く気はしなかった。また、ママは小さい頃の記憶しかないから、学校のこととか、仲のよかった友だちのことしか記憶にないようだった。
この本によると、今日世界中で日本人について言われていること――日本人は類い希に見る体制順応的な民族で、何十年も同じ保守的な政権が続き、どんな悪政の下でも、デモやストライキで抗議の意思を示すことがほとんどなかった、そして、そんな日本人の国民性が、最初の原発事故のあとも原発の稼働を許して、あの破滅的な爆発を招いた要因のひとつでもある――は、この本からも傍証されたが、正確には2011年の事故の後、日本でも数十年ぶりに大規模なデモが何回も起こり、とりわけ2012年の夏を頂点に、一度すべて止まった原発のうちの1ヵ所が再稼働された時に、毎週金曜日になると首相官邸や国会議事堂を取り囲むように、10万、20万の市民がデモをしたとある。しかも逮捕者1人出さず整然と、午後6時から8時まで。それが、いかにも日本人らしい点であった。
また、従来デモというと、労働組合や政党などが動員をかけて組織するものだったそうだが、この一連の行動は、当時ようやく人々の日常生活に定着するようになったインターネットを通して情報を得た市民が、自発的に集まって起こしたデモだという。
この本の後書きで、著者は次のように述べている。
この本は、ある夏の政府と市民の闘いの記録にすぎない。今後このようなことは、いくらでも無数に起こりうるだろう。いまファミリー・エリアに来ている子供たちが大人になったとき、お父さんやお母さんの闘いの記録として、また、自分で社会運動にコミットする際に参照してもらえれば嬉しく思う。もちろんそのとき、原発は一基も動いていないはずだ。
その後、このようなデモが〈その時〉までずっと続いたのかどうか、僕は知らない。だが、結果的に、現実は著者のこのような願望とは正反対の方向に進んでしまったようだ。確かに日本で、その数年後にすべての原発が永遠に停止することになったのではあるが……
本書を深い感動とともに読み終えた後、僕はママにこの本のことを尋ねた。するとママは、
「グランパはきっと、そのデモの中にいつもいたはずよ。」と言った。
そうだったのか。それでグランパは、身の危険も顧みず、この本を肌身離さず持ち歩き、死ぬまで大切に持っていたのだな。グランパにとって、この本は日本人として生きたことを示す大切な存在証明のようなものだったに違いない。
「ママもね、夏の暑い日の夕方、一度だけ、グランパ、グランマと一緒に、そこへ行ったことがあるの。」遠くを見る目で、ママが意外なことを言った。
*『金曜官邸前抗議 デモの声が政治を変える』(野間易通著、河出書房新社)
参照:原発のある10年後の地獄の日本は想像を絶し、決して再創造できない。

原発のある10年後の地獄の日本は想像を絶し、決して再創造できない。 [Novel]

2013年1月の泊原発の再稼働を機に次々と既存原発が再稼働し、2015年に津波防止用の防波堤の完成によって浜岡原発も再稼働することにより、ついに日本の原発は3.11前の状態に戻った。その間、活断層の疑いがもたれる原発敷地の調査をしていた原子力規制委員会の調査団のメンバーから再稼働批判派の学者が排除され、再稼働にブレーキをかける者は誰もいなくなった。
こうして相次ぎ原発が再稼働するのに併せて、各電力会社は、その間に原発の代わりに稼働してきた火力発電所を、「無理な運転をしたための整備・点検」と称して相次いで運転を停止し、一度止まった火発が再び動くことがほとんどなかったことから、発電量に占める原発の割合がどんどん上昇して、2015年にはついに50%を超えた。さらに政府は、2013年中に着工・計画中のすべての原発の建設を認めたのに続き、翌2014年には国の新たなエネルギー政策に基づき、5ヵ所の新規原発建設計画を明らかにし、2040年までには原発依存度をフランス並みの75%にするとした。
当然、3.11以降高まりを見せていた自然エネルギーブームは急速に冷え込み、水力発電を除いたその比率は、再び1%を切ることとなった。
その間、日本列島はマグニチュード8クラスの地震に2度見舞われたが、いずれも重大な原発事故を引き起こさなかったことから、ついに「安全神話」まで復活するに至った。
こうして、国民を再び欺くことに成功はしたが、不幸にして自然までも欺くことはできなかった。2017年4月1日午前11時11分、静岡県沖を震源地とするマグニチュード8.4の東海地震が発生、静岡県御前崎市で震度6強を観測し、今回は津波が到着する前に浜岡原発3号機の格納容器が破壊され、核爆発が起こるという未曾有の災害が発生したのだ。
地震発生時の気象条件は、日本海を発達中の低気圧が進み、日本列島は春の嵐が吹き荒れていた。真っ黒な黒煙とともに吹き上げられた核物質は、その南西の強風に乗って首都圏を直撃することになる。事故から3時間後の午後2時には、都内のあちこちで異常に高い放射線量が観測された。
地震の影響で東海地方はもちろん、首都圏のすべての交通手段はマヒしていた。福島の経験から放射能の怖さを認識するようになっていた人々も、逃げる間もなく被曝することになった。
翌朝になると、低気圧は北海道の太平洋沖へ抜けたが、朝鮮半島から次の低気圧が日本海に進んで風向きは南東に変化し、放射性物質を帯びた雲の流れは、今度は京阪神地方を直撃することになる。震度5以上の揺れに襲われていた関西地方も、事情は関東地方と同じであった。こうして、事故発生から1日以内に、日本の人口の半数以上の人々が、多かれ少なかれ被曝する最悪の結果となってしまった。
地震と津波を除く原発の爆発による人的被害状況については、具体的に言うのもはばかれる状態であった。ただ、ここでは日本の人口の数%が数日以内に急性死し、10%以上の人が数ヶ月以内に死亡したとだけ言っておこう。加えて、沖縄を含む日本全土、それのみならず、朝鮮半島、沿海州、中国東部、台湾全土にまで放射性物質が直接飛散したため、日本国内に限っていっても、今後数年から数十年以内にガンをはじめ健康被害を生じる人の数は、全人口の6割とも7割とも言われている。
事故後、この国はほとんど無政府状態に陥った。政府が唯一素早い対応を見せたのは、首都機能の札幌への移転だけであった。それも、本当のところは、事故後1時間以内に、首相はじめほとんどの閣僚が、政府専用ヘリで、強風の中北海道へ避難したからに過ぎない。札幌に移った政府は、事態の重大さに手をこまねくばかりで、何もなすすべを知らなかった。被災しなかった自衛隊の部隊も、もっぱら浜岡から遠い被災地の救援に専念するしかなかった。
東日本大震災の時、素早い支援に動いた国際社会も、今回は日本を見捨てる方向で歩調を合わせた。そんな中で、浜岡を何とかしようと動いたのは、日本の「同盟国」=アメリカと世界第2の原発保有国となった中国である。4月3日、申し合わせたようにやってきたのは、両国陸軍の核戦争用特殊部隊であった。数千人の両国部隊は、いったんは陸路静岡県内に入ったが、放射線量があまりに高く、撤収せざるをえなかった。3号機に加え、4号機と5号機まで、すべての炉でメルトダウンを起こしている模様であったが、3号機の核爆発による放射性物質の拡散が一定程度収まるまで、とても近づける状況ではなかったのだ。
しかし、両国軍はそのまま日本国内に居残り、米軍は東日本、中国軍は西日本に長期駐屯することになった。そして、それを見たロシア政府は、4月10日に4千名の陸軍部隊を突如北海道に派遣し、機能しなくなった日本政府に代わって、事実上北海道を支配した。
この頃になると避難民は、ボートピープルとなってあてのない漂流を始めた。とくに日本海側から、大小の漁船や貨物船が対岸を目指して航行を始めた。行き着いた先は韓国、ロシア、そして北朝鮮であった。そのうえ、5月に入ると、北朝鮮はかつて元山と新潟の間を行き来した万景峰号を舞鶴に派遣し、難民の受け入れを伝えた。すると、噂を聞きつけた避難民がそこへ殺到し、乗船をめぐる混乱で死傷者も出る始末であった。
その後、アメリカ、カナダ、ロシア、オーストラリアなど、周辺の国土が広く人口密度も比較的低い国々が難民の受け入れを表明し、現在までに約3千万の国民が難民となって世界中へ散っていった。
放射能汚染は福島やチェルノブイリの比ではなく、事故1年後の世界の汚染度は、核実験が最も盛んであった1950年代後半の数倍レベルにのぼった。
こうした中、反原発世論が再び世界中で高まることになった。原発保有国を中心に、世界中のあちこちで反原発デモがわき起こった。そうした情勢を受けて、2019年にIAEA主導で、浜岡事故の責任者の犯罪を裁く異例の国際法廷がフランスのニースで開かれた。事故で生き残った日本の歴代政権の首相、関係閣僚、そして、中部電力の歴代役員、沖縄電力を除く8電力会社の歴代社長・会長ら、それに原発推進のお先棒を担いだ学者ら百名を超す責任者が被告席に並ばされ、それぞれ終身刑以下の刑を下された。しかし、この裁判を取り仕切ったのは、アメリカはじめ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有国であり、判決内容も地震大国という特殊事情をかんがみずに原発を推進した責任を問うというもので、原発の存在そのものは不問に付された。そして、東芝、日立、三菱重工の原発3メーカーの関係者が起訴されなかったのは、アメリカはじめ、原発保有国の多くが、それらのメーカーと直接的な関係があったからにほかならない。そうしたことから、ドイツ、イタリアをはじめ、3.11以降いちはやく脱原発に舵を切ったヨーロッパの国々や原発を保有しない途上国は、この手前味噌の国際法廷に参加せず、裁判の進行を冷ややかな視線で傍観した。
浜岡の事故で最も大きな被害を受けた国は、地理的に最も近い韓国であった。韓国全土が福島事故における関東地方程度に汚染されてしまった。人々の日常生活はじめ、農業、漁業に多大な打撃を与えた。また、幼い子どもを持つ家庭では、母子でオーストラリア、カナダ、アメリカなどへ移住する者が続出し、その数は今日までに数十万にのぼっている。
当然、かつてないほど反日感情が高まっていいはずであったが、かつて植民地時代に「日帝」にぶつけた国を奪われた民の恨みを、今独立国韓国は、逆にそれをぶつけるべき日本という国自体を失ってしまった。海の向こうには、北と南の端の島で細々と人々が生き、あとは荒涼とした汚染地帯の広がる、事実上、米・中・ロシアに占領された永久に不毛な列島が横たわっているだけだった。
3千万の日本難民は「現代のユダヤ人」と称されることもあるが、その大部分は移民先でその国の国籍を取得し、今後もその国の国民として生きていく道を選んだ。しかし、世界の人々は、2度まで過酷事故を起こし、ついに国をも滅ぼしてしまっただけでなく、世界の環境に多大な悪影響を与えた日本人に対して、同情よりも、きわめて厳しい視線を向けている。中にはあからさまに罵り排斥を主張する人々もいるし、陰に陽に差別するケースも日常茶飯だ。そうした環境の中でも、難民たちはひたすら許しを請い、針のむしろのような異国での生活を選ぶしか、もはや残された道はないのだ。しかも、多くは被曝による健康不安を抱えながら……。

※本当は、私はこのようなシナリオを公表したくはなかった。しかし、このままではこの荒唐無稽とも思われるシナリオが現実となりかねない危険な道への選択を、日本人がする可能性が高まる中、私はどうしても警鐘を鳴らさずにはいられなかった。

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