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原発のある10年後の地獄の日本は想像を絶し、決して再創造できない。 [Novel]

2013年1月の泊原発の再稼働を機に次々と既存原発が再稼働し、2015年に津波防止用の防波堤の完成によって浜岡原発も再稼働することにより、ついに日本の原発は3.11前の状態に戻った。その間、活断層の疑いがもたれる原発敷地の調査をしていた原子力規制委員会の調査団のメンバーから再稼働批判派の学者が排除され、再稼働にブレーキをかける者は誰もいなくなった。
こうして相次ぎ原発が再稼働するのに併せて、各電力会社は、その間に原発の代わりに稼働してきた火力発電所を、「無理な運転をしたための整備・点検」と称して相次いで運転を停止し、一度止まった火発が再び動くことがほとんどなかったことから、発電量に占める原発の割合がどんどん上昇して、2015年にはついに50%を超えた。さらに政府は、2013年中に着工・計画中のすべての原発の建設を認めたのに続き、翌2014年には国の新たなエネルギー政策に基づき、5ヵ所の新規原発建設計画を明らかにし、2040年までには原発依存度をフランス並みの75%にするとした。
当然、3.11以降高まりを見せていた自然エネルギーブームは急速に冷え込み、水力発電を除いたその比率は、再び1%を切ることとなった。
その間、日本列島はマグニチュード8クラスの地震に2度見舞われたが、いずれも重大な原発事故を引き起こさなかったことから、ついに「安全神話」まで復活するに至った。
こうして、国民を再び欺くことに成功はしたが、不幸にして自然までも欺くことはできなかった。2017年4月1日午前11時11分、静岡県沖を震源地とするマグニチュード8.4の東海地震が発生、静岡県御前崎市で震度6強を観測し、今回は津波が到着する前に浜岡原発3号機の格納容器が破壊され、核爆発が起こるという未曾有の災害が発生したのだ。
地震発生時の気象条件は、日本海を発達中の低気圧が進み、日本列島は春の嵐が吹き荒れていた。真っ黒な黒煙とともに吹き上げられた核物質は、その南西の強風に乗って首都圏を直撃することになる。事故から3時間後の午後2時には、都内のあちこちで異常に高い放射線量が観測された。
地震の影響で東海地方はもちろん、首都圏のすべての交通手段はマヒしていた。福島の経験から放射能の怖さを認識するようになっていた人々も、逃げる間もなく被曝することになった。
翌朝になると、低気圧は北海道の太平洋沖へ抜けたが、朝鮮半島から次の低気圧が日本海に進んで風向きは南東に変化し、放射性物質を帯びた雲の流れは、今度は京阪神地方を直撃することになる。震度5以上の揺れに襲われていた関西地方も、事情は関東地方と同じであった。こうして、事故発生から1日以内に、日本の人口の半数以上の人々が、多かれ少なかれ被曝する最悪の結果となってしまった。
地震と津波を除く原発の爆発による人的被害状況については、具体的に言うのもはばかれる状態であった。ただ、ここでは日本の人口の数%が数日以内に急性死し、10%以上の人が数ヶ月以内に死亡したとだけ言っておこう。加えて、沖縄を含む日本全土、それのみならず、朝鮮半島、沿海州、中国東部、台湾全土にまで放射性物質が直接飛散したため、日本国内に限っていっても、今後数年から数十年以内にガンをはじめ健康被害を生じる人の数は、全人口の6割とも7割とも言われている。
事故後、この国はほとんど無政府状態に陥った。政府が唯一素早い対応を見せたのは、首都機能の札幌への移転だけであった。それも、本当のところは、事故後1時間以内に、首相はじめほとんどの閣僚が、政府専用ヘリで、強風の中北海道へ避難したからに過ぎない。札幌に移った政府は、事態の重大さに手をこまねくばかりで、何もなすすべを知らなかった。被災しなかった自衛隊の部隊も、もっぱら浜岡から遠い被災地の救援に専念するしかなかった。
東日本大震災の時、素早い支援に動いた国際社会も、今回は日本を見捨てる方向で歩調を合わせた。そんな中で、浜岡を何とかしようと動いたのは、日本の「同盟国」=アメリカと世界第2の原発保有国となった中国である。4月3日、申し合わせたようにやってきたのは、両国陸軍の核戦争用特殊部隊であった。数千人の両国部隊は、いったんは陸路静岡県内に入ったが、放射線量があまりに高く、撤収せざるをえなかった。3号機に加え、4号機と5号機まで、すべての炉でメルトダウンを起こしている模様であったが、3号機の核爆発による放射性物質の拡散が一定程度収まるまで、とても近づける状況ではなかったのだ。
しかし、両国軍はそのまま日本国内に居残り、米軍は東日本、中国軍は西日本に長期駐屯することになった。そして、それを見たロシア政府は、4月10日に4千名の陸軍部隊を突如北海道に派遣し、機能しなくなった日本政府に代わって、事実上北海道を支配した。
この頃になると避難民は、ボートピープルとなってあてのない漂流を始めた。とくに日本海側から、大小の漁船や貨物船が対岸を目指して航行を始めた。行き着いた先は韓国、ロシア、そして北朝鮮であった。そのうえ、5月に入ると、北朝鮮はかつて元山と新潟の間を行き来した万景峰号を舞鶴に派遣し、難民の受け入れを伝えた。すると、噂を聞きつけた避難民がそこへ殺到し、乗船をめぐる混乱で死傷者も出る始末であった。
その後、アメリカ、カナダ、ロシア、オーストラリアなど、周辺の国土が広く人口密度も比較的低い国々が難民の受け入れを表明し、現在までに約3千万の国民が難民となって世界中へ散っていった。
放射能汚染は福島やチェルノブイリの比ではなく、事故1年後の世界の汚染度は、核実験が最も盛んであった1950年代後半の数倍レベルにのぼった。
こうした中、反原発世論が再び世界中で高まることになった。原発保有国を中心に、世界中のあちこちで反原発デモがわき起こった。そうした情勢を受けて、2019年にIAEA主導で、浜岡事故の責任者の犯罪を裁く異例の国際法廷がフランスのニースで開かれた。事故で生き残った日本の歴代政権の首相、関係閣僚、そして、中部電力の歴代役員、沖縄電力を除く8電力会社の歴代社長・会長ら、それに原発推進のお先棒を担いだ学者ら百名を超す責任者が被告席に並ばされ、それぞれ終身刑以下の刑を下された。しかし、この裁判を取り仕切ったのは、アメリカはじめ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有国であり、判決内容も地震大国という特殊事情をかんがみずに原発を推進した責任を問うというもので、原発の存在そのものは不問に付された。そして、東芝、日立、三菱重工の原発3メーカーの関係者が起訴されなかったのは、アメリカはじめ、原発保有国の多くが、それらのメーカーと直接的な関係があったからにほかならない。そうしたことから、ドイツ、イタリアをはじめ、3.11以降いちはやく脱原発に舵を切ったヨーロッパの国々や原発を保有しない途上国は、この手前味噌の国際法廷に参加せず、裁判の進行を冷ややかな視線で傍観した。
浜岡の事故で最も大きな被害を受けた国は、地理的に最も近い韓国であった。韓国全土が福島事故における関東地方程度に汚染されてしまった。人々の日常生活はじめ、農業、漁業に多大な打撃を与えた。また、幼い子どもを持つ家庭では、母子でオーストラリア、カナダ、アメリカなどへ移住する者が続出し、その数は今日までに数十万にのぼっている。
当然、かつてないほど反日感情が高まっていいはずであったが、かつて植民地時代に「日帝」にぶつけた国を奪われた民の恨みを、今独立国韓国は、逆にそれをぶつけるべき日本という国自体を失ってしまった。海の向こうには、北と南の端の島で細々と人々が生き、あとは荒涼とした汚染地帯の広がる、事実上、米・中・ロシアに占領された永久に不毛な列島が横たわっているだけだった。
3千万の日本難民は「現代のユダヤ人」と称されることもあるが、その大部分は移民先でその国の国籍を取得し、今後もその国の国民として生きていく道を選んだ。しかし、世界の人々は、2度まで過酷事故を起こし、ついに国をも滅ぼしてしまっただけでなく、世界の環境に多大な悪影響を与えた日本人に対して、同情よりも、きわめて厳しい視線を向けている。中にはあからさまに罵り排斥を主張する人々もいるし、陰に陽に差別するケースも日常茶飯だ。そうした環境の中でも、難民たちはひたすら許しを請い、針のむしろのような異国での生活を選ぶしか、もはや残された道はないのだ。しかも、多くは被曝による健康不安を抱えながら……。

※本当は、私はこのようなシナリオを公表したくはなかった。しかし、このままではこの荒唐無稽とも思われるシナリオが現実となりかねない危険な道への選択を、日本人がする可能性が高まる中、私はどうしても警鐘を鳴らさずにはいられなかった。
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