SSブログ

かつて日本にもデモする市民がいた!―『金曜官邸前抗議』 [Novel]

グランパの遺品の中からこの本を見つけたのは、5年前にグランパが死んでママがグランパの書斎を整理している時だった。その時以来、僕はこの本を大切に保管してきた。大学に入ったら、日本語を勉強してこの本を読んでみたいと思ったのだ。
2012年に出された本であることは、当時の僕でも奥付を見てすぐに分かった。紙の本が世の中から消える数年前のものだと推測された。その意味でも、この本は貴重なものだと思われた。
去年大学に入って、僕は日本語の授業を選択した。日本語を学ぼうとする学生はとてもまれだった。そのほとんどが滅亡した日本の歴史を研究しようという学生だった。僕のように、「1冊の本を読みたくて」日本語を学ぼうという物好きはいなかった。だいたい、世界地図や歴史の中で日本を知っていても、日本語という言語の存在を知っている学生はほとんどいなかった。そして、僕の大学でも、日本語は「滅びゆく歴史的諸言語」のカテゴリーの1言語に過ぎなかった。
僕のグランパは、あの日本の2度目の、そして破滅的な原発の爆発によって、当時7歳だった僕のママを連れて、命からがら海外へ逃れた難民だった。グランマは不幸にもあの爆発の時、爆心地から50キロの都市で仕事をしていて、逃げる間もなく放射能にやられて死んでしまったそうだ。そして、グランパとママは、中国、ロシア、ポーランド、イギリス、カナダと西に逃れて、1年かけて地球を1周し、オーストラリアで難民として受け入れてもらったのだそうだ。
そんな、着の身着のままの難民暮らしで、グランパがどうしてこの本を持ち歩いてここまでたどり着いたのか、考えてみればとても不思議なことだった。それに、グランパもママも、この国の国籍を取得してからも、日本人ということで差別され、ずいぶんつらい目に遭わされたそうだ。グランパやママは自分が日本人であることを隠しはしなかったが、日本人の中には、韓国人や中国人と偽って生きている人がたくさんいるのだと、グランパがよく言っていた。だから、この国に来た頃、もしグランパが日本語の本を持っていることが周囲の人に知られたら、どんな目に遭わされたかしれない。なのにグランパは、どうしてそこまでしてこの本を大切に持っていたのか? ママにこの本の内容を聞いてみることもできたが、僕がいつか、じっくり自分の目で、この本に書かれていることを読んでみたいと思った理由は、そのことを知りたいからでもあった。
金曜官邸前抗議.jpg日本語を学び始めて1年以上たち、ついに僕がこの本と向かい合う時がきた。『金曜官邸前抗議 デモの声が政治を変える』。ブックカバーの色あせた写真に写っている暴徒のような群れは、かつて東京にあった首相官邸前に集まったデモする人々のようであった。それがまず驚きであった。2度目の爆発で日本の北と南の島を除いて人々が住めなくなって、生き残った大部分の人々は海外に逃げたのだが、その過程で先を争う人々が暴徒と化して、たくさんの死者を出したという話はいつか聞いたことがあったが、最初の爆発から2回目の爆発までの間に、このような大規模な市民のデモが日本にもあったことを、今まで僕は知らなかった。グランパは生前、日本に住んでいた頃のことをほとんど話さなかったし、僕も子どもながらに、グランマをなくしたグランパの心中を察して、敢えて聞く気はしなかった。また、ママは小さい頃の記憶しかないから、学校のこととか、仲のよかった友だちのことしか記憶にないようだった。
この本によると、今日世界中で日本人について言われていること――日本人は類い希に見る体制順応的な民族で、何十年も同じ保守的な政権が続き、どんな悪政の下でも、デモやストライキで抗議の意思を示すことがほとんどなかった、そして、そんな日本人の国民性が、最初の原発事故のあとも原発の稼働を許して、あの破滅的な爆発を招いた要因のひとつでもある――は、この本からも傍証されたが、正確には2011年の事故の後、日本でも数十年ぶりに大規模なデモが何回も起こり、とりわけ2012年の夏を頂点に、一度すべて止まった原発のうちの1ヵ所が再稼働された時に、毎週金曜日になると首相官邸や国会議事堂を取り囲むように、10万、20万の市民がデモをしたとある。しかも逮捕者1人出さず整然と、午後6時から8時まで。それが、いかにも日本人らしい点であった。
また、従来デモというと、労働組合や政党などが動員をかけて組織するものだったそうだが、この一連の行動は、当時ようやく人々の日常生活に定着するようになったインターネットを通して情報を得た市民が、自発的に集まって起こしたデモだという。
この本の後書きで、著者は次のように述べている。
この本は、ある夏の政府と市民の闘いの記録にすぎない。今後このようなことは、いくらでも無数に起こりうるだろう。いまファミリー・エリアに来ている子供たちが大人になったとき、お父さんやお母さんの闘いの記録として、また、自分で社会運動にコミットする際に参照してもらえれば嬉しく思う。もちろんそのとき、原発は一基も動いていないはずだ。
その後、このようなデモが〈その時〉までずっと続いたのかどうか、僕は知らない。だが、結果的に、現実は著者のこのような願望とは正反対の方向に進んでしまったようだ。確かに日本で、その数年後にすべての原発が永遠に停止することになったのではあるが……
本書を深い感動とともに読み終えた後、僕はママにこの本のことを尋ねた。するとママは、
「グランパはきっと、そのデモの中にいつもいたはずよ。」と言った。
そうだったのか。それでグランパは、身の危険も顧みず、この本を肌身離さず持ち歩き、死ぬまで大切に持っていたのだな。グランパにとって、この本は日本人として生きたことを示す大切な存在証明のようなものだったに違いない。
「ママもね、夏の暑い日の夕方、一度だけ、グランパ、グランマと一緒に、そこへ行ったことがあるの。」遠くを見る目で、ママが意外なことを言った。
*『金曜官邸前抗議 デモの声が政治を変える』(野間易通著、河出書房新社)
参照:原発のある10年後の地獄の日本は想像を絶し、決して再創造できない。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。