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〈ムラ〉社会批判概論―日本が原発から脱却できない理由(わけ)[上] [Criticism]

〈ムラ〉社会とは?
〈ムラ〉は、恐らく江戸時代の村落共同体にその源を発し、先の戦争中に隣組組織として強化され、戦後も社会のあらゆる領域で受け継がれてきた日本独特の社会システムである。〈ムラ〉はある共同利益によって結ばれ、組織員に組織への無私の絶対的服従を課し、組織員の内発的思考と自発的行動を抑制し、そのムラ独特の「空気」に馴染みそれを「読む」ことを暗黙の了解事項とし、集団的規律から逸脱した者は徹底して排除し抹殺する非民主的システムである。
3.11によって暴かれた〈原子力ムラ〉は、こうしたあまたある〈ムラ〉のひとつ、その最もグロテスクな〈ムラ〉のモンスターに過ぎない。この国には様々な〈ムラ〉、〈国会ムラ=別名永田町〉〈官僚ムラ=別名霞ヶ関〉をはじめ、〈マスコミムラ〉〈教育ムラ〉〈医療ムラ〉〈ゼネコンムラ〉〈芸能ムラ〉〈司法ムラ〉〈警察ムラ〉〈会社ムラ〉〈組合ムラ〉〈ヤクザムラ〉等々、そしてこうしたムラを再生産していく〈学校ムラ〉までがあり、ほとんどの国民がひとつないしは複数の〈ムラ〉に属している。それらいっさいの〈ムラ〉から自由なのは、年金生活者、失業者、ホームレス、自由業者等々が考えられるが、そうした人々も、ともすると〈老人会ムラ〉〈○○業界ムラ〉などに属することになったり、あるいは〈○○趣味の会ムラ〉〈○○ファンクラブムラ〉など別のカテゴリーのムラに自ら所属することもありうる。こうして日本社会の津々浦々までにはびこった〈ムラ〉から自由になるには、〈世捨て人〉にならなければならないのではないかと思われるほどだ。

〈ムラ〉社会を支える〈学校ムラ〉
上述したように、これらの〈ムラ〉の構成員を年々補充し、良質な〈ムラ人〉を供給しているのが、〈学校ムラ〉である。この国においては学校こそ、ある意味〈ムラ〉の縮図であり、〈ムラ人〉養成機関である。
学校の児童・生徒たちは、たまたま同じ地域に生活しているというだけで同じ学校に通わされ、生まれた年度によって学年分けされ、適当にクラス分けされた教室という空間で、30~40名単位での共同生活を強いられる。
しかも、そこでは子どもたちの個性を伸ばし、自分の頭で物事を論理的・理性的に考え、自らの責任の下に行動する人間になる訓練が積まれるのではなく、むしろそれとは正反対の、没個性的で、自分の頭で考えず、〈場の空気〉を読んで大勢に流される非主体的・受動的な奴隷になる訓練がなされる。
〈戦後民主教育〉は一見〈民主的な教育〉のように思われるが、実際は日教組という〈組合ムラ〉と教育委員会・校長に支配・管理された〈教育ムラ〉に二重に属する教師たちによって、平等主義の名の下に没個性的な画一教育がなされ、〈美しい友情〉〈クラスの団結〉といった名の下に、生徒たちをクラスを単位とする集団主義でがんじがらめに拘束する装置に過ぎなかった。
1970年代以降、次第に悪質化・陰湿化していった〈いじめ〉は、こうした〈戦後民主教育〉の没個性教育・集団主義教育が生み出した必然的帰結であった。
学校の〈いじめ社会〉化は、児童・生徒に対するこうした没個性化・集団主義化をさらに強化した。江戸時代の村落共同体が、異端者を〈村八分〉にして徹底的に〈しかと〉したように、いじめのターゲットとなった子どもを徹底的にしかとし、あるいは暴力的制裁=リンチを加えて精神的・肉体的に抹殺を図る。しかも、〈ムラ〉は治外法権化し、いじめ加害者が法的に罰せられることは希だ。さらに絶望的なのは、こうした〈学校ムラ〉の暴走を、〈教育ムラ〉がすっぽり包摂して社会から防衛していることである。
このような〈学校ムラ〉で〈教育ムラ〉に属する教師たちによって「教育」された子どもたちが、先進国の自立した大人=民主主義を身につけた市民へと成長することを期待するのはほとんど絶望的だ。そればかりか、上述したように〈学校ムラ〉で育った子どもたちは、この国にはびこる〈ムラ社会〉の様々な〈ムラ〉の立派な構成員として巣立っていく。かくして〈いじめ社会〉の社会化が図られる。
〈学校ムラ〉が様々な社会に存在する大人たちの〈ムラ〉の縮図であることは、〈原子力ムラ〉を例にとって見れば一目瞭然だろう。〈原子力ムラ〉は治外法権によって法の支配を免れ、社会から隔絶された〈ムラ〉の中でやりたい放題の無法行為を繰り返し、挙げ句の果てに露呈した犯罪行為も、〈警察ムラ〉や〈司法ムラ〉から摘発されたり裁かれることがない。まさに、〈学校ムラ〉におけるいじめ犯罪の構図そのものである。

〈戦後〉〈ポスト戦後〉を貫く〈ムラ〉
〈ムラ〉は戦後社会の中で民主的装いを凝らして生き続けてきたが、1990年代に最終的に〈戦後社会〉が終焉し、脱資本主義社会へと変移していく中でも生き続けている。
例えば、かつて〈戦後社会〉では、労使の関係は〈会社ムラ〉の中でそれと部分的に利害対立する〈組合ムラ〉との拮抗関係を通して解決されるという、一見民主的手続き経ていたが、現在では〈会社ムラ〉の外に放り出された派遣労働者等非正規雇用労働者が、個に分断された全く無権利な奴隷状態の中で資本への絶対的服従を強いられている。本来〈ムラ〉の外にはじき出された個人は、〈ムラ〉の軛から解放され、自立した主体を確立して、利害対立する者に毅然として対峙しうるはずであるが、前述したように〈学校ムラ〉でそのような人間が本来持っている人間性を根こそぎ去勢された〈個〉は、惨めな奴隷状態に自ら進んでつながれることによってかろうじて生存の許しを請うまでに、〈奴隷としての主体〉さえ簒奪されている。
(続く)
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