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Back to 1988(上) [Novel]

50年の人生で、年末から年始にかけて風邪で寝込んだのは初めてだった。10年ほど前、まだ1歳にならない子どもが大晦日に熱を出して、当番の小児科に連れて行ったことはあったが……。
大晦日は朝から保健センターの急患窓口に並んで薬をもらい、夜は年越しそばを食べるとすぐに床に就いた。寝る前にiPadを開いてtwitterを見ると、斉藤和義が“NUKE IS OVER”と書かれたギターストラップを掛けて紅白に出たという話題で持ちきりだった。
いつの間に眠りに就いたのか、あまりの寒さに目が覚めた。すでに夜は明け、私は寒々とした見知らぬ畳部屋に外出着で横たわっていた。ここはどこだ? 私はとっさに跳ね起きてあたりを見回した。そこは、まだ畳の臭いがぷんぷんする真新しい六畳間で、明るい窓の外にはこざっぱりした隣家の建物が見えた。寒いものの、私の気分は爽やかで、昨夜まで私を苦しめていた熱も下がり、のどの痛みや鼻水も治まっていた。
襖が開く音がしたので振り向くと、頭の薄い初老の男が立っていた。
「気がつきましたか。具合はどうですか?」
「はい、爽快です。」
「そうかい、それはよかった。なんちゃってね。…あ、これは失礼」
開口一番冗談の飛び出した剽軽な男の話によると、奥さんが元旦の朝に雨戸を開けたところ、私が庭に倒れていたそうだ。それで、夫を呼んで2人で部屋へ運び入れ、介抱したのだという。救急車を呼ぼうとしたが、私が微かに「大丈夫です」と言うので、そのまま横たえ、毛布を掛けて様子を見ることにしたらしい。
「お腹が空きませんか。私たちもこれから食べるところですから、よろしかったらご一緒に。」横から品の良さそうな白髪交じりの小柄な奥さんが顔を覗かせた。
「はあ…。」
「なに、遠慮はいりませんよ。私たちは夫婦2人暮らしですから。正月だからといって訪ねてくる子どももいません。」気さくな表情で男が後を続けた。
ということで、私は行きがかり上、その家の元旦のおせち料理に与ることになった。
「いいお宅ですね。新築ですか。」私は2人に招かれるまま、暖房の効いた隣の広い和室に移り、すでにおせちの並べられた炬燵に腰を下ろした。掘り炬燵だった。私は足を下ろして冷え切った体を温めた。
「ええ、10月に引っ越したばかりです。」
「そうですか、それはおめでたい。」
「結局7千万円もかかってしまいましたよ。退職金に預金も全部つぎ込んじゃいました。」
「はあ……。」7千万円という言葉に、私は二の句が継げなかった。見たところそんな豪邸には見えない。小さな庭もついてはいるが、どう見ても、どこにでもある普通の建売住宅だ。
腑に落ちない表情をしたまま黙って座っていると、男は奥さんが持ってきた杯に日本酒を注いでくれた。
「では乾杯といきましょう。昭和63年がよい1年でありますように。」といって男が杯を上げた。
「昭和63年!? って、え~と、つまり1988年!」私は素っ頓狂な声を上げた。
「?」夫妻の不可解な視線が私に注がれた。
「ちょっと待ってください。え~と、お互いに自己紹介もまだでしたね。」私は気を落ち着けようと努めた。
「私は北野慶と申します。50歳です。大晦日から風邪で寝込んでいたんですが、どういうわけか、気がつくとお宅にいました。」
「はあ。私は鈴木敬吾、60歳。これが家内の良子、58歳です。私は、今年、いや、去年、大手の保険会社を定年退職し、さっきも言いましたが、この家を建てました。」
「そうですか。よろしくお願いします。」
「こちらこそ。で、先ほど何かおっしゃろうとしたことは?」と、男が先を促した。
「ええ、たしかご主人、さっき昭和60……」
「昭和63年、西暦で言うと88年ですね。9月にはお隣の韓国ソウルでオリンピックが開かれますよ。まさか北野さんは、10年間も眠っていて、今年が昭和53年だと思っていたなんて言うんじゃないでしょうね。」男がてかてかした頭に手をやりながら笑った。
「いえ、実はその逆です。私は今からえ~と、25年後の2013年から、どうしたことか迷い込んでしまったようです。」私は真顔で答えた。
私は男の言葉がまだ信じられず、改めて部屋の中を見回した。テレビ-家の新築に合わせて買い換えたのか、大型の真新しいそれは、懐かしいブラウン管テレビだ。同じく新品のエアコンも、大きくて平べったい旧式。そして何より、壁に掛かったJALのカレンダーが、今年が1988年であることを雄弁に物語っていた。
「ははあ。それは新年早々、縁起のいい話じゃないですか。」もう酔いが回ったのか、男が興に乗った声を上げて笑い、私に酒を勧めた。
「本当なんです。だいたい、なぜ私はお宅にいるのでしょう? 不思議じゃありませんか。」私は少々むきになった。
「まあ、それはそうですね。私も知りたいところです。でも、25年後からいらっしゃったとは。」男は相変わらず笑みを絶やさないまま、私の杯になみなみと酒を注いだ。
「あなた。そんなに笑っちゃ失礼ですよ。その、ええと、北野さんの話も聞いてあげましょうよ。」そう言う奥さんの口元も笑っており、私の言うことを真に受けていない様子だ。まあ、それも無理からぬ話だ。庭先に倒れていた見知らぬ人間を介抱して事情を聞いたら、未来から来たなんて、いったい誰が信じようか。
「そうですね。失礼しました。じゃ、何か証拠品でも見せていただきましょうか。そうすれば、私たちもあなたの言うことを信用することができる。」男がやや真面目な口調でそう言ったが、相変わらず口許は笑っている。
私はとっさに上着のポケットを探り、携帯電話を探したが、どこにもなかった。どうやら置いてきてしまったらしい。それで、シャツの胸ポケット、ズボンのポケットと、ありとあらゆるポケットをまさぐってみたが、衣服以外、身につけている物といったら、顔に掛けている眼鏡くらいしかないことを悟った。
「何をお探しで。」
「ええ、携帯電話を……。置いてきてしまったようで。」
「携帯電話?」
「ええ、こう、どこにでも持ち運べる無線の電話で……」
「ああ、それなら私も知ってますよ。去年、NTTが発表しましたよね。こうやって、肩から掛けて歩くやつ。でも、そんなもの、庭にもありませんでしたよ。」
「いえ、ですから、それが90年代になると、こんな、手のひらに載るほど小型化して、そして、今では子どもも含め1人1台にまで普及しているんです。」
「ほほう、そうですか。21世紀の世の中は便利になるんですね。北野さんも実に想像力が豊かだ。なあ。」男はそう言って奥さんの方を見やった。奥さんも伊達巻きを口に運びながら楽しそうに笑っている。
私は少々焦ってきた。どうしたら、私が2013年から来たことを証明できるのか?
「……そうだ、証拠品がないんだったら、言葉で信じていただく以外にありません。私は、今から、この先日本、そして世界で起きることを“予言”して見せます。それが見事当たったら、鈴木さんも私が未来から来たことを信じてもらえますよね。」名案を思いついて、私は顔がほころぶのを意識した。
「なるほど、それだったら、もちろん信用します。で、早速ですが、今日、これから何が起きますか?」男がいたずらっぽく笑った。
「今日? はっ、それはちょっと……。でも、今年1年を通してみると、8月のソウルオリンピックでは、水泳の鈴木大地選手が100mm平泳ぎで金メダルをとり、シンクロの小谷実可子選手がシングルとデュエットで銅メダルをとったのを覚えています。それから、その後昭和天皇の容態が悪化し、世の中に“自粛ムード”が広がります。」
「そうですか。去年手術を受けられてね。お元気になられたと思っていたのに。」奥さんが早くも“その気”になりかけている。
「今年いっぱいはそれでも持つんですがね、来年早々、亡くなりますよ。新年早々、縁起でもない話ですけどね。」私はそう言って奥さんの言葉を引き継いだ。
「でも、北野さん。あなたの話は、別に未来から来た人でなくても、当てることはできる。鈴木選手、小谷選手のメダルは今から期待されていますし、天皇の話にしても、もうお年ですからね。口にこそ出しませんが、皆“そろそろ”と思っている。それが当たったところで、それほど驚きませんよ。」旦那の方は、奥さんのように簡単にいきそうもなかった。
「では、1年先の話になりますが、天皇が亡くなったその日のうちに、小渕官房長官が新しい元号を“平成”と発表すると言ったら、信じてもらえますか?」
「ヘイセイ?」
「そう、平らに成ると書いて平成です。」
「なるほど、覚えておきましょう。で、それから。」男はさらに“言質”を求めた。
「ええと、来年、ベルリンの壁が崩壊し、91年の12月にはソ連がなくなります。」私は語気を強めた。
「まあ、東欧社会の自由化が進んでますからね。ベルリンの壁が崩壊することまでは驚きません。しかしあなた、ソ連がなくなるなんて、北野さんもかなり大胆なことをおっしゃいますね。で、ソ連がなくなったらどうなるんですか? まさかアメリカに占領されるわけでもないでしょう?」男はまだ私の言葉が信じられない様子だ。
「ソ連を構成する各共和国がみな独立するのです。」
「そうですか。よく覚えておきましょう。で、日本国内ではどんなことが起きますか?」男はまだ納得しない。
「91年にはバブル経済が崩壊し、日本経済は以降20年間、“失われた20年”などと呼ばれ、低成長、マイナス成長を続けます。」
「バブル経済?」男が顔を傾げた。
「ええ、まだ今はあまり一般的に使われていないかもしれませんが、地上げに湧く今のこの景気をバブル経済と呼びます。それが、91年頃に弾けるんです。」
「まあね、近頃の地上げや地価の高騰は異常ですからねえ。そりゃ、いつかは崩壊するでしょう。郊外のこの家も、数年前だったら半値で買えたのに……。」男の顔が急に真顔になった。
「そうね。あなたの定年があと5年早かったらねえ……。」奥さんが相づちを打った。
「こう言っちゃ失礼ですが、住宅の値段も今がピークといったところですよ。90年代にどんどん下がり続け、今じゃ、東京郊外でも、場所によっては4LDKの新築一軒家が2千万台で買えます。」ここぞとばかりに私は続けた。
「あんた、冗談もほどほどにしないか!」男が急に声を荒げたので、私はびっくりして話をやめた。
(続く)
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