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ほんとにあった怖い話ー健康な子宮を全摘? [Novel]

私は1954年、四人兄弟の末っ子として、栃木県のK市に生を享けた。父はN生命の支部長として、関東地方の町々を数年おきに転勤していた。K市には、私が生まれた年から4年ばかり住んでいた。父は私が小学校に入学する年に、神奈川県のF市に家を建て引っ越したので、以来私は、高校を卒業するまでそこで過ごすことになる。しかし、兄姉たちは、父の転勤に従って、数年おきに転校していたそうだ。
母は私を産むとすぐ、子宮がんの手術を受け、子宮を全摘した。恐らく、出産後の検診でがんが発見されたのだろう。その後、母は10年、20年の間、がんの再発・転移に怯えながら暮らした。私が小学校1年生くらいの時、母が海辺の病院へ検査を受けに行くのについて行ったことがあるが、思えばあれもがんの検査だったのだろう。
私の子どもの頃、父と母の仲は必ずしもいいようには思えなかった。仮面夫婦というほどではないにしろ、どこかよそよそしさがあった。40過ぎて私をつくったはずなのに、そんなふうにはとても思えなかった。私は小学生の頃まで、両親と同じ部屋に寝ていたが、いつも私がふたりの真ん中になって川の字を描いた。今思うと、母は子宮を失うことによって、女であることを捨てたのかもしれなかった。
幸い母はがんの転移もなく、88歳で天寿を全うした。父が他界して3年後のことだった。

上の姉は、縁あってK市の高校の同級生と結婚したが、10年あまりでその夫を脳腫瘍で亡くした。以後、姉はK市を離れ、女手ひとつでふたりの子どもを育てた。
その姉が、夫の法事で久しぶりにK市を訪れたとき、高校の同級生に会う機会があった。そして、彼女とお茶を飲みながら、母の死の話になった。
「実はあの頃、○病院は経営難で、やたらと手術をしまくっているという噂がたっていたのよ。特に産婦人科はひどかったそうよ」
旧友がそう言ったそうだ。前述したように、うちは4年でK市から引っ越していたので、誰もそんな噂を耳にする機会がなかったのだ。ちなみに○病院は、今も地域の総合病院としてK市に存在している。
もしその噂通りだったとしたら、可能性はいくつか考えられる。母は本当に全摘を必要とする子宮がんだった。母は確かに子宮がんだったが、全摘する必要はなかった。母は子宮筋腫とかほかの病気だったが、子宮を全摘された。母は健康なのに子宮を全摘された。
その後、再発・転移もなく天寿を全うしたという事実に照らして、二番目以降の可能性が高いと思う。私は、必要もない手術を受けて母が子宮を全摘されたのではないかと疑っている。
今だったら、社会的に大問題になるようなスキャンダルだ。被害者が何人いたのか、今となっては知りようもないが、被害者たちは数千万から億単位の損害賠償を受けていたかもしれず、○病院は経営破綻していたことだろう。しかし、半世紀以上前のことなので、当時のカルテが残っているはずもなく、犯罪行為は闇に葬り去られてしまった。
そのせいで、母は女であることを捨て、父との関係にもひびが入り、何年も間、がんの影に怯えて暮らすことになったのだ。
ついでにいえば、私は子どもの頃から神経が過敏で、幼稚園で場面緘黙症だったのをはじめ、不安障害、強迫神経症、自律神経失調症…と、様々な症状に苦しめられてきたが、その原点は、生後間もなく、母から強制的に引き離された不安と恐怖にあったのではないかと考えている。
それにつけても、世の中は悪事に満ちあふれており、それが暴かれるのはほんの氷山の一角に過ぎないのかもしれない。そう思うと、つくづくこの世が恐ろしくなってくる。
(この物語はノンフィクションであり、登場する団体・人物等はすべて実在のものです)

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