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『脱資本主義宣言―グローバル経済が蝕む暮らし―』という本 [Post capitalism]

脱資本主義.jpg鶴見済著のすでに旧刊に属する本書が年末にkindle版で出たので読んだ。「資本主義終焉論者」の私としては大いに共感を持って読めたが、著者は資本主義の経済成長の異常さ、その限界性を、具体的な例、データを駆使して、説得力を持って分かりやすく解説している。私もとても勉強になった。
例えば、必要でもないのに買われ、まだ使えるのに捨てられる服の自給率が日本ではわずか4%であること。それは、時代後れを生み出しては新たに買わせるという「計画的陳腐化」の戦略に基づいており、その戦略はすべての商品を貫くものであること。日本(あるいは「北」の国々)に住む我々には、「大量生産→大量消費」としか見えないプロセスも、本当は「(資源の)大量採取→大量生産→大量消費→(ゴミの)大量廃棄」という一連の流れなのだといった指摘。(TPP参加問題がオバマ・安倍会談でにわかに緊迫化しているが、)かつてアメリカから自由化を迫られて市場を開放したために、国内の大豆農家が壊滅し、また、日本人にコーヒー飲む習慣ができたこと、等々……。
グローバル資本主義の最後のフロンティアは、「公共物」あるいは「共有物(コモンズ)」だ。……今では、水や種子といった自然界に属する共有財産、あるいは教育や医療といった公共サービスが狙われている。もしかしたら、「空気」の商品化まで狙われているかもしれないといった指摘も、昨今の中国のPM2・5 問題を見ているとにわかに現実味を帯びてきて空恐ろしい。
著者は主に北と南の関係を見ながら、南の貧困が北の250年間の資本主義の「成長」によって構造的につくり出されてきた問題であることを明らかにしつつ、北の中の貧困も含め、問題の解決は成長というパイを大きくすることではなく、分配、つまりピースの分け方にあることを完膚なきまでに暴き出す。
著者は「脱資本主義」を宣言しながら、具体的な「ポスト資本主義像」をあえて提示してはいないが、その代わり、各章の最後にコラムを設け、脱原発をはじめとした普遍的な不満の表現手段としてのデモ、メキシコのサパティスタ民族解放軍の自治区の取り組み、ラテンアメリカ革命、宮下公園ナイキ化反対運動、自身が取り組む素人の農業を紹介している。
原発事故以降この社会は、この場所なりの脱資本主義に向かい始めていると思う。それに関しては願ってもない、いい傾向だという著者の楽観主義に見習い、私も脱資本主義のささやかな実践を積み重ねていきたいと思う。私が最近強く思うことは、資本主義は政治によって終わらせることはできず、ひとり一人の市民が脱資本主義を実践して資本主義を無化していく以外にないということだから。
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