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フクシマのタブーに触れる書-数字と確率で実感する「フクシマ」 [No Nukes]

『日本滅亡』『日本滅亡Ⅱ』をまとめて『日本滅亡(全1巻完全版)』にして近々出す予定だが、その次の仕事として、よりフクシマに即した作品を考えていて、そのためにいろいろ調べているうちに、『数字と確率で実感する「フクシマ」』(たくき よしみつ著)という電子書籍に出会った。
Image.jpgこの著者、私は初めて知ったのだが、ミュージシャンであり、小説家でもあり、今までに小説以外にも大手出版社からたくさんの本を出している。そして、福島市出身で3.11の時には川内村に住んでいて間近にフクシマを体験した。その体験をまとめた『裸のフクシマ-原発30km圏内で暮らす 』(講談社)は数ある原発関連本の中で目にした記憶があるし、子ども向けに書いた『3・11後を生きるきみたちへ―福島からのメッセージ』 (岩波ジュニア新書) という本もあるそうだ。その著者が書いた本書は、なぜか「さらに内容を増やして、コンパクトな新書スタイルで出版することも考えましたが、持ち込んでもなかなか版元が決まらず、このままでは書いたままになりそうなので、とりあえず電子出版という形で出すことにしました。」(著者あとがき)とある。
電子書籍後進国・日本では、まだまだ電子書籍はマイナーな存在だ。『裸のフクシマ』がAmazonで16件もカスタマーレビューがあるのに対して、この本は3件しかレビューがない。ちょうど1年前に出されようだが、はたしてどれだけ読まれているのだろうか?

私はかねてより、フクシマの事故が実際より過小評価され、また数々の幸運が重なって「あの程度」の事故で済んだという点がないがしろにされ、それらのことが「脱原発」の実現を妨げ、再稼働路線を既成事実化することに大きな役割を果たしていると思ってきた。過小評価の具体例としては、福島の地理的・気象的条件から、放出された放射性物質の9割方が太平洋側に行ってしまったという点だ。これがもし、浜岡や若狭湾の原発銀座以西で起きていれば、関東ないしは関西地方の数千万人が避難を余儀なくされていただろうが、なぜかそのことを言う人はあまりいないし、マスコミではタブーのごとく語られない。また、幸運ということでいえば、数々の幸運が破滅的事故から日本を救ったのであるが、いちばんの幸運はといえば、なんといっても4号機の奇跡であろう。当時の最高責任者・菅首相自ら「首都圏5千万人の避難」を考えたと告白する4号機を破滅的な爆発から救ったのは、設計ミスから作業が遅れ、本来ないはずの大量の水がその時あって、地震によって生じた隙間から使用済み燃料棒プールに流れ込んだからという事実だ。
本書はそのようなフクシマの幸運の数々-もし風が海から吹いていたら、もし地震が夜間に起きていたら、もし地震が1年早く襲っていたら、もし福島第一以外の原発で同じことが起きていたら、もし4号機の作業でミスをしていなかったら、等-を確率的に計算し、あの程度の事故で済んだのは宝くじで1等を当てるほどの偶然であったと結論づけている。

本書の出版を引き受ける出版社がなかった理由は、まさにここにある。テレビ・新聞はもとより、出版メディアも含めて、3.11以降、「脱原発」へ潮流は大きく変わったが、そこにはふたつのタブーが依然として存在する。ひとつは放射能がらみの諸問題-食の安全、内部被曝、低レベル放射線の人体への影響、奇形・がん等の健康被害の実態、等々-であり、もうひとつはフクシマ以上の事態を想像すること、させることである。なぜなら、このふたつのことがクローズアップされたとき、人々に否応なくフクシマを自らの問題として考えさせ、そうすることによってフクシマを内面化させ、雰囲気としてでない意志としての脱原発に向かわさせることになるからだ。そうすれば、少なくとも再稼働は永遠に遠のき、すべての原発は廃炉にせざるをえなくなるだろう。
ふたつのタブーは、だから原子力マフィアの譲れない最後の一線であると同時に、多くの人々をしてフクシマの現実から目を背け、それを福島という場所に封印して、3.11以前の安穏とした日常という虚構の上に精神のバランスを保たせるに欠かせない装置でもあるのだ。
今日の日本の一見平穏でありながら異常な社会は、この原子力マフィアと国民の間のふたつのタブーを仲立ちとした共犯関係によって保たれているといっても過言でない。だから、タブーを犯す者は徹底的に排除されるのだ。(ここでいう国民には、大多数の物言わぬ国民だけでなく、首相官邸前などに抗議活動に行くような自覚した市民の一部-デモが終われば近くの居酒屋で何も気にせず飲食し、スーパーに行ってもせいぜい福島産だけ避けて、安穏と首都圏に住み続けるような人々も含まれる。)
そうした意味で、私の『日本滅亡』もこのタブーに触れてしまったために、多くの人々にその存在さえ知られないのだと自己合理化しつつ、ならばなおのこと、私はそのタブーに挑戦しつづけていかなければならないと、次作にさらに意欲を燃やすのだ。

数字と確率で実感する「フクシマ」:Amazon Kindle版ブクログのパブ-Rakuten kobo 各99円
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