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100万日本市民が選挙主体にならない限り、日本の政治は絶対変えられない! [Politics]

総選挙だそうだ。だが、今の日本の政治状況を見るに、この選挙を通して危険な安倍政権が倒れる明るい材料は何もない。仮に、もし安倍が退陣するようなことがあっても、右傾化した今の日本の政治状況に大きな変化は期待できないだろう。
私は1996年の旧民主党結成以来、国政選挙を棄権したことが一度もなかったが、今度の選挙で「山本太郎・三宅洋平」的な面白い動きがない限り(あっても自分の選挙区に関係ない場合)、棄権するつもりだ。
選挙によって政治は変わらず、政治によって社会は変わらない。このまま日本はアメリカや大企業とつながる1%にも満たない人々のために、99%、とりわけ数千万のプレカリアートが犠牲になる悲惨な社会が深化しつつ、原発再稼働によって遠からぬ将来、中部地方以西で第2のフクシマが起こり、日本滅亡ないしは日本半壊という地獄へと行きつくだろう。そして、フクシマで何も変わらなかった大部分の日本人は、第二のフクシマによってたとえ国が滅びても、そう急には変われない。
この前テレビで、堤防道路(堤防の上を走る道路)が道が狭くて構造上ガードレールも設けられないため、接触事故や転落事故が絶えないというニュースをやっていたが、多くの日本人は(そしてもちろん政治家や官僚も)、堤防道路にそのまま車を通すという現状を変えずに、どうしたら事故を少なくできるかという発想しかできないようだ。
私なら、堤防道路は堤防を目的に付随的につくられたものであり、それがなくても地域の交通はそれまで維持できてきたはずだから、並行して走る道路と総合的に対策を考えて、道路を一方通行にすればすむ話だと思うのだが。時間帯によって混雑する方向が異なるなら、向きを午前と午後で変えてもいい。ついでに、空いた車線は自転車専用レーンにすればもっといい。
ところが、政治家や官僚、そして地域住民はこうした大胆な発想ができないし、もしそういう提案をしても、それは「非現実的だ」「子どもの空想のようなもの」などと切り捨てて、現状の弥縫策に汲々とするばかりなのだ。この事例に、日本人の致命的な欠陥―即ち根本的変革ができず、一方、現状が既成事実の積み重ねによって変えられてしまったなら変えられてしまったなりに、その現状を追認したうえでの現状維持=保守指向しかできない国民性が端的に現れていると思った。
同様に考えれば、民主党政権の掲げた進歩的な政策はすべて「非現実的」であり、また、フクシマ後の脱原発も、理想かもしれないが空想的ということになってしまうのだ。一方、いくら安倍晋三が戦後の民主主義的システム=日本国憲法を破壊したり、アベノミクスという1%のために大多数の国民生活を犠牲にする経済政策を推進しても、そうした変化に対しては恐ろしく鈍感な反応しかできず、たやすく現状追認してしまう。
そうした日本の政治・社会を、もし変えていける可能性が1%でも残されているとしたら、それはフクシマで覚醒した100万市民の力以外にない。そして、その100万市民が街頭に出てデモをする段階から一步も二歩も進んで、自ら政治主体=「政党」になる以外ない。
100万市民自身が政党を結成し、自らの候補者を擁立する。もちろん日本の場合、供託金制度というハードルがあるが、それこそ「大胆な発想」で運動を展開すれば、全選挙区に候補者を立てることも決して不可能ではないと思う(緑の党みたいにチマチマやっていたら絶対不可能だが)。その際、多くの国民の関心を惹くために、この間、脱原発秘密保護法反対集団的自衛権反対のデモの先頭に立ってきた著名人の方々のうち、健康な方には全員客寄せパンダ的に立候補してもらう。いや、たとえデモの先頭に立たなくとも、しっかりした理念を持ち、運動に共鳴してきた著名人の方にも出てもらう。もちろん、市民運動の活動家をはじめ、学者や弁護士などにも出てもらう。そして、「三宅洋平」的な創意工夫溢れる選挙闘争を展開すれば、自民党に対抗できる本当に国民のための政治勢力になり得るだろう。
ま、そんなことができれば、2年前の総選挙の惨敗などなかったのだが、それを言っちゃあおしまいよ。せめて一縷の希望の光を信じないことには、あとはgood-bye Japanするしかなくなるからね。
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