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Dr.倫太郎、陳腐な二重(多重)人格ドラマに堕して視聴率低迷 [Anti-psychotropic drugs]

このブログで何度も取り上げてきたDr.倫太郎の視聴率が低迷している。第4話まで13%台をキープしていたが、第5話以降10~12%台を行ったり来たり、この分では10%割れも考えられる。
先日、書店に行った折に、Dr.倫太郎の原案とされる『セラピューティック・ラブ』を探して目を通してみた。著者の清心海は元雑誌記者の精神科医ということで、文体は小説と言うよりも完全にルポルタージュ風、完成度は野暮な素人小説レベル。600ページ近くの大著なのでとても読む気になれず、パラパラとページをめくってすぐ閉じた。ベストセラー小説のドラマ化でも、ドラマのノベライズでもなく、「原案」というのが胡散臭い。恐らく企画段階で脚本の材料として提供されたものなのだろう。
目を通して最初に飛び込んできたのは、アメリカ帰りの日野倫太郎は薬物療法だけでなくカウンセリングも得意とする精神科医、という記述だった。ドラマとは設定が全く異なる。
ところでそのドラマ、当初の薬物療法を否定する精神分析学的(自己心理学)精神科医=倫太郎vs.生物学的精神医学の宮川主任教授の構図が、第4回に宮川教授が自分の患者を倫太郎に押しつけるあたりから変化し始め、最近は倫太郎と宮川の対立はほとんど描かれず、円能寺理事長や蓮見外科主任教授と倫太郎の関係が軸になっている。こうなると精神科の問題は脇に逸れ、ありふれた医療ものドラマと変わらない。
そして、前半たびたび登場した生物学的精神医学の実態描写が影を潜めると、物語の縦軸である倫太郎と夢乃の関係も、これまた陳腐な二重人格(多重人格)ドラマという馬脚が顕わになってきた。『ジキル博士とハイド氏』の昔から使い古されてきた題材で、私の記憶では20年ほど前にNHKで放送された「存在の深き眠り」が真っ先に思い出される。私はそのドラマを全部見たのではなく、確か再放送をしているのを1回だけ偶然見ただけなのだが、二重人格者の役を演じる大竹しのぶの迫真の演技が脳裡に深く焼き付いている。
前回、このブログでDr.倫太郎を論じた時、脚本の中園ミホについて「生物学的精神医学の代表として宮川教授を引き立てることで暗に薬物療法中心の現在の日本の精神医療を批判的に扱い、このドラマを「社会派ドラマ」仕立てにすることに成功した」と述べたが、それが成功したのはせいぜい第4回までで、次第に「社会派ドラマ」のメッキは剥がれ、上述したように二重人格(多重人格)ドラマという馬脚が顕わになった。そして、皮肉にもそれとともに視聴率も低下した。恐らく、日本の精神医療の実態を知らない一般視聴者にも、この手のドラマならもう見飽きた感が強いのだろう。反対に、生物学的精神医学vs.精神分析学的精神医学という対立軸に、視聴者が新鮮みを見出したからこそ、最初の頃の高視聴率につながったものとも思われる。
そうであるならば、制作陣は、残り2、3回のストーリーで視聴率を挽回させようと思ったら、それこそ医療ものドラマで見飽きた病院内の金と権力を巡る下らない争いは大幅にカットし、せめて倫太郎に「宮川先生! 薬で心の病気を治すことはできません。一時的に症状が改善することはあっても、長期服用を続けさせれば、患者さんは知らず知らずのうちにむしろ症状が悪化し、一生薬漬けの生活を送るか、薬の副作用で自殺に追い込まれるか、麻薬中毒患者のように廃人同様の生活を強いられることになるのですよ!」くらいの台詞をどこかに割り込ませることだ。できれば、そうさせられた患者の様子をワンカットでも挿入して。



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