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「第二の敗戦」まで行き着くしかないのか?ーだが「戦後の繁栄」は保証されていない [Criticism]

モリカケでアベを倒せなかった代償
第2次アベ政権発足後、私はこの政権はスキャンダル以外に足をすくわれることはないだろうと思ってきた。それほどまでにこの政権は盤石で、用意周到に見えたからだ。だから私は、自覚した市民がいくら「戦争法反対!」を叫んで国会を包囲しようとも、この政権には痛くもかゆくもないだろうと、冷ややかな視線で見ていた。だが長いこと、アベに大きなスキャンダルは発覚することがなかった。
そこへ、思ってもいない森友事件が大阪の一市議によって掘り起こされ朝日新聞によってスクープされたとき、私は千載一遇のチャンスが訪れたと思った。ところが、自覚した市民の反応は、当初冷ややかだった。多くの国民にとっては「どうでもいい」戦争法反対や共謀罪反対をあれほど叫んだ市民らが、多くの国民にとってある意味下世話な関心を引くであろう政治スキャンダルになぜ触手を動かさないのか、私には理解しかねた。前年、韓国のキャンドル革命を目の当たりにしていただけに、その落差には愕然とせざるを得なかった。
しかし、森友に輪をかけた加計事件が発覚し、事態は急展開した。アベ政権の支持率はようやくデッドラインへと近づいた。私は、今度こそアベ政権の息の根を止める時が来るだろうと確信した。
だが、北朝鮮の核・ミサイル問題を最大限利用したアベは、Jアラートで国民を脅しまくり、挙げ句の果てに「国難解散」に打って出て、それに呼応した前原民進党代表の解党アシストも手伝って、アベは延命に成功した。
ところがさらに、今春に発覚した森友事件をめぐる公文書偽造という前代未聞の一大国家犯罪という信じ難い事実を前にして、私はみたび、今度こそアベも万事休すだろうと信じて疑わなかった。今までいくつもの証拠をつきつけられても白を切り通してきたアベも、この隠しようもない重大犯罪事実の前には、もはや言い逃れできないだろうと、私のみならず、大半の人々が思ったのではなかろうか。
にもかかわらず、マスコミの弱腰にも助けられ、アベは完全に居直りを決め込み、三歳児の言い訳にも劣る「ご飯論法」で国民を愚弄した。ことここに至ると、もともと政治的無関心という業病に冒されていた大半の国民は、さらに諦念という病に深く蝕まれ、一時一定の盛り上がりを見せた市民の動きも、再び高揚することはなかった。幼稚きわまりないアベの計算され尽くした策略通りの展開になったというわけだ。
その後も、加計孝太郎のアリバイ会見やオウム処刑前夜の豪雨災害が予測される中での政権中枢の酒盛りなど、醜悪きわまるアベとその仲間たちの醜聞は続発したが、もはやアベという幽霊政権を祓い除ける機会を、この国の国民は永遠に失ってしまったかのような暑苦しく澱んだ空気が、今、日本列島を覆い尽くしている。
そうした中、秋の「自民党」総裁選でのアベの3選がすでに確実視されている。かねて言ってきたように、それを許せばもはや壊憲を阻止することはできず、アベ独裁は完成形へまっしぐら、恐らくアベの肉体の死なくしてアベ政権の死はなく、アベが物理的に倒れることなくしてアベ政権が倒れることはあり得なくなるだろう。
すでにこの国は、法も正義も通用しないならず者放置国家になり果て、形だけの民主主義も朽ち果て、いちおう現行憲法で認められた権利がかろうじて保障されるだけのソフトな独裁政権への移行が完成している。無関心と思考停止のこの国の国民にとっては、それでもアベの世の継続には十分すぎるほどの保証を与えているのだが、それに飽き足らないアベは、壊憲をテコにして引き続きハードな独裁政権へのシフトを図っていくことだろう。
こうなった以上、もう、落ちるところまで落ちるしかない。一億総玉砕で完膚なきまで破壊され尽くし、「第二の敗戦」の日を待つしかない。それが果たしてどういう形の「敗戦」なのかは予想できないが、70余年前の焼け野原のような荒廃し尽くし、すべてを失った「敗戦」だ。

「戦後」にありうる3つの道
問題は「戦後」の迎え方だ。いや、そもそもそのとき、私たちには「戦後」が保障されているかどうかすら覚束ない。「敗戦」は滅亡とイコールかもしれないのだ。最悪の場合、私たちはそのことも覚悟しておかなければならない。この道を選んだ代償はそれほどまでに大きいのだ。
また、幸いにも「戦後」を迎えられたとしても、先の敗戦のように、何の反省もなく、何のけじめもつけずに、ただただ与えられた戦後体制に順応していくだけだったら、やはり私たちには「戦後の繁栄」は訪れないだろう。早晩、「第二のアベ」が出現し、私たちを「アベの世」に引き戻していくだろう。
そうではなく、「第二の敗戦」をしっかり総括し、二度と同じ過ちを繰り返さない血のにじむような努力を続けたときのみ、私たちには「戦後の繁栄」が初めて可能になるだろう。そしてそれは、正真正銘の革命によってのみ手に入れることができるだろう。つまり、アベを許したあらゆる病根を根こそぎ根絶やしにし、二度とアベの出現を許さない社会をゼロから作り直していくことによってのみ、その革命は成就されるのだ。しかも、それは私たち自身の手によってのみなし遂げなければならないし、私たち自身の手によってのみなし遂げることができることなのだが、同時に、私たちにその革命をなし遂げる能力があるかどうかは未知数だ。なぜなら、私たちは長い歴史の中で、かつてただの一度も革命の偉業をなし遂げたことのない類い希なる民族なのだから。


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