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ポスト資本主義時代の領土問題 [Post capitalism]

わが国固有の領土」とよくいうが、その由来を訪ねれば、せいぜい百数十年を遡れるにすぎない。中央集権化した資本主義国家成立以前の社会は、日本もヨーロッパも地方分権型の封建社会であった。日本では、沖縄は明治政権下の1879年の琉球処分まで琉球王国という国が存在し、その国は中国とも関係が深かった。また、江戸時代の北海道は「北方四島」は言うに及ばず、松前藩の支配が及んだのは函館を中心とする南部のみであり、他は「アイヌモシリ」(アイヌの地)であった。さらに、竹島が島根県に編入されたのは1905年1月のことであり、当時日本は朝鮮半島の覇権を巡ってロシアと戦争中であり、戦争に勝った日本は同年末には韓国統監府を置き、大韓帝国を実質的に属国化している。
こうして「わが国固有の領土」は、明治政府が資本主義的国家として中央集権化を果たしていく過程で、周辺国との、時には武力を伴う軋轢を通して獲得していったものにすぎない。
だから私は、尖閣諸島、竹島、北方領土等の領土問題をあれこれ論じること自体に、あまり興味が湧かない。むしろ私の関心は、来るべきポスト資本主義時代の「領土問題」の方へと向かう。
ポスト資本主義社会では、まず人々自身が「多国籍化」する。例えば、住んでいる国は日本でも、生まれはフランスで、父親はケニア人、母親はイラン人、などという例は特殊でも何でもなく、むしろ普通のこととなるだろう。そして、彼女のパートナーはカナダ人の父親とニュージーランド人の母親を持つ中国籍の男性などということもありうるだろう。その二人の間に子どもができ、パプアニューギニアで生まれたとしたら、その子は果たして何人になるのか?
また、ポスト資本主義社会は中央集権社会から、再び徹底した地方分権社会に移行する。世界中を自由に行き交う人々の日常の生活範囲は、逆説的だが、せいぜい人口数万人単位の小さなコミュニティで基本的に自足する。経済的に自足するだけでなく、政治的にも自治分権化される。中央国家の果たす役割はますます少なくなり、いつかは消滅してしまうだろう
そこでは「世界政府」の必要性ももはやなくなり、せいぜい各コミュニティがいくつか結びついた連合体があるくらいで、必要に応じて、または欲望に応じて、人々はそれらコミュニティを自由に移動する。一時的に移動するだけでなく、絶えず流動する。
もうお分かりだと思うが、そんな社会では、「領土問題」など意味をなさず、「領土」という言葉自体が死語と化すだろう。
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