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『原発ホワイトアウト』が売れているわけ [No Nukes]

若杉冽著『原発ホワイトアウト』が売れているようだ。ネットも含めて各書店で文芸書のベストテンに入っている。印税の一部を「東日本大震災ふくしまこども寄附金」に寄付する若杉氏は、さぞご満悦だろう。
誰かがこの小説をぜひテレビドラマ化してほしいと述べていたが、いみじくもその言葉こそ、本書がそれほどまでに多くの読者を獲得している本質を突いているような気がする。私はミステリー・サスペンスドラマ好きで、二時間ワイドはもちろん、今秋も「相棒」をはじめ、「刑事のまなざし」とか「クロコーチ」などを熱心に観ている。そして、そういうドラマにはよく政治家が登場するのだが、それは決まってカネと女と欲にまみれた悪徳政治家で、自らの権力欲を満たすためには時に殺人さえ犯しかねない。視聴者はそんな悪徳政治家が、最後には悪事を暴かれ逮捕されることで溜飲を下げるとともに、政治家とか権力者というのはしょせんそんな欲のかたまりのような人種だという観念を刷り込まれる。
『原発ホワイトアウト』の主役は政治家ならぬ霞ヶ関官僚で、政治家は刺身のつま程度に登場するに過ぎない。しかし、描かれている内容はカネと女と欲にまみれた霞ヶ関という魑魅魍魎の巣窟で、ミステリー・サスペンスドラマで描かれる政治家たちと同質だ。おまけに作者は、女性差別・蔑視観ぷんぷんの安っぽいエロ仕掛けを細工しながら、肝心の絡みの場面をより多くのファンを獲得するためか(R指定を避けるため?)割愛することによって、ますます二時間ミステリー・サスペンスドラマ的世界を完成させていく。しかし、残念ながらこの小説は、政治家ではなく、実はその政治家を影で操っている真の権力者集団たる官僚の実態を赤裸々に描いたことと、原発を題材にしたことで、テレビドラマ化というファンの要望に応えることは、恐らく永遠にないだろう。
私は残念ながら見逃したのであるが、この覆面作家=若杉氏がテレビに登場したそうだ。もちろん覆面作家だから、ボカシか下半身かは知らないが、顔は出なかったのだろう(たった今、YouTubeで見た)。私は若杉氏を、数年以内に定年退職を迎える私と同年代だと勝手に想像しているのだが、この小説は、特定秘密保護法ならいざ知らず、現行国家公務員法に抵触するようなことはなにひとつ書かれていないのだから、堂々と姿を現したらいいと思う。それとも、それが原因で文字通りムラ八分にあって霞ヶ関を追い出され作家として食っていくことと、定年まで現職を続けて退職金と年金を手にすることを秤にかけて、後者を選んだということなのだろうか?(もし堂々と姿を現してムラ八分にあえば、それこそ私たちこの間脱原発・反原発を叫んできた市民は全力で彼を支援するだろうし、国民的世論も呼び起こすだろう!)
本書は上述したようにすこぶる大衆受けをしているようだが、のみならず脱原発陣営の評判もいいようだ。Twitterで私がフォローしている脱原発派の中でも、本書に批判的なツイートをした人は2人しか知らない。さらに、脱原発派知識人で本書を否定的に批評している人はひとりも知らない。この点、脱原発・反原発の敵=開沼博が、3.11直後に『フクシマ論』で登場していっとき脱原発派知識人にもてはやされたことと、一脈通じるものがあるような気がする。
もっとも私は、若杉冽氏を開沼博同様の脱原発・反原発の敵とはいわない。ただ、この作品は脱原発・反原発にとって毒にも薬にもならないというにとどまる。なぜなら、読者の大半は、上述したように二時間ミステリードラマかその原作を読むようなごく軽い気持ちでこの小説を読み流しているだろうから。ああ、やっぱりね。こんなこともあるでしょうよ。東大法学部出の官僚っていうのは、ここまでワルか!ってな感じで。
もっとも、本書がこの国の真の支配勢力=霞ヶ関官僚の実態を内部から活写した点と、原発一筋50年の自民党天下のもと、安倍晋三が原子力ムラに踊らされて再稼働・原発輸出・フクシマ切り捨てに猪突猛進する状況下、それを容認しかねないゆるゆるに緩みきった国民の脱原発ムードに一定の活を入れる役割を果たした点は評価する。
こんなベストセラーに対比させるのはおこがましい限りだが、私の書いた反原発小説『日本滅亡』(あえて“拙著”とは言わない。日本人は自信を持って書いた書を“拙著”と表現し、心を込めた贈り物を“粗品”とか“つまらない物”と差し出し、本心そう思っているのか“愚妻”などと言うことが、謙譲の美徳と自画自賛してきたが、最近私は、こうしたへりくだり表現は、この国を蝕むムラ社会と深く結びついた因習だと思うようになっているから。)の後書きで、私は次のように書いた。
私が最も恐れることは、私の意図に反して、読者はこの小説から想像力をはたらかせてこの国の未来を考えるのではなく、例えばかつて『日本沈没』というベストセラー小説が読まれたように、一編のエンターテインメントとして消費されるだけに終わるのではなかろうかと。
この憂慮は、『原発ホワイトアウト』にこそぴったり的中していると思う。それに反して私の『日本滅亡』は、もちろん3.11以前に出していたら単なるSF小説で終わっただろうが、さすがに3.11を経た現在では、良かれ悪しかれ一編のエンターテインメントとして消費されることなく、私の妄想したベストセラーにはならなかったものの、私の意図した通り、強力な毒を放ちながら少数の読者に読まれているようだ。

関連記事→http://kei-kitano.blog.so-net.ne.jp/2013-10-08
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コメント 1

とおりすがり

日経ビジネスの「著者に聞く」コーナー。
「事故後も電力業界は変わっていない 『原発ホワイトアウト』覆面作家の告発」

 たぶん、あなたの思惑とは別の観点で書いてるんですね、あの官僚の人。外部の人間がどんなに騒ごうが、事故後でも霞が関と永田町と電事連はこうですよ、全然連中は懲りてない、ということを書いてるだけでしょう。
ついでにいうと、たぶん「定年間近」じゃないでしょう。30代だと思いますね。40より前でしょう。
by とおりすがり (2013-12-14 23:28) 

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