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資本主義の終焉と歴史の危機 [Post capitalism]

私が資本主義が終焉へ向かい始めていると思うようになって10年近くがたつ。その後、私はベーシックインカムの思想に出会い、2010年に『希望のベーシックインカム革命-ポスト資本主義社会への架け橋-』(Kindle版)でその根拠をIT革命とグローバリゼーションに求めた。
mizuno.jpg水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)を遅まきながら読んだ。経済学が専門の水野氏は、資本主義終焉のサインを「ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ」に見出し、絶えず中心が周辺をつくりだすことによって達成してきた経済成長がもはや地理的に周辺を生み出し得ず、国家を超えた1%が99%の先進国の国民を貧困層に突き落とすことでかろうじて延命している現実をあぶり出して見せ、示唆に富む。私が10年近く前に直感した資本主義終焉論に理論的根拠を多く与えてくれる。私が拙著で言及したイマニュエル・ウォーラーステインに氏も何度か言及しているので、知識のレベルに差はあるとしても、同じような思考経路を辿って資本主義終焉という結論に至ったのだろう。
2008年の9.15(リーマン・ショック)と2011年3.11を経て、理性的判断力を持って現実を認識しようとすれば、もはや資本主義の終焉を認めることはそれほど困難なことではなかろう。だが、「アベノミクス」の「3本の矢」をはじめ、世界各国の支配層はそれを頑として認めず、未だ成長神話の見果てぬ夢にしがみついている。安倍の異常なまでの戦争への執着も、遠くない将来に必ず破綻し尽くす「アベノミクス」と日本経済の危機を戦争によってチャラにしようとする破壊的衝動の表現と理解すると分かりやすい。
水野氏は資本主義終焉へのハードランニングとソフトランニングのふたつのシナリオを提示しながら、ソフトランニングの先の具体的な社会像を提示していないが、私は拙著の中でソフトランニングの最上の手段としてベーシックインカムを提示した。
なりふり構わず延命を図る資本主義がその政治的表現であった民主主義と齟齬を来しつつ、99%への収奪を強化している現実にあって、1%の支配層に集中した富を再分配する手段として、ベーシックインカムは最も合理的な方法である。そうして、ポスト資本主義へのソフトランディングを果たした先の社会は、恐らく貨幣経済そのものの死をも意味するであろうというのが、私のポスト資本主義社会の素描であった。
水野氏は「ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ」にいち早くたどり着いた日本こそが、先陣を切って資本主義終焉への賢明なソフトランディングを模索する条件を備えていると希望的観測を述べているが、3.11を経た今、私はそのような楽観論を抱くことはどうしてもできない。経済的条件が揃っても、それを革命していくのは市民の政治的行動だからである。だが、残念ながら、日本にはそのような革命を担いうる市民層が存在しない。
もしかしたら、水野氏の思いとは逆に、日本はアメリカと並んでハードランニングの道を選択し、しかもその先には、もっとも凄惨な戦争や狂気の原発推進の果ての自滅が待っているかもしれない。その時、資本主義のある意味最も成功した優等生であった日本は、資本主義とともに滅びる運命にあるのかもしれない。

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