SSブログ

「政治家の資質」とは? [Politics]

私自身はずっと同じ立ち位置に立ち続けているつもりなのだが、世の中が右の方へ右の方へ、極端な右へと動き続けるものだから、今や私の立ち位置は相対的に極端な「左」になってしまったような有様だ。だが、こんな私も、8年前には民主党の候補者公募に応募してさいたま市議会議員をめざしたことがあったのだ(!)
ちょうどその頃、私は翻訳業界のIT革命・合理化の嵐のさなか、収入減に悩まされ転職も考えている時期だった。なので、「月収80万円」という〝高収入〟に目が眩んだことは否定できない。だが同時に、私の小学生の頃の〝将来の夢〟が、実に小学生らしくなく、「政治家になること」だったことも思い出した。そうだ、これこそ、子どもの頃の夢を実現するためのチャンスだ、と思ったりもした。
確かに金に目が眩んだという「不純な動機」は否定しようがなかったが、元来根が真面目な私は、ひとたび民主党県連に応募の意志を伝えてからは、「市議になったら何をしよう、あれをしよう、これもしよう」とビジョンをふくらませていった。そして、年4回の定例会を中心に実際に働くのが1年の半分にも満たないのでは、毎月80万円ももらったら市民の税金泥棒になってしまう、ここはぜひとも、当選した暁には翻訳の仕事をきっぱりやめて、市議の職に専従しようと決めた。市議としての仕事なら、議会以外にもいくらでもある。事務所を持って、そこを市民にオープンな場所にする。単に市民の声を聞くだけでなく、こちらからも様々な提案をして市民と議論をしていく、毎月テーマを決めて市民との交流集会を開く、ブログで情報を発信することはもちろん、紙のニュースも毎月発行していく……。当時は報酬とは別に高額な生活費、じゃなくて政活費が湯水のように使えるなんて知らなかったから、そうした活動費に報酬を充てるつもりでいた。
そして、全市議でいちばん働く市議をめざせば、当然次の選挙でも再選されるだろう。だから、翻訳の仕事を辞めても、落選した時のことなど考える必要はない……などと、まだ民主党の候補者に選ばれる前から、再選のことまで考えていた。
いよいよ面接の日がきた。党の県連事務所には、当時私が若手実力者として最も期待していた枝野幸男県連代表はおらず、浦和区が選挙地盤の武政公一、県北の方が選挙区の大島敦両衆議院議員が面接官として座っていた。
そこで真っ先に受けた質問が……何と「あなたは営業の仕事ができますか?」だった。??拍子抜けした私に、武政氏だったか大島氏だったかは、公募候補というのは地盤もカバンも看板も持たないのだから、訪問販売のセールスマンのように、選挙区の家々をしらみつぶしに訪ねて顔を売り込まなければならない、あなたにそれができますか? と言うのだ。つまり、どぶ板選挙ができるか、というわけだった。自慢ではないが、営業の仕事だけは、肉体労働と並んで私が最も苦手とする職種だ。だが、そんなことを正直に話したら、その時点で候補脱落は確実なので、「できます!」と、いかにも自信なげに言うしかなかった。それで私は、「市議になったら何をしたいですか?」という質問がいつくるかと、そればかり考えていた。その時こそ、自分を売り込むチャンスだ!
が……20分ばかりの面接時間は、ほぼこの営業マンの話に費やされた。もちろん私は候補者落選だった。
当時民主党は小沢党首の時代だったので、選挙手法も小沢イズムが徹底していたのだろう。後に、2000年から2005年まで衆議院議員を勤めた水島広子氏は、自分が国会議員の公募担当をしていた時は「政治家になったら何をしたいか」を真っ先に質問したと述べていた。嗚呼……
確かに、考えてみると、国会議員はじめ政治家というのは、マルチ商法のセールスマンにしたらものすごい営業成績あげそうな、弁舌のたつやつばかりだ。でなけりゃ、2世、3世の世襲議員か、金で議席を買ったようなやつばかり……
最近、男女クォーター制がようやく議論されるようになってきたが、クォーター制は何も男女だけでなく、職業、年齢帯、年収等々にも適用すべきだ。それから少数民族枠のように、障害者、LGBT等性的マイノリティ、薬害被害者・DV等犯罪被害者等の被害者、元ひきこもり、ホームレス等々、あらゆるマイノリティ枠も保障されるべきだ。政治とは、金があって弁舌のたつやつばかりの専有物ではないはずだ。
そして、国会議員の場合は、地方や地域を代表するのでなく国全体をどうするかを決めることが仕事だから、複雑な選挙制度なんか考える必要はない、全国単一制にして、各クォーター枠、マイノリティ枠を考慮して得票数の高い候補から選んでいく。所属政党や無所属などはその際関係ない。ついでにいえば、選挙公約も、空疎な政党のマニフェスト的なものは認めず、自身の政治哲学、人生観をベースに、政治家になったらぜひやりたいことを候補者それぞれが生の声で語るべきだ。表現方法は自由だ。音楽で表現してもいいし、詩で表現してもいい。連呼しかできないやつはそれでもいい。
そんな議会制度こそ、真に民主的な議会制度といえると思うし、そうして選ばれた政治家は、少なくとも今よりずっとましなやつが多いだろう。また、何より多様性に富んでいるから、彼らが決める政策は今よりはるかにましなものになるだろう。そして、たとえちょっと危ないやつがその中にいたとしても、そいつが首相に指名されるようなことは絶対にないはずだ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。