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学生がデモに参加すると就職できなくなるか? [Politics]

「就職差別」という民主主義に反する違憲行為はある
戦争法案反対の声が国民各層に急速に広まるにつれ、数年前の脱原発デモの際にはあまり目立った動きのなかった大学生たちがSEALDsを中心に活発な活動を繰り広げていることに対して、一部で「デモに参加すると就職できなくなる」という悪質な噂が広められている。
学生運動の先輩として私がいえることは、無責任に「それはデマだ」と楽観論を述べることでもなければ、「その通りだ」と噂に同調することでもない。大部分の学生たちにとっては気にすることはないが、かといってそうした噂を100%デマと否定することも、残念ながらできない。
60年安保、70年安保闘争の頃には、その中心でたたかった活動家でさえ、卒業後会社に就職し、中には各分野で社会を中枢で支えるようなになった人材も少なくない。また、一方で運動を通して培った志を貫き、社会運動に一生を捧げた少数の人々もいる。
ひとことでいって、高度経済成長期のあの時代においては、社会体制の側にも包容力というか余裕があり、学生の活動歴や思想・信条にかかわらず、個人の能力を買って採用する度量があったのだ。
ところが、70年代に入り学生運動が衰退し、一部セクトが過激化するのに比例するように、体制の側もオイルショック以降高度成長に陰りが見え始め、余裕を失っていく。
そんななか、1978年3月、新東京国際空港の開港目前に、新左翼の3党派連合が管制塔を占拠・破壊し、開港が2ヵ月延期されるという事態が発生した。そして、占拠した活動家の中に、公務員が複数いたことから、政府や各自治体をはじめ企業等は、新卒採用時の学生の活動歴を洗い出すようになる。
私が留年の1年を含めて大学を卒業したのは、おり悪しくもその年の春で、進路目標もはっきりしていなかった私は、1年間就職浪人をすることになった。そしてその年、いったんは地方公務員を目ざして5つくらいの自治体職員採用試験を受けたのだが、筆記試験はほとんどどこも通るにもかかわらず、2次の面接で必ずはねられた。私は最初、自分の性格や仕事への意欲・目標等に問題があるからなのだろうと自分を責めていたのだが、後にそれはとんだお人好しな解釈であることを知ることになる。
結局、その年も終わり年が明けた頃、私は偶然、出身県の労働金庫が新卒職員を募集している新聞広告を目にした。私は、金融機関に勤める気持ちはなかったのだが、背に腹はかえられなかった。また、労金は私の姉が結婚するまで10年ほど勤めていたところであり、その夫も労金の出身でそこで姉と知り合い職場結婚していた。コネを使うのは私の主義に反したが、とにかくどこにも就職せずに2年も就職浪人をすることなど、当時はありえないことだったので、私はひとまずそこに履歴書を送ってみることにした。
ところが、試験日の案内を受ける前に、姉の所に労金の上層部から電話があった。
「うちは弟さんような過激派の学生を採用することはできません。以前、赤軍派に参加した職員がいて、連合赤軍事件で大変な迷惑を受けたんです。」
履歴書を送ってから1週間足らずのことだった。どこで私の情報を入手したのだろう? 試験や面接以前に、そのような調査があろうとは思ってもいなかった。
私は確かに学生運動をして逮捕歴もあったが、どこのセクトに属したこともなく、ましてや赤軍派などとは全く無縁であった。今日でいえば、ひとりで国会前の抗議活動へ行ったことがあるだけで、「うちは民青や中核派は入れませんから」と言われるような、メチャクチャな論理だ。しかも、労働金庫といえば労働者のための金融機関であり、事実、当時の理事連中は皆社会党(当時)員であると姉から聞かされていた。社会党系の組織ですら思想・信条による就職差別を行い、かつそれを憚ることなく公言し、自ら憲法を蹂躙しているという認識すら持っていないのだから、前年の成田空港管制塔事件でナーバスになっている各自治体が、学生運動の逮捕歴のある私を採用するはずなどあろうはずがない-その時、私は初めてそう悟った。
もっとも、私とともに活動をしていた友人たちは、卒業後、企業や中央官庁、地方自治体などに就職し、私とともに逮捕された仲間で、公立高校の教師になった者もいる。私だけが運が悪かっただけなのかもしれない。
しかし、私はその後、お陰で希望していた出版編集の仕事に就くことになった。小さな会社だったが、学生運動の経験も活かせるような仕事で、充実した毎日を送ることになった。公務員、ましてや労金の職員になどならずによかったと、今では思っている。

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「アベ政治を許さない」とは50年先の社会のあり方を問う問題でもある
その頃とは、経済状況も社会一般の状況も大きく変化した。とくに学生の就職は格段に厳しさを増している。だから、「デモに行くと就職できない」などと言われると、正直ビビるだろう。しかし、よく考えてみてほしい。君たちが安倍政権の集団的自衛権や戦争法案がおかしい、憲法違反じゃないかと考え、なにより戦後の平和を民主主義を守りたいと立ち上がったなら、就職差別の問題はそれらの問題と根っこで深くつながっていることを。
本来、健全な民主主義と自由な資本主義の世の中では、企業は人物の才能や適性によって採用を判断する。その人個人の思想・信条やデモ参加といった表現活動歴は、仕事とは全く関係のないことであり、それを根拠に採用を拒否するなら、明確に憲法違反であり、それ以前に、万国共通の民主主義のルールに完全に相反する行為である。欧米の企業ならありえないし、日本でも本来あってはならないはずだ。
しかし、もしそのような企業があったとしたら、そんな企業はろくな企業でないだろう。社員をモノか家畜のように扱い、長時間こき使った挙げ句に、残業代も払わないようなブラック企業である可能性が高い。パワハラ、マタハラ、セクハラが横行し、女性の場合、正当にその能力も評価されないだろう。安倍の横暴に黙っていられず、「戦争は嫌だ、平和で民主的な社会がいい」と声を上げた君たちが、我慢できるような会社だろうか? それとも、かつて60年代、70年代の活動家たちの多くがそうしたように、卒業したとたん、体制順応人間になりきって、考えることを止め、企業の奴隷として一生を送る腹づもりなのだろうか?
原発問題の時にはあまり自分の問題としてそれを考えなかった君たちが、戦争法案をわがこととしてとらえ、立ち上がったのは、安倍のやり方があまりに横暴かつ稚拙で目に余ったからに過ぎないのだろうか。たとえ最初はそうであったとしても、実際に体を動かし、考えるなかで、君たちはきっと思考を深めたはずだ。民主主義って何だ? そして、この国は本当に民主主義の国なのだろうか、と。
そしてその疑問は、君たちが卒業して、いわゆる「社会」に出てからも、考えることをやめない限り日常生活についてまわる。企業や役所に就職したら、その中でも常についてまわる。
アベ政治を許さない、ということは、単に戦争法案を阻止し、安倍政権を倒せばすむ問題ではない。実は、もっと巧妙な「アベ的なもの」は、この国の隅々まで染み渡っている。それは、戦前・戦中を経て戦後も一貫してこの国に通奏低音として流れ続けてきた。そういう土壌があったからこそ、バブル崩壊後の長い停滞期を経て東日本大震災・フクシマという一大危機に直面した時に、「安倍晋三」が必然的に湧いて出てきたのだ。
そして、もっと根源的に考えれば、アベ政治との訣別は、「戦後民主主義」や「経済成長」との訣別へと行き着くだろう。稚拙でありながらも危険極まりない安倍晋三という患部を摘出すれば、平和で民主的な社会が取り戻せるというような単純な問題では、実はないのだ。
資本主義そのものが危機の時代から終焉の時代へと突入しつつある現在、君たちの未来は、単に大学を卒業して就職をして正規職に就ければ一生安泰――などというなまやさしいものではないだろう。
君たちの未来への展望は、50年先のこの国の社会の理想的なあり方を構想するきわめて哲学的な問いを含んでいる。その深遠な問題の模索なしには、君たちの本当の意味での明るい未来は切り開かれない。もちろん、その問題は、私たちも含め、この社会の市民ひとり一人が考え続けていかなければならない問題なのだが。
そこまで考えれば、「デモに参加したら就職できないよ」というような低レベルな脅し文句は、「だからなに?」のひと言で聞き流していい薄っぺらなこけ脅しだと思うのだが……。
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