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『チェルノブイリの祈り』-フクシマのメタファーとしての [No Nukes]

1986年、日本はバブル景気にさしかかり、私もそのおこぼれに与り浮かれた日々を過ごしていた。その年の4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故は、遠い鉄のカーテンの向こう側で起きた出来事で、原子炉もソ連の旧式のものだから最新の日本の原発ではありえない事故だというマスコミ報道を、疑うことを知らなかった。日本でもチェルノブイリ由来の放射能が観測されたが、独身で子どももいなかった私には、さして興味を惹くニュースでもなかった。
その後、たまに漏れ聞く事故後の現地の惨状も、遅れた社会主義国だからのことで、同情心こそ覚えても、わが身に引き寄せて考える想像力などはたらこうはずもなかった。私の脳内は、バブルの飽食によって完全にふやけきっていた。
だが、2011年3月11日を経てスベトラーナ・アレクシエービッチ著『チェルノブイリの祈り-未来の物語-』(岩波現代文庫、松本妙子訳)を読むと、その「未来の物語」がまさに「未来のフクシマ」であったことに愕然とし、言葉を失う。私の想像力はなんと貧困であり、当時のチェルノブイリを見る目がなんと傲慢であったことか……。

チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも人はこのことを考えたがらない。
僕は、「3.11以降に世界が変わった」という感覚の中で生きています。僕の目から見たら、3.11後の世界と3.11以前の世界は別の世界と見えます。(木下黄太氏)

「検査の結果を教えてください」と頼んだら「あなたがたのための検査じゃない」といわれた。
子ども一人にかける検査の時間を短くするため、観察項目を削除したことを指すのではないかと直感した。(日野行介著『福島原発事故県民健康管理調査の闇』)

娘はまだ理解していませんが、いつか私たちにたずねるでしょう。どうして私はみんなとちがうの? どうして私は男の人に愛してもらえないの? どうして私は子どもが生めないの?
「わたしはふつうの子供を産めますか? わたしは何さいまで生きられますか?」(福島の子どもたちの手紙)

放射線測定員がある数値をいう、新聞に載るのは別の数値だ。ははーん、なにかがわかりかける。
①モニタリングポスト測定計器の指示値が10%から30%程度、低くなるように設定されている。②モニタリングポスト周辺が除染されていて住民の受ける放射能環境より30%から50%ほど、低い測定値を出すように「環境整備」されている。(矢ヶ崎克馬氏)

「あなたがたは恐れている。だから病気になるんだ。原因は恐怖心なんですよ。放射能恐怖症です。」
「放射能の影響はニコニコ笑っている人には来ません、くよくよしている人には来ます。」(山下俊一)

最初のサンプル検査をした結果、私たちのところに持ちこまれたものはもはや肉ではない、放射性廃棄物だということが明らかになりました。
「100ベクレルという食品の安全基準って事故前は放射性廃棄物と同等だったんですよ」(山本太郎氏)

牛乳の在庫がふえると、とつぜんラベルのない牛乳があらわれました。……住民をだまそうとしたのです、国がうそをついたのです。
タケノコは福島県産ではなく、すべて新潟、山形、青森県産として売り、都内の業者も「了解済み」だった。(『原発の深い闇』宝島社)

彼らはなにが起きたのか理解できず、学者や教育のある者を信じようとしたのです。……「すべて順調だ。恐ろしいことはなにもない」
「プルトニウムは飲んでも安全です」(東大教授大橋弘忠)

あなたはお忘れなんですよ。当時、原子力発電所は未来だったのです。われわれの未来だったのですよ。

明るい未来の原子力.jpg

チェルノブイリの責任はいつか必ず問われることになるでしょう。……五〇年たっていようが、連中が年老いていようが、死んでいようが、彼らは犯罪者なんです!
事故の責任がきちんと問われない限り、この国は変わらないのではないか、ここで声をあげなければこのまま国民は黙らされてしまうのではないかと思いました。(福島原発告訴団武藤類子氏「通販生活」)

わが国の原子力は泥炭や石炭と同じくらい安全なんだと、みんなが教えられていたんです。
原子力発電所では、放射性物質を閉じ込め、外へ出さないために、「5重の壁」というしくみがあります。(電機事業連合会)

ミンスクには七〇〇キログラムのヨウ素剤が用意されていたが、倉庫に眠ったままでした。
私は、指導者連中が自分たちはヨウ素剤を飲んでいたとの情報を得ています。
山下俊一らは、福島県内に十分な量の安定ヨウ素剤がありながら、それを服用させなかった。
福島県立医科大学は、福島県から4000錠のヨウ素剤を入手して……職員と家族と学生が、隠れてこれを飲んでいたのである。(広瀬隆著『東京が壊滅する日』)

その夜テレビをつけてみると「扇動に躍らされないでください」といっている。それですっかり疑いが消えてしまうのです。
枝野幸男官房長官は「直ちに人体や健康に影響を及ぼす数値ではない」と記者会見で繰り返した。

チェルノブイリは、この国の一度は死にかけた体制を〈救ってしまった〉のです。
2012年12月16日、総選挙で自民党圧勝!

「キエフ旅行社はチェルノブイリ市と死に絶えた村へのご旅行をおすすめします。もちろん代金をいただきます。核のメッカへようこそ」
福島の津波や原発事故の被災地を巡るツアーは絶対にできます。バスに乗っていた間の累積の被ばく量は20〜30マイクロシーベルト。このくらいなら、今でも物理的には敷地内をバスで巡ることは可能です。(東浩紀氏)

〝独裁者〟ルカシェンコ大統領は、「ベラルーシにはチェルノブイリの問題は存在しない、放射能にさらされた土地は正常で、ジャガイモを植えることができる」と宣言したという。(訳者あとがき)
「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。……」(安倍首相東京五輪招致演説)

亡国記CM.jpg


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