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誰のための医薬分業か? [Anti-psychotropic drugs]

厚労省や政府の規制改革会議で医薬分業のあり方が議論され、一方で「かかりつけ薬局」推進の方向性が打ち出されるかと思えば、他方で門前薬局の「門内薬局」への規制緩和が提言されるなど、不透明感を増している。
そもそも医薬分業とは何か? 日本では明治以来、病医院が薬も処方・調剤する習慣が長らく続き、戦後、法律的には医薬分業になったが、実質的にそれが実現したのは1990年代以降のことである。
医薬分業の起源は、中世ヨーロッパで王侯貴族がお抱え医者によって薬殺されるのを防ぐために考え出されたシステムだという。したがって、欧米では今日も医薬分業が一般的だ。
では、なぜ日本で医薬分業が本格的に推進されたかというと、病医院が薬も処方・調剤すると、利益を上げるために多剤大量処方に走りがちなので、それをなくすためだと説明された。しかし、処方薬局で薬をもらうような習慣ができて以来、多剤大量処方が減ったというデータはない。それどころか、国民の医療費支出は増すばかりだ。
原因のひとつは、厚労省(当時の厚生省)が医薬分業を推進する際に、医師会と薬剤師会双方を納得させるために、医師には処方せん料、薬剤師には調剤料のほかに加算料・管理料・調剤基本料などの報酬をつけたことだ。典型的な利益誘導で、その結果、利用者たる患者の側のメリットはといえば、総合病院などでの薬の待ち時間が減ったくらいで、その代わり病院の窓口で診察費等を支払った後、近くの薬局まで行ってそこでまた薬代を払うという面倒のみならず、あまり意識しないかもしれないが、患者負担額が確実に増えることになった。薬代は院外処方の方が院内処方よりも2.5倍もかかるのだ。目的とされた多剤大量処方が一向に減っていない以上、これでは医師・病医院と薬剤師・薬局にメリットがあるだけで、患者には百害あって一利なしだ。
そうはいっても、患者は薬局で、処方された薬の効能や副作用等の詳しい説明が聞けるし、処方に疑問や問題があれば医師に問い合わせてくれる等のメリットがあるではないかといわれるかもしれない。しかし、個人経営の小さな医院で医師が直接調剤までやっている所を除けば、院内処方でも薬剤師はおり、こうしたことはなにも院外処方でなくともできることであるばかりか、本来、薬剤師なら当然なさねばならない仕事のはずだ。また、門前薬局が常態化している現実では、経営主体こそ分離されているとはいえ、処方薬局は病医院から完全に独立しているわけではなく、持ちつ持たれつの関係で、実際には病医院に従属している。だから、よほどのことがない限り、ふつう薬剤師が医師にクレームをつけることは考えにくいのだ。
さらに、お薬手帳やお薬情報のようなシステムも、向精神薬の薬害被害に遭った私が10年以上も向精神薬の深刻な副作用についてだたの一度も薬剤師から説明を受けたことがなく知らずに過ごしたことからも明らかなように、お薬情報に書かれていることは薬効とそれほど深刻でない副次的な副作用にすぎないことが多く、薬剤師もそれ以上のことを患者に説明してはくれないのだ。

患者のための医薬分業の実現のためには
以上のような問題点を根本的に解決するには、医薬分業を前提にするなら、以下のような改革が欠かせない。
まず、医師、薬剤師双方に与えられたインセンティブ、すなわち処方せん料とか調剤基本料とかのムダな報酬をなくし、院内処方なみの薬剤費に戻すことである。そうすると、アリのごとく群がっていた門前薬局も自然と淘汰されるだろうが、それは町の薬局=今日ではチェーン店化されたドラッグストアが大部分だろうが=が「かかりつけ薬局」の役割を担うことになる。実際、ドイツなどは、ドラッグストアが処方薬を扱う体制になっているようだ。薬局も営利企業だから薬が売れなければ経営が成り立たない。そのことが処方専門薬局をして多剤大量処方のブレーキ役を果たさせない要因であっただろうが、ドラッグストアの一角に処方薬コーナーがあるような経営形態なら、処方薬はあくまで売上げの一部門に過ぎないから、より適正な服薬指導なり処方内容のチェックが可能になるだろう。
さらにより本質的には、病医院はスウェーデンのように公営化し、医師はみな公務員にすべきだと私は考えている。新自由主義は「民にできることは民に」を合い言葉に、本来公共性の強い部門までも民営化してきたが、民営化とは即ち営利追求第一主義である。しかし本来、医療こそもっとも営利から無縁なものでなければならない。なぜなら、人の命と健康を扱う仕事なのだから、営利企業ではそれがお金と天秤にかけられてしまう危険性が常につきまとうからだ。そのリスクをなくすためには、医師や病院が経営問題を考える必要のない立場に置かれなければならない。
病院を受診した人なら誰しも、待合室で待っている間に、製薬会社のセールスマンが患者の受診の合間に診察室に出入りする姿を見たことがあるだろう。製薬会社は他社との競合上、絶えず医師、病医院に自社の薬を売り込む使命がある。ましてや新薬が開発されれば、取引のある病医院に真っ先に使ってもらわなければならない。そのためには、様々な接待も行う。学会へのサポートどころか、製薬会社主催の「研究会」さえ日常的に行われている。大学病院を舞台にして新薬等の臨床試験が行われ、そこで医師に様々な手心を加えてもらう。こうして製薬会社と医師との癒着が起きる。
こうした悪弊を絶ちきるためにも、医師には国や自治体がそれ相応の身分と経済的地位を保障し、治療や研究に専念できるような体制にしなければならない。
また、医学部と薬学部の西洋医学中心主義を改め、漢方医学栄養医学など総合医学的なカリキュラムに再編することも急務だ。薬漬け医療を根本的に改めるには、まさにこの道しかない。

こうしたことは、国が常に弱者の方を向いた政策を立案・実行していれば自ずととりうる道であろうが、悲しいことにこの国が向いているのは常に強者=大企業であり絶大な権力や金力を持った者のほうである。医療についていえば、国・厚労省が真っ先に配慮するのは製薬業界、医師会、薬剤師会等であり、患者は最後に配慮されればまだましな方で、実際はないがしろにされている。これがこの国が近代国家成立以来、戦後も一貫してとってきた国民への態度であり、国民の側もそれに異議申し立てをするどころか、長いものには巻かれろとばかりに、黙々と服従してきた。とても民主国家とは呼べない。今の政権の極端なまでの国民蔑視、弱者切り捨ての問答無用ぶりは、なにも突然降って湧いた災難なのではなく、こうした歴史的経緯の必然的結末である。
医薬分業という欧米で普通に行われていることが、日本では似て非なるものに変質する原因もそこにある。それを反転させて患者の医療、ひいては国民のための政治にしていくためには、私たちひとり一人が現実と向き合い、おかしいことをおかしいとはっきりと口に出して言い、それを正すためにたたかう自立した市民になっていかなければならないのだ。
※関連項目:処方薬局の「お薬情報」に「医療用医薬品の添付文書情報」記載を求める運動を!



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