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改憲が最終決戦、今のままでは必敗、必勝の秘訣は? [Politics]

「デモをする社会」は「デモをしなければならない社会」
デモで社会は確実に変えられます。なぜならデモをすることで、デモをする社会をつくれるからです」と柄谷行人氏は言う。しかし「デモをする社会」とは、裏を返せば「デモをしなければならない社会」でもある。日本は戦後の高度成長期を経て、1970年代以降40年ほど「デモをしなくてもいい社会、デモなどしなくても大多数の国民が食べて暮らしていける社会」だったのだ。それが、3・11で、さすがの長いものに巻かれる政治音痴の日本人の中からも、「このままではいけない。このままでは日本は大変なことになる」と目覚めた市民たちがデモに立ち上がったに過ぎない。社会がそれほど危機的な状況に変わってしまったから、デモするしかない状況に国民が追い込まれたのであって、せめてもとの社会を取り戻そうとデモに立ち上がったに過ぎないのだ。
私自身のことを正直に白状すれば、1970年代前半~中盤の学生時代に学生運動をしていた頃は、私の運動への関わりは第1に〈自己変革〉であり、第2にそれと分かちがたく結びついた〈社会変革〉であって、決してその逆ではなかった。そして、〈自己変革〉にはリアリティがあったが、〈社会変革〉は単なるお題目に過ぎなかった。高度成長で世の中どんどん暮らし向きがよくなり、自分も学生という立場でその恩恵を受けていたのだから、〈革命〉のリアリティなど、いっしょに運動していた仲間の誰もが感じていなかったのではないか?

デモから政治を変えるには
そういう意味で、デモも自己満足以外の何物でもなかった。学内では「教養部改革反対!」とか「中教審路線粉砕!」とか、それなりに具体的なスローガンがあって学生への訴求力があったが、たまに街頭に出ると、私たちの言葉はほとんど市民の耳に届かなかっただろう。当時は4・28(沖縄デー:サンフランシスコ講和条約が発効した日)とか10・21(国際反戦デー)という「旗日」があって、我々も市内の他大学の学生とともに市街地をデモ行進したが、どんなスローガンを叫んでいたのかさえ思い浮かばない。昨日のブログで触れた浅羽通明氏は「主張がまったくないデモのためのデモ」をやったらどうかと冗談めかしているが、それに限りなく近かったかもしれない。要するに機動隊とドンパチやる(ふりをしてみせる)ことで反権力という自己満足に陶酔していたに過ぎない。正直楽しかった。開放感を味わえた。ただし、年々参加者数が減少していくのが寂しかったが……。
四半世紀の時を経て、私が2011年5月からデモに参加するようになった動機は、それとは全く異なっていた。四半世紀の間、生活者として社会になじんでいる間に、大変なことを見過ごしていたという後悔、原子力ムラへの怒り、そして何より、原発を子どもたちの後世に絶対残してはならないという使命感ーそれこそが私をデモへと駆り立てた動機だった。そして正直、向精神薬依存症を抱える私にとって、人混みに出ること、とりわけ夏は夏で暑さに耐え、冬は冬で寒さに耐えることは、決して楽でも楽しいことでもないばかりか、苦行にも等しいことだった。それでも、今行動しなければ悔いを残すと、デモに通い続けた。
もしT-nsSOWLやSEALDsの若い人たち(に限らない)が、学生時代の私のような気持ちでデモに参加しているのだとしたら、それは君たちにとっては決して悪いことであるばかりかいい社会経験になるであろうが、それで社会が変わると思ったら間違いであることを認識しておく必要がある。

デモで政治を変えるには
私には忘れられない言葉がひとつある。それは2012年夏に大飯原発再稼働をめぐって首相官邸前や国会周辺に10万を超える人々が毎週集まり、当時の野田首相をして「大きな音だね」と言わしめた時、菅元首相が「10万くらい集まっても政府は何ともない、100万集まれば変わるかもしれないが」と言ったことだ。私も、首都で10万の市民がデモに起つということは、全国で100万の積極的同調者がおり、1千万の意識的な支持者がいるだろうが、それ以上でもそれ以下でもないと考えていた。世論調査での7割、8割の脱原発など当てにならない空気に過ぎない。60年安保の時は数で脱原発を上回っただけでなく、岸信介首相の私邸にまでデモ隊が押しかけ、当時小学校入学前だった晋三は無邪気に「アンポハンタイ」のシュプレヒコールを真似て祖父の苦笑を誘ったそうだが、それでも法案は成立し、かろうじて岸退陣を実現しただけ、次の総選挙では自民党が圧勝した。
だから、もしデモで政府を倒すなり、脱原発を実現しようと思ったら、一桁上を目指さなければならない。100万人が国会周辺を埋め尽くし、全国1千万人がそれに同調すれば、大多数の国民がそれを支持することになるからだ。
あの時の高揚を誰かが紫陽花革命と呼んで世界的な動きと関連づけたが、チュニジアで始まったジャスミン革命は独裁政権を倒しただけでなく、リビアやエジプト等、アラブの春へと波及し、ニューヨークのオキュウパイ・ウォールストリート運動はバーニー・サンダースを生んだ。また日本ではあまり知られていないが、この時期、スペインではインディグナードスというデモが起き、後に市民政党ポデモスの結成につながり、先の総選挙での躍進をもたらした。アジアに目を転じても、台湾のひまわり学生運動時代力量という新党に結実して、やはり先の総選挙で議席を獲得した。そうした中、紫陽花革命は頓挫し、2015年の反戦争法のたたかいからもそのような具体的な果実を生み出していないのは、中国独裁権力を相手にした香港の雨傘革命くらいしか他に例がない。
ポスト資本主義へ向けて1%対99%の対立が深刻化する一方、難民問題やテロリズムによって社会が両極化する中で、欧米の多くの国々では極右勢力と新しい市民政党の登場という形での政治の両極化が進んでいるが、日本は極右勢力がすでに政権を簒奪する一方、それに対抗する新たな勢力が不在という異常事態を生み出している。
昨日も述べたように、今のままではたとえ民維合併がなされようが、5(4)野党共闘が実現しようが、安倍政権を倒すのはほぼ不可能な情勢であり、おおさか維新等を加え、改憲勢力が3分の2を獲得する可能性も小さくない。そうすれば1~2年以内の改憲国民投票も俄然現実味を帯びてくる。
その時、もしデモでたたかおうとしたら、今までのスタイルではたたかえない。確かに3・11以来のデモは「逮捕者を出さない」ことを大前提に、老若男女誰でも参加でき、ベビーカーや車椅子でも安心して参加できることを特徴とし、それはそれですばらしいことだったが、そのスタイルを維持するためには本気で首都で100万人を集めなければ意味がない。当然改憲勢力も改憲に向けたデモンストレーションを草の根右翼のみならず、地縁、社縁等のムラ社会を総動員して仕掛けてくるだろう。たとえ数で護憲派が勝ったとしても、政権に完全コントロールされたマスコミの報道を見た「物言わぬ国民」はどうそれを判断するだろうか?
ただデモに参加するだけではだめだろう。生徒・学生諸君は学内で教師・当局の妨害をはねのけて積極的に護憲のための政治活動を行い、学友をオルグしていかなければ勝てない。
社会人は会社や地域というムラ社会の中で同様のことを行い、味方を獲得しなければならない。
その際、政権は末端権力を駆使してそれらを妨害し、積極分子を逮捕したり、退学、解雇、ムラ八部等で脅してくるだろう。そうした人々を支えるサポート体制も必要になる。
タレントたちが所属事務所等の圧力をはねのけてどれだけの数がはっきりと「改憲反対」を表明するのかも、勝敗に大きく関わってくるだろう。
デモも、場合によっては多様化させ、中には逮捕覚悟の部隊の志願者も募らなければならなくなるかもしれない。そうした体制を保障するための全国的で強力な組織が必要になってくるだろう。弁護士、学者、医師、看護師、教師、公務員等が、その職責を発揮すべき場面が多々出てくるだろう。
とりま改憲反対!なんてチャラい気持ちじゃ本気度100パーの安倍晋三には絶対勝てない。なうしか、負けたらハイそれまでよ。
あとは一億総カツヤク社会ならぬ一億総カチク社会が待っているだけだ。今でも十分国家畜なのだが、今はまだ放牧状態の家畜。改憲されたら完全に自由を奪われた鎖につながれた家畜。煮て食おうと焼いて食おうと安倍次第の世の中が来るだろう。


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