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グローバル・ベーシック・インカムーポスト資本主義への非暴力世界革命 [Basic income]

ナミビアのベーシックインカム実験
00年代後半、日本でもひとしきりベーシックインカム議論が盛んになった時期があったが、折から迎えた3・11によってそれも雲散霧消してしまった。まず、3・11が突きつけた過酷な現実が遠い将来の夢のようなおとぎ話を遠ざけたし、その後登場した安倍政権は、およそBI的な(21世紀的な)政治・経済モデルとは真逆の反動政権であり、BIの現実性をますます雲の上の絵空事のようにしてしまったことが大きい。しかし、昨年あたりから、再びBIに関する書籍が刊行されるようになった。日本における第1次BIブームが多分に原理主義的ないしは入門書的レベルで語られていたのに対し、最近のBI議論は、3・11と安倍政権、そしてこの間の世界情勢の変化を的確に捉え、はっきりと現実を変える手段として、よりリアルな政策手段として語られるようになっているように思われる。
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岡野内正著・訳『グローバル・ベーシック・インカム』(明石書店)は、2008年からアフリカのナミビアのある極貧村で行われているBIの社会実験に関する報告書の翻訳と、訳者の属する法政大学社会学部のゼミによるナミビア、ブラジル、インドのBI実験村とアラスカとイランにおけるBI的政策の現場訪問レポートからなる。アラスカの石油恒久基金の配当とイランの同じく石油を原資とした補助金改革(無条件現金移転)を除いては、低開発国ないし途上国の貧困層を対象としたBIの実効性に関する論考だ。
わけても、紙面の半分以上を占めるナミビアのベーシック・インカム給付試験実施プロジェクト評価報告書(2009年4月)の翻訳は、BIが村にもたらした様々な効果を詳細に記述しているだけでなく、実験の効果に基づきナミビア全土へのBIの実施を求める内容になっている。
食うにも困るような貧困地域へのBIの支給がもたらす効果は、BI反対論者が主張するような仕事をせず怠け癖がつくとか、アル中患者が増えるとかいった心配とは無縁に、村人たちは決して十分とはいえないBIを効率的に使い、子どもを学校へ通わせ、わずかな資金を元手に商売を始めて経済的自立を図り、犯罪やけんかやアル中患者も減少し、村人たちの栄養状態や健康状態も劇的に改善しただけでなく、村人自ら自治組織的なベーシック・インカム委員会を組織するまでになった。
このようなBIはナミビアのDGPの2.2%から3%を財源とすることで全国的に実施可能だという。筆者は、やるかやらないいかはもはや政治的決断の問題だと断じている。

すべての経済援助をBIの減資に!
いうまでもなく、低開発国、途上国の絶対的貧困問題は、欧米日をはじめとした先進国の収奪の結果生じた人為的問題だ。先進各国はそれをODA(政府開発援助)というかたちで各国に還元し、低開発国、途上国のインフラ整備や工業化、資源開発等に用いてきたが、その結果は国民経済全体を押し上げるよりも、むしろ独裁国家の権力を強化したり、一部利権に群がる現地資本・富裕層に環流され、貧富の格差をさらに広げて多くの国民の窮乏化を招いてきた。もしこうしたODAや安倍が得意とする途上国へのバラマキをすべてそれらの国々の国民へのBIの原資として用いるなら、各国政府のBI実現に負う負担はさらに少なくなるだろう。
それら低開発国、途上国に本当に必要なのは、道路や鉄道、ダムや発電所などではなく、すべての国民が飢えずに暮らすことなのだ。そうしてすべての国民が衣食足りて健康に暮らせるようになって初めて、その国に必要なインフラは、外国の援助に頼らずとも、国内経済の中で解決されていくことだろう。
さらに重要なのは、そうしたBIの実現がテロや犯罪を撲滅することにつながり、アメリカをはじめとした強国の軍事力行使を不可能にすることだ。

ナミビアの貧困問題とダブる日本の貧困問題
ひるがえって、経済先進地帯のBIはどうなのか? 私はナミビアの極貧村の状況とBI給付後の状況を読んで、なぜか日本の貧困問題に共通するものを感じた。現象的には貧困の絶対的なレベルの差があるにもかかわらず、その基礎にある貧困がもたらす諸問題に大差がないことに気がついた。例えば、貧困ゆえに満足に子どもに教育を受けさせられない問題。母子家庭が貧困ゆえに本来就くべき職業にも就けない問題。さらに食料問題、非行や犯罪の問題…それらは、絶対的貧困、相対的貧困に関係なく、貧困というものに本質的について回る問題だ。

財源は有り余る富の再分配で可能
経済先進国では、BIにかかる財源が低開発国や途上国と比べて桁違いに多くなる。だから、財源問題でBIは絵空事と、はなから相手にされない風潮が日本では未だにあるが、次の2点をよく考えてみるべきだ。
第一に、新自由主義はこの間、グローバリゼーションの名の下に、自国の労働者に本来払われるべき賃金を途上国との競争に打ち勝つためと不当に値切り搾取してきた。その結果の格差の拡大であり、貧困層の増大であった。だから、貧困問題の解決には、この不当に搾取された労働の対価の正当な再分配がなされない限り、この問題は解決しないし、それを財政赤字や財源不足に求めるのは議論のすり替えに過ぎないということ。
第二に、前回のブログでも触れたように、21世紀の末期資本主義は、人間労働をロボットやAI、コンピューターが代替することによって、労働市場が絶対的に縮小するとともに、従来人間労働が生み出していた価値=生産物をロボットやAI、コンピューターが生み出すことになる。これらの価値=生産物は、ロボットやAI、コンピューターの所有者のもとに集中した場合、99%対1%の問題を拡大再生産し、国内経済は衰退の一途をたどり、富裕層は有り余る富をマネーゲームに消費する以外に使い道がなくなる。
以上、ふたつの矛盾を解決する手段がBIにほかならない。仕事をロボットやAI、コンピューターに奪われ、ないしはそれらの補助労働力とされた人々にBIが支給されれば、ナミビアでの実験同様、特に貧困層は自らお金の有効な使い道を見いだしていき、経済と社会活動は活性化するだろう。
かくしてグローバルなベーシックインカムは、ポスト資本主義時代を次の新時代へと橋渡しする革命的役割を果たすことになるだろう。
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