SSブログ

この夏の選挙は「日本会議」という亡霊どもとの最終決戦 [Politics]

例えばの話として、1970年に日航機を乗っ取って平壌へ飛んだ田宮高麿ら9人の赤軍派のメンバーが北朝鮮に渡らず日本に留まり、その後「明るい日本の未来をつくる会」という「市民団体」を結成し、日本の共産主義化を最終目標として草の根市民運動を展開し、地方議会への請願活動や署名活動を地道に積み重ねて国を動かし、ついに「ちょっとアホな山本太郎」を首相に担ぎ上げて知らぬ間に権力を握り、秘められた最終目標達成を目前にしているのだといったら、それはあり得ない空想物語として片づけられるだろう。しかし、それをそっくりそのまま左右を入れ替えた形で現在進行しているのが、日本会議と安倍政権の動きだといったらどうだろう。

戦後、「右翼」といえば街宣右翼を意味し、それは暴力団や総会屋といったダークサイドとしばしば結びつきつつ、「反共」を唯一の存在理由としてきた。したがって、彼らは東西冷戦構造が崩壊し、東欧社会主義体制が消滅すると同時に姿を消していった。
しかし、日本にはそうした「目に見える右翼」とは全く別に、日本を破滅へ導いた戦前の軍国主義勢力の生き残りとその亡霊たちからなる、明治憲法の復活とその時代への復古を目指す右翼集団が存在し続けてきた。

nh.jpg昔、新左翼の中に、その正体を隠して社会党などに潜入して合法的にその影響力を広めようという「加入戦術」をとる党派が存在した。私は日本会議と自民党の関係はそれに似たものと思ってきたが、菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社新書)を読むと、その分析は正確ではなく、それはむしろ、彼らの組織力と動員力をエサにした「一本釣り」に近いものであることが分かった。彼らは左翼や市民運動の手法を学び、地方議会への請願活動や署名活動といった民主的手法を用いて元号法制化右派系歴史教科書の採択などを勝ち取り、地方議会はもちろん国会議員にも触手を伸ばし、ついに281名の議員を日本会議国会議員懇談会として配下において自民党を事実上乗っ取り、12名の閣僚によって内閣を掌握して、改憲という同じ夢を見る安倍晋三を「最高権力者」に担ぎ上げ、「明治憲法の復活」という最終目標に向かって今現在邁進している。注)

同書では、様々な宗教・宗派が参加する日本会議の実権を、実は「生長の家原理主義グループ」が牛耳っていることを実名を挙げて実証している。本書が発売直後にネット・リアル両書店の店頭から瞬く間に消え、そうこうするうちに日本会議が扶桑社に「内容に事実誤認がある」として出版停止を要求するに至った。言論弾圧は彼らの十八番だが、こうまで過剰な反応をするのを見ると、まさに痛いところを突かれたからと思わざるをえない。本書に続き、6月にかけて日本会議を論じた本の出版が相次ぐ。7月の参議院選挙を前に、グッドタイミングだ。すでに『日本会議の研究』は同会議の逆宣伝も手伝って、ベストセラーになっている。多くの国民に読まれ、今の政権の危険な本質に一人でも多くの有権者が気づいてくれることを願うばかりだ。

それにしても、彼ら「生長の家原理主義グループ」の面々の、ひとつの目標へ向けた粘り強い執念には驚かざるを得ない。対する左派やリベラルが、日本共産党さえ本来「最終目標」とすべき「社会主義社会の実現」を綱領という神棚に祭り上げて事実上社民政党化してしまった現在、彼らのように確固とした信念を持って戦略的に運動を展開している勢力が一つもないことを改めて痛感せざるをえない。
日本会議の動きが、たまたまバブル崩壊後にこの国が右肩下がりの凋落を続け、希望を持てない社会の中で排外主義やポピュリズムへの傾斜という世界的趨勢ともシンクロしたことが、不幸にして安倍政権という最悪の事態をもたらした側面はあるものの、逆もまた真なりで、日本会議のような存在がなければ、左弱右強のいびつな社会は招来しなかったのではないだろうか?

それにしても、何度も指摘するが、敗戦時にイタリアのパルチザンやドイツの反ナチ運動のような抵抗勢力が日本にも存在し、戦争犯罪人どもを日本国民の手によってしっかりと断罪し、天皇制を廃絶していれば、戦後政界に戦争犯罪人どもが復活したり、明治憲法の復活を夢見る右翼勢力が台頭するような社会にはならなかったであろう。そして、憲法制定会議によって真に自主的な民主憲法が制定されていれば、国民軍を保持することになったかもしれないが、アメリカの実質的な植民地状態に置かれることもなく、沖縄も含めアメリカ軍が日本の国土に70年もの長期にわたって駐留することもなかったであろう。ついでにいえば、その場合、一人の市井の少年として育つことになった安倍晋三も、戦犯として処刑された祖父を尊敬したり憧れることもなく、平凡な一生を送ってきたことだろう。まさに「安倍晋三」は「戦後社会」が産み落とした悲劇と喜劇の産物なのだ。

しかし、失われた歴史を取り戻すことはできない。今は現実をしっかりと見つめ、分析する必要がある。この夏の参議院選、あるいはダブルでくるかもしれない次期衆議院選が文字通り「最終決戦」となるだろう。そこで彼らの復古主義の野望を打ち砕けば、彼らの年齢からいっても、二度と戦前の亡霊を蘇らせることはないだろう。しかし、反対に負ければ、彼らの復古主義はこの国の民主主義の最終的敗北を刻印するだけでなく、日本という国の滅亡への最終章の始まりを意味することになるに違いない。いかなる意味においても……。
危機意識を共有しよう!

注:1955年、自由党と民主党の合併により、極右から中道リベラルまでの派閥連合からなる自由民主党が成立すると同時に、戦後、共産党を除く社会主義勢力が連合してできた後左右に分裂していた社会党が再統一した(国家社会主義的部分は後に分裂して民社党を結成)。その後40年近く、「永遠の2分の1野党」としての社会党が与党の補完勢力として機能する中、自民党の事実上の一党支配体制という特殊な「戦後民主主義体制」=55年体制が続いてきた。しかし、1996年に導入された小選挙区制によって自民党の派閥政治は解体し、社会党は党そのものの事実上の消滅をもたらした。そしてそれから16年後、自民党はついに日本会議に乗っ取られてしまった。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。