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ついに日本でも起きてしまったテロ事件 [etc.]

ついに恐れていた痛ましいテロ事件が日本でも起こってしまった。

9・11が開いてしまった「テロの時代」
国家は国内の矛盾を逸らすため、常に外に「敵」を求める。20世紀を通して資本主義諸国にとってそれは長らく「共産主義」であり、とりわけ第二次大戦後は米ソ対立による「冷戦」構造がその対立図式を有効に作用させた。しかし、1990年前後の社会主義体制の崩壊によって、西側資本主義は「勝利」し、資本主義の「我が世の春」が訪れたかに見えたが、新自由主義の台頭と折からのIT革命が資本主義諸国の内部に新たな分断と断絶を生み、資本主義は新しい「敵」の存在を必要とすることとなった。
9・11こそ、天から降って湧いたその新たな敵にほかならなかった。「テロとの戦い」が資本主義諸国にとっての至上命題となった。しかし、ここぞとばかりにブッシュが勇んで出かけたイラク侵略は、テロリズムの予想外の拡散を招く結果となった。

資本主義こそテロの温床
当初、「イスラム原理主義」とか「イスラム過激派」と名づけられたテロリストたちはイスラム諸国対西側資本主義諸国の対立図式を示していたが、テロリズムの温床は資本主義諸国の内部へと拡散した。「イスラム国」に共鳴する若者が欧米諸国から湧き出てくるようになったのだ。
20世紀の資本主義対共産主義の対立図式では、共産主義には確たるイデオロギーがあり、戦略があり、目標とする国家像があった。暴力は革命のための手段に過ぎなかった。
しかし、既存の伝統あるイスラム教に接ぎ木しただけの「イスラム原理主義」や「イスラム過激派」には、そのような崇高なイデオロギーも理念も目標もない。彼らにとってはテロこそが自己目的だ。一方、どん詰まりを迎えた資本主義は格差と貧困と差別を強化し、1%対99%の対立を生み出し、その結果、若者を中心に絶望と怒りと憤りの情念がテロリズムと深く強く共振し始めたのだ。
今年に入って欧米諸国で頻発するテロ事件は、従来と違って国際テロ組織とは直接関係しない自然発生的・自発的なものが多くなってきた。そればかりか、先日のドイツのイラン移民の青年によるショッピングセンターでのテロ事件のように、いかなる政治的・宗教的理由づけもない事件も起きている。このような事件は、厳密には「テロ」と呼ばないのかもしれないが、銃乱射という形態は、前の週に起きたフランス・ニースでの大型トラックによるテロ事件よりも「テロらしい」。

大義名分も目的もないテロの蔓延
そればかりではない。アメリカではフロリダ州でゲイバーを襲うというLGBTを標的としたテロ事件が起きたかと思えば、警官による相次ぐアフリカンへの射殺事件への報復テロも続いている。もはや「テロの時代」のテロリズムは、「イスラム原理主義」や「イスラム過激派」という大義名分が必要なくなるほど世界中に蔓延し始めているのだ。
テロを育む温床が日本にも同様にある以上、そうした欧米諸国の事件に触発されて、いつ日本で本格的なテロが起きてもおかしくはなかった。政治にも宗教にも疎い日本では、それは「理由なきテロ」「大義なきテロ」となって現れるだろうが。いや、そもそもそうしてみれば、2001年に8人の小学生が殺された池田小事件や2008年に7人が殺された秋葉原事件等もテロ事件といえなくない。
そうした無差別大量殺人事件は、2009年の民主党政権誕生→3・11とその後の脱原発デモ→安倍政権の誕生と戦争法反対デモと大きな社会的変化が続く期間、いったんなりを潜めていたが、先の参院選の結果、戦後民主主義が最終的に終焉し、出口のない閉塞感が充満していくこれからの時代、そして世界的にテロの蔓延・拡散が歯止めがきかない状態になった今、日本だけが例外ではいられないと思っていた矢先の今回の事件だった。今回の事件は加害者の障害者への差別と憎悪が引き金になっているようであり、アメリカ・フロリダのゲイバー襲撃テロを想起させる。その背景には、アメリカのトランプ現象、日本の安倍政権に通ずる在特会のレイシズム等の差別扇動があることも指摘しておかなければならない。
いずれにしろ、21世紀のテロリズムは、20世紀のテロリズムが明確な政治目的を持って政治権力や敵対民族を標的としていたのとははっきりと異なり、差別され抑圧され希望への出口を塞がれた若者が、時により弱い立場の無辜の市民のみを標的にしていることが大きな特徴であり、なんともやるせない現実である。

ベーシックインカムこそ唯一の解決策
出口のない資本主義の袋小路ー政治はそれに対してなにひとつ解決策を示し得ていない。そうである以上、これからも意味のない狂気の殺戮は続いていくだろう。いったい解決策はないのだろうか?
私は、ベーシックインカムこそ、その解答だと思っている。死に瀕した資本主義は、幸い、先進資本主義国のみならず、全世界が十分に食べて暮らしていけるだけのモノとカネとそのための生産手段をもたらしてくれた。問題はそのモノとカネの偏在だ。それを最も合理的に再分配する手段こそ、ベーシックインカムにほかならない。
すでに欧米諸国ではベーシックインカムが理論の段階から実験の段階に進み、今後10年以内、早ければ数年以内に、最初のベーシックインカム実施国が登場するだろう。
ベーシックインカムこそ、不条理と反知性が支配する現状にくさびを打ち込み、危機の資本主義をポスト資本主義へとソフトランニングさせていく希望の架け橋の役割を担っていると私は確信している。
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