SSブログ

3・11が産み落としたグロテスクな怪獣・晋ゴジラ。たとえ倒れても手放しでは喜べぬ [Criticism]

3・11と8・15
もうすぐ3・11から丸7年が経とうとしている。今を生きる私たちにとっての3・11とは、70年前に生きた人々にとっての8・15にも等しい重い意味を持つ。3・11も8・15も、明から暗へ、あるいはその逆へと歴史が転換したという意味ではなく、連綿と絶えることなく続く歴史のコインがただ単に裏返ったに過ぎないという意味において。
3・11から1年9ヶ月後、3・11を文字通り画期として飛躍を遂げる可能性を秘めていた脱原発運動は最終的に敗北し、戦後体制が臨界点を迎えてメルトダウンを起こした3・11の、放射能に汚染された腐敗した土壌の中から、最悪のアベ政権が産み落とされることになった。原子力緊急事態宣言下、原子力ムラの復活を密かに企む財界とその後ろ盾たるアメリカにとっては、平常時ならば許容範囲外にある改憲を最終目的とする日本会議=アベ独裁こそが、望ましい日本の政治形態だったからである。
そして事態は予想した通り、特定秘密保護法、‘戦争法’、共謀罪法の強権的制定を経て、憲法改悪へと突き進みつつある。しかし、私も想定外だったのは、独裁化を強めるアベが、国家を私物化し、違法行為を犯してまでも身内に便宜を図り、官僚を思いのままに操って国家犯罪を次々と重ねてきたことだった。
すでに森友疑惑が発覚してから1年以上経過したが、ここにきてメディアの最後の矜持をかけた朝日新聞のスクープを契機に、この1年間に及んだ一連のアベ疑獄事件は最終局面に突入した。どちらに転ぶにせよ、この一連のアベ疑獄事件は今後、数週間から2、3ヶ月以内に決着がつけられるだろう。つまりそれは、民主主義の側の勝利に終わるか、アベ終身独裁をも視野に入れた法治国家の死滅として帰結するかである。

不可欠な3・11と8・15への視点
後者に転んだとしても、幸いアベには金正恩のような血を分けた後継者がいないので、今後、数年後になるか、あるいは10年後、20年後になるかは分からないが、いつかは必ず夜が明ける。
いずれにしろ、ポストアベ政治の時代になったとき、私たちは初めてアベシンゾウという憲政史上まれに見る凶悪かつ醜悪な存在をまな板の上に載せて客観的に論じ、評価を下すときが訪れるだろう。その際、絶対忘れてならないのは、3・11と8・15への視点なのである。
私たちは本来なら、3・11がもたらした原発事故と放射能汚染という現実に真正面から向き合い、脱原発社会を志向しなければならなかったはずだが、現実には国民の多くがその問題から目を背け、考えることを放棄した。そして、その結果が怪獣・晋ゴジラの登場だった。だから、アベシンゾウを総括する際に、私たちはまずもって、3・11の総括から始めなければならない。3・11に改めて向き直ることから始めなければならない。アベの数々のフェイク量産を許すことになったのも、原発と放射能に関する数々のフェイクを、ろくに検証もせずに受容してきた結果であるといっても過言でないからだ。
と同時に、アベシンゾウの総括は8・15の総括までへと遡らなければならない。アベに反対する市民や野党の憲法(9条)守れの保守の論理は、改憲勢力の革新的情念の前に、余りに無力であった。それはひとつに、改憲派が主張するように、日本国憲法は日本の市民がたたかいとったものではなく、アメリカ占領軍によって与えられたものだったからであり、さらには戦後民主主義が、少なくとも形式的にはあの戦争の最高責任者であった大元帥=天皇裕仁をはじめとする戦争犯罪人たちを自ら裁き、国体を解体したうえに成立した革命政権ではなく、国体(天皇制)を維持したまま、GHQによって与えられた「民主主義」にすぎなかったからである。

転機となった2つの吉田証言と美味しんぼ鼻血事件
もし仮に、朝日新聞の頑張りによって数週後にアベ政権が倒れることがあろうとも、それで朝日を含む報道各社がアベに屈服を強いられてきた事実を帳消しにすることはできない。朝日が、2014年のアベ政権による2つの吉田証言攻撃に有効に反撃できず、その後しばし忖度報道を余儀なくされたことの意味は小さくない。
さらに同年のビッグコミックスピリッツにおける「美味しんぼ」放射能鼻血問題への原子力ムラによるフェイク攻撃に全マスコミが同調し、以降、「放射能」がマスコミで、次いで市民社会内でも実質的に禁句となったことの意味は計り知れない。当時あれほど気にしていた食品の産地表示も、7年経った今、どれだけの人が日々気にしながら食品を摂取しているだろうか? 例えばセシウム137の半減期が30年であることさえもう忘れてしまったのだろうか? 今日も東京電力福島第一原子力発電所跡の廃墟からは、大量の汚染水が太平洋に向けて垂れ流されていることも、もうとうに忘れてしまったのだろうか? 行政が認めただけでも150人以上の子どもたちが甲状腺がんの手術を受けており、また首都圏を中心に、3・11以前にはなかった列車内の急病人発生が日常茶飯事になっていること等々…脱原発派の人々でさえ、「いちいち気にしていたら生きていけない」とばかりに、考えることを放棄してしまっているのではないのか? しかし、そうした私たち一人ひとりの3・11への向き合い方が、怪獣・晋ゴジラを生み出したのである。そうである限り、永田町の怪獣・晋ゴジラは退治されても、私たちの心に棲みついた怪獣・晋ゴジラは消えることがない。

晋ゴジラを倒し、二度と生き返らせないために
また、韓国では数ヶ月の市民の闘争でアベほどではない政権私物化を行った朴槿恵政権さえ退陣に追い込まれたのに対し、日本は崔順実ゲートがふたつ、みっつと重なり、問題発覚後1年以上経過しても決着を見ないことの最大の原因は、ムラ社会の国民の無関心と諦めと長いものに巻かれろの奴隷根性にほかならない。
したがって、それはポストアベの対処法へも影響してこよう。アベが単に辞任するだけで、あるいは国会議員を辞職するだけでよしとするのか? あるいは韓国のように逮捕、起訴、有罪、下獄するまで許さないのか? 後者の場合は、もちろんアベシンゾウひとりに留まる問題ではない。萩生田元官房副長官、下村元文科相、麻生財務相、稲田元防衛相、菅官房長官らの政治家、迫田・佐川元理財局長、北村内閣情報官らの官僚、さらに安倍昭恵、そして加計孝太郎らの民間人まで含めて数十人の逮捕者を出すことが不可避だろうが、そこまで法治国家としての自浄作用がなされうるのか? それによっても、ポストアベ社会の様相は大きく異なってくる。
私も、数週間後になるのか、10年以上先のことになるのか、いつかアベ政権が倒れた暁には、まずは祝杯をあげて素直に喜びたい。しかし、喜びも八分、酔いも八分に抑えなければならない。そして、ポスト8・15、ポスト3・11の総括作業をしっかりとやり遂げなければならない。この国に、正義を取り戻し、真の民主主義社会を実現し、自立した市民が自分の頭で考え、自分の足で立って自己決定していく社会を実現し、二度と晋ゴジラのような奇っ怪な怪獣を生み出さないために。
怪獣・晋ゴジラが突きつけたこの国の未成熟な市民社会の課題は余りに重い。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。