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クスリに生きる? 個性に生きる! [Anti-psychotropic drugs]

自分が飲んでいる向精神薬の薬害に気づいてちょうど6年。一度の断薬失敗経験を踏まえ、現在は最後まで残ったベンゾジアゼピンを数年計画で減薬中だ。この間、多くの薬害被害者や向精神薬服用者に接したり意見交換してきた。私のように向精神薬の薬害に苦しむ人をひとりでも救いたいという思いから、3年前に『のむな、危険!-抗うつ薬・睡眠薬・安定剤・抗精神病薬の罠』という本を出しもした。
ちょうどその頃、偶然知り合った30前後の若者が、パニック障害から向精神薬を服用するようになって間もないことを知り、自著を渡したものの、彼は「クスリが私を救ってくれた」と、私の言うことに聞く耳を持たず、ずいぶんと歯がゆい思いをしたこともあった。その後も、クスリについてツイートすると、反論のリプライをもらうことも少なくない。とくにそんなリプライをする人には、いわゆる「大人の発達障害」という人が少なからずいる。
正直、現在の私としては、自分が大切に思う身近な人でない限り、大人の場合、自分の飲んでいるクスリを含む向精神薬のことを十分勉強し、その危険性を十分認識したうえで服薬を選択するなら、それは自己責任自己決定権の問題であり、それをとやかく言うつもりはない。3年前のくだんの若者についていえば、当時、彼と同年代の薬害被害者の青年が「痛い目に遭えばいい」と突き放した言い方をし、私としては冷たいなと思ったものだが、今思えばそれこそ「知ったこっちゃない」。
ただ、現実には、かつての私のように、自分の飲んでいるクスリについてあまりに無知でその危険性を全く認識せずに、精神科医の言うがままに服薬している人が大多数であるという現実には、引き続き警鐘を鳴らしていかなければならないとは思う。もっとも、私が罠にはまった頃に比べれば、クスリに関する情報は数百倍もネットや書籍に溢れており、アクセスしようと思えばいつでも豊富な情報が得られるのだが……。(それについても、少しでも情報に触れる機会を増やすために、「お薬情報に医薬品添付文書情報の提供を求める運動」を実践し、人にも参加を呼びかけている。)
そして一方で、現在の精神医療のあり方やシステムの変革へ向けて、自分なりに微力を尽くしていかなければならないとも思う。

社会に自分を合わせて埋没させるか? 個性に合わせて社会との関係を築くか?
私の人生を振り返ってみれば、幼稚園という家族を出て初めて接した「社会」になじむことができず、場面緘黙症になり、学校社会での生きづらさは高校卒業まで続いた。高校のときには重度の強迫性障害にも苦しめられた。そのときには、病院に行って楽になりたいと思いつつも、誰にも打ち明けられずに苦しんだものだが、薬害を経験して、あの頃、もし病院へ行って大事な青春、ひいては人生を棒に振ることにならずによかったとつくづく思う。
私の生きづらさは大学に進学して一時期解消されたのだが、それは大学という「社会」に自分が溶け込めたからではなく、その中にたまたま学生運動という自分の居場所を見つけたことによる。そこで私は解放された自分の個性に出会うことができたのだ。
資本主義社会で生まれた義務教育制度を軸とする教育とは、子どもたちを社会に適合させるために剪定したり選別する過程にほかならないと私は思う。大部分の子どもたちはそれに適応してついていけるのだが、中には選別過程ではじかれたり、剪定が苦痛で悲鳴をあげる子どももいる。そういう子どもたちはやれ発達障害だ、情緒障害だ、知的障害だというレッテルを貼られて「特別支援学級」とかに送られる。そして、偏差値によって選別された子どもたちは、レベル分けされた高校、大学へ進み、イチゴに例えれば、やがて等級付けされたとちおとめとかさがほのかとかのブランドで市場に出され、一方、途中で落ちこぼれた子どもたちは「訳あり商品」としてセールでたたき売りされる。さらに、あらかじめはじかれてしまった子どもたちは、市場に出されることすらない。だから、なんとか少しでも高く売られる商品になろうと、子どもたちとその親は必死になり、レッテル貼りされた子どもたちとその親は、なんとかそのレッテルを剥がしてもらおうと必死になって、時にクスリの力を借りようとする。
私は、クスリの力こそ借りなかったけれど、そうした教育という見えない檻の中でもがき苦しみながら、振り落とされまいと必死に大学まで進んだが、そこで見つけた居場所は、考えてみればすでに半分以上、社会からはみ出した場所だった。それでも、そこで出会った仲間たちはその後、みんなそれなりにいい値段をつけることに成功して社会に出て行ったが、私はそこで、それ以上、社会に自分を合わせることをやめた。
大学を卒業して、私は大きな企業とか役所というような組織=社会に自己を埋没させる生き方ではなく、自分の個性に合った生き場所(小さな出版社や労働運動)を見つけて生きてきた。さらにそうした社会にもある種の違和感を覚えた私は、以降、フリーランスの仕事を選んで社会との距離感を保ちながら生きてきた。
そうした私も、結婚し子どもができ家庭を持ったとき、妻との軋轢が原因で自律神経失調症とパニック障害を発症するに至る。しかし、そこでも私は発症の原因が分かっていたので、対症療法としてクスリに頼ることがあっても、それを根本的に治すことができるのは精神療法・カウンセリングであろうと思ったため、わざわざカウンセラーのいる心療内科を紹介してもらったものの、そこで向精神薬の罠にはまることになってしまったのだった。それだけに、のちにその罠に気づいたときは、とても悔しい思いをした。その悔しさが、今、再度断薬に挑戦している私を支えている。
つまり、私は自分という個性に生きる道を選び、社会に自分を合わせるのではなく、自分に合った社会とのつながり方を模索することによって、自己をかろうじて保ってきた。
しかし、すべての人に私のような生き方が出来るわけでもなかろうし、すべての人がそういう選択をするわけではない。
むしろ、多くの人々が自分の個性を、時にはそれを殺してでも、自分を社会に合わせる生き方を選ぶ。あるいはそうせざるを得ない人生を送っている。そしてその中で生きづらさを覚え、ときにその生きづらさに耐えきれなくなってクスリに頼ることになる。
前述したように、大人の場合、精神医療なり向精神薬の本質を十分知ったうえでなら、そうした生き方も現実には認めざるを得ないだろう。ましてや、それでよしとする人に、私がとやかく言う筋合いは全くない。

放射能と共に生きる? 放射能を拒否して生きる!
こうしたことは、なにもクスリの問題に限ったことではない。例えば、3・11以降に私たちに否応なく降りかかってきた放射能社会とどう向き合うかといった問題も同じだ。本当はあのとき、国民的議論をへて、全国民が納得できる解決策を見つけ出すべきだったのだが、現実はそれとは全く逆に、真実を隠蔽し、「経済合理性」を優先する選択が強行されてきた。その中で、私自身は、自身の放射能への感受性の問題も含めて、自分は放射能と共存できないと結論を出し、放射能から遠ざかり、放射能を避ける生き方を積極的に追求してきたし、これからもそうした生き方をしていく。また、自分が大切と思う身近な人々にも、最大限、放射能から遠ざかるための支援をしている。
しかし、放射能に対する正確な知識を得たうえでなら、放射能と共に生きる生き方を選択した人、放射能と妥協しながら生きる生き方を選択した人に、(大人の場合)とやかく言うつもりは毛頭ない。もっとも、放射能に関する(正しい、正しくないの問題以前に)知識自体をほとんど持たずに日々放射能と共存・妥協した生活を送っている人々が大多数であるという嘆かわしい現実が横たわっているのも事実だが……。
つまるところ、究極的には人それぞれの人生観、生き方の問題にいきつく。その土俵の上に乗って、ああでもないこうでもないの議論を繰り広げることほど不毛なことはない。勝手にしやがれ。私は私の道を行く。あなたはあなたの道をどうぞ。最後はそれしかない。

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