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極悪犯罪人アベシンゾウを逮捕はおろか辞任にも追い込めぬいじめ社会・ニッポンムラの絶望 [Criticism]

グローバルスタンダードでアベ辞任・アベ逮捕は当然
またも朝日新聞による森友事件有印公文書偽造のスクープ記事によって、今度こそ絶体絶命の危機に陥るだろうと思われたアベシンゾウだが、3月27日の佐川宜寿証人喚問の茶番劇で一件落着の様相さえ呈しつつある。首相とその夫人が首謀者である事件に関連する犯罪事実を決定的に裏付ける証拠が暴露され、自殺者まで出したというのに、当の首相が逮捕されないどころか辞任も内閣総辞職も行われない状態がここまで続いていることは、あまりに異常だ。アベ辞任もアベ逮捕も、もはや単に私の願望ではなく、グローバルスタンダードで見て極めて当然のことといっていいだろう。
隣の韓国で昨年、朴槿恵大統領辞任へと至った崔順実ゲートの発端となったJTBCの最初の報道は、一昨年10月24日のことだった。それからわずか5日後には大規模なデモが起こり、デモは日を追うごとに大規模化し、国会で大統領弾劾訴追案が可決された12月9日へ向けて、毎週土曜日、極寒の中、100万~200万の市民がソウル市中心部にキャンドルを灯して集まるようになった。それから朴槿恵が憲法裁判所によって最終的に大統領を罷免される3月10日まで、わずか4ヶ月あまりのできごとだった。

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崔順実ゲート事件はアベの森友事件の足下にも及ばない事件だった。さらにそれに先立つセウォル号事件がらみの疑惑を加えても、森友事件に加計事件を加えたらつま先にも及ばない。なのに、森友事件発覚から早1年以上が経過し、アベシンゾウがもはやこれ以上言い逃れできない決定的証拠を突きつけられても、デモはやっと1万人、もっと驚くべきことに内閣支持率が30~40%もあるという。韓国では事件発覚後、1ヶ月で大統領支持率が5%を切ったのとは雲泥の差だ。
これは、韓国が特殊なのではなく、日本が超特殊なのだ。まさに、「外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ」。『フランス・ジャポン・エコー』編集長で仏フィガロ東京特派員のレジス・アルノーは次のように述べている。
こういった行為が処罰されなければ、もはや政府を信頼することなどできなくなる。「もしフランスで官僚が森友問題と同じ手口で公文書を改ざんしたとしたら、公務員から解雇され、刑務所に送られるだろう。処罰は迅速かつ容赦ないものとなることは間違いない」と、フランスの上級外交官は話す。
また、改ざんにかかわった官僚の自殺、といった由々しき事態が起これば、その時点で国を率いている政権が崩壊することは避けられない。しかし、どちらも日本ではこれまでに起こっていない。麻生太郎財務相と安倍首相は、このまま権力を維持すると明言している。
(東洋経済オンライン「外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ」)

日本人のアパシーをもたらしたムラ社会
この日本人のアパシー(政治的無関心)はどこから来るのか? 考えてみれば、戦後の55年体制下で同じひとつの政党が30年以上、政権交代なしに与党であり続けたこと自体、議会制民主主義が正常に機能している国ではありえないことだった。そんな国は、結社の自由が認められていない社会主義国か独裁国家のうわべだけの議会制度でしかありえないことだ。私が「戦後民主主義」とかっこつきで戦後の体制を呼ぶゆえんだ。
その55年体制下で育った私は、永遠に続くかと思われるその自民党支配体制、中でも小学生から高校生まで続いた佐藤内閣にどれだけうんざりさせられ、息苦しさを覚えたかしれない。普通の政治的センスを持った他国の国民なら、別に失政がなくとも同一の政党が長らく政権に居座り続けること自体が耐えきれずに、政権を替えていたに違いない。こうした日本の特殊な政治体制と経済成長を、皮肉たっぷりに「唯一成功した社会主義国」と呼ぶ海外の学者もいた。
この日本人のアパシーは、江戸時代の封建制度に根を持ち、明治の近代化に温存されて強化された「長いものに巻かれろ」「郷に入っては郷に従え」という体制順応、思考停止、同調圧力、空気を読むムラ社会(民主主義社会とはおよそ対照的なもの)の産物といえよう。
しかし、だとしても、いわゆる戦後社会においては、ロッキード事件リクルート事件では当時の首相が退陣に追い込まれ、前者では田中角栄は有罪判決を受けている。両事件とも大変な疑獄事件だったが、森友事件、加計事件のように私利私欲と「お友だち」優遇のために権力を乱用し、そのためにウソをウソで塗り固めて犯罪行為を重ねていくほど悪質ではなかったように思う。しかも、田中角栄は日中国交回復や「日本列島改造論」など、評価は分かれるにしろそれなりの仕事をした首相だった。対するアベシンゾウは、改憲という祖父の遺訓実現のみを政治目的とし、そのために秘密保護法、集団的自衛権容認、「戦争法」、共謀罪法などで強行突破を積み重ね、外交ではなにひとつ成果を上げず東北アジアで孤立し、「アベノミクス」も完全破綻した。要するに、なにひとつ国民のためになる政策をこの5年以上の間に実行してきていない。

いじめ社会が生んだアベシンゾウ
では、なぜかくも政治が劣化し、アベシンゾウのような無能な極悪犯罪人がことここに至っても逮捕はおろか自ら国会で約束した首相辞任・議員辞職すらせず居座り続けることを許しているのか? そこには、彼のバックボーンである日本会議の強力な意志がはたらいているだろうことが容易に推測されるが、やはりそれをも許さぬ国民の意志が全くはたらいていないことの方が問題だ。
私たち、戦後民主主義のもとで日教組が強かった教育現場で教育を受けてきた世代は、まかりなりにも政治に対する批判力だけは培われてきたと思う。ところが、そこに日本会議をはじめとするこの国の極右勢力の粘り強い草の根運動が徐々に功を奏して、1970年代頃から日教組は骨抜きにされ、実質的に解体されていった。以降、教育現場には事なかれ主義が蔓延し、学校は、政治がタブーとされ、主体的に考え行動できる人格を育てる教育とは真逆の、ひたすら空気を読んで大勢に順応する奴隷のような人間を大量生産するムラ社会養成工場と化していった。
そして、そうした教育現場の荒廃が、学校のいじめ社会化をもたらすことになる。私たちの世代にとってはアベシンゾウは極めて特殊で非常識きわまりない人間と写り、私などやつのことを考えただけで吐き気がしてくるのだが、いじめ社会で育った人たちには、アベシンゾウはごくありふれた存在に過ぎないようだ。確かに私たちの時代にも、学校にアベシンゾウはいたが、彼がクラスを牛耳るようなことはなかった。しかし、いつのころからか、アベシンゾウがクラスででかい顔をし、何をしても許されるようになり、それに反発し、反旗を翻す子どもは、いじめの対象となるか、シカトされ排除されるようになった。教師たちもアベシンゾウの悪行を見て見ぬ振りをし、そのうち、あろうことかアベシンゾウを特別待遇し、賞賛する教師まで現われた。そして、子どもたちは学んだ。世の中をうまく生きて行くには、アベシンゾウに逆らってはいけない。アベシンゾウにうまく合わせて生きていくことが最上の処世術だと。
そうして子どもたちはアベシンゾウにへつらう一部の人間と、距離を置きつつ見て見ぬ振りをしてやり過ごす一部の人間を両極とし、多くの子どもたちはその範囲内でうまく立ち回ることを学んでいった。

社会化したアベシンゾウ
しかし、今から20~30年前までは、それは学校内だけの特殊な社会であり、実社会にはたしかに様々な不合理・不条理が満ちあふれてはいても、それを正す正義の装置が働いていた。職場には労働組合があって働くものの権利を守るために活動していたし、組合のない会社にもその影響力は一定程度及んでいた。だが、非正規雇用化が進み、労働組合の組織率がどんどん低下していくにしたがい、職場のいじめ社会化が静かに進行していった。そして、やがて職場にもアベシンゾウが現われ、職場に君臨するようになった。職場に不合理・不条理が蔓延し、労働者の権利は剥奪され、低賃金、長時間労働を強いられても、誰も文句を言えない空気が支配していった。学校でいじめを受けても、問題化されるのはその子が自殺したあとのみであるように、職場でも過労死して初めて遺族が問題化することができるだけとなった。
かくして、アベ政治になる前に、すでに社会はアベシンゾウに支配されていた。3・11で原発が爆発し、世界が脱原発に動く中でも、アベシンゾウ社会は誰の責任も追及せず、再稼働を目指した。
よく、過労死するほど過酷な労働を強いられ、みんな生きることに必死だから、政治のことなど考えている暇もないのだ、という主張を聞くが、それは一見もっともらしく聞こえる理屈ではあるけれど、歴史的事実に完全に反する。資本主義成立以来、世界の労働者は常にそのような過酷な労働を強いられてきたが、だからこそ労働者は団結して立ち上がり、自ら労働基本権を獲得してきたというのが、歴史的事実だ。思考力・判断力を奪うような労働の強制は、資本主義的労働ですらない。それは奴隷社会での奴隷労働だ。もしこの国の国民が、疲れてものを考える気力さえ奪われるような労働を強いられているのだとしたら、それは奴隷労働にほかならない。

ここでアベシンゾウを倒せなければ、やつが死ぬまで誰も止められない
私はまだ、完全にアベ退陣を諦めたわけではない。市民と野党の力で退陣に追い込めなくとも、9月の「自民党」総裁選でアベが敗れる可能性もある。そこまでは見届けたいと思う。
だが、アベがこのまま生き延び、9月の総裁選で再選されれば、もはやアベシンゾウを止めるものは何もない。9条のみならず、緊急事態条項、家族条項等を盛り込んだアベシンゾウと日本会議の悲願である「自主憲法」が必ずや成立するだろう。そして、おそらくアベシンゾウが死ぬまで、やつは権力を手放さないだろう。この国から完全に正義が消え去るだろう。
その時、私は海外移住、亡命、難民申請等、この国を棄てる道を探るだろう。

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