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社会学的ノベライズ本として読むべきーチョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』 [Korea]

51roAbTNwzL._SX344_BO1,204,203,200_.jpg「よくできた再現ドラマのノベライズ本」
一昨年、韓国で100万部のベストセラーになり、昨年末日本でも翻訳出版されるとたちまち5万部を売り上げたという本書、遅まきながら購入し、久々の韓国小説を読んでみた。
それまでにもいくつかの文学賞を受賞している作家であり、かつ名門・梨花女子大学社会学科を卒業して放送作家になった経歴の持ち主なので、恐らくあえてこのような構成にしたのだろうが、私に言わせると「よくできた再現ドラマのノベライズ本」といった趣で、小説としては失敗だと思う。精神科医のカルテ(orカウンセリング内容?)というかたちをとって描かれ、統計資料も随所にむき出しのまま無造作に挿入され、主人公が生きてきた時代の各年代ごとの象徴的な事件が生のまま物語に取り込まれるといった手荒な手法は、私にはとても首肯できない。たとえ、このような構成にするにしても、もう少していねいに主人公を造形化てほしかったという気がする。付言すれば、わたくし的にはキム・ジヨン氏が精神科に通って抗うつ剤と睡眠剤を処方されているという前提も気にくわない。

プロレタリア文学との類似性
著者がキム・ジヨンという韓国で最も多い女性の名前を主人公に命名し、他方、登場する男性は夫以外すべて家族関係の呼称か役職などで呼ぶという手法も、主人公に現代韓国女性の最大公約数的人格を与え、他方、男性はあえてそれさえ与えずに記号化したのだろうが、こうした手法は私に、古くは労働者階級(プロレタリア)の階級的属性を形象化した主人公を描くことによって階級対立と階級矛盾を浮き彫りにして階級闘争を鼓舞したプロレタリア文学の手法を思い起こさせる。もっとも、多くのプロレタリア文学の登場人物たちはあまりにステロタイプな階級性によって縛られすぎて、個性や人間味が捨象されていたことを考えると、この小説で描かれるキム・ジヨン氏は個性もあり、個人的に抱える悩みもある人間臭さが感じられる点はプロレタリア文学よりましだし、だからこそ、女性を中心とした多くの読者の共感を呼び起こしたともいえよう。だから本書は、現代韓国の女性問題についての社会学的ノベライズ本としては大成功を収めたのだ。おそらくこの本で提起された現代韓国の女性をめぐる諸問題を社会学の専門書なり、多くの女性に取材したルポルタージュとして出版していたら、これほどまでのベストセラーになることはなかっただろう。

相似形にある日本と韓国、だが日本に欠落している部分
主人公は1982年生まれだが、主人公の抱える問題、直面する問題は、恐らく韓国で女性の大学進学率が大幅に上昇した1980年代に大学入学期を迎えた世代から、現在成人を迎えた世代まで、かなり幅広い年齢層に共通する問題だと思う。そして、韓国の相似形として、それは日本においても同じことがいえる。多くの場合、今世紀に突入するまで、韓国は日本を20~30年後追いしてきたので、日本でいえば1970年代前半に大学入学を迎えた世代以降の女性に多く共通する問題であろう。だからこそ、韓国小説の邦訳としては異例のベストセラーになっているのだろう。もちろん、相似形ということは合同ではない。違いのひとつは、儒教の影響が色濃く残る韓国では、日本では高度成長期にいち早く核家族化して希薄化した家族の紐帯が未だに強いため、「嫁」が夫の実家によって受けるストレスは日本と比べものにならないほどだという点。だが、つい20~30年前までは、「韓国人男性と結婚して韓国に嫁ぐ日本人女性は大変」といわれていた状況は、その間に完全に逆転してしまったのではなかろうか? もともと、仕事中心に生きて家庭をおろそかにする日本人男性と違い、韓国人男性は仕事より家庭を大切にしてきた。共稼ぎ化が進むにしたがい、それまでの「男子厨房に入るべからず」といった儒教的慣習は廃れ、おそらく家事・育児参加率は今では韓国の方が日本よりましなくらいではなかろうか?
とはいえ、あくまで韓国と日本の社会は相似形なので、女性が職場で受けるセクハラや賃金差別、さらに女性に限らず、長時間労働、非正規雇用率、貧富の格差等、両国はどっこいどっこいの現状にある。
だが、日本社会が「失われた30年」を経て、そうした後進的面の改革にほとんど着手しないか、おざなりにしてきたのに対し、韓国はこの30年間のうちに、単に日本に追いつく経済成長を遂げてきただけでなく、制度改革、それに伴う社会・意識改革を着実に積み重ねてきた。そして、その原動力は、本書の登場人物を見ても分かるように、おかしいことをおかしいとはっきり言い、民主化によってひとたび勝ち取った権利を守り育て、行動してでもたたかいとっていこうという国民性にある。そこが韓国と日本を重ねたとき、日本に決定的に欠落している部分だ。
具体的に言えば、2016年から17年にかけて政権を私物化してきた朴槿恵大統領を毎週、100万、200万の市民が厳寒の夜にキャンドルを灯して集まり退陣に追い込み、その半分のエネルギーを担った女性たちが、その後、盗撮ポルノ問題や女性検事の上司からのセクハラ告発に端を発した各界でのMeToo運動へと引き継がれて、今、儒教倫理を引きずってきた韓国社会における女性の状況が大きく変わろうとしている。
そういう状況下で出版されたこの本がベストセラーになったのだ。女性読者は本書を読んで、「私もそう!」と共感した。一方、この邦訳を読んだ日本の女性たちはどう思うのだろうか。恐らく「(日本にもこういうの)あるある」とか「(日本にもこういうの)いるよね」と日本との類似性に共感は覚えても、はっきりと「私もそう!」とわがこととして捉え、考え、声を上げる人がどれほどいるだろうか? そこが日本と韓国の似て非なるいちばんの違いだと思う。
最後に、同じ韓国語翻訳者として、邦訳に関してはいいたいことが山ほどあるが、一般読者にはさほど関心のない問題だと思うので、あえて触れないことにする。

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