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ポスト資本主義革命は静かに始まっている!-『里山資本主義』 [Post capitalism]

私はこのブログに「Post capitalism」というカテゴリーを設けて、たびたび以下のようなことを述べてきた。

奴隷のように働いてわずかばかり稼いだ金をせっせせっせと消費する生活から降りることだ。ほどほどに働いて、少なく稼いだお金を効率的に消費して、満足のいく豊かな生活を送れるよう、ひとり一人が知恵を絞って生きることだ。そうした生き方が多くの人々に支持されるようになれば、困るのは奴らだ。モノが売れなければ景気が悪くなり経済はマイナス成長だ。それでもこの国には、すべての国民が健康で文化的に生きていける十分なモノがある。その分配の仕方をお上に頼んで変えてもらうのではなく、私たち自身で分配し、使い回し、長持ちさせるよう工夫していくのだ。

私は言いたい。若者よ、農村に行こう! そして、田を耕し、畑を起こし、自らの食を自ら得よ、と。幸いこの国には、農村部にはいくらでも耕す田畑が有り余っており、空き家もたくさんあるから、住む家も都会の十分の1くらいで買うなり借りることができる。考えてもみよう。暑さ寒さを防げぬ路上、窮屈なネットカフェ空間、マックの固い椅子、やっとありつけるコンビニ弁当や100円マックと、農村の澄んだ空気に広い土地、広すぎる居住空間、新鮮な野菜とご飯……のどちらが自然で人間的な生活を保障してくれるかを。
資本主義がその昔、農村の自給自足経済を破壊して、生活できなくなった農民を都市へと追いやって賃金労働者に仕立て賃金奴隷にしたのと逆の過程を、今こそ都市生活者たちは自ら主体的に行うべき時がきたのだ。

そして、そうした発想の延長上に、次のようなユートピアないしは桃源郷を夢想してみたこともある。

その村の人口が3千人くらいになるまで、移住を続けましょう。最初のうちは空き家も農地(休耕地)を含む土地もあり余っているでしょうから、移住はスムーズに進むでしょう。…実は移住した時から、クニづくりは始まっています。移住民の多くは、新天地で農地を買ったり借りたりして農業を始めなければならないでしょう。他にめぼしい産業も仕事もないでしょうから。…クニの最初の事業はエネルギーの100%自給です。…エネルギー自給の次に目指すのは、食料自給です。村は元々第一次産業でなりたっています。移住者の多くも、農業(沿岸地方なら漁業も)に従事します。そうして、加工品を除く食料の100%自給を早期に達成し、さらに200%、300%、つまり、外部への移出を目指しましょう。…村にはきっと、貴重な観光資源があることでしょう。しかし、おそらくそれを十分に活用していない可能性があります。さらに、今や村は革新的な実験に取り組む自治体として、国内のみならず世界的にも注目される地域になっているでしょうから、それを付加価値として観光資源化し、国内外にアピールしていくといいでしょう。そうして、村の財政を健全化し、豊かなものにしましょう。

satoyama.jpgところが、こうしたことは私の夢想ではなく、実はすでにこの国の目につきにくいところで、密かに、しかし確実に、深く始まっていたのだ! しかも、私のすぐ身近な場所で。
『里山資本主義-日本経済は「安心の原理」で動く』(藻谷浩介、NHKヒロシマ取材班著、角川oneテーマ21)という本は、NHKヒロシマ放送局が中国地方限定で放送したドキュメンタリー番組をもとにまとめた本だ。
本書では岡山県真庭市で製材業を営む中島さんのバイオマス発電ペレットの生産、新しい木材集成材CLT建築への取り組み、広島県庄原市の和田さんの木の枝を原料にしたエコストーブ、同じく庄原市の熊原さんの空き家活用と捨てられていた野菜の活用と地域通貨の流通、山口県周防大島の松嶋さんの「瀬戸内ジャムズガーデン」などを紹介しつつ、そうした個々の取り組みが「外に出て行くお金を減らし、地元で回すことができる経済モデル」であるとして、「マネー資本主義」に対抗してそれを補完する「里山資本主義」と命名している。また、こうした取り組みを国家レベルで行っている例としてオーストリアを取り上げ、その森林活用政策が脱原発とエネルギー自給へとつながっていることを示している。
上述した真庭市のバイオマス発電では、今年の2月に「真庭バイオマス発電株式会社」が設立され、2015年に稼働すれば真庭市の半分の電力をまかなえるようになるという。
本書では「里山資本主義」はあくまで「マネー資本主義」のサブシステムという位置づけだが、私に言わせればポスト資本主義社会へ向かうオルタナティブなシステムにほかならない。
TPPが発効すれば日本経済はアメリカを中心とした多国籍企業に食い荒らされ、第一次産業は崩壊、労働力はますます価値を下げ、雇用も縮小していくだろう。しかし、99%の人々はそんな日本の経済システムと心中する必要はないし、心中しないで生きる道がある。それが本書でいうところの「里山資本主義」であり、要するに都会で暮らしていけなくなった人々は地方へ、農村へ、山林へ行けばいいだけの話だ。そこには、住むための空き家と食べるために耕す農地(耕作放棄地)と、おいしくて安全な水と、燃料にするための木と、無縁社会とは無縁な地域のコミュニティーがある。そうして地域内のモノやエネルギーの循環ができあがれば、足りないのは工業生産物だけだが、それも都会で暮らしていたときよりはるかに少ない量で済むようになるだろう。さらにサービス業に至っては、ほとんど不要になるか、インターネットさえあれば用が足りるであろう。そして、それらに必要なお金は、地域内で生産されたモノに付加価値をつけて都会へ売ることによって得られる決して多くない貨幣で、十分にまかなっていけるのだ。
こうして真に地方分権的な国の姿ができていく。そうなれば、原発などが必要でなくなるのはもちろんのこと、官僚と無能な政治屋の支配する中央集権的な国家自体が無用の長物と化すだろし、多国籍企業に人々の生活が支配されることもない。
今年、首都圏から岡山市に移ってきた私は、里山への入口に立っている。私が20代、30代の若者だったら、迷わずその先へすぐにでも一歩を踏み出すだろう。都会でマネー資本主義の下、人間性も人権も、夢も健康も奪われて、日々の命をかろうじてつないでいる若者たちに、本書は理屈でなく、具体策として、今までと全く違う生き方があることを示してくれるだろう。
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