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安倍を倒すことができるのは市民連合ではなく市民新党だ! [Politics]

「市民連合」の楽観論
市民連合」が5日、東京・新宿駅前で初の街頭活動を行い、5千人が集まったという。「小林節・慶大名誉教授も「野党がまとまれば、確実に政権交代です」と訴えた。」(朝日新聞)
私は「市民連合」に悪意はなく敵対しようとも思わないが、小林氏の発言に代表される次期参院選(or同日選)への分析は、あまりに主観的楽観論だと断ぜざるを得ない。
ここで、日本の戦後の政治史を振り返ってみよう。1955年の自由民主党結党以来、この党が下野したのは1993年と2009年のたった2度しかない。しかもそれぞれ1年未満、3年余りで自民党は政権を奪還している。1993年の8党会派連立による非自民の細川内閣は、消費税を導入した竹下内閣が支持率一桁を記録し、89年の参院選で当時の土井社会党委員長に「山が動いた」と言わしめた自民党の過半数割れ、さらにその後の宮沢内閣の支持率低迷を受けて、「政治改革」を掲げた細川氏の日本新党をはじめとした新党ブームに乗って誕生したものだった。
そもそも米ソ冷戦構造の終焉とともに自民・社会両党の55年体制も終焉し、田中秀征氏が当時述べていたように、5年も自民が下野していればこの党は消滅していたであろうものを、連立内閣の自壊によってみすみす自民の復活を許したことが、その後の経済の「失われた20年」に対応する政治の「失われた十余年」を招くことになった。
そうして消費期限がとうに切れた自民党が20世紀に入り小泉純一郎によって「ぶっ壊」され(実際、郵政民営化で党内は分裂)、漢字の読めない情けない麻生首相が支持率15%に下がるに至って、2009年の民主党への政権交代が実現したのであった。しかし、この政権交代は、確かに小選挙区制のもとで「政権交代可能な2大政党」を掲げて10年以上党勢を伸ばしてきた民主党の力もなくはなかったが、それよりも、十余年延命してきた自民党がついに腐臭を放ちながらご臨終を迎えたに過ぎなかったというのが現実により近い。
一方、われわれが過去の政治史に学ぼうとするとき、以下のふたつの時代も見ておく必要がある。ひとつは今回同様、60年安保闘争の高揚の中で尊い犠牲者を出しながらも日米安保改定を強行した岸内閣が、直後に辞任しつつも、代わって登場した池田内閣が「所得倍増計画」を掲げ、同年11月の総選挙で296議席を獲得して政権維持に成功したこと。
また、その安保闘争以来といわれた国会周辺を10万以上の市民が埋めた、3・11を契機とした脱原発運動の高まりの中で迎えた2012年年末総選挙では、脱原発派は民主党を政権の座から引きずり下ろすと同時に、日本の原発推進政策を担ってきた自民党の復活をも許してしまったたこと。(*)
*もっとも、私は戦後、幅広い保守層を代表してきたかつての自民党は2009年の下野により最終的に消滅し、その後復活した「自民党」は安倍晋三=日本会議という極右・ファシスト集団に乗っ取られた「棄民党」と考えている。しかし、日本を実質的に支配する高級官僚とアメリカにとっては自民党の中身ではなく、戦後半世紀以上この国の与党であり続けてきた自民党という容れ物が必要なだけであり、実際その名前に未だ多くの国民が騙され続けている以上、「自民党」はあくまで「自民党」なのだ。
前者についていえば、60年当時国会を埋め尽くした大衆は30万人ともいわれ、2012年の脱原発デモ、そして2015年安保デモの規模を凌いでいた。こういうと、昨年夏、戦争法反対をたたかった人々は、「60年安保は学生、労働組合員らの組織動員、15年安保は自発的に立ち上がった自立した市民であり、その力は単純に数で比較できない」というだろうし、私も同感だが、この強みは選挙においては反転して弱みとなる。日本のみならず、浮動票が大きく左右する選挙においては、組織票の持つ基盤力が大きな財産になる。長い歴史を持つ共産党と公明党が、その組織力故に、栄枯盛衰の激しい政界の中で生き残ってきたのがそのいい例だ。
60年安保を主導した日本社会党は400万名以上の労働者を組織していた総評という労働組合のナショナルセンターに支えられていたし、共産党も強固な党員に支えられた組織政党だ。そのような社共両党と主流派全学連の学生たちも加わって30万人をデモに動員した組織力をもってしても、次の総選挙では負けたのだ。
そして記憶に新しい2012年の脱原発選挙である。自民もダメ、民主もダメなら、脱原発をたたかう市民が自ら市民政党を結成し、候補者を擁立し、共産党、社民党はもちろん、民主党内の脱原発派とも共闘体制をつくって選挙に臨んでいたら、たとえ自民第一党を許したとしても、今日のような安倍の暴走を許すことは防げたのではないか? 民主党を離党した小沢派と滋賀県知事の嘉田由紀子さんらが「日本未来の党」をぎりぎりになって立ち上げたが、本当は彼らも巻き込んで1年前に市民の党を結成して備えるべきだったのだ。(私は2011年秋からそう主張してきた。)
今回、そうした経験も踏まえて、反安保をたたかった市民らが「市民連合」を結成して、一歩政治に踏み込んでコミットしようとしていることは前進ではあるが、それでは不十分なのだ。

フクシマが問題の核心
先ほども少し触れたが、棄民党に変質した「自民党」を官僚とアメリカがなぜそれでも支えるのか、そのいちばんの理由は、私はフクシマにあると考えている。この国の経済社会に深く根を張った原子力ムラにとって、その利益を守るためには原発再稼働-原発推進政策の維持は曲げられない。かてて加えて、アメリカとその背後にある国際核マフィアは、軍事的意味においても日本の「平和的な核保有体制」の変更を望まない。さらに、今年事故後5年目を迎え、「5年経っていないから甲状腺がんは原発のせいではない」といったような屁理屈が通用しなくなり、さらに隠しようがないほど放射能の影響が顕在化するなかで、殺人的な「帰還政策」を推し進めるためには、完全な言論統制以外に方法はない。秘密保護法、安保法制、改憲へと突き進む安倍晋三のファナティックな情念が、不幸にもこのような原子力ムラ、国家官僚、アメリカ、国際核マフィアの思惑とシンクロしてしまったことに、今の日本の政治の悲劇がある。
かつてチェルノブイリ原発事故でいちばんの被害国となったベラルーシでは、ソ連崩壊以来、一貫して独裁体制が続いている。独裁体制によって隠蔽しなければならない不都合な事実が山のようにあるから、ロシアやアメリカ等、核・原発保有国はその体制を支えているのだ。
だから、たとえ安倍晋三が次の衆参両院選挙で勝利して全面改憲に踏み込み、独裁体制を完成させたとしても、従米路線を維持する限り、アメリカは安倍晋三を支え続けることだろう。
そうした安倍を倒す道はふたつしかない。ひとつは、100万を超えるデモが連日国会を包囲して政権を自壊させるか、あるいは市民自らが政党を結成して野党連合の選挙での勝利を導くか。
これだけ好き放題の狼藉の限りを尽くしても、安倍政権は依然40%前後の支持率を維持している。こうした状況で選挙に勝てると思うのは、主観主義も甚だしい。(*)
*世論調査自体が政府の情報操作だという陰謀論の見地に立っても、どうせ選挙も不正選挙で自民が勝つことになるのだから、結論は同じことだ。

脱経済成長の市民政党を
有権者が依然「自民党」の看板に騙されファシスト=日本会議の棄民党を支持するか、そうでなければ「魅力的な野党がない」と政治そのものを諦めているような状況を招いている原因のひとつは、与野党問わず、既成政党のすべてが20世紀型の政党であり、経済成長に支えられた資本主義体制の永続を前提にしていることにある。しかし、資本主義が終末期を迎え、これ以上の成長が不可能になりつつある中で、成長と金融資本と20世紀型産業資本優位の資本主義を前提としたいかなる経済政策も、1%の富裕層をますます富ませ、99%から収奪することでしか延命できないといった21世紀社会の寒々とした現実を、国民は肌を通して感じ取っている。だからこそ、どんな既成政党の言葉も国民の心に響かないのだ。
ひとくちに市民政党といっても、たとえば「市民連合」に結集している人々には穏健保守派から共産党支持者までいる、ひとつにまとめるのは難しい、というかもしれないが、ヨーロッパの21世紀型市民政党も多様な考えを持った市民団体や小党派の寄せ集めだ。多様性こそ政党そのものの役割を終えていく終末期資本主義の政治における政党のあり方にふさわしいのかもしれない。
日本の現実に引きつけていえば、「経済成長によらない持続可能なポスト資本主義社会をめざす」、といったような共通理念のもと、戦争法の廃止脱原発基本法の制定格差是正と富の公平な再分配くらいを具体的な政策として掲げるだけでいい。どうせ1回の選挙で第一党に躍進することはない。かつての日本新党のようなダークホース的存在になればいい。
ただ、もし野党連合が政権を獲得することを視野に入れるなら、総裁指名候補を明確に掲げて選挙をたたかった方が有利になるだろう。私にはその候補者として、山本太郎生活の党共同代表以外に考えられない。彼の若さ、行動力、政治へかける信念と情熱、その弁舌は多くの人を引きつけてやまないし、首相就任後も、官僚と正しくたたかい、アメリカと堂々と交渉する能力があるはずだ。

このように政治を話題にし、特に現政権を批判すると、何か特別視、危険視される傾向が、この国には昔から一貫してある。しかし、他の民主主義が保障された国では、このように国民ひとり一人が自分の政治的見解を明らかにすることは危険なことでも特別なことでもない。暴力革命を主張したり、テロを呼びかけているのでもない、合法的に政権交代をしようという話をしているのだから。ごく普通のことなのだ。そう思わない、ムラ社会を基盤とした国民の政治音痴・アパシーが、アベ政治の横暴を許し、やがて物言えば唇寒しの社会を招来するのだ。国民よ、市民よ、今こそ声を大にして政治を語ろう!

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