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3・11ー私たちが選びとった最悪の5年後 [No Nukes]

自覚した市民とムラ社会
2011年3月11日の大地震と大津波によって発生した東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故は、私の人生を大きく変える事件だっただけでなく、この国のあり方を激変させる歴史的事件でもあった。それは、長い「戦後」の「高度経済成長」と「戦後民主主義」「平和」な社会の中で眠り続けてきた人々の意識を覚醒させ、一部の人々を市民としてデモに駆り立てた。しかしそのデモは、「デモのできる社会」を実現し、デモを日常化させはしたか、それは半面、人々をデモに駆り立てざるをえないような社会状況の出現の反映に過ぎず、「デモによって社会を変える」までには至らなかった。デモによって社会を変えるには、デモする市民を支持する広範な市民社会の海が必要だが、この国に市民社会は不在であり、代わりに存在するのは地縁、社縁、利益縁等で結びついた複雑多様なムラ社会であった。市民社会が水のように個々の自立したH2O分子のサラサラした集合体であるのに対して、ムラ社会は油のように人々をがんじがらめに絡め取る「絆」で縛り付けられた有機物であり、デモする市民はそのようなムラ社会とは溶け合うはずもなく、完全にはじき飛ばされるだけだった。

高市発言は3・11後のマスコミ報道によって予め担保されていた
3・11後、テレビ、新聞等マスコミは、原子力ムラ御用達の「学者」を多数登場させ、官房長官の「直ちに影響はない」発言を援護射撃する「放射能は怖くない」キャンペーンで多数の国民をいたずらに被曝させる犯罪の共犯者となってきた。
その後、一部のマスコミは、3・11以前の「原発安全神話」への荷担を認め反省し、脱原発へと転じたが、放射能に対するスタンスだけは、マスコミ上げて3・11以降一貫してきた。中には「死の街」発言の揚げ足を取って「放射能つけちゃうぞ」発言をねつ造して経産相を辞任に追い込む陰謀に積極荷担するマスゴミまで現れた。そうでなくとも、ICRP(国際放射線防護委員会)基準をさらに緩めた政府の様々な基準(福島県内の様々な放射線基準や食品基準値等)を無批判に受け入れ垂れ流した。それでも最初の1、2年はNHKをはじめ放射能を特集する番組や記事も見られたが、2014年の「美味しんぼ」鼻血問題を巡ってマスコミあげてのバッシングがなされて以来、放射能はマスコミのタブーと化してしまった。
その後も、福島の子どもたちの甲状腺がんの報道はなされたが、どれも政府の「原発事故との因果関係は認められない」という見解を一方的に報じるだけで、問題を多面的に掘り下げて行う報道はほとんど見られず、そのような報道を行った番組は政府からバッシングされ、最終的にキャスター降板へと追いやられた。事故後5年が経ち、今後ますます健康被害が深刻化していくだろうが、もはやマスコミにはそうした被害の真相を報道することを期待できない。ICRPやWHO等がチェルノブイリで唯一因果関係を認めた甲状腺がんについては、今後も国や県の発表をそのまま垂れ流すことはするだろうが、その他の健康被害は、たとえ報じることがあるとしても、意図的に放射能との関連に触れない報道になるだろう。現に昨年あたりから顕著になり始めた首都圏の交通機関内での急病人の発生について報じたマスコミは皆無であり、唯一報じられたのは、急病人の発生に備えて東京駅に救急車が配備されたという報道のみであり、もちろん放射能どころか、最近鉄道内で急病人が多発し救急搬送が増えているという事実すら伏せられた。
このように、マスコミの放射能を巡る報道はきわめて一面的であり偏っており、公平さに欠けている。真実を追求し真相を解明して報道しようというジャーナリズム魂のかけらも見いだせない。こんなマスコミに、高市早苗の恫喝に対してジャーナリストの使命と誇りを賭けてたたかうことなど期待できようか? 個々の記者やジャーナリストはともかく、総体としてのマスコミには断じて否と答えざるを得ない。高市早苗の薄気味悪い薄ら笑いは、それをとうにお見通しという余裕すら感じられる。

衆参両院3分の2と改憲は、2012年12月16日に決せられた
市民社会の海ならぬムラ社会の油ではじき飛ばされた市民のデモは、政治を何も変えることができなかった。3・11当時の最高責任者=菅首相が「脱原発依存」を打ち出すや猛烈な「菅降ろし」が吹き荒れ、「野田選挙管理内閣」に取って代えられた時に、すでにその方向は決しつつあった。その野田が福島の「冷温停止状態」を宣言し「復興」への地ならしを行うや、2012年11月に「自爆解散」を行い自らの使命を終えた。
本来なら安倍晋三は、宗主国=アメリカにとっては好ましからぬ人物で、だからこそ第1次安倍内閣は短命に終わったのだが、「原子力緊急事態宣言」下の日本にとっては、彼ほど都合のいい首相はいなかった。なぜなら、これから少なくとも30年は続く「原子力緊急事態」体制を乗り切っていくには、安倍晋三の反民主的な極右思想はうってつけだったからである。
チェルノブイリ事故後、事故の最大の被害国であったベラルーシでは、ソ連崩壊後成立したルカシェンコ独裁体制が20年以上続いている。原発事故によって生じる不都合な真実を隠蔽し国民と国際社会を欺き続けるためには、そのような体制が最も都合がいいからだ。それはもちろん、この国の原子力ムラにとっても同じこと。
今後、「美味しんぼ」の雁谷哲氏のように社会的影響力のある人物が不都合な真実を述べたなら、ベラルーシでバンダジェフスキー元ゴメリ医科大学学長に陰謀事件をでっち上げて投獄したように黙らせればいいだけの話だから。もともとこの国は、その種の陰謀事件のでっち上げは得意だから、そうとなれば、東電捜査にはついに動かなかった特捜が大活躍することだろう。
チェルノブイリの第2の被害国であるウクライナでは不安定な政情が続いている。それを考えると、宗主国=アメリカのみならず、同じ原子力・核マフィア構成国のロシアや中国にとっても、安倍政権は都合のいい存在に違いない。
かくして2012年12月16日の選挙結果によって成立した安倍政権は、誕生した瞬間、原発再稼働はもとより、彼の個人的悲願である改憲まで含めた長期政権を保証されたといっても過言ではない。2013年の秘密保護法に始まり、2015年の安全保障関連法、その国会審議過程でどさくさ紛れに強行された川内原発1、2号機の再稼働と続いた道は、今後、夏の衆参同時選挙での改憲勢力の3分の2の獲得、改憲国民投票へと既定路線をまっしぐらにつき進むことだろう。

改憲国民投票は必ず成立するだろう
今の情勢では、例え民維合併がなされ4党による万全の選挙協力体制が構築されても、それによって参院選、衆院選での与野党逆転はおろか、改憲勢力3分の2の阻止さえおぼつかない。「でも、まだ改憲のための国民投票があるではないか」と思っている人がいるとしたら、大間違いだ。彼らはなぜ憲法違反を承知でマスコミにことあるごとに介入し、電波停止までちらつかせるのか? ずばり言って、改憲国民投票の時、自由な言論を封殺する体制を予め構築しておこうとすることにほかならない。おそらく、改憲国民投票時には、「不正投票」云々以前に、投票へ向けた自由な議論は全く保障されていないと考えなければならない。高校生が学校の内外で改憲議論をしたりデモをしようとすれば学校当局が介入して首謀者は退学を含む厳しい処分を下されるかもしれない。大学とて似たような状況におかれかねない。もし、改憲議論をしようとする労働組合があるとすれば、「違法な政治活動」というような労働法の「拡大解釈」によって規制され、経営陣によって首謀者は解雇されかねない。また、たとえ連日国会周辺を10万を超える人々が取り囲むようなことがあったとしても、もはやそれを報じるマスコミは皆無だろう。代わって、「憲法改正国民大会」のような草の根右翼の集会や町内会・農協・ご用組合等の地域・職場のムラ組織を動員した官製集会が連日華々しくテレビ、新聞を賑わす一方、バラエティー番組や連続ドラマに遠慮するように夜遅い時間に申し訳程度に放送された改憲をめぐるNHKの討論番組では、改憲賛成派と「改憲懐疑派」が退屈な討論を形式的にたたかわせ、改憲賛成派優勢の状況で番組は終わる。こうした中、世論調査も回を追うごとに改憲賛成が反対を追い上げ逆転していくことだろう。
世界中のどの民族よりも空気を読むのが得意な国民のことだ。こうした流れの果てに行われる国民投票は、不正などはたらかなくとも結果は知れている。
かくして安倍終身政権の完成となる。アベノミクスは完全破綻し、日本経済はますます衰退の一途をたどり、日本は朴正煕時代の韓国、マルコス時代のフィリピン、スハルト時代のインドネシアのような開発独裁ならぬ衰退独裁国となり、欧米諸国から無視されるか、TPP等によってとことん食い尽くされれいいようにもてあそばされるだけの国に成り下がるだろう。
そして、20基以上が再稼働した頃合いを見計らって起きるであろうM8以上クラスの次の地震で第2のフクシマが現実のものとなって滅亡への道をたどるか、そうでなくとも急速な衰退の道を転がり落ちていくことだろう。国民生活は社会保障制度の破綻によって格差がますます深刻になり、貧困が死と隣り合わせのものになるだろう。福島は完全に棄民政策の犠牲となり、50mSv以下の地域への帰還が強制され、一切の病死や発病は放射能との因果関係が否定され、その件についてマスコミで報道されることも全くないだろう。

3・11は「失われた20年」と決別し、21世紀にふさわしい新しい日本へ飛翔する最後のチャンスだったかもしれない。しかし、私たちが選択した未来は、それとは180°反対の滅びへの第一歩だった。あれから5年の歳月が流れ、私たちの目の前に広がる荒野を見渡す限り、どうしてもそのような結論を下さざるを得ない。


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