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根拠なき発達障害の乱造を超え、個性・才能を引き出す教育へ! [etc.]

つくられた発達障害
発達障害という言葉が独り歩きしている。テレビ・新聞等でも頻繁に目にし耳にするし、教育現場ではごく日常的に流通している。だが、元を正せばこの言葉、2005年の発達障害者支援法施行前後から流行し始めた言葉だ。
そもそも、「発達障害」という障がいはない。自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)などを一括りにした便宜上の言葉に過ぎない。しかも、広義の「自閉症」を除いて、その他の「障がい」は昔からあった概念ではない。アメリカ精神医学界で生物学的精神医学(つまり、心の病は脳の病気だから薬によって治す、とする製薬業界が主導してきた学説)が主流となって以来、アメリカ精神医学会のDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)に登場した「障がい」だ。特に最も多くの子どもがそれに該当し、治療の対象とされてきたADHDについては、それをつくり出した当事者自らが、「つくられた病気の典型的な例」と認めるような代物なのだ。
その発達障害という言葉が日本では、何の疑いもなく正統性をもって流通し、「通級指導を受けている発達障害児が9万人超え、20年あまりで7倍増」などと言われる。そして、その原因として、ワクチン接種やサプリメント、空気中の汚染物質の影響等が真面目に語られている。
これはちょうど、成人のうつ病患者がこの十数年間で2倍以上に激増し、その原因として、景気低迷による職場環境の悪化などがあげられているのと同じ構造だ。
しかし、伝染病でもない限り、ある病気や障がいがこんなに激増することは、普通考えにくい。あるとしたら、フクシマ原発事故による放射能汚染によって引き起こされるだろうがんをはじめとした各種疾病等のように、かなり深刻な原因以外には考えられないだろう。
うつ病患者の増加については、今日、新型抗うつ薬のSSRIの発売に合わせた製薬会社のうつ病キャンペーンとメンタルクリニックの増加がその真の「原因」であることが明らかになっている。発達障害児の増加も、冒頭述べたように、発達障害者支援法の施行と特殊学校・特殊学級が特別支援学校・特別支援学級と名称を改めて、そこに「発達障害児」が追加されたことが「原因」であることが明らかなはずなのに、原因と結果が逆立ちして社会通念化されている。
それ以前、日本でも北欧で始まったノーマライゼーション、つまり、高齢者や障害者などを施設に隔離せず、健常者とともに助け合いながら暮らしていくのが正常な社会のあり方であるとする考え方が広がり、一時期、東京足立区の脳性マヒ児・金井康治君(故人)の普通学校就学運動に象徴的だったように、「障がい児を普通学級へ」という運動が広がった。ところが、発達障害者支援法の施行以降、日本の教育現場ではノーマライゼーションと逆行し、「発達障害児」を含めて、すべての「障がい児」の隔離教育が推し進められてきた。普通学級に在籍する子どもも、前述した「通級指導」によって「隔離」されている。
これは、世界一激務と言われる日本の教師たちにとっては、ある種渡りに船だったかもしれない。なにせ、授業の妨げになり、クラスひいては学校の学力向上の文字通りの障害となってきた一部の子どもたちをADHDやLDとして隔離できれば、スムースな学級運営ができる。また、隔離できない場合でも、直接親に、あるいはスクールカウンセラーを通して「おたくのお子さんは発達障害だから児童精神科医に診てもらってください」と勧めれば、親はうろたえてその通りにし、薬を処方された子どもはおとなしくなってクラスに迷惑をかけなくなる。こうして親も、意図することなく、むしろ子どもを思うが故に、教師と共犯関係の加害者にされていく。
自分の子どもに発達障害児の烙印を押された親たちは、かつての障がい児の親たちのように、ノーマライゼーションを求めるのではなく、クラスの生徒や教師に迷惑をかけないよう、子どもに服薬をさせ、特別支援学級や通級指導を積極的に希望するようになる。
こうして、かつては「少々手のかかる子ども」「落ち着きのない子ども」に過ぎなかった子どもたちが発達障害の烙印を押され、人生を鎖で繋がれていく。

「障がい」からの解放とは?
発達障害者支援法が施行されたちょうどその頃、私は偶然、場面緘黙症という言葉を知り、自分の幼少期がそうであったことを悟った。私は驚きとともにある種の感動を覚えた。なぜかといえば、それまで幼稚園から高校まで地獄のような学校生活を送ってきたのは「特殊な自分だけの体験」であったと思い込み、緘黙という症状は成長するとともに消えたものの、以降も社交不安障害、あるいはもっと広汎な不安障害に悩まされる中、人と思うようにコミュニケーションが取れないことが、自分にとってはどうしても克服できないある種の「障がい」という意識がありながら、周囲にはそのことが理解されず、性格の問題、勇気や努力が足りないから、というように見られてきたことにどうしようもないもどかしさを抱き続けてきたのだが、そうした過去のわだかまりが場面緘黙症という言葉に出会うことによって一気に氷解したからだ。自分はひとりではないという喜び、ありのままの自分でいていいのだという安心感、自分をがんじがらめにしてきた呪縛からの解放感。それと同じような感想を、私は成人して自分がアスペルガー症候群だったと知った人々からも聞いたことがある。
本来、発達障害者支援法は、そのように生きづらさを感じている子どもたちに、「君は君そのままでいていいんだよ」「君の個性を伸ばせばいいんだよ」と支援するものであるべきだろう。落ち着きがなく、集中力のなのい子ども、勉強についていけない子どもはもちろん、自閉症の子どもたちも、普通学級の中で、他の子どもたちと問題を共有しつつ成長していけるような場をつくっていくことが、本来の教育ではないのか?
確かにこれは、日本の教育現場では理想論かもしれない。だからこそ、文科省は問題のある子を教室から隔離し、おとなしくさせるのではなく、年来の課題である30人学級を実現し、複数担任制や特別支援教師を教室に配置していく教育の実現を目指すべきだろう。
それだけではない。日本の戦後教育は、確かに「悪平等」のきらいがあり、だれでも同じ内容の教育を等しく受けて、ランク付けしていくシステムだった。それは、資本主義体制下の教育システムとして、「社会に役立つ人材」を様々にふるい分けして養成していくという資本の論理にかなうシステムでもあった。
だが、そうした体制が終わりを迎えつつある現在、悪平等の教育は解体し、各自の個性、能力、才能を最大限に引き出すような自由な教育システムへと移行していくべきではないのか? そうすれば、「障がい児」を隔離することなく、障がいのある子もない子も自分に合ったカリキュラムを自由に選べばいい。「クラス」という悪平等の弱者排除のシステムは解体されるべきなのだ。
教育の場がそのようなものになった時、ADHDとかLDとかの名前は何ら意味をなさないものとなるだろう。アスペルガーの子などはとてつもない才能を見いだせるかもしれない。その他、重度の心身に障がいを抱えた子どもたちも、そうしたシステムのもとでは思いもよらないような才能を開花させることだろう。そして、いじめも不登校も引きこもりも、おそらく急速に消えていくことだろう。
これは単なる私の夢物語にすぎないのだろうか? 欧米はじめ、海外の教育現場では、すでに学校教育はそのような方向へと向かいつつあると思うのだが。






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