SSブログ

(長期連載)ロボット社会の到来とベーシックインカム⑥ロボット労働の対価を支払え! [Basic income]

日本人の「勤勉」という業病が妨げるベーシックインカム
 しかし、今日日本が経済先進国のなかで、財政赤字、経済成長率、貧困率(特に子どもの貧困)等、様々な面で最悪のレベルにあるという現実をはっきりと認識していない国民が多いなかで、以上のような「革命的」ともいえる改革を選択しうるのかという実行実現性の面から見ると、主要政党のどこもベーシックインカムの導入を掲げていない現実とも相俟って、きわめて悲観的にならざるを得ない。*
*国政政党としては、かつて新党日本がひとり当たり月5万円のベーシックインカムを主張、また、みんなの党はベーシックインカムと似た「ミニマムインカム」を選挙公約に掲げた。そのほか、2013年の参議院選挙に10名の候補者を立てて確認団体として臨んだ緑の党もベーシックインカムを掲げている。その後、2016年の参議院選挙で、生活の党と山本太郎となかまたちは「重点政策」で「最低保障年金のあり方を含め、生活をしっかり支えるベーシックインカム制度の導入を進めます」とした。しかし、日本の国政政党はすべて、「経済成長神話」、つまり資本主義の永続を前提に政策を立案する20世紀型の政党であり、資本主義の終焉という21世紀の世界が直面する事態に正面から向き合い、そこからいかに未来を展望していくかといった哲学も長期的ビジョンも持ち合わせていない。そのことが、有権者の政治離れと諦念を招く最大の要因になっていると私は考えている。

財政・経済破綻が先か、ベーシックインカムが先か?
 あの東京電力福島第1原子力発電所の事故を目の当たりにして、遠くドイツをはじめとしたいくつかのヨーロッパの原発保有国が脱原発を選択したにもかかわらず、当事者であり、かつ世界一の地震国・火山国という最も危険な立地条件にありながら脱原発を実現できなかったニッポンのことだ。
 私は、この国が今後脱原発を実現するには、第2の、しかし破滅的事態に至らない程度の〝フクシマ〟を体験するか、もしくは電力自由化、総括原価方式の廃止、発送電分離等により、旧来の地域独占電力会社にとって原発を維持することが廃炉を選択することより重荷になるか、ないしは新電力の伸張により経営が厳しくなりそれ以上原発を所有する力がなくなるまで(それまで第2の、そして破局的な〝フクシマ〟が起きないことが前提だが)、無理だと思っている。
 ベーシックインカムも同じようなものだ。今後、経済のゼロないしはマイナス成長が続いて1人当たりGDPが途上国並みに下落したり、生活保護受給者のさらなる増加によって生活保護費用がもっと切り詰められる等セーフティーネットが機能不全に陥ったり、年金破綻が取り繕いようもない現実となったり、国民皆保険制度の破綻によって〝医療難民〟が激増したり、あるいはシングルマザーや子どもの貧困率がもっとひどくなり、子どもたちが学校に通えなくなるどころかストリートチルドレンが街に溢れる等々、相対的貧困というより絶対的貧困といった方がふさわしいような状況に至ってようやく、「日本も欧米諸国や途上国に広がっているベーシックインカムを真剣に検討しよう」という雰囲気が醸成されるようになるのかもしれない。あるいは私がここで提唱した「積極的デフォルト」を選択するより先に、財政破綻が決定的になり、現実的にデフォルト的状態に陥って取り返しのつかない事態に直面するまで無策を貫くのか……。

倫理的タガでなく自己規律としての「働かざる者食うべからず」
 日本人は「勤勉さ」という国民性=国民的病を抱えている。これは戦後の高度成長期に「エコノミックアニマル」と呼ばれた時期特有の病理ではない。明治期の資本主義成立期、いや、それに先立つ江戸時代から、日本人は「勤勉な民」だった。*
*歴史家・思想史家の渡辺京二は、幕末期の日本人について、「日本人の労働における勤勉と忍耐は何よりも農業に現われており、そのみごとな成果は一様に外国人たちの感嘆の的となっていた。」(渡辺京二著『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー552)と述べる等、農民のみならず、町人も含めた日本人の勤勉さを、当時日本に滞在していた外国人の残した記録をもとに描いている。
 日本人の業病ともいっていいこの勤勉さは、ベーシックインカム導入の最大の妨げとなるだろう。この国では「働かざる者食うべからず」は資本家が労働者階級の「怠惰」を防ぐために考え出した倫理的タガではなく、労働者自らが自己を律する規範であった。そうした国民にとっては、労働の有無に関わらず、すべての国民に等しく与えられるベーシックインカムという考え方は、なかなかなじまず受け入れにくいものかもしれない。

予想される官僚らの反対
 日本でベーシックインカムの導入実現を阻むものはほかにもある。それは官僚機構だ。日本の国家権力を実質的に支配しているのは、政権与党ではなく官僚機構だということは、すでに多くの識者らが指摘してきた。また実際に、2009年から3年余り続いた民主党政権が敗北した要因のひとつも、この官僚機構にメスを入れようとして抵抗され、失敗したためであった。
 明治以来、この国で大きな実権を握ってきて、戦後も政党政治を陰で操ってきた官僚機構は、「積極的デフォルト」への財務官僚をはじめとした官僚組織の反発、特別会計の廃止により各省庁の利権構造が壊されることへの反発にとどまらず、ベーシックインカムそのものにも猛烈に反発して、それを潰そうとすることが予想される。それは、ひとつにはベーシックインカムによって従来の厚労省が管掌する社会保障制度が根本的改変を迫られるからであり、そのことは様々な福祉利権に群がってきた業界とそれと癒着してきた官僚たちにとって死活問題になるからであり、それだけでなく、国の福祉政策のベーシックインカムへの統合化は官僚組織の合理化=人員整理を不可欠にするからでもある。
 私が本稿で主張しているベーシックインカムは、新自由主義的ベーシックインカム論とは異なり、すべての社会保障制度をベーシックインカムに一元化するものではないが、それでも年金、雇用保険、生活保護等、既存の多くの社会保障制度を不要にする。
 日本ではスイスのような国民投票制度がないが、ベーシックインカムを実現するためには、圧倒的な国民的支持が不可欠であり、官僚機構による圧殺を阻止するためには、国民投票のような手続きを経ることがどうしても必要だと思われる。

ロボット労働は公共財。「ロボット労働の対価を支払え!」
 しかし、ここで改めて考えてみたい。マルクスは労働力を商品だといった。企業の側も労働力を商品として扱う。そして、資本主義社会において自らの労働力以外に財産を持たない人間は、労働力を売ることによってその対価として貨幣を手に入れ、消費財を購入する。資本主義社会は基本的に、そのようにしてすべての国民が生きることを保障する。そしてその枠組みからはみ出したわずか一握りの人々には社会福祉という〝恩恵〟を施すことで生存を保障する。だから、資本主義社会においては、労働は権利でもあり義務でもある。まさに「働かざる者食うべからず」である。
 ところがIT革命以降のイノベーションの結果、人間労働がロボット、コンピューター、AI等に取って代わられ、絶対的過剰人口がどんどん増加していく。もはやそれらの人々は社会福祉の範疇ではカバーしきれなくなる。
 一方で、人間労働には賃金という対価が支払われたが、ロボット、コンピューター、AI等の〝労働〟には一切の対価が支払われない。事実上の不払い労働だ。もちろん、それらを生産するためには多くの費用が投入されるが、それらの費用はある段階ですべて回収され、それ以降のロボット労働は不払い労働となり、生み出された財はすべてその所有者のものとされてしまう。今日の貧富の格差拡大、1パーセント対99パーセントの対立の根源はここにいきつく。この不合理は、将来ロボットが意思をもって、「私の労働の対価を支払え!」と要求する日まで棚上げにされるのだろうか?
 人間は労働力商品である前に、人間自身である。そして本稿の冒頭でも述べたように、すべての人間は生まれながらに生きる権利=生存権を有している。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」のである。「ロボット労働の対価を支払え!」と要求すべきなのは、ロボット自身ではなく、すべての国民、とりわけロボットたちに自らの労働を奪われた人々のはずである。「ロボット労働の果実=財産を独占するな!」と。それは一種の公共財(public goods)なのだ。
 公共財(public goods)は万人が等しく分かち合うべきものである。それがベーシックインカムの根拠だ。

国境を越えた域内ベーシックインカムから全世界ベーシックインカムへ
 前述したように、現実的にベーシックインカムはすでに実験段階に入りつつあるヨーロッパ諸国で最初に導入され始めるであろう。「社会福祉からベーシックインカムへ」が、西欧諸国の今後の流れとなるだろう。
 しかし、経済がグローバル化したなかで、一国単位でのベーシックインカムは矛盾を生むだろう。タックスヘイブン等へ富裕層の財産が今以上に流出する可能性がある。一方で、ベーシックインカムを求めて、まだベーシックインカムが実施されていない国からの移民や難民の流入が発生する事態も予想される。そうすると、ベーシックインカムの支給対象をどこまでにするかという問題も生じるだろう。
 そうした諸問題に有効に対処するために、ヨーロッパならEU諸国での共通ベーシックインカムの導入等、域内ベーシックインカム化や、トマ・ピケティが提唱する「世界的資本税」等、国境を越えた国際税制の創設も検討に値する。
 そうして経済先進地帯のベーシックインカムと途上国のベーシックインカムが世界地図を埋め尽くすとき、資本主義はその歴史的使命を終え、ベーシックインカムがポスト資本主義時代への架け橋としての役割を果たすこととなる。

BI2.jpg


BI革命.jpg

nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 1

Buy generic cialis

沒有醫生的處方
cialis 100mg suppliers http://cialisyoues.com/ Cialis sans ordonnance
by Buy generic cialis (2018-04-14 09:37) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。