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#MeToo Movementは人類究極の最終革命 [Criticism]

ヒトがヒトになる以前から、女性は常に男性に抑圧され、支配される存在だった
昨年、世界中に広がった#MeToo Movementは、人類がこれまでに経験してきたいかなる革命よりも根源的であり、永続的たりうる人類究極の最終革命といってもよい。なぜなら、女性は平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」ではないが、なるほど人類史において母系社会、母権社会は存在したし、また、マルクスのいう「原始共産制社会」においては、階級社会におけるよりも女性の社会的地位は相対的に高かったかもしれないが、人類をヒトという生物学的次元で考察すれば、ヒトがヒトになる以前から、女性は常に男性に抑圧され、支配される存在だったからだ。
動物界ではオス・メスの力関係は一様ではなく、ペアリングに際しても主導権を握るのは種によってどちらの性でもありうるが、少なくとも哺乳類の肉食動物、雑食動物では、雌雄の役割分担からオスが優位に立つ場合が多い。また、哺乳類はメスが妊娠・出産・授乳を担わなければならないため、体型もそのために特化し、オスは狩りにおいて主導的役割を果たす。また、ヒトの場合、男女の身長・体重比は女性が男性よりそれぞれ1割、2割ほど少ない。
また、ヒトに最も近いチンパンジーにも見られるように、肉食哺乳類ではオスが交尾目的に子育て中のメスを狙って他のオスとの間に生まれた子どもを殺すケースがしばしばある。ちなみに、ヒトでもシングルマザーと同居する継父による連れ子への虐待死が後を絶たないが、それはそのような動物的本能に根ざすもので、極めて根が深い問題だ。

「人間性」の二面性を直視せよ
ついでにいえば、動物界では同類同士の殺し合いはこの子殺しを含め、交尾を目的としたメスをめぐるオス同士の争い以外には縄張り争いでたまに見られる程度で、それらにも歴然としたルールがあって、そのルールによって負けたオスはいとも簡単にメスを諦めるものである。ヒトのように、そうした理由でなく、他の理由で、あるいは理由もなく同類を殺す動物は、自然界広しといえども人類以外には見られない。ちなみに、縄張り争いに起源を持つ戦争は、文明が進めば進むほど歯止めを失い、ついに第2次大戦では数千万レベルの殺戮を繰り広げるに至った。こんな残忍、残酷な動物は類を見ない。「鬼畜」という言葉があるが、人間が考え出した想像の動物である鬼、人間の悪の象徴ともいえる鬼はともかく、畜生、つまり獣にも、人間ほど残酷、残忍に無意味な殺戮を行うものはいない。
ちなみにその殺人にしろ、戦争を除いても、8割は男が行っている。その他の犯罪行為もだいたい8割は男による犯行だ。性犯罪に至っては9割以上が男性といわれている。
「人間性」という言葉がある。辞書を引くと「人間を人間たらしめる本性。人間らしさ。」(大辞林)などと出ている。多くの人がこれから想像するだろうように、そして実際に多くの場合そのようなニュアンスで用いられるように、「人間性」とは他の動物と峻別される人間の優れた特性、つまり、理性的で、知能的で、かつ情緒豊かで他人への思いやりもある、愛情あふれる存在…というような意味合いの言葉だ。しかし、だとしたら、これほど人間の傲慢さ、自惚れ、主観性を表わす言葉もない。これが「人間性」の一面だとしたら、もう半面は他の動物のだれよりも残忍、残酷、自己中心的、破壊的で、暴力支配的なのが「人間性」にほかならない。

フェミニズムさえ避けてきた男女問題の核心に切り込む#MeToo
そして、ヒトがチンパンジーと枝分かれする前から、その社会を常に支配してきたのが男であり、女は男が支配し、思いのままにする対象であった。そして、性行為においても、その支配的地位にある男がほとんど主導権を行使してきた。そして、時に暴力的に……。
確かに、時代によっては女性の地位が相対的に高く、女性の人権が相対的に守られていた時期もあるが、それはあくまで相対的な問題に過ぎない。また、そうはいっても人間は上述したように相矛盾した二面性を抱える動物なので、多くの男たちは女性に対して支配的地位を維持しながらも、時に優しく接し、男女の恋愛感情の結果、双方の合意のもとに結ばれ、子どもをつくるのが一般的である。だから、女性にとっても大局的には男性社会の支配を受けながらも、個人的には恵まれた夫婦関係を結ぶ者も少なくない。
だが一方で、一定割合の男は、「人間性」の悪しき一面が肥大化し、よき面が退化した者がいる。そういう男は、「人間らしい」思いやりも相互作用的恋愛感情も持つことができず、女性を性欲の対象としてしか認識できず、そのために物理的暴力によって絶対的支配権を行使する。つまり、DVやストーカーという犯罪行為に走る。そうした男は社会のあらゆる領域、貧富の差や政治的思想信条等にかかわりなく存在する。
痴漢や軽微なセクハラも含めたこうした性犯罪行為は、従来はたいてい見て見ぬふりをされ、社会に顕在化することがなかった。その被害に遭った女性は、〝不運〟としてそれを甘受し、一生その傷を抱えて生きていくしかなかった。恐らく、痴漢、セクハラも含めれば、一生のうちに一度も性被害を受けたことのない女性はほとんどいないのではなかろうか?
そうした、何十万年、それ以上続いた人類史の男支配構造の不条理に勇気を持って真っ向から異を唱え立ち向かったのが#MeToo Movementだ。これは、フェミニズムやそれに先立つウーマンリブ、女性参政権運動等でさえ、あえて触れようとしなかった領域に属する問題だ。
それは1年、2年で終わるべきものではなく、今後、数十年、あるいはそれ以上の長きにわたってたたかわれていくべき永続革命だ。それは悪しき「人間性」に支配された男の犯罪を世界から撲滅していくたたかいであると同時に、人類が持つよき「人間性」を全面開花させていき、男性中心社会に終止符を打ち、真の男女共生社会をめざす人類究極の最終革命でもある。

人類は自滅、絶滅への道をたどるのか?
しかし、だからといって人類に背負わされた正邪二面性の自己矛盾はそうそう簡単に克服できるものではあるまい。また、男だけが悪で女はすべからく善なわけでもない。この矛盾に満ちた人間存在をいかに止揚していけるのか? その着地点は未だ見えないし、この革命自体が成就されるという保証もない。
それどころか、昨今の末期資本主義的状況下でテロとヘイトクライムが横行する世界を見ていると、人類はその「人間性」の負の側面を肥大化させて、自滅、絶滅への道をたどる以外にないのではないかと絶望することもある。
そんな中で、#MeToo Movementは人類に残された数少ない希望の光である。

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