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反韓流デモに想う-文化は高いところから低い所へ流れる [Korea]

私は1990年から93年にかけて3年間、韓国に住んだ経験がある。当時の韓国は、まだ日本文化が解禁されておらず、街には日本の歌手の不法コピーカセットテープがあふれ、高層アパート街に行くと、あちこちのベランダから大型のパラボラアンテナが突き出て日本のBSテレビが視聴されていた。また、当時日本でヒットしたテレビドラマ「東京ラブストーリー」のパクリドラマ(「嫉妬」)が放送され高視聴率を稼いでいた。
その後、金大中政権は日本文化を公式開放したが、当時韓国では、日本文化が開放されたら日本の低俗な映画やドラマが洪水のように韓国に流入して“文化侵略”を受けるのではないかという危惧の声が聞かれた。それに対して、私は韓国の友人にこう言った。――韓国の大衆文化のレベルは決して日本に引けをとるものではない。事実、ずいぶん前から日本で韓国映画が数多く紹介されてきたし、テレビドラマでも、ぜひ日本のテレビで放送してほしいようないい作品を私は知っている。文化開放すれば、「日韓の民間レベルの文化交流の発展」といった高尚な話以前に、お互いのいい作品が相互に行き来し、日本にもこれまで以上に韓国の多くの大衆文化が入ってくるだろう。日本の一方的な“文化侵略”など恐れる必要はない。
それから数年して、「冬ソナ」を皮切りに、日本で空前の韓流ブームがわき起こり、ブームが終息しても韓国文化は消えることなく、日本に様々な形で根付くことになった。それはひとつに、資本主義的な意味での資源に乏しい韓国で、金大中政権以来、文化・観光資源を積極的に開発していくことが国家プロジェクトとして強力に推進されたことも大きく与っている。(日本政府も韓国に10年遅れて文化・観光産業の重要性に気づき力を入れ始めたが、まだまだ不十分だ。)
今や韓流は日本のみならず、アジアをはじめ世界中を席巻している。韓国映画やドラマのリメークは、日本だけでなくハリウッドでも行われているが、20年前の韓国における下手な日本のパクリを知っている者としては、まさに隔世の感がある。
文化は澄んだ水のごとく、高いところから低いところへ流れる。韓国のものに限らず、優れた作品、おもしろい作品は、国際化が進展した現代において、必ずその国の殻を破って世界中へ羽ばたいていく。日本の大衆文化でも、アニメ、マンガをはじめ、映画など、現在でも世界で高く評価されている。
もっと身も蓋もない話をすれば、資本主義社会においては、ビジネスとして成り立つ、つまり金になるものは、どこの国のものであろうと商品として流通し消費されるということだ。
今回の「フジテレビは韓流ドラマばかり流してけしからん! 反日的だ」というデモは、右翼的言論を自他共に認めるフジサンケイグループの一翼に対するものであるだけに、笑えてくる。デモをする彼らの排外主義的論理に従えば、ディズニーランドに対しても反米デモを仕掛けるべきだということになろう。
このデモの真相は、3.11以降のこの国の鬱屈とした雰囲気の中で、脱原発を叫んでデモをする人々へは「左翼アレルギー」から素直に同調できない右翼的な人々が、たまたま一芸能人の「嫌韓的」なつぶやきに飛びついた、というだけのことだろう。しかし、今のような社会そして政治状況では、こうした動きが屈折した国民感情に火をつけて、極右の台頭を招く素地を提供する可能性も否定しきれないだけに、警戒する必要がある。
ヨーロッパ諸国のような極右の台頭を招かないためにも、わたしたち脱原発市民は、国民の脱原発という圧倒的世論を背景に、国民の希望にこたえることができるようなたたかいを進めていかなければならない。

韓国映画「ベストセラー」とドラマ「美しい隣人」の音楽がソックリ?ビックリ! [Korea]

TAUTAYAで韓国映画の準新作「ベストセラー(原題:베스트셀러)」というサスペンスものを借りてきて観た。なかなか見応えがあって面白かったのだが、最初にテーマ音楽を聞いて、「あれ? どこかで聞いた音楽?」と思った。しかし、サスペンスものにはありがちな、観る者の不安を誘ういかにもそれらしい曲調だなと、半ば聞き流していたのだが、繰り返し聞くうちに閃いた! そうだ、今年1月~3月にフジテレビ系でやっていた仲間由紀恵・檀れい主演の「美しい隣人」だ。
後でネットで「美しい隣人」のテーマ音楽を調べて聞き比べてみたが、通奏低音的な弦楽器パーツなどそっくりだし、とにかく曲想は驚くほど似ている。映画は昨年4月に韓国で公開され日本では12月に公開されたので、「美しい隣人」の方が後。(ちなみに、音楽担当はそれぞれ韓国人、日本人の別人)以前、韓国映画「最後のプレゼント」とテレビドラマ「白い春」の酷似性についてこのブログで紹介したことがあるが、またしても……という感じ。
皮肉にも、「ベストセラー」は、ある女性ベストセラー作家が盗作嫌疑をかけられて……という内容[ふらふら]
百聞は一見にしかず。暇な人は両者を聞き比べてみれば[耳]

韓国映画「最後のプレゼント」とテレビドラマ「白い春」の酷似性 [Korea]

たまたまツタヤで見つけた2008年韓国公開の映画「最後のプレゼント(마지막선물)」(キム・ヨンジュン監督)のDVDを見たら、ストーリー展開そのものには異同があるものの、諸設定が昨春フジテレビ系列で放送された阿部寛主演のドラマ「白い春」とあまりに酷似していたので、以下詳述する。
類似点
・主人公が愛する恋人との幸せな生活を選ぶため、所属しているヤクザ組織から足を洗いたいと申し出たところ、殺人を条件にされる。
・そして、殺人の報酬として金をもらう約束をするが、実際にはその金が恋人の手に渡らなかった。
・殺人を犯した主人公は逮捕され重罪に処せられる。
・恋人は主人公の子どもを身ごもっており、主人公が収監後出産する。
・主人公の恋人に思いを寄せる別の男が、主人公の収監後恋人に近づくが、出産後恋人は他界する。
・その後、その男が実の娘としてその子を育てる。
・主人公はそれと知らずに小学生になった実の娘に出会うことになる。
・実の父と育ての父との心理的葛藤が描かれる。
・娘は主人公を実の父と知ることになる。
・実の父と育ての父が和解する。
・父(韓国映画では両方の父、「白い春」では最初は実の父のはずだったが、実際は育ての父)と娘が海に行く。
・主人公は昔の因縁から殺されることになる。
・死んだ主人公は恋人の墓の近くに眠ることになる。
相違点
・韓国映画では娘は重い肝臓病で生体肝移植を待っている。そして主人公は、娘への「最後のプレゼント」として自身の肝臓を残す。しかし、「白い春」でも終盤に大橋のぞみ扮する娘が病気で入院・手術する。手術費の工面で苦労するのも同じ。
・韓国映画では実の父と育ての父は高校時代の親友だった。「白い春」では赤の他人。
・「白い春」では、主人公の恋人が重い病気で、それを助けるために主人公は金と引き替えに殺人を犯すのだが、韓国映画ではそうした設定はない。
よくありそうな話ではあるが、あまりに類似点が多すぎるし、相違点もディテールで違っているだけで、実は似ている点も少なくない。
二昔前までは、韓国のテレビ・映画が臆面もなく日本映画やドラマをパクリまくっていた。時代は変わった。

菅談話に対する日韓の微妙で絶望的な落差 [Korea]

20日の“日韓併合”100年を前に菅首相が発表した談話は、日韓両国で様々な議論を呼んでいる。日本では進歩的な人々をはじめ多くの国民から歓迎されている反面、嫌韓右翼をはじめとした右派勢力からは当然のごとく批判を浴びている。一方の韓国では、左派(右派ではない)・民族主義勢力は批判、マスコミの論調もどちらかというと否定的なものが多い
韓国での批判の論点は、管談話が1965年の日韓条約で賠償問題等が解決済みとする従来の政府見解を踏襲し、「韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられた」との認識を表明しつつも、1904年の第1次日韓協約には全く触れられていないことから、1905年に日本が島根県への編入を閣議決定した竹島= “独島” 問題にまで言及しているものもある。
韓国人の国民性のひとつは、“自尊心(チャジョンシム)”を重視する点である。彼らのいう自尊心とは、日本人のいう自尊心=プライドとは少しニュアンスが違い、どちらかというと“体面”に近い概念だ。日本の36年に及ぶ植民地支配は、そうした韓民族の自尊心をずたずたに引き裂いてしまい、大きな民族的トラウマとなっていまだに引きずられている。だから、“歴史問題”に触れられると、彼らは過剰反応を示し、自己正当化の論理を全面展開して自尊心の回復を図ろうとする。
また、韓国人は議論好きの教条主義者でもある。それは、実学とは反対の観念論である儒教思想=朱子学に根ざすものであり、韓国の日刊新聞を読んでいると、日本共産党の機関紙=赤旗でも読んでいるかと錯覚することがよくあるほどだ。だから、彼らは管談話ひとつとっても、白か黒かをつけたがり、黒と決めたら全面展開してその非をあげつらわずには気がすまない。
日本が経済的に絶対的優位性を保っていた20世紀後半までならいざ知らず、落日の今の日本に対して、韓国人はもうとっくにそんなトラウマから立ち直って、もっと自信をもって日本に対せばいいのにと、私はかねがね思っているのだが、マスコミの論調は十年一日どころか百年一日の感がある。これでは日韓関係はもとより、韓国人自身にとって何の利益にもならないと思うのだが……。
もちろん未解決の歴史問題を解明していく作業は大切だし、日韓両国の歴史学者が共同して議論して両国の溝を埋めていく作業も必要だと思う。しかし、菅談話が意図した“未来指向”の日韓関係構築に対して、韓国政府はともかく、マスコミの論調は全く逆向きであるといわざるをえない。
もちろん、韓国人が日常生活レベルで常に議論好きで政治談義にばかり口角泡を飛ばしているわけではない。民間レベルの文化交流は、金大中政権以来の十年余りの間だけでも飛躍的に発展してきた。日韓関係の未来は、むしろそちらの方向にこそあると信じたい。

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