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中国電力は料金滞納者には督促もせず「送電お断り」で脅す! [No Nukes]

(昨日の続きです)
早速今朝、中国電力の営業担当者から電話がかかってきた。すべて昨日私が予想した通りであった。つまり、中国電力では請求書を送って期日までに電気料金を支払わなかったお客さんに対しては、昨日私のところに送られてきたような「送電お断りのお知らせ」を送っているようだ。

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担当者は、私に「1円」の請求に対して1度も請求をしていなかったので、その点については素直に謝罪した。しかし、問題はこの「送電お断りのお知らせ」の文言だ。昨日も述べたように、普通、お断りといえば、消費者の方が押しつけがましくものを売りつける相手に拒絶の意味を込めて言う言葉だ。
そこで思い出したのだが、昔、子どもがまだ生まれて間もない頃、住んでいたマンションに毎日のように新聞その他のセールスマンが訪れ、チャイムを鳴らすので、やっと寝ついた子どもを起こされ迷惑を被ることが絶えなかったため、私は下のようなステッカーを玄関口に貼り付けた。それでだいぶ勧誘は減ったのだが、それでもたまに、張り紙を無視してチャイムを鳴らず不行き届き者がいた。

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逆に売り手の方が、例えば飲食店が入口に「外国人お断り」などという札をぶら下げたら、世界的な大問題となるだろう。
中国電力は、不注意か、お金に困ってか、とにかく支払期限日までに電気料金を払えなかった顧客に対して、一度も督促することなく、いきなり「もう、電気をあなたのところには売りません」と拒絶の意思表示をしているわけだ。客はもちろん、いつかは滞納した料金を支払う義務はあるが、かといって、じゃあ次からは、別のB電力とか、C電気から電気を買うということができないのだ。まさに有無を言わさぬ脅しだ。どうしたら、自由競争市場ではあり得ないような、こんな高慢きわまりない態度を平気で顧客に対してとれるのだろうか。
地域独占総括原価方式で守られた電力会社の非常識さをまざまざと見せつけられた。彼らにとっては再稼働申請は当然の権利という意識に違いない。いつぞや東電社長が「値上げは権利」と公言したのと同じように。

電力料金1円不払い運動に「送電お断り」の怪 [No Nukes]

昨年12月25日、中国電力による原子力規制委員会への島根原発2号機の再稼働申請に抗議して、電気料金1円不払い運動を始めて3ヶ月になる。2月の最初の不払いについては本ブログ「原発再稼働申請に抗議の1円不払い運動を!(中国電力編)」で詳述した。
その後、3月には中国電力に最初に届け出た携帯電話番号が変更になったためか、支払期限日に中国電力の係の者が直接自宅に来て、1円を支払うことになった。私はそこで、30代くらいの男性社員になぜ1円不払いを行うのかについて詳しく説明したのだが、彼はどう見てもただの集金人には見えなかった。聞くと、中国電力の正社員だといい、中国電力の原発政策について会社の立場を立派に代弁して見せた。私は彼に、電話番号が変わったことを知らせ、新しい番号を教えた。
ところが、今月はもう2週間以上前に、1円を差し引いた電気料金を郵便局で振り込んだのに、今日まで何の音沙汰もなかった。そして今日、郵便受けにこんな郵便物が届いていた。

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去年2月まで埼玉で1年近く東電に対して1円不払い運動を行っていたときは、1円を差し引いて電気料金を払うと、10日か2週間ほどして1円のコンビニ専用振込用紙が送られてきたが、私は「電気代不払いプロジェクト」の配布している郵便局の振込用紙を利用して振り込んでいた。東電の請求書にどのようなことが書かれてあったかは記憶が定かではないが、確かに「支払期限が過ぎると電気を止めることもある」というようなことが書かれていた気もする。しかし、あくまで趣旨は「不足分を払ってください」というものだった。
ところが中国電力は、いきなり「送電お断りのお知らせ」ときた! そして「かねてより表記太枠内の電気料金についてご請求申しあげておりますが、未だお支払いの確認が取れません。」とあるが、「表記太枠内」の料金とは1円のことのようだ。しかし、今月はその督促が1度もなく、いきなりこのお知らせだ。
私はすぐ中国電力に電話を入れてみたが、すでに営業時間が過ぎており、つながったカスタマーセンターでは詳しいことが分からないので、明日、営業部署から電話するとの答えだった。
だいたい「お断り」とはどういう意味だ。
断り:承知しないこと。相手の申し出に対し拒絶すること。辞退すること。「押し売りお―」(デジタル大辞泉)
つまり、この言葉は、客である私が、もう中国電力の電気は買わないから「お断り」というときに使うのであって、売り手のほうが使う言葉ではないだろう。「新聞配達お断り」といったら、勝手にポストに入れてくる読売新聞の配達員に「もう入れてくれるな」という意味でポストに貼るのであって、新聞代が滞納しているからといって、新聞店が「あなたの家は配達お断り」とは言わないだろう。もし、朝日新聞のお店が「あなた、先月分払ってないからもう配達お断り!」なんて言ったら、こっちは「はいそうですか、では毎日新聞をとります」と言うだけ。電気はそういうわけにいかないから、やつら言いたい放題、やりたい放題だ。
こんな言葉遣いひとつにも、地域独占の上にあぐらをかいてきた電力会社の傲慢さがにじみ出ている
多分中国電力は、今までこのような例がなかったので、電気料金滞納者向けに、一度請求書を送って期日までに支払われないと、このような高圧的な請求書を送っているということなのだろう。
私に対しては、最初に電話で「1円不足」の真意を尋ね、2度目には様子を探りに営業店の正社員を寄こして「確信犯」と確認したため、3度目からは直接1円の請求書を送るようにしたのだと思う。しかし、最初の請求額のうち1円を除いた額はすでに支払っているわけだから、「かねてより表記太枠内の電気料金についてご請求申しあげておりますが」というのは当たらないし、いきなり意味不明だが高慢な「送電お断りのお知らせ」はないだろう。
明日電話があったら、そのへんのところをとことん追及するつもりだ。
すでに私の「原発再稼働申請に抗議の1円不払い運動を!」の呼びかけには大きな反響をいただいている。電気料金の1円不払い運動は、1970年代に一方的な東電の値上げに抗議して、故市川房枝参議院議員が提唱して始まった市民運動だと聞く。フクシマの教訓から何も学ばず、日本を滅亡へと導きかねない安倍政権と電力独占の原発再稼働を阻止するために、誰にでもできるこの市民の抵抗運動の輪を、全国にどんどん広げていこう!

フクシマのウソを暴き、その行く末を暗示する―『チェルノブイリ被害の全貌』 [No Nukes]

0238780.gif『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』(アレクセイ・V・ヤブロコフ、ヴァシリー・B・ネステレンコ、アレクセイ・V・ネステレンコ、ナタリヤ・E・プレオブラジェンスカヤ著、星川淳翻訳、チェルノブイリ被害実態レポート翻訳チーム訳、岩波書店)を、半年かけて読み終えた。膨大な図表を除く本文だけで700枚以上あり、5,000円を超える価格だけに、図書館で借りてきてPDFにしてゆっくりと読んだ。
内容は専門的で客観的な資料の羅列なので、素人の私には、正直読むのが苦痛で、1日30分が限度だった。しかし、決して他人事として見過ごせない内容だけに、途中で図表は読み飛ばしながらも、最後まで読み通した。読書にこんなに苦労したのは、若い頃に読んだマルクスの『資本論』やヘーゲルの『大論理学』以来といっても過言でないくらいだ。
上述したように本書の大半は、この四半世紀に積み重ねられてきたチェルノブイリ原発事故に関する研究論文や資料をまとめたものなので、そこからチェルノブイリ周辺に住むベラルーシ、ウクライナ、ロシアの被害住民の姿は直接的には見えてこない。しかし、例えば戦争被害者だったら、何十万、何百万人が戦死したという統計数字で片づけられ、非日常的な戦争の現実を体験したことのない者には、そこから何の想像力もかきたてられないかもしれないが、つい3年前に東京電力福島第一原子力発電所の3つの原子炉のメルトスルーを間近に体験し、現在進行形で放射能被害を日常的に受けている私たち日本人には、それらの数値の羅列を、決して単なる記号として無機的に読み流すことはできず、本書をすべて読み通してチェルノブイリ被害の全貌を漠然としてではあれ眺め渡すことができたとき、それにフクシマという現実を客観的に重ね合わせることが可能になる。
そして、本書を読み終えて真っ先に感じることは、チェルノブイリの教訓を最も深く忠実に学んで活かしているのは、ほかならぬ東電や政府、御用学者ら原子力ムラの住民らであるということだ。彼らは当時のソ連政府やその後のベラルーシ、ウクライナ、ロシア政府と原子力行政当局が住民管理のために行ってきたあらゆる政策を忠実に再現している。
反対に、私たち日本国民は、地元福島県民を含めて、あまりに無防備であり、チェルノブイリの犠牲から何の教訓も汲み取ってこなかった。
確かに3.11を経て、多くの国民が原子力の安全神話からは解き放たれたかもしれないが、依然、原理力ムラの垂れ流す放射能の安全神話のマインドコントロール下にある。本書を斜め読みするだけでも、そうした原子力ムラが垂れ流す安全神話が全く根拠のないデタラメであり、放射能の脅威は想像以上であることを、これでもかこれでもかというほどの膨大な事実に基づいた資料によって実証されていく。今までそうしたことを自分なりに勉強してきたつもりであった私も、本書を読むまで、放射線の影響がバクテリアやウイルスにまで及び、生態系の根幹を揺るがしているかもしれないということまでは思い至らなかった。
日本より遙かに経済力の劣るチェルノブイリ周辺の住民たちが、健康や命と引き換えにしてでも、否応なく核との共存を余儀なくされてきた現実はいかんともしがたいとしても、「経済大国」日本の住民も彼ら同様、今後何十年にもわたり命と健康とを引き換えに、核との共存を強いられなければならないのかということに関しては改めて強い疑念を抱かざるをえないし、棄民政策をとる日本政府にいまさらながら強い憤りを覚える。
そして、以前から感じていることなのだが、政府から独立した原発に批判的な研究者らによる息の長い地道な調査研究活動が(実際には目に見えないところでなされているのかもしれないが)、早急に着手されなければならないと思う。そして、著者らも触れているように、「日本のような発展した大国でさえ国際的な支援が不可欠である」。
本書は、日本で原発に批判的な立場に立つ研究者にとってのみならず、原発はいらない、原発を止めよう、廃炉にしたいと思っている一般市民にとっても、その思いをさらに強固にするための貴重な書だと思う。

脱原発8割国民世論の真相と深層―「原発いらない人びと」を通して考えたこと [No Nukes]

数日前、Twitterを通して、チェルノブイリ事故3年後の1989年参議院選に候補者を擁立してたたかった原発いらない人びとの政見放送をYouTubeで見た。



私は四半世紀前のこの動画を見て、二重の衝撃を受けた。ひとつは、「リクルート、消費税」を「秘密保護法、消費税」とでも置き換えれば、ほとんど今もそのまま通用する内容であることに。そしてもうひとつは、3.11後、幾度か耳にしてきた原発いらない人びとの実態に触れても、四半世紀前の彼らの記憶がどうしても蘇らない点だった。
1989年の参院選といえば、上述したように「リクルート、消費税」で内閣支持率は底を打ち、30年以上続いた自民党単独過半数割れが現実となるかどうかが焦点となり、それまで選挙をほとんど棄権してきた私も、自民党政治を終わらせるために投票所へ足を運んだことをはっきりと覚えている。そして実際、選挙結果は自民党が参議院総数で過半数を割ることになり、1993年の反自民・細川連立政権成立への道筋をつけたのであった。そのことは鮮明に覚えているのに、原発いらない人びとという名前は、どうしても思い出せないのだ。
当時、いや、チェルノブイリ、さらにはスリーマイル島事故以前からでさえ、「あなたは原発に賛成ですか、反対ですか?」と問われれば、私は「反対です」と答えていたはずだ。だが、86年のチェルノブイリ事故に対してさえ、私はたいして関心を持つことがなかった。日本上空にも放射性物質が飛来して国土を汚染したにもかかわらず、私は、私が子どもの頃、母親から雨に濡れると毒だといつも言われていたほどの放射能への恐怖を抱くことさえなかった。86~89年といえば、日本はバブル景気に酔いしれ、私もそのおこぼれにあずかり、ネオン眩しい夜の新宿を飲み歩くこともしばしばであった。
そしてついに迎えてしまった3.11まで、私も他の多くの国民同様、原子力ムラの圧倒的な洗脳工作にまんまとひっかかってしまっていた。私は自身の不明を恥じるとともに、あるひとつのことを悟るに至った。
それは、私が3.11を契機に原子力ムラのマインドコントロールから徐々に解き放たれるにつれ、脱原発の国民世論も高まっていき、事故の数ヶ月後には、多くの世論調査が国民の7~8割が脱原発を望んでいるという結果を出すようになり、以降その傾向が持続している。にもかかわらず、2012年衆院選、2013年参院選、2014年都知事選と脱原発が争点としてたたかわれたにもかかわらず、8割の脱原発世論とは正反対の結果が出たこと――その原因は、脱原発世論のほとんどが、1989年時点の私の「原発反対」の意識レベルにとどまっていることにほかならない!
同様の気づきは2012年末の衆院選を通してすでにあり、そこから私の日本政治への絶望感が決定的となったのであるが、その信用ならない国民意識が、実は四半世紀前の自分の意識そのものであることを悟ったときのショックは、決して小さくなかった。
四半世紀前に、チェルノブイリという「対岸の火事」を見て危機意識を持ち起ち上がった人々がいたことに比べ、私自身の感性と危機意識の鈍さには内心忸怩たる思いがあるが、いくらその私でも、身に火の粉ならぬ放射性物質が降りかかれば、危機意識を持って状況に立ち向かわざるをえなかった。だが、この国の多くの国民は、自身の尻に火が付くというか、放射能に健康を害されるほどの被害を実際に被らないかぎり、フクシマはやはり依然として「対岸」にあり、我がことと捉える感性が欠如しているのである。
フクシマに限らない、秘密保護法しかり、集団的自衛権しかり、「改憲」しかり、それぞれ「賛成か反対か」を問われれば過半数が「反対」と答えるが、その実、それは自分の関心事でないからどうでもいい、だから「安倍政権支持」という支離滅裂な世論調査結果が出てくる。しょせん、政治には関心がない、どうでもいいこと、だから、景気さえよくなってくれれば、今日明日の生活さえなんとかなれば、「安倍さんでいいんじゃない」ということで、そんな人々に彼のファシストとしての本性を見抜く眼力は毛頭ない。

原発いらない人びとのビデオを見てもうひとつ考えさせられたことは、1989年の原発いらない人びとと2012~13年の緑の党が入れ替わっていたら、という思いである。実際には1989年の参院選は山本コウタロー率いる「地球クラブ」と「みどりといのちのネットワーク」と「原発いらない人びと」という主張の似通った3者がそれぞれ候補を立て、33万、15万、17万の票を分け合い、全敗したということだが(http://nonukes.exblog.jp/19334653/)、むしろ「リクルート、消費税」に国民の関心が集まっていたこの選挙で、3者は「緑の党」としてたたかうべきだったと思う。そうして何回かの国政選挙をたたかってきていれば、緑の党も今ごろは国会に数議席を確保していたかもしれない。
そして、2012年衆院選、2013年参院選こそ、脱原発無党派の有名無名の市民らは、ワンイシューの「原発いらない人びと」としてたたかうべきだった。私は2011年の秋から、次の衆院選が脱原発政府をつくる唯一最大のチャンスと位置づけて脱原発市民自治政府の樹立を訴えてきたが、原発いらない人びとをその中核と位置づけて、むろん山本太郎三宅洋平なども巻き込んでたたかえば、1議席どころか2議席、3議席獲得も決して夢ではなかっただろう。そうすれば、状況は今より少しはましになっていたはずだ。
しかし、現実を振り返るとき、国民の感性の鈍さに、市民運動の政治センスのなさがオーバーラップして、私の絶望感は倍加する。
かくして今の私が、日本政治に唯一見いだせる希望の光は、不撓不屈の山本太郎=新党ひとりひとりのみである。

「3・11への祈り おかやま」へ参加しました [No Nukes]

岡山へ越してきて1年近く経ち、脱原発の大規模な街頭行動が初めてあり、参加してきた。私自身、街頭に出るのは1年数ヶ月ぶりのこと。岡山での街頭デビューとなった。
午前10時から、岡山城近くの石山公園では田中優さんのトークなどがあり、色とりどりの風船を持った参加者400名ほどは、岡山駅までウォーク。

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この日は駅前商店街のアーケードで、移住者などが店を出す「桃太郎市」が開催され、ここで腹ごしらえ。
午後は、1時半から西川緑道公園沿いの岡山バプテスト教会で「祈りのつどい」が開かれた。福島からの移住者菅野久美子さんの話と、埼玉から移住した蝦名宇摩さんの三味線の演奏がとても印象的だった。

原発再稼働申請に抗議の1円不払い運動を!(中国電力編) [No Nukes]

中部電力は今日、浜岡原発4号機の再稼働に向けて、国の新規制基準への適合審査を原子力規制委員会に申請した。昨年来、フクイチの事故への一片の反省もないまま、北陸電力を除く原発のある電力会社がすべて再稼働申請した。私の住む中国電力でも、昨年12月25日に島根原発2号機の再稼働申請を行った。
昨年4月まで東電管内に住んでいた私は、電気料金値上げに抗議して1年以上「1円不払い運動」を行ってきた。そして昨年、岡山に超してからも口座振替は利用せず、コンビニ支払期限ギリギリに支払ってきた。しかし、島根原発再稼働申請という暴挙に対して、ここでも「1円不払い運動」を行うことにした。以下、ご参考までに中国電力への不払い運動の仕方を説明しておこう。
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請求書とともに入っていた中国電力のリーフレット:再稼働の必要性には一切触れず、「世界最高水準の安全性を追求」などとデタラメを並べ立てている[ちっ(怒った顔)]

まず、口座振替をしている人は金融機関で振替停止手続きをとり、毎月中国電力から請求書とともに振替用紙を送ってもらおう。そして、請求書が届いたら、すぐには振り込まず、金融機関振込期限ギリギリに、郵便局のATMを利用して、請求額より1円少なく振り込む。

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上の例では請求額は「***7円」なので、用紙をATMに挿入すると、「支払金額は***7円でよろしいですね?」と表示されるが、ここで「はい」ではなく「いいえ」を選択する。すると金額入力画面が現れるので、請求額より1円少ない「***6円」を入力し、その額を入金する。
数日後に中国電力から「入金額が足りない」と電話がかかってくる。相手は、「お近くの営業所でお支払願います」と続けるので、中国電力に大いにもの申したい人は、直接近くの中国電力営業所へ行き、窓口ですぐに1円を払わずに、「再稼働申請」に断固抗議しよう。
私は「振替用紙を送ってほしい」と頼んだ。それから、相手は最後に「振込金額の間違いということですね」と確認するので、そこではっきりと、「いいえ、島根原発の再稼働申請に抗議の意思を表示するためです」と答えよう。
1日、2日で手数料請求人払いの用紙が届くので、それで再度金融機関へ行って1円を支払う。用紙には「郵便局のATMはご利用できません」と書いてあるが、試しにやってみたところ、ATMでも上と同様に振り込めた。

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以上のようにすることによって、中部電力はまず、①自動振替で早期徴収することによって生じる利息を失い、②振替用紙の用紙代、印刷代、郵送料、振替手数料、労働力がかかり、③不足分の支払いを促す電話代と労働力がかかり、③再度、振替用紙の用紙代、印刷代、郵送料、振替手数料、労働力がかかり、④1円を遅れて徴収することになる。
1人でも多くの人が参加すればするほど、電力会社へ経済的ダメージを与えることができるわけだ。東電の場合と少し違うので、各電力会社ごとに若干の手続きの違いはあろうが、どこでもできる抵抗運動だ。
さあ、あなたも来月から是非、再稼働申請抗議!再稼働阻止!のために、1円不払い運動を!

*関連記事:→再稼働阻止は1円不払い運動とメガバンク解約運動で!

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『日本滅亡Ⅱ』が刊行されました。再稼働阻止へ! [No Nukes]

日本滅亡Ⅱ表紙 (500x800).jpg昨年9月に『日本滅亡』(Kindle版)を出してから5ヶ月、当初続編を出す考えはなかったが、安倍政権の再稼働へ突き進む動きが私の背中を押して、『日本滅亡Ⅱ』を書かせた。
昨日の都知事選での舛添要一の勝利を受けて、安倍-原子力ムラは再稼働への大きなハードルをひとつ越えたと考え、ますますその動きに拍車をかけることだろう。
私は心の底から、本格的な再稼働ラッシュを認めたら、遠からぬ将来、この国は南海トラフ巨大地震等によってフクシマ級の事故が浜岡-若狭湾以西で起きて、今度こそ日本滅亡の危機に瀕するという危機感を抱いている。それを防ぐために私にできることは、こんな小説を書くことしかできない。しかし、この小説を通して、1人でも多くの日本人がわがこととして原発の危険性を認識し、原発を止めようと起ち上がってくれるなら、ほんの小さな希望の光を私は信じることができる。
そんな小さな種を撒くささやかな仕事を、私は今後も続けていくつもりである。

内容紹介

2011年3月11日のフクシマの惨禍を経て、普通の感性を持った日本人なら、原発再稼働がどういう未来をもたらすか不安を抱かずにいられないだろう。私はその感性に想像力をはたらかせてこの小説を書いた。ご好評いただいた『日本滅亡』に続く本編は、深田大輝の妻であり陽向の母である深田翠の最期、福島からの避難者で陽向の親友・愛月一家の北朝鮮での難民生活、ロシア人と結婚することになった中山絵里、カナダ・セントジョンズで第二の人生を送り始めた清水美土里の新たな出会いと娘・沙夜を襲う病魔、北海道・旭川に暮らす大輝の兄・翔の翻弄される人生、そして大輝と美土里の15年後の再会を描き、国を失った民の悲哀と、未来への希望を描く。



*『日本滅亡Ⅱ』の発売を記念して、北野慶既刊小説4点を、11日~14日まで無料配信いたします。対象作品は以下の通りです。
『極北のレクイエム』
『友に寄す』
『僕の部屋』
『タイム・トラベル-北野慶 短編小説集』

いざ、再稼働、日本滅亡へまっしぐら! [No Nukes]

昨夜の都知事選の開票結果を受け、思い浮かんだのが1年2ヶ月前の総選挙での日本未来の党の敗北であった。私はその結果を受け、選挙で脱原発を実現するのは不可能と悟ったのだが、今回の都知事選は国政選挙でないことと、小泉・細川の元首相コンビが脱原発を訴えて打って出たこともあり、再稼働を阻止する最後の切り札として期待した。また、安倍政権のファシズム化への危機感は、いやがうえにも政治=選挙に無関心ではいられなくさせた。しかし、現実は細川+宇都宮でも舛添に及ばない惨敗に終わった。一本化していても、逆にさらに舛添に引き離されていただろう。脱原発を訴える候補者が2人いたことにより、かえって盛り上がった面があったからだ。また、宇都宮候補が「善戦」したのは、脱原発より福祉や貧困問題、雇用など、他の課題を訴えたからだろう。宇都宮陣営にとっては脱原発はあくまでone ofに過ぎなかった。
これで、安倍晋三を含む原子力ムラは、「選挙で脱原発派が勝つことはありえない」ということを学習し、再稼働を妨げるいかなる障害もないものと判断するだろう。今年は夏前から再稼働ラッシュが始まり、日本列島は大地震が起こればいつ滅びるかもしれない恐怖列島と化すだろう。
それにしても、国民の「脱原発は支持します。でも、それより景気や雇用、福祉等、つまり日々の生活のほうが大事です。脱原発はいつか実現したらいいなという希望にすぎません」という脳天気は絶望の域を超えて笑ってしまうしかない。山本太郎細川護熙のような志士に共感できる危機意識を共有する市民は、この国に100人に1人に過ぎない。100分の1はあまりに非力だ。その100分の1が威力を発揮できるとしたら、もはや一つにまとまって決起して革命を起こすしかないが、私も含め、そこまで命をかけて立ち上がれる志士は果たしてどれだけいることか。いや、もし仮にいたとしても、革命はそれを支える人民の海がなければ成就されないが、この国には人民の海どころか、乾涸らびた無関心な国民の不毛な砂漠が荒涼と広がっているだけなのである。これでは革命などとうてい成就すべくもない。
この状況は3.11の最大の被害者=福島県民ですら大差がない。彼らが国家の欺瞞を見抜いて沖縄県民のように決起できるのは、何十万という県民の犠牲が覆いようもなく白日の下に晒されるようになり、いよいよ被曝という現実から目を背けられなくなってからだろう。
その前に、南海トラフ巨大地震をはじめとした巨大地震が起きて、フクシマ並みかそれ以上の原発事故が再び起こる可能性が高い。フクシマは東日本に位置したため、放射性物質の9割方が海に流れて、人的被害がこの程度ですんだが、同規模以上の事故が浜岡・若狭湾以西で起きれば、関西・中京・首都圏は急性死をふくめ甚大な被害を招き、日本列島が何百年も人が住めなくなるような惨劇をもたらす。まさに日本滅亡だ。しかし、この国の人々はおそらくその瞬間が訪れるまで、その問題には目を背け続け、目先の生活に汲々とする日常生活を送り続けることだろう。
そして、非力な私は、私のできる限りの方法を尽くして、この現実に立ち向かうしかない。もちろん、その瞬間が来たら、家族とともに真っ先にこの国を逃げ出すだろうが……。

『原発ホワイトアウト』が売れているわけ [No Nukes]

若杉冽著『原発ホワイトアウト』が売れているようだ。ネットも含めて各書店で文芸書のベストテンに入っている。印税の一部を「東日本大震災ふくしまこども寄附金」に寄付する若杉氏は、さぞご満悦だろう。
誰かがこの小説をぜひテレビドラマ化してほしいと述べていたが、いみじくもその言葉こそ、本書がそれほどまでに多くの読者を獲得している本質を突いているような気がする。私はミステリー・サスペンスドラマ好きで、二時間ワイドはもちろん、今秋も「相棒」をはじめ、「刑事のまなざし」とか「クロコーチ」などを熱心に観ている。そして、そういうドラマにはよく政治家が登場するのだが、それは決まってカネと女と欲にまみれた悪徳政治家で、自らの権力欲を満たすためには時に殺人さえ犯しかねない。視聴者はそんな悪徳政治家が、最後には悪事を暴かれ逮捕されることで溜飲を下げるとともに、政治家とか権力者というのはしょせんそんな欲のかたまりのような人種だという観念を刷り込まれる。
『原発ホワイトアウト』の主役は政治家ならぬ霞ヶ関官僚で、政治家は刺身のつま程度に登場するに過ぎない。しかし、描かれている内容はカネと女と欲にまみれた霞ヶ関という魑魅魍魎の巣窟で、ミステリー・サスペンスドラマで描かれる政治家たちと同質だ。おまけに作者は、女性差別・蔑視観ぷんぷんの安っぽいエロ仕掛けを細工しながら、肝心の絡みの場面をより多くのファンを獲得するためか(R指定を避けるため?)割愛することによって、ますます二時間ミステリー・サスペンスドラマ的世界を完成させていく。しかし、残念ながらこの小説は、政治家ではなく、実はその政治家を影で操っている真の権力者集団たる官僚の実態を赤裸々に描いたことと、原発を題材にしたことで、テレビドラマ化というファンの要望に応えることは、恐らく永遠にないだろう。
私は残念ながら見逃したのであるが、この覆面作家=若杉氏がテレビに登場したそうだ。もちろん覆面作家だから、ボカシか下半身かは知らないが、顔は出なかったのだろう(たった今、YouTubeで見た)。私は若杉氏を、数年以内に定年退職を迎える私と同年代だと勝手に想像しているのだが、この小説は、特定秘密保護法ならいざ知らず、現行国家公務員法に抵触するようなことはなにひとつ書かれていないのだから、堂々と姿を現したらいいと思う。それとも、それが原因で文字通りムラ八分にあって霞ヶ関を追い出され作家として食っていくことと、定年まで現職を続けて退職金と年金を手にすることを秤にかけて、後者を選んだということなのだろうか?(もし堂々と姿を現してムラ八分にあえば、それこそ私たちこの間脱原発・反原発を叫んできた市民は全力で彼を支援するだろうし、国民的世論も呼び起こすだろう!)
本書は上述したようにすこぶる大衆受けをしているようだが、のみならず脱原発陣営の評判もいいようだ。Twitterで私がフォローしている脱原発派の中でも、本書に批判的なツイートをした人は2人しか知らない。さらに、脱原発派知識人で本書を否定的に批評している人はひとりも知らない。この点、脱原発・反原発の敵=開沼博が、3.11直後に『フクシマ論』で登場していっとき脱原発派知識人にもてはやされたことと、一脈通じるものがあるような気がする。
もっとも私は、若杉冽氏を開沼博同様の脱原発・反原発の敵とはいわない。ただ、この作品は脱原発・反原発にとって毒にも薬にもならないというにとどまる。なぜなら、読者の大半は、上述したように二時間ミステリードラマかその原作を読むようなごく軽い気持ちでこの小説を読み流しているだろうから。ああ、やっぱりね。こんなこともあるでしょうよ。東大法学部出の官僚っていうのは、ここまでワルか!ってな感じで。
もっとも、本書がこの国の真の支配勢力=霞ヶ関官僚の実態を内部から活写した点と、原発一筋50年の自民党天下のもと、安倍晋三が原子力ムラに踊らされて再稼働・原発輸出・フクシマ切り捨てに猪突猛進する状況下、それを容認しかねないゆるゆるに緩みきった国民の脱原発ムードに一定の活を入れる役割を果たした点は評価する。
こんなベストセラーに対比させるのはおこがましい限りだが、私の書いた反原発小説『日本滅亡』(あえて“拙著”とは言わない。日本人は自信を持って書いた書を“拙著”と表現し、心を込めた贈り物を“粗品”とか“つまらない物”と差し出し、本心そう思っているのか“愚妻”などと言うことが、謙譲の美徳と自画自賛してきたが、最近私は、こうしたへりくだり表現は、この国を蝕むムラ社会と深く結びついた因習だと思うようになっているから。)の後書きで、私は次のように書いた。
私が最も恐れることは、私の意図に反して、読者はこの小説から想像力をはたらかせてこの国の未来を考えるのではなく、例えばかつて『日本沈没』というベストセラー小説が読まれたように、一編のエンターテインメントとして消費されるだけに終わるのではなかろうかと。
この憂慮は、『原発ホワイトアウト』にこそぴったり的中していると思う。それに反して私の『日本滅亡』は、もちろん3.11以前に出していたら単なるSF小説で終わっただろうが、さすがに3.11を経た現在では、良かれ悪しかれ一編のエンターテインメントとして消費されることなく、私の妄想したベストセラーにはならなかったものの、私の意図した通り、強力な毒を放ちながら少数の読者に読まれているようだ。

関連記事→http://kei-kitano.blog.so-net.ne.jp/2013-10-08

原発・放射能-不安を煽るのか、安全・安心を煽るのか? [No Nukes]

反原発小説『日本滅亡』に対して、「過剰に不安を煽る内容は読んでいて不快」との読者の批判をいただいた。しかし、不快と感じるかどうかは別にして、私がこの小説を書いた目的は、一人でも多くの国民に対してある種の「不安を煽る」ことにあったのだから、考えようによっては作者冥利につきることかもしれない。
3.11以前、広瀬隆高木仁三郞等反原発の先達は、命を張って原発の危険性について不安を煽り続けてきたが、私を含めてほとんどすべての国民は原子力ムラの洗脳によって感性を麻痺させられて、彼らの「扇動」に耳を傾けようとしないまま、フクシマの悲劇を許してしまった。
そもそも原発について「過剰に不安を煽る」とは何だろうか? 南海トラフをはじめ地震の活動期に入り、明日にでも日本に壊滅的影響を与えるような原発事故が起きるかもしれないと騒ぎ立てることだろうか。福島の事故は何重にも幸運が重なってあの程度で済んだが、もし今度ほかの原発で同じような条件で事故が起きれば、急性死も含む甚大な災害になるかもしれないと主張することだろうか。
あるいは、放射能についていえば、山本太郎のように反被曝を唱え、とりわけ内部被曝の危険性を指摘して食品の安全性に疑問を呈することが、「過剰に不安を煽る」ことなのか? 
今必要なのは、不安を煽ることではなく、国民に安全・安心を訴え冷静さを呼びかけることなのだろうか?
国民の7~8割は脱原発だというが、その大部分は原子力規制委員会が厳正な審査をして安全性を保証した原発なら再稼働しても安全・安心だろう。せっかく上向きかけた景気に悪影響を与えないよう、最小限の再稼働は仕方ないだろう。今後20年、30年かけて再生可能エネルギーを開発・普及して、徐々に原発に代替して脱原発を実現すればいいだろう――くらいに考えている。放射能についても、政府の基準値以内の食品なら食べても安全・安心。福島の農民・漁民の生活を守るため、食べて応援。汚染水漏れとかは困るので、東電にはフクイチの廃炉に向けてしっかりやってもらいたい――せいぜいこの程度の認識だろう。
もちろん、「世界最高水準の安全性を備えた原発」「汚染水はコントロールできている」「健康問題は過去、現在、未来も問題ない」と宣言して再稼働、原子力ムラ完全復活にひた走る安倍の暴走を止めるためなら、そうした7~8割の国民の未だ冷め切らない脱原発の雰囲気を大切にして、脱原発のあらゆる勢力とともにたたかっていくことは必要だが、かといって、単なる雰囲気でなく、事実として原発・放射能の真の危険性を知ってしまった者たちが不安を煽って警鐘を鳴らさず、安心・安全と妥協してしまったら、その時点で再稼働阻止、第二のフクシマを止めるたたかいは終わりだ。
私はなにも、このまま原発を再稼働させれば、近い将来に日本を滅亡させるような原発事故が必ず起きるとか、基準値を大幅に下回る食品でも食べ続ければ必ず健康被害が起きるとか、福島の汚染地帯にこのまま人々が住み続ければ、近い将来、大変な健康被害が間違いなく起きると主張しているのではない。むしろそうならないことを祈っている。しかし、国際的な原子力・核推進勢力によって隠蔽されつつも、良心的な科学者の努力によって明らかにされてきた事実に基づけば、そうなる可能性はかなり高いと主張しているのである。そして、そうならないためには、再稼働を阻止して、すべての原発を廃止・廃炉にしなければ、第二のフクシマはいつか必ず起きるだろうし、子どもをはじめ、高汚染地帯の住民の避難と汚染食物の流通をできる限り防ぐ措置を講じない限り、健康被害は2011年3月11日以来の過去にも起きてきたし、現在も起きつつあるし、未来に渡ってはさらに悲劇的に拡大していくことは避けられないと主張しているのだ。
そうした悲劇を避けるためには、平和な日常の夢を再び貪り始めた脱原発の国民の7~8割のふやけた雰囲気に、過剰なまでに不安を煽って、目覚めてもらうしかない。私は何も、流言飛語で国民を惑わそうというのではない。確かな根拠に基づくことを書いて意図的に不安を煽っているのである。そして、これからも、政府・原子力ムラ・マスコミの圧倒的な安全・安心の扇動に抗して、微力を尽くして不安を煽り続ける。


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