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懸念される子どもの医原性精神疾患の増加 [Anti-psychotropic drugs]

原子力ムラと医療ムラの忠実なスポークスマンである朝日新聞科学医療部は、同紙本日付で次のような記事を掲載した。
子どもに向精神薬処方、増加 「治験増やすべきだ」指摘も 初の全国調査

 医療経済研究機構(東京)は、子どもへの向精神薬の処方について初めての全国調査をしたところ、増加傾向にあることがわかったと発表した。10年ほどの間に、処方が倍以上になった薬もあるという。
 機構の奥村泰之研究員らは、2002~10年の診療報酬明細書と調剤報酬明細書を無作為抽出し、18歳以下の外来患者のべ23万3399件を分析。年齢は0~5歳、6~12歳、13~18歳に分け、期間は3年ごとに区切って比較した。
 その結果、13~18歳への処方は、02~04年と08~10年を比べると、注意欠陥・多動性障害(ADHD)治療薬が2・49倍、抗精神病薬は1・43倍に増えていた。6~12歳の同様の比較では、ADHD治療薬が1・84倍、抗精神病薬が1・58倍だった。
 処方が増加した理由として、子どもの精神疾患が知られるようになったことで受診につながり患者が増えたことや、子ども向けADHD治療薬の販売が07年以降に開始されたことなどが考えられるという。
 国内では、大人で安全性や有効性を確かめた向精神薬が子どもへ処方されているケースがほとんどで、子どもで厳密な治験が行われたのはADHD治療薬の2剤しかないという。奥村研究員は「医療現場で多くの薬が求められていることがわかった。子どもでも副作用や効果を確かめる治験をすすめ、薬を的確に使える環境を整える必要がある」と話した。(福宮智代)
実は同機構が調査結果を発表したのは今月13日のことで、毎日新聞は同日このニュースを配信し、「異なる種類の薬を使う多剤併用処方は、気分安定薬で93%、抗うつ薬で77%、抗不安・睡眠薬では62%と高い割合で見られた」とも報じている。
ここに登場する「医療経済研究機構」は、「わが国における社会保障制度および医療経済に関する研究を促進することを目的」とする一般財団法人で、医療経済という耳慣れない言葉は、要するに医療を経済的側面、つまり産業として捉え、その発展のために研究するという医療ムラの付属機関のようなところである。
ここで朝日が「 「治験増やすべきだ」指摘も」というバイアスのかかった見出しをつけているのは何をか言わんやであるが、もっと問題なのは、報告の内容である。子どもへの向精神薬の投与が6年間で1.5倍から2.5倍も増加しており、また、多くの子どもに多剤処方が行われているのである。
アメリカでは1980年代後半からADHDと診断された子どもへの精神刺激薬(リタリン等)の投与がはじまり、次いで「小児期うつ病」という診断名のもとにSSRIが子どもに投与されるようになった。そうすると、大人での場合と同様に、1990年代後半には子どもの双極性障害が現れる。SSRIの影響だけでなく、精神刺激薬は覚醒症状と気分変調症状を引き起こすため、若年双極性障害の特徴とされる症状とよく似た症状を呈するのだ。こうして、「ADHDをきっかけに40万人の子どもが、また抗うつ薬治療がきっかけで、さらに50万人の子どもが双極性障害になっているのだ」、「すなわち、他動や抑うつを示す子どもを、躁病エピソードや何らかの情緒不安定を引き起こす薬で治療し、薬剤カクテルを処方した結果として、その子は一生続く障害を抱えることになる」(ロバート・ウィタカー著『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』)。こうして薬漬けにされて成人した青年の15人に1人が、重度の精神疾患を抱えていると言われる。
「医療現場で多くの薬が求められていることがわかった。」という医療現場とは、「患者」に仕立て上げられた子どもたちではなく、製薬業界(児童)精神科医のことであり、「子どもでも副作用や効果を確かめる治験をすすめ、薬を的確に使える環境を整える」ことを阻止し、私たち大人の向精神薬被害者が舐めてきたような苦痛と人生の損失を、未来ある子どもたちには絶対に与えてはならない。

厚生労働省は精神安定剤や睡眠薬等(=ベンゾジアゼピン系薬剤)の1ヶ月以上の継続投与を禁止する行政措置を![右斜め下]

雅子妃の悲劇-精神医療と向精神薬の犠牲者- [Anti-psychotropic drugs]

雅子妃の10年に及ぶ適応障害は、(特に男の)子どもができないことへのプレッシャーを原因として、普通の人のように仕事を変えたり、離婚することのできない閉塞状況が症状の悪化をもたらしたと思われます。それに対して宮内庁は、日本一と考えられる慶應義塾大学医学部を卒業し、現在、国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター所長を勤める精神科医を主治医につけて治療を行ったものの、彼女もまた向精神薬の罠から逃れることができなかったのだと私は思います。

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恐らく主治医をはじめとする医師団は、街のブラック精神科医のような無茶な多剤大量処方は行わなかったでしょうし、さまざまな最新の精神療法も試みたでしょう。しかし、少なくとも数ヵ月以内に治らなければ、あとは私のように向精神薬の常用量依存が待っているだけです。とはいえ、処方薬が最小限で、精神療法も並行されているならば、今からでも断薬すれば、全面的にとまではいかなくとも8~9割の公務に復帰することは可能かもしれません。しかし、日本の精神科医で、治らないのは薬のせいだと気づく者はほとんどおらず、断薬という方法を思いつくことがありません。彼らは薬物療法の有効性を100%信じて疑っていないのです。そういう意味で、雅子妃の悲劇は日本の、いや現代精神医療の犠牲の象徴といえるかもしれません。
ちなみに、彼女の主治医である大野裕医師は、日本に認知行動療法を紹介した医師として知られていますが、同時に薬物療法の熱烈な崇拝者でもあります。そして、認知行動療法センター所長就任後の8ヵ月間に、製薬会社から200万円以上の報酬を受け取っていたことが明らかになっています。

場面緘黙症はくすり(向精神薬)で治るか? [Anti-psychotropic drugs]

場面緘黙症の緘黙児が学校等で話せるようになるには、治療的アプローチとして行動療法が有効であることが指摘されています。それは家庭と学校、そしてソーシャルワーカー等との連携のもとになされるのが理想でしょう。『場面緘黙児への支援-学校で話せない子を助けるために-』(Angela E. McHolm・Charles E. Cunningham・Melanie K. Vanier共著、河井英子・吉原桂子共訳、田研出版、2007年)や『場面緘黙児へのアプローチ-家庭と学校での取り組み-』(Rosemary Sage, Alice Aluckin編著、杉山信作監訳、かんもくネット(Knet)訳、田研出版、2009年)はもっぱらそのようなアプローチについての海外事例が述べられており、両書では緘黙児への薬物療法については「慎重にすべきだ」という観点で、ごく簡単に触れられていいるに過ぎません。
そこでは抗うつ薬として使用されているSSRIが緘黙児の治療に有効だという説が取り上げられています。SSRIについては大人への投与に関しても、プラセボ(偽薬)と比べた有効性がはっきりしないという批判があり、さらに副作用として、衝動性を高めて自傷他害、極端な場合、殺人や自殺を招き、欧米、特にアメリカでは多くの訴訟が起こされ、製薬会社は過去に何千億円もの和解金等を被害者に支払っています。また、長期服用して薬をやめようとすると、頭痛・吐き気等の離脱症状が現れることも知られています。
特に子どもへの投与に関しては、日本で認可されているSSRIに関して、「小児に対する有効性及び安全性を検証するための試験は行われていない。」「小児等に対する安全性は確立していない。また、長期投与による成長への影響については検討されていない。」等と添付文書に記されていますし、ましてや場面緘黙症への適用は認められていません。(詳しくは「医療用医薬品の添付文書情報」http://www.info.pmda.go.jp/psearch/html/menu_tenpu_base.html参照)
ところが、前掲「かんもくネット」著、角田圭子編の『場面緘黙Q&A』(学苑社、2008年)では、次のような記述が見られます。

精神科や心療内科の薬と聞くだけ、副作用や依存性を心配し、はじめから薬を検討されない保護者がおられますが、不安を下げるために薬の力を借りる方がうまくいく場合があります。薬には様々な種類がありますし、同じ薬であっても、人によって効き方や副作用が異なります。医師に疑問や心配を話して、よく相談してみましょう。 
日本では、副作用の懸念から、子どもの不安障害に対して積極的な薬の使用はほとんど行なわれていないのが現状です。しかし、極度のうつ症状や不安障害、睡眠障害に対して投与を行なう医師もいます。不安の治療には、セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)や抗不安剤などが使われます。日本で認可されているSSRIは、抗うつ剤としてもよく使用されるデプロメール、ルボックスとパキシルです。
米国では小さな子どもに劇的効果をもたらすと、場面緘黙の治療にかなり積極的に薬の使用が検討されるようです。なかでも日本では未承認のプロザックは場面緘黙に有効という研究があります。米国のSMartセンターでは、行動療法と薬物療法を組み合わせるのが最良の治療方法とされています。薬で場面緘黙そのものを治療するのではなく、行動療法的アブローチを進めやすくするために、薬を用いて不安を軽減します。

かんもくネットに児童精神科医でもいるのか、まるで精神科医がふだん口にするような言葉そのものです。
そして、「コラム」として中1から高1にかけてSSRIのデプロメールを服用した男子(「依存性がなく、安全性が高くて子どもにも安心して使える」と医師が説明。場面緘黙症そのものが治ったとの記述なし)、SSRIのプロザック(日本では未承認)を6歳から半年、その後3年間同じSSRIのセレクサを服用したアメリカ在住の女児の例(11歳現在、薬なしで学校で小さな声で発表できる)、9歳のイギリス人の男子がプロザックを服用するテレビのドキュメンタリー番組の紹介(服用後学校の外では話せるようになった)と、3つの例を肯定的に紹介しています。
プロザックがなぜ日本で承認されていないかというと、数あるSSRIの薬品の中でも、とりわけ副作用が強くて問題になり、数多くの訴訟が起こされ、開発・販売会社であるイーライリリー社は何千億円もの和解金を被害者に支払う事態を招いた薬だからです。中には少年の自殺事件の報告もあります。
上の3つの例でも、症状が緩和したとの記述はありますが、場面緘黙症が治って学校で話せるようになったという例は1例だけです。これではたして劇的効果といえるでしょうか? 私が8年前に取材した緘黙経験者の中には、薬物療法も心理療法も受けなかったけれど、中学校入学と同時に治ったという人がおり、『「学校かん黙」事典-その実像と脱出への相剋-』 (岩手大学・山本実研究室、1989年)にも理解ある教師や親しい友人の助けで話せるようになった子どもの例が載っています。友だちの協力で高校時代に緘黙を克服した人の手記も出版されています。
日本では2004年の発達障害者支援法の施行後、それが発達障害者の「あらゆる場面での支援や権利擁護・家族への支援」に役立つのではなく、「早期発見・早期支援」の名の下に、学校における「発達障害者探し」さらにいえば「発達障害者狩り」の様相を呈し、たくさんの子どもたちが安易に学校から医療につなげられて向精神薬の投与が行われ、深刻な薬害被害を生んでいます。
注意欠陥多動性障害(ADHD)や自閉症、アスペルガー、さらには学習障害(LD)のレッテルを貼られた子どもたちは、確かに授業の「障害」となって教師や他の児童・生徒、学校にとっては厄介な存在なので、「静かにさせておきたい」という本音が「薬で静かにさせる」という結果に結びついている現実は、ことの善し悪しはさておいてつじつまは合います。しかし、発達障害でない緘黙の子どもは、学校で話せないだけなので、教師にとっても他の児童・生徒にとっても、何の「障害」にもなりません。むしろ事なかれ主義の教師には、これ以上扱いやすい子どもはいないでしょう。もし緘黙児に投薬することに意味を見出す者がいるとしたら、それは児童精神科医と製薬会社しかいないでしょう。
私は高校時代に重い強迫性障害に悩まされましたが、「無意識の認知行動療法」によってそれを克服しました。その後も、緘黙の「後遺症」(幼少期からの不安障害の延長)のため、40代半ばに患った自律神経失調症とパニック障害から心療内科を受診、以来、十数年、SSRIの抗うつ薬とベンゾジアゼピン系抗不安薬と縁が切れない生活を送っています。2年前に断薬を試みましたが、覚醒剤やマリファナよりも依存性が強いといわれるベンゾジアゼピンのせいで、失敗しました。
私は今、大事な青春期から人生で最も心身の充実した時期を、向精神薬の罠にはまらず、人生も後半になってから向精神薬依存になったことが、せめてもの救いだったと思っています。高校時代に、どんなに苦しくても強迫性障害に耐えきれず精神医療に頼ることにならずに、ほんとうによかったと心から思っています。
薬は裏を返せば毒(副作用)です。副作用を上回る薬効があって、初めて薬を用いる意味があります。ところが現在流通している向精神薬は、前述した抗うつ薬や抗不安薬以外にも、主に統合失調症患者に用いられる抗精神病薬、睡眠薬等、すべてがその作用機序がよく分からない、もとを辿れば偶然他の薬の副作用として精神に作用することが発見されたことによって開発された偶然の産物に過ぎないのです。そして、脳内の神経伝達物質にはたらきかけてその作用を促進したり抑制するメカニズムは、覚醒剤、ヘロイン、モルヒネ、マリファナ等の麻薬と全く同じです。
確かに、急性期の統合失調症患者への抗精神病薬の投与、パニック症状、強度のうつ状態などへの抗うつ薬や抗不安薬の投与は、対症療法的に頓服的投薬で効果を発揮することは私も認めますが、長期投与は逆に毒(副作用)が前面に現れ、本来の薬効を上回ってしまうのです。また、数年に及ぶ長期的観察では投薬は無投薬ないしは偽薬に優るというデータは得られていません。むしろ副作用や薬物への依存によって取り返しのつかない重篤な悪化を招く例が後を絶たないのです。
特に子どもは、心身ともに発達過程にあります。脳神経のどこにどう作用しているのかも正確には分からない化学物質を、長期間投与していいわけがありません。
場面緘黙症は放っておいてもたいていはある時期――多くは、高校や大学を卒業するまでには治り、社会に出れば普通に話せるようになります。もちろん、話せなかった時期の言語的・社会的ブランクを埋めるのは大変なことですが、取り戻せないことではありません。理想は、上述した本でも取り上げられているように、行動療法的アプローチで家庭-学校との連携のもと本人が言葉を取り戻していくことですが、それが日本の教育現場では難しいからといって、向精神薬にその代わりを求めることはできないのです。むしろそれなら、放置しておくべきです。
もちろん、その場合、「後遺症」として、成人後も私のように様々な(社会)不安障害的症状が現れるリスクが高まるかもしれませんが(事実、私が取材した人の中にもメンタルクリニックに通院している人が複数いました)、その場合でも、安易に精神科や心療内科を頼らず、代替療法で根気よく治していく道はあります。
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処方薬局の「お薬情報」に「医療用医薬品の添付文書情報」記載を求める運動を! [Anti-psychotropic drugs]

実は、私は1年ほど前から、ある慢性の炎症を抱えて、メンタルクリニックとは別のクリニックに通っています。そこで出される薬は、生薬を主成分としたもので副作用も少ないため、いちおう安心して飲んでいます。で、最初に処方せんを持ってクリニックの近くの薬局へ行って薬をもらい、家に戻って袋から取り出し、「薬の情報」の紙を見てびっくりしました。普通、向精神薬の場合でも、「眠気を催すので車の運転には注意するように」とか、「アルコールは控えるように」といったような、どうでもいいことだけしか書かれていないのですが、この薬局の説明は副作用情報が全くの白紙なのです!
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驚いて視線を下の方へやると、「医薬品についての副作用等に関する情報は、『独立行政法人医薬品医療機器総合機構』(PMDA)の『医薬品・医療機器情報提供ホームページ』http://www.pmda.go.jp/で、調べることができます。」と書いてあります。「医療用医薬品の添付文書情報」が含まれるサイトです。私は向精神薬に限らず、今まで処方薬局から様々な薬をもらってきましたが、このような「お薬情報」は初めて見ました。
それで、次にクリニックで処方せんをもらってその薬局へ行った時、薬剤師に「これはおたく独自のアイデアか」と尋ねてみました。話をした薬剤師が店の主人ではないようで、確かな話は聞けませんでしたが、どうやらそのようです。それで私は、「とてもいいアイデアだ。」と褒めるとともに、もっと積極的に患者にアピールすべきこと、お年寄りなどインターネットに接することのできない患者へは、詳しい副作用情報を口頭で伝えるべきだということ等、私の考えを述べました。
「こういう形で情報が提供されていれば、私は恐ろしい向精神薬を飲むことなど決してなかったでしょう。」もちろんそう言うことも忘れませんでした。
さらにその後、私は岡山県の薬剤師会を訪ね、薬剤師会としてこのような取り組みをするように申し入れてきました。
薬局にこの方式を広めていくのはとてもいいアイデアです。厚労省の指針ですべての処方薬局にこれを義務づけるのがベストですが、まずは自分が通っているクリニックで出される処方せんを持っていく薬局から変えていきましょう。薬剤師ならこの添付文書情報を知らない人はいません。ですから、「医療用医薬品の添付文書情報」と言えばすぐ話が通じると思います。「この薬局でも、『インターネットの医療用医薬品の添付文書情報で副作用の詳しい情報を知ることができます』、とURLとともに情報提供してください。」とリクエストするのです。それで、向精神薬を処方されている患者がひとりでも多く、自分が処方されている薬の恐ろしさを知って、薬を飲まない、薬をやめるきっかけになればいいと思います。
向精神薬に限りません。患者が自分の処方された薬の詳しい情報を得ることは、患者の知る権利に属します。正しい知識を得ることで、患者は自分の服薬の意味を考え、疑問点があれば医師や薬剤師に質問・相談する。そうすれば、不必要でムダな処方が減っていくことでしょう。

丸岡いずみのうつ病とハウス加賀谷の統合失調症 [Anti-psychotropic drugs]

どちらも1年ほど前に出た本だが、必要があって丸岡いずみ著『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』(主婦と生活社)とハウス加賀屋・松本キック著『統合失調症がやってきた』(イースト・プレス)を読んだ。
前者は「ミヤネ屋」のニュースキャスターを勤めていた丸岡いずみのうつ病体験記。体調不良で耐えられなくなって会社を休み、郷里に帰って精神科病院へ行ったものの、彼女には「薬はよくない」という強い思いがあって、もらった薬を全部捨てていた。しかし、その後も症状はどんどん悪くなり、過呼吸症状を呈して入院することになる。そこで初めて薬を飲むのだが、すると魔法にかかったように体調が回復する――という話。
私は彼女がうそをついているとは思わない。しかし、郷里に帰って休養したまではいいのだが、彼女もよく知る認知行動療法を薬物療法の代わりに受けるでもなく、不眠が続く中、満足な食事もできない状態が続く。また、この本は服薬後2年もしない時点で書かれているが、この時点で彼女は完治したわけではなく、依然服薬を続けている。その間、結婚して日テレを退職し専業主婦になった彼女は、その後芸能プロダクションに所属してテレビでの活動を再開している。だから、恐らく現在は、いい医者の指導の下、徐々に減薬して薬をやめたものと推測される。だとしたら、とても運がいいとしかいいようがない。
しかし、医師も「丸岡さんは薬が教科書的に効く人ですね」と言うほどの彼女が、自身の体験にのみ基づいて、しかも完治したわけでない服薬中の状態で、「うつは『心の病』ではなく、『脳の病気』だ」。「うつの治療に欠かせないのは薬の効果です。」「専門である精神科に行ってください。」「薬はきちんと決められた量を一定期間服用することを、声を大にしてお伝えしたい」などと、諸手をあげて薬を礼賛するのはいかがなものか。この本は、製薬会社と精神科医にとって思わぬ援軍となったことだろう。
ミヤネ屋ではウィットに富んだ宮根とのやりとりが受けていた丸岡いずみだが、この本は200枚ほどの原稿枚数ほどの内容もないペラペラな駄本だった。

1793.jpg一方、ハウス加賀屋の統合失調症とのたたかいの半生を綴った後者は、なかなか読み応えがあった。ゴーストライターが書いたのではなく加賀屋本人が書いたのなら、なかなかの文才があると思って読んだが、後書きを見ると、加賀屋のメモを松本がまとめたものらしい。
私はお笑いには全く興味がなく、娘と生活していた頃はバラエティー番組に付き合って流行りの芸人くらいは知っていたが、90年代に活躍していた松本ハウスのことはほとんど知らない。去年、この本が出た時、統合失調症で10年間休んで復帰した芸人というのを聞いただけだった。
しかし、本書を読み始めると、最初から惹きつけられる何かを感じた。そして、加賀屋本人はご多分に漏れず「薬善説」を信じて疑っていないのだが、そのフィルターを外して読んでみると、実に興味深い真実が随所に隠されていることに気づかされる。
加賀屋自身は中学2年の時に突然、何の前触れもなく幻聴が聞こえるようになったと言っているが、本書を読むと、幼少期から家庭に問題があったことが述べられている。仕事人間で、仕事のストレスを妻にぶつけ、家中のものを壊す父親、夫から経済的に自立できないと諦めて、一人っ子の加賀屋に希望の全てを託し、彼を東大に入れるために小学生の頃から有名塾に通わせ、テレビも見せない母親。そして、そんな両親の顔色をうかがいつつ「石の仮面」を被って〝よい子〟を演じる加賀屋――。彼はそんな重圧に耐えきれず、5年生の時に仮面を脱ぎ捨てた。しかし、公立中学に進んでからも、彼には家庭にも学校にも居場所がなかった。そうした中で「臭い」という幻聴が聞こえるようになる。幻聴を幻聴と認識できぬまま、誰にも話すことなくそれを抱え込みつつ、意に反して進んだ高校でも幻聴は続き、そのうち幻視まで現れる。
この辺の経過は、幼少期の場面緘黙症、ひとりふたりの親友を除いて友だちができなかった中学生時代を経て、地獄のような高校生活で強度の強迫性障害に罹った私の体験と、どこか重なる部分があるような気がした。
加賀屋の幻覚の原因が本当に統合失調症であったのか、私には判断つきかねるが、とにかく彼は「思春期精神科クリニック」へ通い向精神薬の服用をするようになる。しかし、彼がここである意味救われたのは、グループホームへの入所を勧められたことだった。そこに彼はある種の〝居場所〟を初めて見つける。「グループホームに入ってから、幻聴や幻覚は出なくなった。」という点に注目する必要がある。服薬を始めて幻覚が消えたのではないのである。
だから、もしこの時点で服薬をやめていて、グループホームで本来の自分を探し、お笑いへの道を志すようになっていたなら、中学2年生からの幻聴・幻視は単なる思春期危機の文字通りの「エピソード」で終わり、彼は健康な人生を送っていたかもしれないなどと思ってみる。
しかし、現実には彼は、服薬を続けたまま芸人の道へ進む。それも「電波少年」の頃まではよかったが、「ボキャブラ天国」でブレークしてからは、仕事に追われ自身を見失うようになり、やがて「再発」する。
「再発」の原因は、私が思うには根本的には服薬だといっていいだろう。精神医学の常識に反して、統合失調症でも初回エピソード以来、服薬しないより服薬を続けた方がはるかに再発率が高いからだ。そして、加賀屋本人も述べているように、生活が不規則でハードになるにしたがい、自分の判断で薬を減らしたり逆に大量に飲んだりしたことが、再発への道に拍車を掛けたのだろう。ただでさえ脳内をぐちゃぐちゃにかき回す毒=向精神薬(抗精神病薬)を、恣意的にやめたり乱用したら、普通の生活を送っていてもその行き着く先は見えている。その結果、彼はよりリアルな幻視に悩まされ、大量服薬して自殺を企図するようになり、ついに休業、入院へと至る。
その入院した精神科病院が典型的な閉鎖病棟で、最初は「自傷他害の恐れあり」ということで監視カメラ付きで鉄格子の保護室に入れられる。そこで最初は強力なデポ剤(注射)を1日2、3度打たれ、それ以外にも大量の向精神薬を投与され、確かに飲んだか看護師によって入念にチェックされる。そうしたことに人権侵害とかいう意識の薄い加賀屋の叙述は、かえってリアルさに溢れている。
それでも幸い、彼は7ヶ月でそこを退院する。しかし、退院後も量は多少減ったとはいえ、依然大量の向精神薬の服用が続くので、読書以外ほとんど何もなすことなく瞬く間に実家で5年を送ることになる。でも彼の場合幸運だったのは、大塚製薬が開発したエビリファイがたまたま相性がよくて、薬を変えたら「劇的な変化」が現れて症状がよくなったということだろう。家族が「躁転した」と思うほど生気を取り戻し活動的になった彼は、アルバイトを始めてリハビリし、やがて芸能界復帰を果たすことになる。
しかし、彼は現在でもかなりの量の向精神薬の服用を続けている(本にはエビリファイ以外の薬品名や服用量は一切記されていないが)。そして、アルバイトを始めた頃から、顕著な認知障害が明らかになっている。これは明らかに薬の副作用だ。
加賀屋自身は、「薬善説」を信じているので、統合失調症の古くからの神話に沿って、「薬は一生飲まなければならないもの」。「寛解はしても完治はしないもの」と信じており、それゆえ、薬漬けの現在の状態にも症状が悪化しない限り満足している。
だが、十数年大量の向精神薬の毒にやられた脳と体は、認知障害や遅発性ジスキネジアにとどまらず、またいつ陽性症状が発症するか分からない。そのリスクを一生抱えて芸人生活を送るしかないのだ。私としては、あまり売れすぎず、適当に食っていけるだけ稼いで末永く活動して、心身に無理な負担がかかることのないように祈るだけだ。

理研・笹井芳樹の自殺―規制せよ!合法ドラッグ=向精神薬 [Anti-psychotropic drugs]

理研CDBの笹井芳樹副センター長が自殺したが、産経新聞の報道では、「理研の同僚によると、笹井氏はSTAP細胞の論文不正問題が発覚した後、心療内科を受診。最近は薬の副作用ではっきり会話することが難しかったという」ことだ。
自殺の原因は小保方晴子氏をめぐる一連のSTAP細胞疑惑にあったとはいえ、これは佐世保女子高生殺人事件の加害少女にとって、母親の死後の一連の出来事において向精神薬(とりわけSSRI)が殺人への最後の起爆剤として作用したであろうように、向精神薬(とりわけSSRI)が自殺へ最後の引き金を引いた可能性が強い。
全国自死遺族連絡会の調査によると、自殺者の7割は精神科を受診していた。精神科受診率はそのまま向精神薬服用率を表している。
各製薬会社が提供してる「医療用医薬品の添付文書」(http://www.info.pmda.go.jp/psearch/html/menu_tenpu_base.html)の副作用情報にも、SSRI系の抗うつ薬には「不安、焦燥、興奮、パニック発作、不眠、易刺激性、敵意、攻撃性衝動性、アカシジア/精神運動不穏、軽躁、躁病等があらわれることが報告されている。また、因果関係は明らかではないが、これらの症状・行動を来した症例において、基礎疾患の悪化又は自殺念慮自殺企図他害行為が報告されている。」とはっきり記述されている。
実際私の知る人の中にも、最初は軽いうつや自律神経失調程度の症状で精神科や心療内科を受診したものの、多剤大量処方のせいで症状が悪化して、自殺を企図した経験のある人が複数いる。笹井氏も「薬の副作用ではっきり会話することが難しかった」というからには、かなり強い薬を複数服用させられていた可能性が極めて高い。心療内科を受診して向精神薬を服用していなければ、防げた自殺かもしれないのである。
このような危険な向精神薬をほとんど規制らしい規制もなしに精神科医や心療内科医の手に委ねられている現状に対して、厚労省は直ちに規制強化に乗り出すべきである。合法ドラッグ=向精神薬こそ「危険ドラッグ」である。

〈関連〉
厚生労働省は精神安定剤や睡眠薬等(=ベンゾジアゼピン系薬剤)の1ヶ月以上の継続投与を禁止する行政措置を![右斜め下]

続・佐世保女子高生殺人事件-父親の「罪」 [Anti-psychotropic drugs]

3日前にこの事件について論じたが、その後明らかになったことがある。
3月2日、父親が寝ているところを少女がバットで殴りかかり、「死にかねない事態」だったという。父親はその後、少女を二つの精神科病院に通わせて治療を受けさせたが、医師から「同じ屋根の下で生活すると命の危険がある」と告げられ、医師と相談し、4月から少女を一人暮らしさせたという。(4日付朝日新聞)
事件は当初、少女が小学校高学年の頃、給食に漂白剤を混入させるなどの問題行動があったこと、中学時代も猫の「解剖」を行っていたことなど、少女を「猟奇犯」へと仕立てる方向へリードされたが、今日の報道を読むと、問題の焦点はむしろ父娘の関係性にあったと思わざるを得ない。
一部週刊誌の報道によると、父親が若い女性と婚活で再婚したのは前妻の死の3ヶ月後だったという。森永卓郎氏がテレビでコメントしていたが、普通の思春期の子どもだったら、「ふざけんじゃねえ」と思うのが当然だ。この父娘、あるいは生前の母親を含めた家族関係がどうであったかは分からないが、妻の死を悲しむでもない父親のこうした行動に不信と憎悪を募らせていった少女の心理はごく正常であり、その結果、金属バットで重傷を負わせる行為に出たことも頷ける。
本来だったら、ここで誰かが救急車を呼んで事件を明るみに出し、少女は逮捕されるべきだった。そうすれば、この父娘関係に何の関わりもない同級生が犠牲になることはなかった。そして、それを機に、父親は真摯に娘と向き合い、話し合うべきだった。そうしていれば、その話がたとえどういう結論に至ったにせよ、今回の事件は起きなかったであろう。現実の「殺人」に踏み出しかけたとはいえ、少女はそれを通して、前回紹介した高岡健の言に従えば、「(殺人未遂)を通過することによって大人になっていく」ことができたであろう。
しかし、父親が実際にとった行動は、世間体を気にして事件を明るみに出さず、恐らく少女とも本気で向き合うことをせず、少女を2人の精神科医(同時にか取り替えたのか不明だが)に委ねるという最悪の選択だった。同じ別居生活であっても、父娘がとことん話し合った末の結論と、精神科医が勧めたからでは、持つ意味が全く違ってくる。少女はこの時、父親に完全に「捨てられた」と思ったことだろう。
そして、精神科医の手に委ねられた少女は、恐らく適切な精神療法を受けることもなく、また100%間違いなく、向精神薬のカクテルを投与されることによって、学校へも通わないたった1人の自室で病的な観念の自己増殖を続けていった。そして、診察を通して少女が「放っておけば人を殺しかねない」と察知した精神科医に、もはや少女を制御する力はなかった。いや、この精神科医も、父親に無責任な別居という「解決策」を提示し、殺人衝動を生む麻薬=向精神薬を投与したことによって、少女の犯行を幇助したのだ。
私も一人娘が5歳の時に離婚し、娘に少なからぬ心の傷を与えたが、かといって夫婦が傷つけあいながら虚構の家庭生活を続けることがいいとも思われない状況で、娘へ与えるダメージを最小限にすべく、できうる最大限のことをしたつもりだ。今となっては再婚の可能性はほとんどゼロに等しいが、もし私ないし別れた妻が再婚した場合は、娘にどんな心理的影響を与えるだろうかと、様々に考えもした。
また、娘とは別居していた都合4年間も含め、常にコミュニケーションに努め、誰よりもよき理解者であり、相談相手であり、頼れる存在であり続けたいと思い、努力してきた。だから敢えて言わせてもらった。

佐世保女子高生殺人事件―やはり向精神薬が関係(心の闇ならぬ精神医療の闇) [Anti-psychotropic drugs]

私は昔から少年犯罪に関心を持っている。それは、自分自身が学校での孤立と受験勉強の重圧から、高校生の時に強迫性障害を病み、一時期「一家殺害」という妄想を抱いたことがあることに起因する。(Kindle版の拙著『僕の部屋』『あなたの隣の話さない人-緘黙(かんもく)って何?』参照)
精神分析派の精神科医・高岡健は『発達障害は少年事件を引き起こさない』(明石書店)という本の中で、「私は、どの少年も、父親を殺害することによってしか、大人になれないと思っている。もちろん、多くの場合は、現実の殺人ではなく、観念上の殺人が行なわれるのであるが。」「支配度が限りなく小さい父親を、少年が観念の上で殺害していくこと。そして、受容度が限りなく大きい母親が、自然死に近い形で去っていくこと。それが原点であり、すべての少年は原点を通過することによって大人になっていくと、私たちは考えてきた。以上が、少年事件を内面から抑止する、考え方の全てだ。」と述べている。すべての人がこうした精神的経験を経て大人になるとは思わないが、少なくとも私が高校生の時に抱いた妄想が決して特異なものではないということだ。
しかし、その妄想を妄想のままやり過ごすことと、現実化することの間には、大きな溝がある。そして、佐世保の事件の加害少女は殺人そのものへの興味や解剖への関心があったということなので、また少し性質が異なってくる。
私が今回の事件に興味を抱いた理由はもうひとつある。私はこの事件の第一報を聞いた時、Twitterで「SSRIか?」とツイートした。報道によると、殺害された女子高校生が加害少女の同級生で、少女は昨年母を亡くし、父親は半年後に再婚して、現在別居して一人暮らしをしているということだったので、母親の死後、精神的に不安定になって精神科を受診している可能性が高いと思ったからだ。
しかし、その後の報道は、小学校高学年から問題行動があり、猫の解剖をしたこともある、といった方向へと移っていったので、私の最初の直感は間違っていたかと思うようになっていた。
ところが、今日になって、少女は精神科を受診し、その医師が6月に、児童相談所に「このままでは人を殺しかねない」と通報していたとの報道が出た。これで少女が精神科を受診して、間違いなく向精神薬を服用していたことが明らかになった。
しかし、この精神科医のとった行動は明らかにおかしい。というか、医師としての職務を放棄している。
その前に、医師が通報した児童相談所だが、自治体の一機関である児童相談所は、何の専門的知識も持たない地方公務員が運営している組織に過ぎず、医師から相談されてもお役所的に対応することしかできない。そして、あまり知られていないことだが、「虐待」をでっちあげて親から子どもを誘拐同然に連れ去って「保護」するようなことを、日常的に行ってもいる。(内海聡著『児童相談所の怖い話』三五館参照)そのようなお役所がこの件に関わろうとしなかったのは、自身の処理能力を超えていたこともあろうが、少女の父親が有力な弁護士であったため、面倒を避けてことなかれ主義を決め込んだのだろう。
さて、上述した精神科医であるが、精神医療がその本来の医療としての本務を果たしているのだとしたら、自らの患者が「人を殺したい」「人を殺してしまいそう」と告白したら、そうした思いを抱くようになった心理を深く分析し、その病的な精神状態を改善すべく、様々な心理療法を施して治療を尽くすべきだろう。
しかし、報道を見る限り、医師はそのような努力はせずに、慌てふためき児童相談所に通報し、「責任逃れ」したように思えてならない。あるいは、その医師は患者に投薬することしかできず、心理療法の技術を身につけていなかった可能性も高い。
少女がいつからその医師の診察を受けるようになったのか今のところ不明だが、恐らく母親が亡くなり、父親が若い女性と再婚する過程、ないしは、遅くともその後一人暮らしを始めて妄想をふくらませていき、父親を金属バットで殴った当たりからであろう。
その医師が普通の(というのはよほど優れた、ないしは良心的な医師でないという意味で)精神科医なら、少女に対して2~3系統(抗うつ薬、抗不安薬ないしは抗精神病薬)の薬を数種類処方していたのだろう。そして、抗うつ薬SSRIは攻撃性を強める副作用があることが知られ、世界中で数え切れないほど殺人事件の引き金を引いてきている。
もちろん少女には小学校高学年の頃から問題行動があり、母親の死から父親の再婚、それに関連する一人暮らしが与えた精神的影響も大きかったであろうが、精神科への通院は、そうした悪循環を断つどころか、投薬が殺人の最後の起爆剤として作用した可能性が高い。
しかし、無能なマスコミはもちろん、地元教育関係者、そしてこれまた無能で「向精神薬カルト」の精神科医や心理学者らには、そうした側面から事件の真相に迫ることは決してできないだろう。しかし、この事件は、向精神薬が少女に与えた影響を徹底解明しない限り、少女の更生がないばかりか、少女の一生薬漬けの人生を決定づけるだけになるだろう。

日本の精神医療を改革へ導けるのは向精神薬被害者だけだ! [Anti-psychotropic drugs]

神奈川県立精神医療センターの小林桜児という医師は、
依存症はコントロール喪失の病です。ある特定の行動パターンが、自分にとって何かしら生活上のトラブルを引き起こしていると頭では理解していても、あるいは周囲からいくら注意されていても、それを減らしたり止めたりすることができないこころの病気です。違法薬物の場合、その薬物を所持したり使ったりすること自体が法律上の処罰の対象となり、それだけで十分生活上のトラブルになります。ですから一見誰にも迷惑をかけずに問題なく使っているようにみえても、使用や所持をやめることができないなら、それだけで十分依存症の診断がつきます。アルコールは合法ドラッグですから、飲んで暴れたり、体調を壊したりして、家庭や仕事に支障が出るパターンをくり返しているのでなければ、依存症とは言いません。
睡眠薬や安定剤の場合も、医師の処方どおりに飲んでいるのなら、「向精神薬依存症」なのではありません。睡限薬を飲み忘れたら眠れなかったり、忙しくて安定剤を飲めないでいるとイライラしたりすることを理由に「自分は処方薬の依存症になってしまった」と心配される方がいますが、普段は医師の指示どおり飲んでいるのであれば、薬の飲み方についてコントロールを失っているわけではないので、依存症という診断はつきません。
いつも血圧を下げる薬を飲んでいる高血圧の方が、薬を飲み忘れたら血圧が上がってしまうのは当然ですよね。だからといって、「自分は降圧剤依存症だ」などと誰も心配したりしません。医師に指示された量よりも多めに飲んだり、寝る前に服用するべき睡眠薬を昼間飲んだりするなど、自己判断に基づく不適切な服用をして生活に悪影響が出るパ夕ーンをくり返している人が向精神薬依存症なのです。
などと、とても「科学的」とは思えない妄言を吐いている。しかもそれが、『くすりにたよらない精神医学』(日本評論社、2013年11月)というムックでなのだから、恐れ入谷の鬼子母神だ。
向精神薬を降圧剤に喩えるあたり、前回紹介した『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』で著者ロバート・ウィタカーが述べている「抗精神病薬は糖尿病患者にとってのインシュリンのようなもの」という使い古された製薬会社の宣伝文句と酷似しているから、それだけで自ら正体を暴露しているようなものだ。
小林のいうように、依存症とは「コントロール喪失の病」なのか? だったらアルコール依存は「コントロール喪失状態」で説明がつくかもしれないが、覚せい剤を使用していても、「適度」に使用し、他人に迷惑をかけなければ「依存」とはいわないと思うのだが、小林は「薬物を所持したり使ったりすること自体が法律上の処罰の対象とな」るから「依存だ」と、全く支離滅裂なことをいっている。
そもそも向精神薬(特にベンゾジアゼピン等)は、降圧剤やインシュリンと違って「睡限薬を飲み忘れたら眠れなかったり、忙しくて安定剤を飲めないでいるとイライラしたりする」という薬を服用することによって生じる肉体的・精神的依存性を生じることが問題なのであって、「医師の処方どおりに飲んでい」ても耐性が形成されて薬量が増えていき、結果的に「寝る前に服用するべき睡眠薬を昼間飲んだりするなど、自己判断に基づく不適切な服用をして生活に悪影響が出るパ夕ーンをくり返」すようになるから問題なのではないか? 降圧剤やインシュリンは病状が悪化しない限り、患者自らが決して薬の増量を望むようにならないのは、薬自体に依存性を生む作用がないからだ。しかもこのムックでは、別の著者によって、向精神薬依存症患者の多くは「医師の指示どおり」処方された薬を飲んで処方薬乱用になったことが明らかにされているのだ。(松本俊彦)
私は高校生の時から慢性じんましんに罹り、抗ヒスタミン剤や抗アレルギー剤を飲まないとじんましんが出るため、薬を切らせない状態が20年以上続いたが、ある日薬を飲み忘れて、気がつくと業病とまで思っていたじんましんが治っていた。もちろんじんましんが出なければ薬を飲まなくても何の不自由もなかったので、その日以来、薬はやめた。薬を突然やめても何の問題も起こらなかった。ところが、2000年に夏場の自律神経失調症が元で飲み始めた向精神薬は、今年で14年間やめられずにいる。途中、調子がいいときには薬を飲むのを忘れることもあったが、飲まないと夜眠れないので薬を結局薬を飲み続けることになった(別に元々不眠症だったわけではない)。そして、夏場しかコンディションを崩さなかった自律神経の調子が、年中思わしくなくなった。私には、薬をそれ以上増やしたくないという固い意志があったので、医師が勧めても量は頑として増やさなかったが、そのかわり、薬効の切れる時間になると手足が痺れたり汗をかいたり、胸苦しくなったり、時にはパニックになり、それが薬を飲むと治まるというようになった。これを常用量依存ということを後で知った。
今から2年前、10年以上経っても症状が改善しないのは、むしろ薬そのものに原因があることを知って薬をやめようとしたが、離脱症状という名の禁断症状のためにどうしてもやめられなかった。この時の苦しみ、そして薬を再開してから落ち着くまでの苦しみを通して、麻薬中毒者の気持ちが痛いほど分かった。いっておくが、私は一度とて「医師の処方どおりに飲」まなかったことはない。むしろ、律儀に医師の言うとおりに(時には増量・増種しようという医師の誘惑を拒みつつ)飲み続けたため、こうなったのだ。私の症状が依存症でなかったら、何というのか? 「それは薬のせいではなく、あくまであなたの病気の症状が悪化したからです」と小林はしらを切り通すつもりか。
この小林桜児も含めて、このムックに原稿を寄せている医師は、おそらく日本の精神科医の中では良心的で、薬の使用にどちらかというと否定的な考えの持ち主なのだろう。要するに、医師個々人の問題ではないのだ。『薬を抜くと、心の病は9割治る』の著者で精神科医の銀谷翠医師が述べているが、(日本に限らないが)大学の医学部では薬物療法が患者にとって有効で第一選択肢である治療法として教えられているから、その向精神薬を疑う医師はほとんどおらず、上述のような「良心的」な医師も、基本的にそのパラダイムに囚われているのだ。
上述の松本医師は救命救急センターに運ばれる向精神薬過剰服用者が多いため、救急医からいつも非難されると述べている一方で、「精神科医と患者の双方に、「薬」という〈モノ〉による苦痛の一時しのぎ」という、いかにも依存症特有の病理がある」などともっともらしいことを述べているが、冗談じゃない。初めから「薬をください」と精神科や心療内科を訪れる患者はめったにいないだろう。患者は風邪をひいたりお腹が痛ければ内科へ行き、怪我をすれば外科にいくのと同じように、ただ「心の病」を治したくて精神科や心療内科に行くにすぎない。「「薬」という〈モノ〉による苦痛の一時しのぎ」を強いるのはあくまで医者の方であって、患者ではない。そして、患者は、他の依存症患者のようにそうと知りつつ自ら薬物依存の罠にはまっていくのではなく、ただ、医師の指示どおりに処方された薬を飲むうちに、知らず知らずのうちに依存症患者に仕立て上げられてしまうのだ。加害者は医者であって、患者はあくまでも被害者だ。ここのところを勘違いしてもらっては困る。
松本医師はよく「「精神科医代表」として、救急医からの非難と攻撃のターゲットにされます」と書いているが、向精神薬被害者の非難と攻撃のターゲットにされた経験がないようだ。向精神薬被害者の非難と攻撃はそんななまやさしいものではない、怒りと怨念がこもっている。良心的医師の偽善と欺瞞を徹底的に指弾し、暴き立てるだろう。
そういう日を迎えなければ、日本の精神科医は決して目覚めないだろうし、日本の精神医療は決して患者のための医療になることもないであろう。

厚生労働省は精神安定剤や睡眠薬等(=ベンゾジアゼピン系薬剤)の1ヶ月以上の継続投与を禁止する行政措置を![右斜め下]

向精神薬服用者必読の書『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』 [Anti-psychotropic drugs]

私にとって内海聡著『精神科は今日も、やりたい放題』が目から鱗の書であったとすれば、ロバート・ウィタカー著『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』(福村出版)は心の靄を一気に払い飛ばしてくれる書であった。この14年余り私の受けてきた医療、飲み続けてきた薬の本質を、これ以上明確に解き明かしてくれるものはない。500ページを超える大著を1週間で読み切った。
kokoro.jpg向精神薬といえば大きく抗精神病薬抗うつ薬、そして抗不安薬に大別されるが、著者はそのいずれをも、短期的効果はさておいて、長期にわたって服用を続けた場合、症状を改善するどころか悪化させ、精神機能に不可逆的な損傷をも与えかねないことを、アメリカの精神医療の歴史を遡って丹念に資料を掘り起こすことと、百名以上の薬害被害者を取材することによって明らかにする。そのことを通して、うつ病双極性障害はもとより、統合失調症さえ、治療薬が登場する前は大部分、1回程度のエピソードで治り、何の支障もなく社会復帰できていたのに、治療薬が本格的に用いられ始め、患者数が増加するに従い、自立どころか社会福祉の対象とならざるをえないほどQOLが低下し、一生薬を服用し続けざるをえなくなった経緯も明らかにする。昔は希にしか見られなかった双極性障害に至っては、うつ病患者に抗うつ薬を投与することによって躁転し、診断名が変わるため、患者数が激増したという。
しかも著者は、にもかかわらずアメリカにおいて抗精神病薬がこれほどまでの社会的信頼を科学の名において獲得し、子どもを含む数百万の「精神病患者」を生み出し彼らを薬漬けにしてきた製薬会社の詐術を暴露し、それに精神科医や行政当局、さらには子どもの患者の親たちさえが、いかに絡め取られてきたのかを暴き出す。
何でもアメリカの20~30年後を追う日本も同じである。1999年に初めて日本でSSIRが認可されて15年間に、うつ病患者が倍増した。10年前に発達障害者支援法が施行され、自閉症ADHDLD等、学習の妨げになる子どもたちの囲い込みが行われるようになったが、当初薬物使用に慎重であった日本でも、ここ数年おおっぴらに子どもへの向精神薬投与が語られ実施されるようになっている。
10年前、"LET THEM EAT PROZAC"の著者デイビッド・ヒーリーは、日本でベンゾジアゼピンの使用が問題になったことがないことを不思議がり、「遺伝的に日本人はベンゾジアゼピンに依存しにくいのか」と疑問を呈していたが、どういたしまして、それはただ、日本が欧米より20~30年遅れているだけの話だった。日本では、2010年代になって、ようやくベンゾの依存性が問題化し始めた。
これから類推すれば、日本でも今後20~30年の間に、全人口の0.2%程度とされている双極性障害患者が激増し、子どもの精神障害者も激増して、一生薬漬けにされて人生を棒に振る若者が溢れかえることが予想される。
本書の著者はこの問題に特別な関わりを持たないジャーナリストだった。それがたまたまあるきっかけでアメリカの向精神薬の問題に足を踏み入れることになり、問題の本質にたどり着いてしまったのだ。著者は製薬業界が振りまく「抗精神病薬は糖尿病患者にとってのインシュリンのようなもの」という科学的根拠を装った表面と、患者を一生薬漬けにする恐ろしい裏面を、一見すると若い婦人の顔に見えるが、見方を変えると恐ろしい魔女の顔に変わる「だまし絵」になぞらえている。
こうした詐術を、私たち日本人は3.11を通して原子力ムラに見てきた。そして、少なからぬ人々が「原発は五重の壁に守られて安全」「原発事故の起きる確率は隕石が人に当たるようなもの」とか、「放射能は怖くない」「100mSv以下は安全」などという学者がのたまう「科学的言説」が全く根拠のないデマに過ぎないことを悟るようになった。しかし、それと全く同じ構図が精神医療界にも当てはまるということを知る人は未だ少ない。「うつは心のかぜ」「統合失調症は一生治らない病気」「心が悲鳴をあげたら、我慢しないで近くのメンタルクリニックへ」「発達障害は早期発見・早期治療で治る」などという科学的に聞こえる専門家の言説を信じ切っている。
おそらくこの詐術を見破ることができるのは、残念ながら私のように実際に向精神薬の被害にあった者だけであろう。その被害者さえ、精神医療ムラのマインドコントロールによって、真実にたどり着くことを妨げられている。
だからこそ、私たちそのことを先に知った者たちが、声を大にして精神医療のウソを暴き、そのペテンを糾弾し続けることでしか、隠れた魔女をあぶり出すことができないのだ。
本書はそのための格好の武器となる。向精神薬を服用している人には1人でも多く読んで、自分が騙されていることに気づいてほしいと祈るばかりだ。

厚生労働省は精神安定剤や睡眠薬等(=ベンゾジアゼピン系薬剤)の1ヶ月以上の継続投与を禁止する行政措置を![右斜め下]

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