SSブログ

ダグラスの社会信用論(連載7)  [Basic income]

決定的な飛躍
ダグラスの多くの門人の間には期待にみなぎった真剣な雰囲気があった。すなわち、人間の社会的・文化的発展に向かう決定的な飛躍がなされるのかどうかという歴史的な瞬間に、彼らがいるという感じがあった。意外にも、高名な金融界の中心人物たちが銀行システムに関する啓示的な論評をし始め、ダグラスの提案を公開的に支持することも広がった。そのうえ、彼らはダグラスの非妥協的な用語を繰り返し強調した。
例えば、イングランド銀行の前総裁レジナルド・マッケナはこう述べた。「私の考えでは、一般大衆は銀行がお金を創造し破壊するという話を聞きたくないのではないかと思う。」彼は付け加えて述べた。「国の信用システムを統制する人々が政府の政策を左右し、自身の手中に国民の運命を握っている。」イングランド銀行のもう一人の総裁であったヴィンセント・ヴィッカーズは、貨幣改革の確固たる提唱者になったが、ロバート・アイスラーの本に付された序文で次のように書いた。
現行の貨幣制度はわれわれの現代文明に適しておらず、世界に対してますます脅威になっている。…私は大衆にこうした話をする資格があると思う。すなわち、今日この国の貨幣システムが最も科学的で現代経済学者に知られている最新の方法によって仕事をする「公認された貨幣専門家たち」によって運営されていると信じるなら、完全に誤りである。…イングランド銀行はこれ以上現代経済学者の努力を窒息させてはならず、すべての「貨幣改革者」を、自身の権威を簒奪しようとする無礼なおせっかいと見なしてはならない。…共同体の大きな部門で貨幣改革を熱烈に要求しているこの時、政府は他の場所で助言を求め公開的な討論を奨励しなければならない。…われわれの失業と不確実性の根本原因は、新たな機械設備を備えた「生産的企業」ではなく、古いメカニズムで動いている「金融」にある。「金融」は現代の必要に適応することに失敗した。
恐らく最も偉大な変身は、もう一人の前イングランド銀行総裁ジョシア・スタンプ卿の場合であろう。自身の小冊子『課税による独裁』の冒頭で、ダグラスはスタンプ卿がその頃行った発言を引用している。
わずか数年前でさえ、今のような規模の税金が、革命を伴わずにイギリス国民に賦課されうるであろうと信じた者は誰もいなかった。私は教育とPRを通して、この規模が非常に注目に価するほど引き上げられうるという希望を持っている。
ダグラスはスタンプ卿と彼の提案を徹底的に嘲弄しながら、政府が貨幣供給に失敗している状況で、「課税というのは合法化された盗みであり、不必要で浪費的で専制的なもの」であることを強調した。そして、その何週間後かに、スタンプ卿は銀行と財産獲得と奴隷制の意味に関連して驚くべき発言をした。「われわれが奴隷になることを望み、この奴隷制にかかる費用を支払うことを望むなら、銀行がお金をつくり出すようにすればよい。」これは、ダグラスが及ぼした影響のせいであった。ダグラスの影響を受けた多くの人々は、金融システムに関する彼の分析の重要性だけでなく、その分析がかなり重大な政治的問題を表わしていることを見抜いた。
こうした非常に政治的で哲学的な脈絡で、ダグラスは自身の後期の提案を行ったのである。彼は自身の様々な勧告案が、ただ示唆的な提案として意図されたものであることを繰り返し強調した。根本的なことは金融システムの変更の必要性であった。そうして彼は、改革原則の輪郭を描くことを好み、具体的な細部の問題からは逃れていた。例えば、『社会信用論』で彼は、「国民配当」に関する提案を説明するのに、1段落以上の文章を費やさなかった。賃金が現在の状態に留まる限り、
配当が[なければならない]。配当は全体的に今「生産する」人々の生計維持に必要なものよりさらに多く生産された生産物すべてを購入できるようにするであろう。…そうした条件の下で、すべての個人は世代から世代に伝承されてきた文化的遺産の恩恵を正当に享有するだけの購買力を所有することになるであろう。
「社会信用」は世界全域にわたり重要な政治的運動になった。カナダのアルバータ州では、社会信用政府が選挙によって成立した。しかし、ダグラスのアイデアに立脚してその政府が金融システムを改革しようとしたすべての試みは、カナダ中央政府によってブレーキがかけられた。第二次世界大戦は成長していた社会信用運動の動力を完全に挫折させ、後にアルバータ州政府は「英雄に適した土地」を約束した。そうして農村と都市の再建のために新たな中央集中化されたプログラムが実施されて、莫大な融資が注入され、数多くの仕事が提供された。戦争直前までの金融システムの巨大な失敗は、戦後の好況のなかで忘れ去られた。経済的民主主義の問題は「新エルサレム」建設という戦後の雰囲気の中で簡単に無視された。
その後、ダグラスのアイデアはだいたい看過された。それは無視されたり現代福祉国家体制の中では古い考えであると規定された。しかし、スコットランドに拠点を置く「社会信用事務局」は、ダグラスの著作を引き続き出版し、政治及び経済問題に関して論評する定期雑誌を発行してきた。だが、マスメディアは関心を示さなかった。今70歳以下の人の誰であれ、クリフォード・ヒュー・ダグラスや「社会信用」に関して言及したら、彼らは恐らく「誰でしょう? …何ですって?」と言うであろう。しかしダグラスは、当時はとてつもない政治的影響力を有しており、世界の舞台で活躍した主要人物であった。彼は世界全域に門人がいただけでなく、イギリス、日本、カナダ、ニュージーランド及びオーストラリアで数えきれないほど開かれた公式的調査会議に証拠を提出した。20世紀の最も明晰で執拗な経済・金融制度批判者であったダグラスの名前が現代の経済学史の教科書から抜け落ちているということは、衝撃的で憂うべきことである。これはダグラス自身の論評を想起させる事態であるためである。「今日金融が力を行使するのは…普通の個人が金融の本質に関して無意識状態にあるせいである。」この無意識は1952年にダグラスが死んだ後に、引き続きさらに成長してきた。
(続く)

ダグラスの社会信用論(連載6) [Basic income]

要約すると、ベーシックインカム論の強力な根拠を提供する多くの論理がある。
1.安定したお金、すなわち負債としてつくられなかった貨幣がなければならない実際的必要性
2.購買力と物価が均衡をなさなければならない必要性
3.成長と発展が真の必要や需要に応じるために、経済が現水準で適切に機能しなければならない必要性
4.失業者のための建設的な土台提供の必要性
5.全面的に賃金にのみ依存し、したがって雇用主の搾取になすすべのない就業者のために、ある程度の財政的独立を提供する必要性
6.誰でもある程度の権利を主張することのできる、以前の世代によって伝承されてきた社会の文化的遺産に対する認定
7.絶対多数の人々が現在食糧を自給する土地や、その他生存を維持する手段を有していないということ、したがって今日の経済が十分に提供することのできる基礎生活必需品に対してある程度直接アプローチする必要があるという事実の認定
ダグラスは彼の「国民配当」をここで私がしたようには説明しなかった。彼の最初の著書は「正当価格」を相当細かく説明する。しかし、この段階でダグラスは、彼が発見したのはひとつの「欠陥」であるとだけ信じた。すなわち、ひとまず問題が徹底的に議論されれば是正することのできる、金融制度上の失敗または意図されなかった欠陥であると信じた。しかし第二の本を書く頃に、ダグラスのアプローチの方式は全面的に変わった。ダグラスや彼の支持者には、今彼らが対抗しているものが金融システムの意図されなかった欠陥なのか分からないが、しかしそれは経済に対する粗雑な中央集中的な統制政策を有利に支えている欠陥であるということが明白になった。政府と金融界の人々は不均衡な金融システムの操作を通して、自身が経済成長の方向と速度にとてつもない統制権を行使することのできる状況を変更しようと思う意思が全くなかった。
1923年以降、ダグラスの著述は政治的な性格が濃くなった。彼の分析や提案はどれも、より深層的な考慮と関連している。すなわち、金融システムに関連する権力構造、永久的労働指向経済と財貨及びサービス供給指向経済の間の隠密な哲学的差異、賃金奴隷経済が提起する道徳的問題、そして近代的政府の本質等々。 ダグラスは経済システムの目的が終わりのない雇用を提供し、次第に必要もない生産品を果てしなく供給するのならば、現行のシステムを凌駕するものがないということに喜んで同意した。しかし、経済学の目的が、商品が必要な時と場所における商品の生産と分配を許容するものならば、新たな金融システムが必ず必要なのであった。
私たちは、金融システムが市場に出ている商品を買い入れるに十分な購買力を分配していないということは、明確に愚かなことであるという話をよく聞く。しかし、「私たち」がそのようなことを言ったことはない! 私たちが言うのは、現在の貨幣システムの下で、消費商品の分配のための十分な購買力を確保するためには、資本財と輸出用商品を過度につくらなければならないということである。…今あなたに旋盤が必要でもなく、有り余るパンがあるにもかかわらず、旋盤製造会社の従業員は旋盤をつくらなければパンを得ることはできない。そうして彼らは、すでに有り余っているパンを得るために旋盤をつくり、砲弾をつくり、戦争を起こすものである。―ダグラス、『課税による独裁』、1936
ダグラスは雇用に対する盲目的な追求を問題視した。彼の時代は人々が仕事をするために存在し、普通の人は運命的に不愉快な環境で、ほんのわずかな報酬のために、長時間労働するようになっているという考えが疑いなしに受け入れられた時代であった。ダグラスのベーシックインカム論は、こうした労働倫理を暴露するものであり、また、この労働倫理を疑ったり中傷するのは経済的反逆行為のようなものであると恐れる心理に触れるものであった。ダグラスは強制的な労働を縮小することが労働の必要性それ自体を否定するものでないという点を指摘した。彼はまた、自身の改革案に反対する人々が、一般的に自身の財産のおかげで、強制的な労働をする必要がない人々であるという事実を指摘した。そうした人々が「国民配当」に反対する理由は、それが人々に「いかなる仕事もしなかったのに何かを与える」という点のせいであった。しかし、ダグラスはベーシックインカムが必要なのは、分配を要求する何かがあるためであると答えた。すなわち、現行の金融システムでは分配が不可能な財貨とサービスがあるためであるというのである。そのうえ、「何もしなかったのに何かを分けること」は、信用の創造以外に「いかなる仕事も」することなしに莫大な利益を手にする銀行家のトリックに比べてはるかに正当なものであった。
ダグラスはいかなる貨幣改革案でもその背後には哲学がなければならないと強調した。彼は現在の貨幣システムの背後にも何らかの哲学が存在すると主張した。現行の貨幣システムは哲学的な原理ではなく、数世紀の間制御されなかった力、すなわち銀行信用が成長を強要するメカニズムによって存在してきたが、それでもそこにはひそかにはたらいている哲学がある。この成長をめぐり、一連の仮定と偏見が発展してきて、人々は論理と証拠にもかかわらず、それらを振り払えずにいるのである。
それは無意識的なものであるかもしれないが、ベーシックインカムに反対し、金融システムの変化を拒否する態度の背後には、ほとんど哲学の水準に近い偏見と仮定の集合体がある。ダグラスはそれをこう表現する。「現行システムの目的は、個人が常に経済的依存性に閉じ込められていなければならないというアイデアに意識的または無意識的基盤を置いている。」
金融システムの効果的政策は、依存と統制の哲学を維持することである。失業者のために余分な仕事を、故意的な赤字を通じてつくり出すこと―そうして彼らがすでに充分に存在する物品とサービスを獲得させること―は、政府によるほとんど奴隷労働に近い搾取形態である。
今まで目標となってきたことは、人々が自身の席をに身動きもせず守り座っていなければならないピラミッド的な奴隷システムである。…その政策は個人的にまた集団的に、私たちに負債を負わせることによって、私たちを永久に借金取りの奴隷にしようとするものである。お金を求めて借金を清算することは不可能なことである。なぜなら、私たちの借金取りは借金を返すのに必要なお金をつくり出す唯一の権力者でもあるからである。―ダグラス、『課税による独裁』
私たちの外観上の豊かさに関連するある論評で、ダグラスは次のように述べた。
豊かさの中の貧困の根絶は重要なことではあるが、問題の核心ではない。人々が腹を満たした奴隷として生きることも考えることのできることである。…この島国の人々が今のように完全に奴隷化してしまったのは数千年来初めてであることを、私たちは悟らなければならない。奴隷の境遇を特徴づける主な要素は悪い待遇ではない。自身の生活を決定する政策にいかなる発言もすることができないのが奴隷の主な特徴である。―ダグラス、『「選民のための土地」騒動』、1943
金融システムを改革しないことによって、政府は依存的大衆に対する統制権を継続して維持し、強大な政治権力を引き続き維持してきた。遠慮なく率直な態度でダグラスは自身の分析と提案を提出した。ダグラスの著述と公開演説は近代的政府の運営方式だけでなく、その動機に対する驚くほどの攻撃であった。多くの人々は彼が何の話をしているのか理解できず、彼が滑稽なほど極端であると感じた。しかし、ある人々はダグラスの分析と鋭利な観察が現代政治の核心を衝いていると確信した。
(続く)

ダグラスの社会信用論(連載5) [Basic income]

ベーシックインカムを支給すべき社会的根拠も、やはり強力なものであった。人々にはある種の所得が基本的な権利として必要なのである。彼らは生活必需品に直接触れることのできる権利がある。ベーシックインカムと失業手当を完全に区別する二つの根本的要素がある。第一に、ベーシックインカムはすべての人々に、他の所得があろうとなかろうと、支給されるものである。第二に、それは失業手当のように他人が稼いだ所得を再分配するのではない。したがって、すべての人々のためのベーシックインカム―人々が労働を通じて稼いだ賃金を補充し、それを土台に生活を支えることのできる所得―は、すべての人々の共通した財政的土台を提供する。仕事を見つけたといってベーシックインカムが撤回されるのではないために、ベーシックインカムは建設的な方式で失業状態を支援することができる。それはまた、就職中である人々にも支援を与えるであろう。なぜなら、もし彼らの仕事が脅威を受けたり雇用主が彼らを不当に搾取しようとする時、ベーシックインカムは彼らが頼ることのできる予備金になることができるためである。そうした意味で、ベーシックインカムは経済構造と雇用主との関連で、労働者の地位を完全に変えるであろう。人々はこれ以上財政的に脆弱な境遇に置かれていないであろうからである。
ダグラスはまた、人間労働が機械またはテクノロジーによって代替されてきた状況を、ベーシックインカムが反映するであろうという点を指摘した。ベーシックインカムはテクノロジーの発展による恩恵をすべての人が享受できるようにするであろうからである。テクノロジーの発展がなされるのは、ダグラスが命名した「文化的遺産」のためである。このテクノロジーの発展という現実を真に反映して、ベーシックインカムは強制された労働を減らすであろう。ベーシックインカムはまた、人々が生産者でなくても消費者としては必ず必要であるという事実を確認させてくれるであろう。そうして進歩の結果が失業者に所得の喪失という災難を抱かせるのでなく、その恩恵を分けられるようにする一つのフィードバックメカニズムとして、ベーシックインカムが役割を果たすことになるであろう。そして最後に、ベーシックインカムは個々人に支給されるため、肉体労働を効果的に支援することができるようになるであろう。それで、さらに労働集約的な仕事が高度に機械化された事業と競争することを可能にしてくれるであろう。結局、ベーシックインカムは消費者が望む商品の質を保証するだけでなく、人々が望む労働方式も保証する手段になることができるであろう。 ダグラスが提唱したことは、静的で非妥協的な改革でなく、全く新たな社会的力学の創造であった。彼はベーシックインカム制度を通じて一つの新たな選択が出現するであろうと予見した。その選択は、人々が経済から本当に何を望み、どんな方式で仕事をしようとするのかを正しく反映することができるであろう。従来の賃金依存方式と比較すると、完全に新たな力の均衡がそこに関与することになるであろう。その均衡は、経済が提供することのできる選択のすべての中から人々に選択の自由を許容するであろう。こうした均衡は、普通の賃金所得者だけでなく、事業家と雇用主にも影響を及ぼすであろう。なぜなら、彼らは自身の商品に対する適当な販路をよりたやすく発見することができるであろうからであり、したがって競争が熾烈な、強要された成長に絶えず縛られなければならない必要がないであろうからである。こうした状況は、完全雇用と成長を盲目的に追求することよりも、はるかに合理的だ。実際に、完全雇用と賃金依存という政策は、これに比較すれば非常に粗雑で残忍なものである。
ダグラスはベーシックインカムに歴史的次元を与えて、その脈絡からもそれを正当化した。人々は土地から遊離し、したがって自らの食糧を栽培する機会から断絶されることによって、すべての経済的独立性を失った。こうした状況で、ほとんど全面的に賃金に依存して生きざるをえなくなった生存条件が、ベーシックインカムによって緩和されうるであろう。こうした意味で、ベーシックインカムは数世紀間、広範囲な貧困を誘発し、賃金依存階級に対する搾取を許容してきた根源的な社会的・経済的不均衡に対応するものである。ダグラスの提案は数世紀に渡り次第に加速化する経済成長の果てに、いくらか民主的な経済発展が始まり、賃金奴隷が終息して、すべての人々がある程度の経済的独立性を回復することが可能であるということを示すシグナルであった。ここで提案された民主主義は、すべての点で政治的民主主義と同じくらい重要なものである。ダグラスはそれを「経済的民主主義」と定義した。
(続く)

ダグラスの社会信用論(連載4) [Basic income]

「国民配当」―ベーシックインカム論
ダグラスの著述の主な難点の一つは、彼の改革案を提出する方式にあった。彼は普通の計画案を提示するより原理を議論することを楽しみ、どんなものでも特定の改革は目的に至る一つの手段に過ぎないと常に強調した。しかし何年かにわたり、ダグラスは一連の具体的な措置の大綱を提示し、多様な計画案を示した。そこにはふたつの繰り返すテーマがあった。第一に、購買力と価格が一致しなければならないということであった。人々は所得分配のために、そして経済不況を防ぐために、新たに投資したり経済を拡張する必要なしに、市場に出回っている商品を購入することができなければならない。第二の原理は、銀行システムがつくり出した負債を相殺するために、政府が負債から自由なお金を創造し供給する責任を一手に引き受けなければならないということであった。この二つの原理は様々な方式で連結することができるものであった。
ダグラスが提案した最初の改革は、企業に対する価格補助金であった。彼はそれを「正当価格」と呼んだ。人々が市場に出回っている商品を活かせない理由は、商品価格が現在の所得より高いためである。お金をつくってそれを企業に補助金として提供することによって、政府は価格低下を保障するこができ、その結果として人々が商品を買うことができる能力をさらに備えることになり、企業は自身の費用に十分に耐えることができるようになるであろう。この提案を、ダグラスは決して放棄しはしなかったが、彼の他の改革案のために急速にその重要性が減少した。
もうひとつの改革案というのは、普遍的ベーシックインカム制度である。今日人々がダグラスを記憶しているのは、主にこの改革案のためである。ダグラスはベーシックインカムまたは「国民配当」を支給することを提案した。これはすべての人々の権利として支給されるべき所得である。このベーシックインカムは金融制度の欠陥を補完し、またそれに関連する失業問題に寄与するように考案された改革措置であった。失業は現代的技術の到来とともに絶えず繰り返されるものであるとダグラスは見た。
ベーシックインカムは政府によってつくられた貨幣によって支給されるべきものであった。そして、その貨幣はいかなる時であれ購買力と物価が合致する程度に十分に供給されるべきものであった。この貨幣は市民配当の形態ですべての人々に支給され、個人がどんな仕事をして金を稼ごうが、彼の所得を支えてくれるものであった。そのおかげで商品に対する購買力が高まり、失業による貧困を軽減し、失業者が仕事を探したり自身の事業を準備する間、財政的土台を提供することになるものであった。そうしたベーシックインカムがすべての人々に支給されるため、就業中である人々も特定の雇用主に依存する必要が減り、彼らの地位も大きく改善されるであろう。それは経済的にだけでなく、社会的にも大変重要な意味を持つ改革案であった。
ダグラスは人々だけでなく経済のためにもベーシックインカムが必要であると主張した。ベーシックインカムを実施すべき社会的及び経済的根拠があり、それはすべて強力なものであった。金融制度の欠陥を考慮する時、ベーシックインカムは―経済に明らかに必要な―負債から自由な貨幣を経済の中に投入することのできるメカニズムを提供するものである。ベーシックインカムは政府貨幣として支給されるものである。それは銀行制度がつくり出した負債を相殺するように考案された、借金と関係がないお金である。もしそうしたお金が直接人々に渡されて経済の中に投入されるならば、銀行制度によって誘発された購買力欠乏現象を埋め合わせることになるものであった。ベーシックインカムの額は、負債を基盤とした成長が続く必要なしに商品を売ることができるほどの購買力を促進するように調整されるであろう。このお金は消費者に直接分配されるものであるため、企業を迂回して、したがって費用を引き上げないであろう。だから、物価上昇なしに購買力が高まり、したがってインフレと負債発生は回避されるであろう。このようになれば、経済は財政的に安定するであろう。
(続く)

ダグラスの社会信用論(連載3) [Basic income]

しばらくお休みしていたダグラスの社会信用論の翻訳を再開します。


A+B理論は、
購買力と価格がともに一つの流れと見なされるならば、購買力は価格に匹敵することができないという主張であり…、サボタージュの領域に関する文献にはその豊富な例を見いだすことができる。例えば、売れなかったり価格を維持できないために収獲した小麦を燃料として燃やしたり、数百万個のコーヒー袋を破壊したり、アルゼンチンの草原で小牛を銃で撃って殺したり、ゴム採取を抑制したりする等のことである。しかし、こうした実際の消費財の積滞問題は、半休業状態にある工場、大規模失業または耕作地の縮小に代弁される広大な未使用の生産力を考慮しないものである。…したがって、現実的または物理的観点から見ると、世界は実際には裕福であり、実際の財貨及びサービスの面で今よりはるかに裕福になることができ、したがって経済的窮乏というのは時代錯誤的な現象であるということは、疑う余地がないと私たちが見るのは正当である。…しかし、政府の代弁人たちは、私たちが非常に厳しい時期を生きおり、金融経済が必要であると主張している。…明確に、この二つの構図は両立しえない。私たちは経済的に同時に裕福でありながら窮乏することはできない。言い換えれば、金融システムは物理的・経済的生産システムの現実を反映していない。事実と論理が、私たちが裕福であるということを証明しているのに、金融システムは私たちが貧しいというならば、欠乏しているのは購買力であって商品ではないということは論を待たない。すなわち、市場に出ている商品の総価格はその商品を買うことのできる購買力を凌駕しているのである。―ダグラス、『新経済学と旧経済学』、1973
ダグラスの分析は繰り返す好況と不況に対する説明も提供してくれた。
私たち「社会信用論者」は現在の貨幣制度が事実を反映していないという。反対派は反映しているという。私は皆さんの常識に任せようと思う。1929年にほとんど熱病のように繁栄しているように見えた世界が、1930年にそのように貧しくなったということが可能なことであるのか? それほどあっという間に、あまりにも根本的に変わってすべての条件が逆転し、世界が悲惨なほど窮乏するということが、本当に可能なことであるのか? 1929年10月の特定日とその後わずか数ヶ月の間に、世界が裕福な世界から窮乏した世界に変わったと考えるのが道理に合うことなのか? 明らかにそうではない。―ダグラス、『現実へのアプローチ』、1966
恐慌当時、大部分の経済学者は「セイの法則」を支持し、恐慌の原因が消費されなかった貯蓄にあると主張した。言い換えれば、貯蓄を経済の中に戻す投資の欠乏が、商品が販売されない原因であるというのであった。ダグラスは貯蓄水準と銀行預金が不景気の間に急激に落ちたことを指摘することができた。貯蓄が恐慌の原因になったというのは不可能であった。実際にそうした主張は明確に誤りであった。それだけでなく、ダグラスは銀行の貸付システムというのは、ひとりが貯蓄したお金を他の者が投資のために借りるのではないということを指摘した。貸付は新たなお金をつくり出すことであった。銀行貸付制度による貨幣の創造という事実は、その当時広く認められていなかった。ダグラスのせいで金融経済学者が「追われて」いたというのはあまりに穏健な言い方である。彼はその分野の多くの経済学者より事態の真相をより正確に知っていた
1928年の「マクミラン委員会」は不況に関連して金融制度を調査し、ダグラスらが提起した問題を検討するためにつくられた議会調査機関であった。ダグラス自身が委員会に招致されて証拠を提出したが、権力者の間でダグラスの同調者はほとんどいなかった。彼の分析と改革案は拒否された。しかし、銀行がお金をつくり出すという事実に対する公開的な是認が最初にそこでなされた。委員会の報告書はこう延べている。
…大部分の預金は銀行業それ自体から出てくる。…銀行は創造された信用または購入された投資が当初の現金でなされた預金額の九倍になるまで貸付または投資購入を継続することができる。― 『現実へのアプローチ』
その報告書にはまた、ダグラスの理論に対する暗黙的な承認も入っていた。なぜなら、マクミラン委員会は経済が投資に依存するという事実を認めたためである。そうして不況期の間には民間投資が絶望的であるほど低調なため、政府が公的負債によって経済を再浮揚させるべきであると報告書は勧告した。しかし、政府はその勧告を無視した。
(続く)
*次回はいよいよベーシックインカムに関する部分です。

ダグラスの社会信用論(連載2) [Basic income]

攻撃される経済学
これは金融システムに対する強力な攻撃だけでなく、経済学者の根本仮定に対する攻撃でもあった。ダグラスは、経済がその商品の分配に関連して危機に至ったことを指摘した。ダグラスによって一つの主要な経済的論点が提起され、これは単純に学術的な論争だけではなかった。それは当時の政治的討議を支配し、一つの重要な大衆運動を出現させた。
今日でも多くの教科書の最初の部分で発見される古典経済学の中心仮定の一つは、人々が十分な商品を持つことは不可能であり、したがって経済学は希少資源に関する研究―だから本質的に「葛藤」に関する研究であるというものである。ダグラスはこの基礎的な仮定に疑問を呈し、豊かさの中の貧困現象を指摘した。現実には分配されなかった豊富な物資があり、そのうえ失業という形態の不公平に分配された余暇があった。もちろん葛藤が存在しているが、それは希少資源に起因するものではなかった。葛藤は「分配の失敗」に起因するものであって、生産の欠乏に起因するものではなかった。したがって、分配の問題を「雇用」という解決策によってアプローチすることは誤りであった。雇用の追求はピンぼけであり、より多くの生産によって分配問題を解決しようとする試みは、分配問題への回帰を不可避にする。
さらにダグラスは、こうした状況で私たちがより多くの電球や朝食用シリアルを必要とするかどうかという問題は、仕事を提供し所得を分配しなければならない必要性に関して副次的なことになったことを強調した。現在の経済生産能力、そして人々が実際に経済成長を望むのかどうかと、そうした成長の本質が何なのかに関する考慮はますます無視されていった。したがって、ダグラスは戦後不況の打開策として雇用にとらわれることを批判した。不況は雇用の欠如でなく、金融システムによって発生したものであった。ダグラスはさらに進んだ。雇用の追求は誤りであるだけでなく、技術の発展に照らしてみて危険な政策であった。人間は自身がつくり出した経済の奴隷になっていく危険に直面していた。果てしない投資に依存する経済が、発展していく技術と雇用の追求に結合すると、発展が加速化される時代になるであろうし、そこで人々は絶えず余剰的な存在になり、より向上した進歩を追求する過程で絶えず再雇用されなければならない状況が広がるであろう。その結果、過剰生産、輸出余剰、低品質商品、そして誰も実際に望まない商品が必然的にあふれかえるであろう。
こうした意味で、ダグラスは1920年代と1930年代にすでに過去50年間、私たちの時代の特徴であった爆発的な経済成長を予見した。経済成長は多くの恩恵をもたらしたが、同時に途方もない社会的・環境的対価を払わせ、大変な浪費を伴った。事実上「使い捨て社会」は約80年前にダグラスによって予言されていたのである!
希少性という問題に触れることによって、ダグラスは古典経済学の中心的信条に脅威を与えたが、しかし彼は経済崩壊の責任が金融にあると見ることによって、自身の時代の、そして私たちの時代の最も強力な体制に脅威を与えた。彼は精神異常者という非難から経済的反逆者という非難に至るまであらゆる非難を受けたが、自身の主張を曲げず、「システムは人間のためにつくられたものであり、人間がシステムのためにあるのではない」という意見を明確に表明した。
ところが、現代の金融システムは人に奉仕するしもべでなく、人を支配する独裁者であった。しかし最も大きなセンセーションを巻き起こしたのは、経済システムの全般的目的に関するダグラスの鋭利な洞察でなく、経済学者と―特に金融分野で―相対することのできる彼の能力であった。
恐慌は経済学を混沌に陥れた。なぜなら、古典経済学によれば、そうした大不況は起きえないものであった。企業に対する銀行融資が購買力欠乏を発生させたというダグラスの論理は、経済学のあの根本的な命題、すなわち「セイの法則」を完全に罵倒するものであった。「セイの法則」によれば、商品生産の過程は生産されたすべての商品を買うことのできる十分な購買力を自動的に分配するというものであった。ダグラスはそうではないと述べた。
ジョン・ケネス・ガルブレイスは言う。「ただ教育をまともに受けられなかった人々と…変人だけが違うことを信じる。すべての高名な経済学者は生産からいつでも生産されたものを買うに十分な購買力が流れ出てくることを知っている。」そして高名な経済学者はダグラスの購買力欠乏理論と彼のA+B理論を攻撃するために大挙介入した。
一般経済学者がダグラスの分析に対して繰り返しそれが実効性がないと批判したのは、経済全体を通して企業が相異なる発展段階にあるためであるというものであった。ある企業は投資を行い、ある企業は生産を行い、ある企業は幕を閉じる。そうして多様な局面が相互のバランスをとることになる。投資企業が生産活動開始以前に分配した賃金は、他の企業の必要に当然寄与する。すなわち、その企業は過去の投資金を回収するために、生産過程で労働者の所得として分配されるものよりさらに多くの価格を付けなければならない必要に直面する。ダグラスはこれこそが正確に自身の論理の核心であると述べた。すなわち、単にそうしたバランスを維持するためにも、新たな投資と成長が不可欠なものになったということである。一般経済学者が安定した力学を見たものに、ダグラスは不安定な力学を見た。両者の差異は金融システムに関するダグラスの洞察に起因した。今日、金融システムで大部分のお金は負債としてつくられ流通しており、この金融システムの上にすべての経済が構築されているという洞察のことである。
経済が負債を土台にしているために、いったん負債―お金を使う発展が始まると、その発展は瞬く間にダグラスが描写したような投資と「時間間隔」に依存しないわけにはいかない状況をつくり出す。ダグラスの分析は実際に非常に躍動的で正確な分析であるといえる。過去の生産物を買うために現在の賃金が必要であるという「時間間隔」概念は、今日の住宅ローン制度の中に典型的に内包されている。人々は数十年あるいはもしかしたら数世紀前に建築された住宅に対する価値を支払うために、自身の現在の所得を20年間も食いつぶさなければならないのである。
ダグラスが著述活動を行っている時、今私たちが見るような莫大な消費者負債は存在しなかった。貨幣供給に関連する負債の大部分は、企業負債や政府負債であった。消費者が―購買力欠乏のために―耐えることのできない物価に直面しているというダグラスの理論は、今日の経済を支配している数えきれないほど多くの形態の「購買のための借入れ」によって最も確実に証明されている。だが、ダグラスと彼の追従者にはそうした確実な証明がまだ与えられていなかった。しかし、ダグラスの理論を裏付ける多くの他の証拠が存在し、彼と彼の支持者は繰り返しその証拠を示した。
(続く)

ダグラスの社会信用論(連載1) [Basic income]

訳者注)本稿はMichael Rowbotham(イギリスの著述家、貨幣の歴史に関する研究家)のThe Grip of Death: A Study of Modern Money, Debt Slavery and Destructive Economics(1998, 4th edition 2009)中の “Lincoln and Douglas: the suppressed alternative”の韓国語部分訳(「緑の評論」第113号、2010年7-8月号)からの重訳である。クリフォード・ヒュー・ダグラス(Clifford Hugh Douglas)についてはhttp://bijp.net/sc/article/68を参照されたい。

クリフォード・ヒュー・ダグラス少佐は1920年代にイギリスで始まった「社会信用」運動の創始者であった。第一次世界大戦直後の数年間、ダグラスは貨幣改革に関する議論を完全に異なる次元に引き上げた。19世紀の間、銀行に関する多くの論争があり、銀行の権力と政府の職務放棄に対して多くの批判が行われた。しかし、ダグラスはこうした水準を越えて、負債に基盤を置く金融が経済に及ぼす影響と貨幣改革の政治的意味を鋭く分析してみせた。
ダグラスは自身の分野で卓越したエンジニアであった。彼は職業的文筆家でもなく、訓練を受けた経済学者でも、大学教授でも、政治哲学者でもなかった。彼の最初の著書『経済的民主主義』は1919年に『新時代』に連載された。『新政治家』の前身であるこの雑誌は、当時の指導的文芸及び政治著述家のためのフォーラムであった。実務的な知識と経験を有するエンジニアであるだけで、著述家としては全く知られていなかった者に、そうした雑誌に自身の見解を表明する機会が提供されたことは、それ自体注目に価することであった。その頃、政治と経済は相変らず文筆家の主題であった。しかし、『新時代』の編集者、A. R. オレイジーは、ダグラスが自身が扱う問題に関して独特の理解を有しており、独自の貢献をなすことができるであろうことを見抜いた。オレイジーはダグラスの作業が当然享受すべき注目を浴び、その結果『経済的民主主義』はセンセーションを呼び起こした。反応は痛烈な罵倒と不確実さの混じった誤解、そして熱狂的な歓呼に至るまで多様であった。
ダグラスは従来の金融システムが根源的に不安定であり、経済を支えるのに不適当なものであると警告した。彼は金融システムのために経済が絶え間ない新たな投資と成長に全面的に依存するしかないと述べた。果てしなき成長がなければ、経済はスランプに陥り、結局崩壊するしかなかろう。ダグラスはそうした金融システムとお金をつくりだす金融権力を批判した。しかし彼の分析は、経済が銀行信用に依存することによって、どのように誤って機能するのか、その方式に集中した。彼は、特に企業が有している負債に関連して、企業活動に伴う費用が発生する方式と、こうした費用の結果として価格が定まる方式に注意を喚起した。ここにあらわれたのが購買力の欠乏現象、すなわち消費者側における経済の生産物を買うことのできる能力の不足であった。実際に、「購買力の欠乏」という用語を初めてつくったのがまさにダグラスであった。

ダグラスの金融分析
企業の費用と価格策定に関するダグラスの分析は、「A+B理論」として知られることになった。この理論の核心は、経済で価格というのは常に所得分配よりもより大きな割合で生成されるということである。例えば、電球を生産するために設立された新しい企業の立場から、この問題を一度見てみよう。
新しい電球会社設立のための投資でお金が配分される。後に電球が市場に出てくることになる時、その電球の価格はこの投資されたお金を回収する必要性も考慮しなければならないが、投資されたお金は「諸経費」に含まれて企業の費用に反映されるであろう。この事実が意味することは、その電球の総価格は企業で支払われる賃金とサラリーの総額よりもさらに高いということである。企業は過去に、すなわち投資期間に配分されたお金を回収しようとする。しかし、消費者はその金をすでに使ってしまったために、その金をこれ以上持っていない。その会社は自身が生産したすべての電球を購買するに十分な所得を分配しないために、他の会社によって分配された購買力を「捕獲」するとことに依存せざるをえない。しかし、これら他の会社もやはり、投資時に負債として諸経費を支払ったために、彼らも自分たちの商品を買える十分な所得を分配することができない。したがって、いかなる瞬間であれ、すべての商品の総価格は消費者の総購買力よりはるかに高くならざるをえない。
市場に出ているすべての商品を売ることのできる唯一の方式は、もうひとつの企業、例えば朝食用シリアル製造会社が創立されることである。この新しい工場設立による投資が新たな貸付金を経済の中に注入するためである。もちろん、これはその会社の新たな商品が市場に出てくる前になされる。そうしてこの追加的なお金があの電球会社を含む他の企業による購買力の欠乏を埋めるであろう。しかし、この新たな朝食用シリアルが市場に出てき始める時、その企業主もやはり自身の貸付金を返すための価格を策定するであろう。そうすると再び同じ過程が繰り返される。
これは一つの決まったパターンになった。すなわち、現在の商品販売は常により多くの貸付金、生産活動を始めるより先にお金を分配する新たな企業に依存しているのである。もしこのパターンがこわされるならば、すなわち経済が絶えず成長し拡張されないならば、現在の生産システムにおける購買力の欠乏現象は明確にあらわれて、売れない商品が蓄積され始めるであろう。売れなかった商品というのは、どこかで誰かが―工場、卸売商あるいは商店主が借金をすることになることを意味する。そしてその状況で、消費者は生産物を買うことのできない次第にますます不便な境遇に置かれることになる。その結果、経済は不況の苦痛を味わい始めるが、これは新たな投資によってのみ回避することができる。
ダグラスは、こうしたシステムの中で経済は財貨とサービスの分配のために成長をせざるを得ないということを指摘した。それだけでなく、人々は常に昨日生産されたものを買うために今日仕事をせざるをえない。現在市場に出ている商品を買うのに十分な賃金を分配するためにも、成長が是非とも必要なのである。
不景気の状況で、こうした分析はとてつもない現実性を帯びた。その分析は商品の余剰、一般大衆の購買力欠如、そして重い借金に苦しめられる企業の現実を、互いに結びつけて説明することができるようにしてくれた。
(続く)

家族福祉の復活か、個人給付のベーシックインカムか? [Basic income]

悪質な自民党国会議員らによる芸人親族への「生活保護不正受給摘発」と、それを煽るマスコミのバッシング、さらにはそれに乗じた政府・厚労省の制度見直し策動と、時あたかも野田政権の「一体改革」の名の下における消費増税攻撃のなかにあって、端なくもこの国の社会福祉がいかにお寒く遅れたものであるかを露呈することとなった。
そもそも「生活が困難な者の面倒は家族が見るもの」という「家族福祉」の考え方は、日本では、社会福祉などなきに等しかった明治以降の社会で、東アジアの伝統的な儒教思想と結びつく形で、近代化・資本主義化を支えてきたものだった。
戦後の日本は、1950年に現在の生活保護法が施行、1947年に制定された失業保険制度は1974年に現在の雇用保険制度に変わり、さらに1961年には国民皆保険制度と国民皆年金制度が実現した。こうして、戦後民主化過程から高度経済成長期にかけて、日本も形の上では社会保障制度が整備されていったが、その中身はヨーロッパの福祉国家と比べてきわめて貧弱なものであった。その貧弱な社会福祉を補ってきたのが、年功序列・終身雇用制度という日本独特の雇用制度に支えられた「企業福祉」と、戦前の封建的な家族制度を色濃く残した家族関係に支えられた「家族福祉」であった。前者の例としては、家族手当や住宅手当、冠婚葬祭費などの支給、企業年金制度、企業共済・組合共済等社会福祉の補完的制度、保養施設など福利厚生施設の供与などであり、後者としてはいうまでもなく、老後の親の面倒(介護)を子ども(主に長男夫婦)が見るという習慣をはじめ、世界一家庭負担の大きい私的教育費等である。
折から日本経済は高度成長→安定成長→バブル経済と、「世界一豊かな国」への道を歩みつつあり、そうした経済的な余裕が「企業福祉」と「家族福祉」を物質的に支えていた。企業は毎年の春闘を通して、ベースアップのみならず、そうした諸手当、福利厚生の充実を労働者に約束することができた。また、サラリーマンたる一家の父親は、妻子のみならず、年老いた親を養う十分な給料を得ており、親の介護は専業主婦のライフサイクルにおいて重要な仕事のひとつであった。
しかし、バブル崩壊とともに始まった「失われた20年」の期間、日本社会は不安定雇用労働者を大量に生み出し、そうした人々は「企業福祉」の恩恵に浴することができなくなった。また、それと同時並行した単身者の増加が戦後徐々に進行してきた(家父長主義的な)「家族」システムを土台から崩壊させることとなる。生活保護受給者の急増は、新しい貧困層の増加を基礎としつつも、「企業福祉」と「家族福祉」という戦後日本社会における社会福祉の貧困を代替してきたシステムの崩壊が相乗作用しての結果でもあったのだ。(ちなみに、戦後の高度資本主義化過程で、儒教思想を根拠として、日本と同じく「家族福祉」が社会福祉を代替してきた韓国でも、ここ十数年の新自由主義経済の嵐の中で「家族」と「家族福祉」の崩壊が、拡大する格差と貧困をより深刻なものにしている。)
だから、一部反動的な政治屋どもが貧困な日本の社会福祉の最後のセーフティーネットである生活保護制度の現実から国民の目を逸らさせ、あたかも「家族福祉」=親族が年老いた親や障がい者等の面倒を見ることが美徳であるかのような幻想をふりまいたとしても、それは制度的にも人々の意識の面でも、もはやかなわぬ「夢」に過ぎないのだ。
3.11は日本社会があらゆる面で、欧米先進国の足元にも及ばぬ「後進国」であることを自己認識させる契機となったが、そのなかから、遅ればせながらも「自立した市民意識」が芽生え、独立した自我=個人主義的民主主義が急速に成長しつつある。
ヨーロッパの福祉社会を支えているのも、そうした自立した個々の市民の集合体としての成熟した市民社会である。しかし、不幸にして資本主義がすでに崩壊過程に突入した今の日本では、いくら増税に増税を重ねても、ヨーロッパ並みの福祉国家を実現することは困難であろう。私たちにもし希望があるとすれば、それはポスト資本主義へと至る社会で最も合理的なシステムであるベーシックインカムすべての個々人に等しく保障される基本所得)を基礎にした全く新しい福祉設計を行うこと以外にあるまい。
E20D69C2-8CED-11E0-A829-A55FCD288735_l.jpg
希望のベーシックインカム革命-ポスト資本主義社会への架け橋-

労働時間短縮、金持ち増税で「ベーシックインカム」実現の道へ!(下) [Basic income]

カン・ヨンジャ(ベーシックインカムネットワーク運営委員)
3.
ベーシックインカムネットワーク運営委員でもある私は、ベーシックインカム自体に反対するものではない。むしろ、さらに深い研究と運動の活性化が必要であるという考えから、いくつかの問題提起をしたい。
第一に、ベーシックインカム議論が比較的活発であるか、実施されている国は、1)ヨーロッパ先進資本主義国のように福祉国家の経験を有していたり、さもなければ2)絶対貧困を解決するためのブラジル、ナミビア等の国、3)石油等特別な財源があるイランや米国のアラスカ等という点に注目しなければならない。ブラジル、ナミビアの事例は、それ自体では勇気づけられる実験であるが、私たちより福祉水準がはるかに低いので、模範事例になることはできない。それなら西ヨーロッパはどうか? ベーシックインカムの代表的理論家であるクァク・ノワンは、「西ヨーロッパの場合は追加税収なしに、既存の現金支給型社会福祉だけでベーシックインカムに統廃合しても、すべての国民が1人当たり平均毎月140万ウォン程度のベーシックインカムを受け取ることができる。韓国の場合、1人当たり毎月10万ウォン程度に過ぎない」という。
西ヨーロッパの場合、租税負担率は40%レベルである。韓国は25%レベルであるが、その中でも国防費が約10%を占める。したがって、韓国はベーシックインカム実現において財政を整備する方法が重点課題にならざるをえない。しかし、ドイツのような国では現在の福祉国家モデルとベーシックインカムの対立争点は、財政整備よりはむしろ労働付加の有無が中心になる。すなわち、ハルツのようにワークフェアの強化が論争点になるのである。
財政状況が非常に劣悪で、福祉国家がやっと政策として議論されている韓国で、ベーシックインカム陣営は不労所得及び投機所得に対する税率引き上げと環境税、土地取引税等、多様な税収新設を代案として出している。また、税収が50%台に突入しなければベーシックインカムが不可能なので、現在の25%台を2倍に上げなければならないという。そして、1%上げるのも25%上げるのも、持てる者たちの抵抗は同じことなので、大幅な増税を通じて解決しようという。ベーシックインカム陣営のロマン性が最もよく現れる点である。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の総合不動産税新設が結局ノ・ムヒョンの死につながったという話にも見られるように、ベーシックインカム研究者らが言及する増税、税収新設のどこが、そんなにたやすいことなのか。ヨーロッパは1965年頃、租税負担率が27%レベルで、今の韓国と似ていたが、その後持続的に増加して現在の40%台になったという。韓国の福祉国家論者が福祉国家建設を20年と捉えているのも、増税の現実化と関連が深いであろう。今回の総選挙で出された公約を実現しようとするなら、5年間に約268兆ウォンが必要であるが、増税の困難のために大部分国債発行を通して財源を調達する予定であるという報道もある。
増税なしに福祉をいうのは政治的詐欺であるだけだという話に照らしてみると、もしかしたら今回の総選挙の公約は、借金に依存する福祉であって、詐欺かもしれない。したがって、福祉国家建設であろうと、ベーシックインカム支給であろうと、増税を通した財源調達は必要条件である。増税の水準はその社会の成熟度を示し、増税はその社会の階級闘争の決定版になるであろう。
ベーシックインカム陣営が今のように財政整備のための戦争に介入しないまま、ベーシックインカムの肯定性、正当性のみを素朴に繰り返すならば、ベーシックインカムは今後もずっとプロパガンダに留まることになるだろう。ベーシックインカムを実現可能な政策とするためには、そしてベーシックインカムが韓国社会の進歩的再編のキーワードになるためには、増税に関する研究と大衆的運動をつくらなければならない。税金革命党はよい事例であろう。エコロジー党であれ、地代党であれ、金融取引税党であれ、それが何であれ、増税運動とベーシックインカムを結びつける大衆的運動が必要である。
第二に、労働社会再編とベーシックインカムの関連性の問題である。ベーシックインカム陣営は雇用のない成長の時代、完全雇用が終わった新自由主義時代、その代案としてのベーシックインカムを設定している。新自由主義時代は労働時間の両極化を通して、失業と不安定労働を量産する。特に韓国の場合、労働時間の両極化は深刻である。韓国人労働者の2008年の年平均労働時間は2,256時間で、OECD平均(1,764時間)の1.3倍に達し、2,000時間以上仕事をする国は韓国とギリシャ(2,120時間)だけである。特に韓国の金属労働者は、12時間交代で年間3,000時間以上仕事をする労働者も多数いる。失業率はどうか? ギリシャの青年失業率は50%を超え、ヨーロッパも20%を上回る。韓国の青年失業率も実質的には20%を上回る。
ベーシックインカム陣営の論者は、「不安定労働社会を解消しようとするなら労働時間短縮により総労働を再分配しなければならないが、ベーシックインカムは生活水準の下落なしに時間短縮を可能にしてくれる」と主張する。彼らは韓国社会の労働改革の中心課題である労働時間短縮と、これを通した仕事創出という最も基本的な改革課題さえ、ベーシックインカム導入以後に持ち越しているのである。
現在の労働時間短縮と仕事創出は、韓国社会の誰も明確には否定しない。しかし、資本と労働、そして労働陣営内部の利害関係が複雑に絡まっていて、一知半解に議論されているだけで、具体的実現意志を有していない。最も先進的な理念を掲げているベーシックインカム陣営さえ、賃金問題にしばられて労働時間短縮をベーシックインカム導入以後に先送りしているのが実情である。実質的な週40時間代の実現と、これを通した長時間労働と低賃金の鎖を断ち切ることができないならば、漸進的福祉国家建設さえはるかに遠く、ベーシックインカムは労働社会再編の核ではなく、貧困救済策に転落する素地が大きい。
長時間労働と低賃金という悪循環の鎖は、労働者の利害と直結している。韓国の労働運動勢力はその鎖を自ら断ち切ることができないという点を確認させてくれている。したがって、労働時間短縮は労働運動陣営に任せることも、ベーシックインカム導入以降に先送りすることでもない。失業を自ら体験しており、悪い職場をぐるぐる回る当事者が、現時点で最も先進的な理念を投げかけているベーシックインカム陣営が「労働時間短縮によるワークシェアリング」を労働運動に向かって、政権に向かって要求しなければならないであろう。労働時間短縮はすべての党の総選挙公約に常にメニューとして入っている。しかし、実質的策、特に労働時間短縮と仕事創出を連係させる案はどの党の公約にもない。
ベーシックインカム陣営は労働時間の極端な両極化を放棄したまま、賃金労働でない仕事、活動に対する所得を主張したり、労働時間短縮をベーシックインカム導入以降に先送りする安易な姿勢から抜け出さなければならない。労働時間短縮によるワークシェアリングがベーシックインカム運動の課題になる時、ベーシックインカム運動ははじめて現実に足を踏み入れることになるであろう。
韓国的現実で、新自由主義時代の代案は、デンマーク、オランダ等の労働柔軟性安定モデル、福祉国家モデル、ベーシックインカム等多様である。労働柔軟安定モデルを含む福祉国家モデルは、労働連係福祉という面で資本主義の枠組みを抜け出すことはできない。しかし、ベーシックインカムは労働力の脱商品化、資本主義的労働でない「仕事」、「活動」等に対する社会的認定という側面で、資本主義の向こう側を想像させる。しかし、福祉国家やベーシックインカムを実現するためには不可欠の課題がある。まさに財政整備と労働時間短縮と、これを通じたよい仕事の共有等がそれである。
ベーシックインカム陣営は労働社会再編のために週30時間代の実現、財源調達のための増税という課題と、ベーシックインカムの結合のための運動に突入しなければならない。そして民主労総、金属労組に向かって実質的週40時間制争取と仕事創出を要求することによって、労働運動の改革を強制しなければならない。今やベーシックインカムはこの社会の改革的課題を背負う運動として生まれ変わらなければならない。そうしてこそ、今のような純真で反復的で退屈な運動を脱離して、変革の躍動性を担保することができるであろう

労働時間短縮、金持ち増税で「ベーシックインカム」実現の道へ!(上) [Basic income]

チャムセサン
労働時間短縮、金持ち増税で「ベーシックインカム」の基礎強化

[読者投稿]ベーシックインカム陣営、いざ現実化の道へ!

カン・ヨンジャ(ベーシックインカムネットワーク運営委員) 2012.05.04
1.
緑の党が農民基本所得を総選挙の公約に掲げ、ベーシックインカム青(少)年ネットワークがつくられ、ベーシックインカムに対する関心が広がっているようだ。労働と関係がなく皆に所得を支給するという言葉は、労働に疲れた、労働する機会さえ喪失した人々にあるときめきを呼び起こしているようだ。そういえば、ベーシックインカムに初めて接した時、私もそうであった。しかし、現在のベーシックインカム論議は、これが本格的に提起された2009年に比べて論議の深さが増すでもなく、論議のレベルを越えて政策としての可能性に関する探求がなされることもない今、私にはその新鮮さが消えて久しい。
私がベーシックインカムに初めて接したのは2006年、チョン・ビョングォンの「21世紀変革の主体? 労働階級の分化とマルチチュード」という文章であった。この文章の末尾には、「資本主義の限界に対する認識の中で、私たちは市民的主体を再構成する共和主義的郷愁に警戒心を持たなければならず、社会の周辺的な存在者たち(失業者、移民労働者、障害者等)にさえ、労働の有無を離れて無条件に生存所得保障を要求する闘争をつくり出さなければならない」という内容がある。当時、失業、非正規労働、不安定労働の収拾しようのない増加と、その解決策に混乱を感じていた私は、労働の有無を問わないベーシックインカムに対して、相当な興味を感じることとなった。
その後、2009年の民主労総[全国民主労働組合総連盟]のベーシックインカム研究プロジェクトに参加しながら、ベーシックインカムに関して勉強する機会っを得た。すでにイ・ジンギョンは、99年に進歩評論創刊号「労働の人間学とマルクス主義」で、イ・ファンシクは「知識社会の二律背反(Antinomy)」で、ベーシックインカムを暗示的に、または具体的に言及している。そして2000年代初期に、韓国の福祉研究者を中心にベーシックインカムの紹介があった。
ベーシックインカムは資産調査や労働を課せられる条件なしに、無条件にすべての構成員が個人単位で、国から支給される所得である。このように単純明快なアイデアから、ベーシックインカムは新自由主義時代の福祉弱者の解消、普遍福祉、完全雇用時代の終末による脱労働パラダイムへの転換、労働力の脱商品化の可能性、賃金労働ではない仕事・活動(家事労働、芸術活動、介護労働等)に対する社会的認定、行政費用減少等々の途方もない強みを持つことになる。
BI.jpg

【ソウル=ニューシス】キム・ギテ記者=5月1日午後、ソウル中区の韓国銀行から市役所までベーシックインカム青年ネットワークと障害者団体構成員らが街頭デモをしている。
2.
2009~2010年は韓国社会で無償給食論争等に勢いを得て、普遍福祉に対する関心が高まった時期である。京畿道(キョンギド)無償給食もベーシックインカムからアイディアを得たものであった。当時京畿道教育庁は、「小学校5、6年生全員に無償給食を支援」するという案と、「低所得層から順次支援」案を巡り論議を行って、所得水準に関係なく無償給食を実施することに決定した。これは韓国社会の普遍福祉の転換点をなすこととなる画期的な契機になった。当時普遍福祉の代名詞といえるベーシックインカム陣営は、パンフレット発行と国際学術大会の開催等の比較的活発な活動を行い、マスコミの注目も受けた。以後、ベーシックインカムに対する批判も続いた。
批判は大きく、1)資本主義の根本問題である生産手段の私的所有問題に直接的に触れずに分配にのみ限定されるという点、2)ベーシックインカムを得たら果たして誰が労働をしようとするのか、すなわち労働拒否問題、3)財政はどのように解決するのか、等に集中した。もちろんこのほかにも、国の役割増減問題、非物質労働、福祉国家とベーシックインカムの関係等、論点は多様であり、文化社会、共同体の実現等、ベーシックインカムを補完しなければならない論点も多いであろう。
ベーシックインカム批判に対する私の意見は概略次の通りである。
ベーシックインカムが生産手段の私的所有の撤廃、すなわち資本主義撤廃に寄与するのではなく、改良にすぎないという批判は不当である。ベーシックインカムは生産手段の私的所有撤廃を全面的に提起してはいないが、その撤廃を遮る妨害要素ではさらさらない。かえって20世紀社会主義以降、生産手段の私的所有撤廃に向けた経路を、誰もまともに提出したことがない時点で、ベーシックインカムこそ及ばずながら私的所有問題に明確に触れている。すなわち、ベーシックインカムが導入されるならば、資本主義的賃金労働でない「仕事」、「活動」に対しても所得が与えられることになるので、労働力の脱商品化の可能性が大きくなりえ、資本主義終息に寄与することのできる余地が生じる。
また、(ワークフェア的)福祉国家モデルは、いくらよい失業給付といっても、「資本主義社会が規定した範囲に属する労働」を見つける時まで臨時に生計費を与えるというものなので、必然的に資本主義の枠組みに閉じ込められる以外ない。しかし、ベーシックインカムは労働イデオロギー(=資本主義)批判を可能にし、資本主義の向こう側を豊かに想像させる。これは、ベーシックインカムの大きな魅力であり、個人的にベーシックインカムを支持する中心的理由である。
労働拒否の問題に関しては、1970年代の米国と2010年のナミビアの実験でベーシックインカムが支給されたが、賃金労働をすることになれば追加収入が生じるので、かえって労働は増加したという報告がある。したがって、ベーシックインカムが支給されれば労働を拒否する人々が生じうるが、それほど多くはないために、労働拒否は社会全体的には大きな問題にならないだろうと思う。
財政問題に関しては、ベーシックインカム陣営はベーシックインカム支給に必要な財政規模を算出し、これを用意するために税収増加と新設等の代案を提出している。しかし、増税と税収新設を通した税収増加のみ言っているだけで、これを実現する研究も運動もないので、財政問題はベーシックインカム実現の可能性を低める。現在の韓国の財政規模とベーシックインカムのギャップはとても大きい。(続く)

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。