SSブログ

金と労働、ロボットとAI、そしてベーシックインカムについての覚え書き [Basic income]

資本主義社会において価値を測る絶対尺度は金だ。そしてそこから、労働は義務であり善であるという倫理観が導き出され、その両者が結びついて「働かざる者食うべからず」の規範が絶対化される。
しかし、詳しく分析すると、金と労働との関係は必ずしも整合性があるわけではない。世の中では、働いて得た金だけが尊ばれるわけではなく、詐欺や恐喝など犯罪によって得られたものでない限り、どんな手段によって得られたものであれ、金を得て経済的に自立している者が「一人前の社会人」として認められる。たとえそれが親の遺産であっても、それを管理する会社の代表取締役にでも納まれば、彼は非難されない。
一方、同じ労働であっても、ある場合は金と交換され、他の場合は無償労働とされることもある。寝たきり老人の介護であっても、介護士の資格のある者が他人の介護をすれば賃金を得られるが、実の子どもや息子の妻の介護は無償だ。だからといって、必ずしも介護士の介護が身内の介護より被介護者にとって心地よいものとは限らない。
あるいは、プロの作家の作品は出版社から原稿料や印税を得ることができるが、アマチュア作家の作品は無償で同人誌に掲載され、作者がその雑誌の同人なら制作費さえ負担しなければならないだろう。だからといって、プロの作家の作品がいつもアマチュア作家の作品よりいいとは限らず、アマチュア作家の作品がより多くの読者の感動を呼び起こすこともあるだろう。
単に善意で砂浜のゴミ拾いをしても1円の得にもならないが、「きれいな砂浜プロジェクト」を立ち上げて個人の寄付や企業の賛助金を募れば、ゴミ拾いも金になる。
その国でプロ興行のあるメジャーなスポーツに子どもの頃から打ち込み実力を磨いた選手は、大人になってもプロの選手として金を稼いでスポーツを全うできるだろうが、その国でマイナーなスポーツに取り憑かれた子どもは、大人になってそのスポーツを続けようとすれば、アルバイトでお金を稼ぎながらでなければそれを全うできない。たとえプロ選手が二流で、アマ選手が世界に通用する一流アスリートであったとしても。
そんな社会で、無償の労働がいちおう労働として評価され敬意を表されうるのは、家事労働くらいかもしれない。
また、朝から晩までパチンコ屋に入り浸ってお金を浪費する者は、社会から白い目で見られ指弾されるが、彼らから年間20兆円も巻き上げているパチンコ産業は”立派な”産業であり、そこで働く従業員が非難されることもない。
あるいは、特定の土建業者に公共事業がいくように斡旋することを仕事と心得ているような議員が、世間から「先生、先生」と崇められ、高額の報酬を得ている。
一方で、基幹産業の製造業の生産ラインで流れ作業に携わる派遣労働者は、毎月生きていくのが精一杯の金しか稼げず、基幹産業の孫請け企業の労働者は、世界に誇る職人の腕前でも、親会社の景気や為替に左右され賃金遅配も珍しくなく、たまにボーナスが出ればラッキーな状態だ。

そんななか、今後10~20年以内に、ロボットやAIが人間労働の半分を代替するともいわれている。そうなったら、生半可な失業対策では対処できない。いや、ロボットによる労働の代替はますます進んでいくのだから、もはや街に溢れる失業者を防ぐ手立てなどはない。
生産されたものは流通して消費されてこそ経済が成り立つ。とくに消費財は人口の圧倒的多数を占める労働者が消費することで経済が回る。その労働者の大半が失業してお金を持たなくなったら、経済は成り立たなくなる。
人間に取って代わったロボットは、人間のように労働の対価=賃金を要求しない。労働者のもとへ行っていたお金は、ますます企業=資本のもとへ集中し、金詰まり現象を起こすだろう。
その金を、何らかの形で”失業者”へ環流させない限り、経済は窒息死するしかなくなるだろう。そのためのベストなシステムがベーシックインカムであることに、富の独占者たちも気づかざるを得なくなるだろう。

もはや、「働かざる者食うべからず」の規範は放棄せざるをえなくなるだろう。それと同時に、人々は「労働とは何か?」という根源的な問いにあらためて直面することになるだろう。それは今まで、食うための手段に過ぎなかった。だが、ベーシックインカムのある社会では、それは手段から目的に転化するだろう。
金を稼げるかどうかが労働か否かを測る尺度であることをやめるだろう。ベーシックインカムのある社会では、労働の定義は自己実現とイコールになるだろう。
ある学生が卒論を書くために日本とスイスで行った意識調査によると、生活するに十二分なベーシックインカムが支給されたら何に使いたいかとの質問に、両国ともに目についた回答は「旅行」だった。今は旅行といえばレジャーか趣味としか認められないが、ベーシックインカムのある社会では、旅行は立派な仕事、旅人は立派な肩書きになるかもしれない。
思えば江戸の昔、松尾芭蕉の仕事は旅だった。ただ彼は、旅をしながら俳句を詠み、それが人口に膾炙したため、彼の名は後世に伝えられることになった。ベーシックインカムのある社会では、無数の旅人たちの中から、後世に残る画家や写真家、エッセイスト、小説家等が生まれることだろう。

だが、ベーシックインカムのある社会で重要なのは、人が優れた仕事をするかどうか、多くの人々に認められる仕事を残すかどうかにあるのではない。人はただ、生まれてくるだけで生きる意味がある。現在では価値を生まない=労働のできない「福祉の対象」、「社会のお荷物」とまで蔑まれている人々も、生きているだけで意味があり、それどころか何らかの労働をなすだろう。その労働は、家族を和ませることかもしれないし、誰かに愛され、あるいは誰かを愛することかもしれない。いや、周囲の人々を怒らせたり、反発を引き起こし、そのことによって何らかの問題を提起することかもしれない。
ベーシックインカムのある社会では、今までとうてい労働と思われなかったようなことが労働になる代わりに、今では立派な労働であり、その労働によって成り立っているいくつかの「産業」が、消えていくか、規模を大幅に縮小することだろう。毎年のようにモデルチェンジする商品。ゴミとして捨てられるほど生産される食品。ただ時間を埋め広告収入を得るためにだけ制作されるテレビ番組。毎日雨後の竹の子のように登場するゲームソフト。年々増えていく新たな「病名」とそれを”治す”新薬。保険業。教育産業。そして「公共事業」……手段と目的が逆転し、成長のため、金のために無理矢理つくりだされてきた仕事と産業自体が、もはやゴミ箱行きだ。
その最たるものが原発だろう。だが、こればかりはゴミ処理に何百年もの歳月を要することだろうが……。
そして、ベーシックインカムが世界的規模で実現したとき、テロという仕事、戦争という産業も消滅することだろ。

スイス・ベーシックインカム国民投票の成果と課題 [Basic income]

無条件ベーシックインカムに向けた世界的な一歩:ありがとう、スイス!

(原題: La marche mondiale vers le revenu de base : merci à la Suisse !)


「国民投票は失敗に終わったが、この無条件ベーシックインカムに向けたスイスのイニシアチブは、その実現に向けた避けられない展開の中で重要な前進であったととらえられなければならない。」と、BIEN(Basic Income Earth Network)の創始者フィリップ・ヴァン・パリースは明言する。
フィリップ・ヴァン・パリースはUCLouvain(ルーヴァン・カトリック大学)の経済と社会倫理学の正教授だ。BIEN国際委員会の一員でもある。

 2016年6月5日は、無条件ベーシックインカム制度の実施に向けた展開の前進を刻印することになるだろう。
 すべてのスイス国民は次の提案に賛成するか、反対するかの意を示すことが求められた。
1.スイス連邦は無条件ベーシックインカムを導入する。
2.無条件ベーシックインカムはすべての人が受ける資格が与えられなければならない。
3.無条件ベーシックインカムの財源調達と総額は、法の定めるところによる。
この提案は、76.9%の反対票と23.1%の賛成票で否決された。どうしてこの否決という結果は前もって予測可能であったのか? また、どうしてこれが前進といえるのか?

0から23%に
 これらの疑問に答えるために、それまでの簡単な流れの説明が不可欠である。2008年に、ドイツ人映画監督であるEnno Schmidtとスイス人実業家Daniel Häni(2人ともバーゼルに拠点を置いている)が、Grundeinkommen: ein Kulturimpuls という試験的映画を制作し、無条件ベーシックインカムの単純で魅力的なヴィジョンの紹介を可能にした。この映画のインターネット上での普及は、2012年4月に始まった上記の提案のイニシアチブのための土俵を用意するという意味で役立った。
 2010年5月には、また別のイニシアチブが提案されていた。再生不可能エネルギーへの税金のみによって財源調達された無条件ベーシックインカムについてのイニシアチブであったが、必要数の署名を集めることに失敗していた。2012年のイニシアチブの創始者も、初めは映画でも説明されていたようにTVA(付加価値税)による財源での無条件ベーシックインカムを提案することを考えていたが、支持者が減ってしまうことを恐れてその考えを放棄した。彼らは同時にはっきりとした支給額についても投票を行わないことを選んだ。しかしながら、彼らのインターネットサイトでは、「尊厳をもって生活し、社会活動に参加するため」にスイスで必要な額として、成人一人当たり2500CHF(約2280€)、未成年一人当たり625CHF(約570€)を最も適切な解釈であるとしている。もし、イニシアチブが18か月で10万人分以上の署名を集めることができれば、連邦議会とスイス政府は国規模での投票を行うことが義務付けられる。もし過半数の賛成票が得られれば、国の決定機関は3年以内にその文書を適用するか、創始者たちと対案の交渉をしなければならない。
 2013年10月4日、(イニシアチブ)のリーダーたちは、内閣事務所に12万6,404の目を見張るような署名を提出した。2014年8月27日、署名の認定と主張の審査の後、連邦議会はこれの反対案を出さないままこのイニシアチブを却下した。彼らの見解によると、「無条件ベーシックインカムは経済、社会保障制度、そして社会の団結力に悪影響を及ぼすであろう。特に、このような制度への支出は国税負担の著しい増加を引き起こすことになるだろう。」ということであった。
 この提案は、続いてスイス国会の両院に委ねられた。2015年5月29日、国民議会(Conseil National )の社会委員会(Commission Sociale )は、19票の反対票と1票の賛成票、そして5票の棄権票をもって、無条件ベーシックインカムは却下されるべきであると勧告した。全員出席の会議でのより突っ込んだ議論の後に、2015年9月23日、国民議会は予備投票にとりかかり、146票の反対票、14票の賛成票および12の棄権票をもって、その否定的な推奨を認可した。2015年12月18日、今度は全州会議(conseil d’État)(各州の代表によって構成されるスイスの上院)がこのイニシアチブについて検討し、40票の反対票、1票の賛成票と3票の棄権票でそれを却下した。これと同じ日に、この提案は国民議会で、二度目で最後の投票の対象となり、157票の反対票、19票の賛成票と16票の棄権票を得た。
 これらのすべての場合において、極右政党、中道右派及び中道政党のすべての代表はこの提案に対して反対票を投じた。賛成票と棄権票は、社会民主党と緑の党によるものであったが、これらふたつの党は内部で意見が大きく分かれている。国民議会の最終投票では、15人の社会主義者たちが賛成、13人が反対、13人が棄権すると同時に、緑の党のうち4票が賛成、5票が反対、3票が棄権票に投じられた。このようにして支持率は、連邦議会で0%、全州議会(上院)で4%、国民議会で4%、8%、10%(それぞれ、審議会、1回目、最終投票)という具合に変動した。
 2016年6月5日の国民投票に関しては、(社会主義政党を含む)ほとんどすべての政党の国民の指導者たちは、投票で「反対」することを推奨した。賛成票を投じることを勧めていた政党の例は、3つの言語地域に分散した一定数の社会主義政党と、州と統合した緑の党と、(ほとんど議席のない)海賊党だけであった。

 この文脈からいうと、「反対派」が勝つことは完全に予測可能であった。4票に対し約1票の「賛成票」が集まった実際の結果(最も多かったところの代表例を挙げると、ジュネーブが35%、バーゼルStadt州で36%、ベルンの市街地で40%、そしてチューリッヒの中央地区では54%であった)は、スイス国会での(事前)投票結果から推測できたものとはかけ離れたものであった。
 また、スイスはヨーロッパの中でも無条件ベーシックインカムの支持を得られる可能性が最も低い国であるかもしれないということを、われわれは忘れてはならない。それは、この地でカルヴァン主義的な労働倫理が深く根付いているからという理由のみならず、特に他のヨーロッパの国々に比べて失業率や貧困率が低いことを考慮に入れたうえでのことである。

スイスで、そしてスイスを越えて:集い、経験を得る
 このイニシアチブは最初の段階で署名をした人々の分よりわずか2.5%増の票を得ることしかできなかったが、リーダーたちの忍耐力と彼らの非常に印象的な伝達能力のおかげで、これが絶大な成果をあげたということに、今やみんなが気づいている。スイス国民は、ここ4年内でどこの国民よりもこの提案の利点と欠点を調べ、広く議論した。
 その効果はスイス国内にとどまらなかった。国民投票の前日、「エコノミスト」、「ウォールストリートジャーナル」、「フィナンシャルタイムズ」、「ニューヨークタイムズ」、「ガーディアン」、そして世界中の数えきれないほどの新聞が、無条件ベーシックインカムがいったい何であってこれが何を象徴するのかを述べる記事を載せていた。それまではおそらく、ベーシックインカムに関してメディアがこれほどの時間とページを割いたことはなかっただろう。そしてこのスイスのイニシアチブは、この考えの流布に大きな拍車をかけたばかりでなく、この考えに関する議論の成熟にも大きく貢献しただろう。
 この経験からひとつの教訓が浮かびあがる。もしひとつの提案が、財源調達について詳しく述べることなくベーシックインカムの高い支給額を規定すれば、その提案は簡単に国民投票にこぎつけるために必要な署名数を集めることができる。しかし、大多数の投票者(今回の場合は46%の有権者)はある日意見を変えてしまう可能性がある。そしてそんな彼らを再び集めるために骨の折れる作業をするしかなくなる。最初の段階の方向を示すための輝く星は足りているが、すべてうまくいくためには、地上に見える標識と道しるべと安心できる交通路が必要であるのだ。
 ともかく、私はスイスの議論に加わるよう招待され、そこで私は手短に、2500CHF(約2280€)、あるいは一人当たりGDPの38%の額の個人へのベーシックインカムは政治的に無責任であるということを主張した。もちろん、このクラスの無条件ベーシックインカムが財政的に実現不可能であるとは誰も証明できないことは確かだ。しかし、証明できないほどに実現性がない。
 さらに、このレベルの無条件ベーシックインカムの経済的持続性が、現在満足のいっていない多くの前提条件、中でも新しい形の税金の導入―例えば、eペイメントへの小規模課税など―を想定に入れるであろうと考えることは的外れなことではない。同様に、脱税に対する国際的な協力もスイスでの議論のおもしろい争点になり得る。脱税に対するたたかいはスイスの弱点でもあるからだ。
 この提案はささやかではなく象徴的な進歩を意味するということをよく理解しなければならないが、同時にこの提案は近い将来、より学ばれ、討論されるであろうし、されるべきである。より弱いレベルでの無条件ベーシックインカム(例えば一人当たりGDPの15または20%ほどのもの)を適用することは、収入条件付きの手当金や住宅補助をそのまま残すことを意味する。それは無条件ベーシックインカムがそれ自体だけでは「すべての人口が尊厳を持って生活できる」基準に満たないからではなく、むしろ無条件ベーシックインカムが安心感と交渉権、そして選択の自由を私たちの中でも最も弱い人々に与えることになるからだ。
 短く言えば、このようなベーシックインカムを導入することは決定的に経済的に実現可能である。これを政治的に実現可能にできるかどうかはわれわれにかかっている。
 前代未聞のスイスでのイニシアチブは、21世紀に直面しなければならない挑戦の特徴とその規模、そしてそれらとたたかうためにベーシックインカムがどのように助けになるかということに、多くの人々の関心を高めたばかりではない。時に素朴で時に的確な反論を引き起こしながらも、このイニシアチブはベーシックインカムの擁護者が彼らの主張を磨き上げ、より現実的な次のステップを描くための助けにもなった。
 これらすべての理由から、多くの時間とエネルギー、そして賛成促進キャンペーンのための想像力などを費やしてきたスイス国民は、ベーシックインカムへの世界的な運動からだけでなく、より広く、自由な社会と健全な経済の実現のためのすべてのたたかいから、熱烈な感謝を受けるに値する。
フィリップ・ヴァン・パリース(Philippe Van Parijs)
________________________________________
Adaptation française : Barbara Carnevale
フランス語翻案:Barbara Carnevale
翻訳:ami.s
原文↓
http://revenudebase.info/2016/06/14/marche-mondiale-revenu-base-merci-suisse/

グローバル・ベーシック・インカムーポスト資本主義への非暴力世界革命 [Basic income]

ナミビアのベーシックインカム実験
00年代後半、日本でもひとしきりベーシックインカム議論が盛んになった時期があったが、折から迎えた3・11によってそれも雲散霧消してしまった。まず、3・11が突きつけた過酷な現実が遠い将来の夢のようなおとぎ話を遠ざけたし、その後登場した安倍政権は、およそBI的な(21世紀的な)政治・経済モデルとは真逆の反動政権であり、BIの現実性をますます雲の上の絵空事のようにしてしまったことが大きい。しかし、昨年あたりから、再びBIに関する書籍が刊行されるようになった。日本における第1次BIブームが多分に原理主義的ないしは入門書的レベルで語られていたのに対し、最近のBI議論は、3・11と安倍政権、そしてこの間の世界情勢の変化を的確に捉え、はっきりと現実を変える手段として、よりリアルな政策手段として語られるようになっているように思われる。
20151228G567.jpg
岡野内正著・訳『グローバル・ベーシック・インカム』(明石書店)は、2008年からアフリカのナミビアのある極貧村で行われているBIの社会実験に関する報告書の翻訳と、訳者の属する法政大学社会学部のゼミによるナミビア、ブラジル、インドのBI実験村とアラスカとイランにおけるBI的政策の現場訪問レポートからなる。アラスカの石油恒久基金の配当とイランの同じく石油を原資とした補助金改革(無条件現金移転)を除いては、低開発国ないし途上国の貧困層を対象としたBIの実効性に関する論考だ。
わけても、紙面の半分以上を占めるナミビアのベーシック・インカム給付試験実施プロジェクト評価報告書(2009年4月)の翻訳は、BIが村にもたらした様々な効果を詳細に記述しているだけでなく、実験の効果に基づきナミビア全土へのBIの実施を求める内容になっている。
食うにも困るような貧困地域へのBIの支給がもたらす効果は、BI反対論者が主張するような仕事をせず怠け癖がつくとか、アル中患者が増えるとかいった心配とは無縁に、村人たちは決して十分とはいえないBIを効率的に使い、子どもを学校へ通わせ、わずかな資金を元手に商売を始めて経済的自立を図り、犯罪やけんかやアル中患者も減少し、村人たちの栄養状態や健康状態も劇的に改善しただけでなく、村人自ら自治組織的なベーシック・インカム委員会を組織するまでになった。
このようなBIはナミビアのDGPの2.2%から3%を財源とすることで全国的に実施可能だという。筆者は、やるかやらないいかはもはや政治的決断の問題だと断じている。

すべての経済援助をBIの減資に!
いうまでもなく、低開発国、途上国の絶対的貧困問題は、欧米日をはじめとした先進国の収奪の結果生じた人為的問題だ。先進各国はそれをODA(政府開発援助)というかたちで各国に還元し、低開発国、途上国のインフラ整備や工業化、資源開発等に用いてきたが、その結果は国民経済全体を押し上げるよりも、むしろ独裁国家の権力を強化したり、一部利権に群がる現地資本・富裕層に環流され、貧富の格差をさらに広げて多くの国民の窮乏化を招いてきた。もしこうしたODAや安倍が得意とする途上国へのバラマキをすべてそれらの国々の国民へのBIの原資として用いるなら、各国政府のBI実現に負う負担はさらに少なくなるだろう。
それら低開発国、途上国に本当に必要なのは、道路や鉄道、ダムや発電所などではなく、すべての国民が飢えずに暮らすことなのだ。そうしてすべての国民が衣食足りて健康に暮らせるようになって初めて、その国に必要なインフラは、外国の援助に頼らずとも、国内経済の中で解決されていくことだろう。
さらに重要なのは、そうしたBIの実現がテロや犯罪を撲滅することにつながり、アメリカをはじめとした強国の軍事力行使を不可能にすることだ。

ナミビアの貧困問題とダブる日本の貧困問題
ひるがえって、経済先進地帯のBIはどうなのか? 私はナミビアの極貧村の状況とBI給付後の状況を読んで、なぜか日本の貧困問題に共通するものを感じた。現象的には貧困の絶対的なレベルの差があるにもかかわらず、その基礎にある貧困がもたらす諸問題に大差がないことに気がついた。例えば、貧困ゆえに満足に子どもに教育を受けさせられない問題。母子家庭が貧困ゆえに本来就くべき職業にも就けない問題。さらに食料問題、非行や犯罪の問題…それらは、絶対的貧困、相対的貧困に関係なく、貧困というものに本質的について回る問題だ。

財源は有り余る富の再分配で可能
経済先進国では、BIにかかる財源が低開発国や途上国と比べて桁違いに多くなる。だから、財源問題でBIは絵空事と、はなから相手にされない風潮が日本では未だにあるが、次の2点をよく考えてみるべきだ。
第一に、新自由主義はこの間、グローバリゼーションの名の下に、自国の労働者に本来払われるべき賃金を途上国との競争に打ち勝つためと不当に値切り搾取してきた。その結果の格差の拡大であり、貧困層の増大であった。だから、貧困問題の解決には、この不当に搾取された労働の対価の正当な再分配がなされない限り、この問題は解決しないし、それを財政赤字や財源不足に求めるのは議論のすり替えに過ぎないということ。
第二に、前回のブログでも触れたように、21世紀の末期資本主義は、人間労働をロボットやAI、コンピューターが代替することによって、労働市場が絶対的に縮小するとともに、従来人間労働が生み出していた価値=生産物をロボットやAI、コンピューターが生み出すことになる。これらの価値=生産物は、ロボットやAI、コンピューターの所有者のもとに集中した場合、99%対1%の問題を拡大再生産し、国内経済は衰退の一途をたどり、富裕層は有り余る富をマネーゲームに消費する以外に使い道がなくなる。
以上、ふたつの矛盾を解決する手段がBIにほかならない。仕事をロボットやAI、コンピューターに奪われ、ないしはそれらの補助労働力とされた人々にBIが支給されれば、ナミビアでの実験同様、特に貧困層は自らお金の有効な使い道を見いだしていき、経済と社会活動は活性化するだろう。
かくしてグローバルなベーシックインカムは、ポスト資本主義時代を次の新時代へと橋渡しする革命的役割を果たすことになるだろう。

ロボット社会の到来とベーシックインカム [Basic income]

今日の朝日新聞に次のような記事が載っていた。
AI・ロボで雇用735万人減 「第4次産業革命」試算
ロボットと雇用.jpg人工知能(AI)やロボットによる自動化などで、2030年度の雇用は今より735万人減る――。経済産業省は27日、AIやビッグデータなどがもたらす「第4次産業革命」が雇用に与える影響を試算した。一方で、構造改革で新たな雇用が生まれれば、雇用減は161万人減にとどまるとの分析も示した。
 AIやIoT(モノのインターネット)やロボットなどへの対応を話し合う有識者会合で示した。試算では、AIなどが人間に置き換わる職種の分析や、過去約20年間の産業ごとの消長の傾向などを踏まえて試算した。
 「現状放置」のシナリオでは、スーパーのレジ係や製造ラインの工員といった仕事がAIやロボットに置き換わるため、低賃金の一部職種を除いて軒並み雇用が減り、30年度の雇用者数は15年度から1割超減ると予測した。研究開発など付加価値の高い仕事も、第4次産業革命で優位に立った海外企業に奪われる可能性があるという。
 一方、人材育成に力を入れたり、成長分野に労働力を移動させたりする「変革シナリオ」では、付加価値の高いサービス業などが成長し、雇用減を補う高所得の仕事が増えると分析。2%の実質経済成長率も達成できるとした。
 経産省は「痛みを伴う転換をするか、じり貧かの分かれ目にある」とし、企業や系列の壁を越えたデータの活用や、労働力が移動しやすい「柔軟な労働市場」などが必要としている。(高木真也)

経産省のこの試算は、「第4次産業革命」という前提自体からして間違っている。今、日本のみならず世界を襲っているのは、資本主義の1段階としての産業革命などではなく、資本主義そのものを終焉へと導くポスト資本主義革命だ。私がこのブログで以前から主張してきているように、それは技術革新によりさらに高度化した生産力の元で労働力を吸収する資本主義のシステムそのものを破壊する、AIやロボットへの人間労働の置換だ。したがって、「2030年度の雇用は今より735万人減る」という計算がもし正しいとしても、「構造改革で新たな雇用が生まれれば、雇用減は161万人減にとどまる」ことはあり得ない。私の勘では、2030年までのAIやロボットによる失業者は735万人の倍以上の1,500万人くらいになるのではないだろうか。アメリカでは、今後20年以内にコンピューターやロボットに雇用の半分が奪われるといったような議論が盛んだが、そちらの方がより現実味がある数字に思われる。

オートレジ.jpg

オートレジ


コンピューターに奪われた翻訳という仕事
私が自分の翻訳者という職業をコンピューターに奪われると直感したのは、今からもう20年以上前のことになる。最初に韓国語翻訳ソフトを使ってみたときのことだ。当時、翻訳ソフトは正訳率70~80%でほとんど使い物にならず、「10年後に翻訳者は翻訳ソフトに駆逐される」という私の直感的主張に対して、「2進法のコンピューターにとってファジーな言語は最も苦手な領域」という楽観論が主流だったが、現実にその10年後の2005年に、私は危うく職を奪われる危機に直面することになった。その頃までに翻訳ソフトの正訳率は新聞記事程度なら98~99%レベルにまで達し、折からのグローバリゼーション(ネットの発達により、翻訳単価の安い韓国企業に仕事が流れる)とも相まって、私の仕事量と単価低下による売上げ減は33%に上った。
そして3年前にも売上げはさらに33%減り、今年に入り、韓国語翻訳の世界はついに最終的な絶滅段階へと突入した感が強い。

あらゆる分野で進む静かな革命
身をもってコンピューターにより仕事を奪われてきた私にとって、ここ2、3年ようやく日本でも話題にされ始めた「AIやロボットが仕事を奪う」といった議論は「何を今更」感しか湧かない。実は、今でも労働力の半分くらいはコンピューターやロボットに代替しようとすれば可能なのだが、それにかかる研究開発費や設備投資に比べて、安価な単純労働力に頼った方が当面安上がりだから、それほど急速に置き換えが進まないだけの話なのだ。
今後は、工場の生産過程やスーパーのレジなどの単純労働のみならず、あらゆる専門技術を要する高級労働力も、AIやロボットに置き換わっていくだろう。
私が10年ほど前に仕事が3分の2に減った時に思ったことは、2進法のコンピューターが苦手な翻訳でさえ仕事が奪われるのに、コンピューターの本来の仕事である計算ひとつで解決できるはずの税理士の仕事がなぜ奪われないのかという疑問だった。答えは簡単、フリーの翻訳者は同業者の組合もなく最も弱い立場に置かれているが、税理士は税理士会という強力な圧力団体があるため、その権力によって「税務申告ソフト」の開発を阻止しているに過ぎないということだ。
それと同様に、医師や弁護士業務などはある程度、彼らの社会的地位に即応した権力行使によって仕事を確保していくであろうが、例えば医療用ロボットのめざましい進化を目にすると、医者連中もコンピューターやロボットを利用しているつもりでも、気がついてみるとそれらにいつの間にか仕事を奪われているという静かな革命が進行していくことだろう。

医療用ロボット.jpg

医療用ロボット


ロボット、コンピューターの生み出した価値はベーシックインカムで分かち合う
でも、恐れることはない。仕事を奪われても、従来人間が生み出していた価値はコンピューターやロボットが自律的に生み出してくれるのだから。問題は、それら生み出された新しい価値を、一握りの特権者に独占させないことだ。現在の99%対1%の対立は、その構図を先取りしたものと捉えることができる。
ポスト資本主義時代の人類は、そうではなく、ロボット、コンピューター、AIが生み出した価値(生産物)を人類共同の財産として分かち合うべきなのだ。それは、現在の貨幣経済の延長線上ではベーシックインカムという形態で、すべての人々に等しく分配される。ヨーロッパの21世紀型市民政党が一様にベーシックインカムの導入を政策課題として掲げているのも、それ故のことだ。
実際、スイスでは月額30万円程度のベーシックインカム導入の是非を問う国民投票が6月に実施される。おおいに注目されるところだ。



韓国・城南市「若者配当」、「地獄社会」の一縷の望みだろうか(解説付き) [Basic income]

ホン・ミンチョル記者plusjr0512@vop.co.kr「民衆の声」2015-10-05

城南(ソンナム)市が「若者配当」政策を推進する。城南に居住する19~24歳の若者に年間100万ウォンの支援金を支給するもの。しかも、「若者支援金」、「若者補助金」でなく、聞き慣れない「若者配当」だ。
城南市はなぜ若者に支給する補助金に「配当」という名をつけたのだろうか。「若者配当」という名前には「政府3.0」や「創造経済」等の正体不明な造語以上の意味が含まれている。

なぜ若者補助金でなく配当なのか?
配当というのは一般的に企業が営業活動により発生した利益のうち、一部を株主に分けることをいう。株式を買って会社に投資した者が当然享受すべき権利がまさに配当だ。半面、補助金や支援金は享受すべき権利というよりは、社会的弱者を政府や社会が助けるという支援の認識が背後にある。
城南市が今回の政策の名前を「若者補助金」でなく「若者配当」と決めた理由は、若者が市から支援を受けるのではなく、当然の権利を求めるという意志が含まれていると解釈することができる。
城南市の若者配当政策の土台はベーシックインカムの概念だ。ベーシックインカムを主張する人々は、ある社会が所有する公共資産から発生した利益をその社会構成員が分け合う権利があると考える。20歳を過ぎれば誰にでも投票権が与えられるように、その社会構成員ならば裕福でも貧しくても(普遍性)、結婚しようがしまいが(個別性)、仕事をしようが勉強をしようが、いかなる条件もなしに(無条件性)ベーシックインカムの支給を受ける権利を有するという認識だ。投票権が政治的基本権ならば、ベーシックインカムは経済的基本権でなければならないという主張だ。
ベーシックインカムが基本権だという主張は、多少馴染みが薄いものに聞こえるが、実際は私たちにもなじみ深い政策だ。ベーシックインカムの概念を基に導入された最初の政策は、まさに朴槿恵大統領が大統領候補の時期の公約だった基礎年金だ。当時、朴槿恵候補は65歳以上の全国民(個別性)に[社会的]寄与と所得に関係なく(普遍性)すべて(無条件性)20万ウォン支給すると公約した。

ポピュリズムと若者配当、金持ちはなぜ受け取らなければならないか
「老人ベーシックインカム」に見ることができる朴槿恵大統領の基礎年金は、政策推進過程で事実上補助金に変質した。ベーシックインカムの核心である普遍性が所得により(所得下位70%まで)、国民年金と連係して支給する方式に変わったためだ。基礎年金がこのようなことになった理由は、皆が知っているように予算の制約のためだ。
予算の制約は無償給食や無償保育と同じ普遍的福祉の施行段階のたびに、政治的には「ポピュリズム」議論を、経済的には福祉の効率性の議論を呼び起こしてきた。ない人々により集中的な支援をすることが効率的であるが、高所得者にまで支援の範囲を広げることで、政治家自身の立場を強化するために不必要な予算を浪費するという批判だ。
だが、ベーシックインカムに賛成する代表的経済学者であるカン・ナムン韓神(ハンシン)大学経済学科教授は、「金持ちにまでベーシックインカムを与えることになれば、貧しい人にさらに利益になる」と主張する。「再分配の逆説」という概念によれば、貧しい階層にのみ福祉を施すほど貧しい人が受ける金額は減り、中産層を含めて普遍的に福祉を施す方が貧しい人が受ける金額が増える現象が発生するというのだ。
カン教授は「再分配の逆説現象が生じる理由は、中産層を含む普遍的福祉を実施すれば、中産層が増税に賛成して福祉規模が増え、選別福祉を実施すれば中産層が増税に反対して福祉規模が小さくなるため」と説明する。
カン・ナムン教授のこのような説明には、「増税を通した福祉拡大」が前提になっている。現在実施されている選別的福祉システムである社会保障の拡大でも、ベーシックインカムの実施でも、増税は避けられない課題であり、増税を通した福祉拡大のためには高所得層はもちろん中産層にも恩恵を与えることによって、社会的合意をより簡単に引き出すべきだという主張だ。

城南市予算、最初の若者ベーシックインカム政策を実施するほど充分なのか?
ベーシックインカムの普遍性が福祉拡大に有利だという主張の賛否を離れて、予算不足は相変わらずベーシックインカム政策実施の大きな障害物だ。城南市の若者配当も、やはり予算の制約は今後政策の持続可能性という面で負担になる可能性が高い。
城南市は19歳から24歳までの年齢層に年間100万ウォン[約10万円]ずつ支援するという。施行初年度である2016年には24歳である11,300人が配当を受けることになる。必要とされる予算は113億ウォンほど。城南市は「施行初年度予算は増税なしに脱税を防止して節約した金とすること」としながら、「すでに予算チームと協議を終えた状態」というが、対象が次第に拡大する場合の財源調達策は具体的に明らかにしていない。
来年は若者配当予算が城南市の1年の福祉予算5587億ウォン(2015年)の2%に過ぎないが、もし対象年齢すべてに配当政策が広がる場合、予算は年間約600億ウォンに達する。これは自然増加分を勘案しても、城南市の全福祉予算の10%に迫る見通しだ。城南市が財政健全化と自立の部分で優秀な地方自治体であることを勘案しても、事業性予算だけで若者配当政策を拡大するには負担が大きいのが事実だ。
市はこうした財政負担を、政策拡大を通して解決していくことを提案した。イ・ジェミョン城南市長は「予算は常に足りず、制限された予算をどこに投じるのかは、結局哲学と意志の問題」として、若者配当事業を政府の政策として採用することを提案した。政府政策に採用されれば関連法律によって財源が一般会計に編入され、城南市の予算負担を減らすことが可能になるためだ。もし若者配当政策が効果を上げて、市民に支持されて持続的に広がる場合、政界と政府にも圧力になるりうるのではないかというわけだ。

なぜ「若者」配当か?
城南市の若者配当が発表されると直ちに、「子どもの酒代でも与えるというのか」という反発が起きた。若者層に必要な政策は失業対策であって所得保障ではないという主張だ。だが、本当にそうなのか。
現在の韓国の福祉制度は生涯周期別に見ると、若者層の福祉が最も不十分だ。子どもは出産手当て、養育手当て、保育園・幼稚園支援等の無償保育を受けている。小・中・高校生になれば無償給食を支援される。高齢者になれば基礎年金が支給される。だが、若者にはこのような所得保障政策が非常に制限的だ。福祉の世代間公平性が保障されていない。若者配当政策はこうした現実に問題を提起している。
これに反して、若者の問題はますます深刻化している。2015年現在、全人口の実質的失業率は10.1%であるが、若年層の実質的失業率は22.4%に達した。若者の就業者の3分の2は非正規雇用で、韓国の大学生は世界で最も高い授業料を払っている。そのため、2013年現在、大学生10人中6人が1,500万ウォン以上の借金を背負っている。首都圏の若者の住居貧困率は全人口の住居貧困率よりはるかに高い。
イ・ジェミョン城南市長は、最近あるラジオ番組のインタビューで、「このように困難な状況に置かれている若者世代に私たちの社会は果たしていかなる配慮をしているか」と問うた。イ市長は基礎年金を例にあげて、「基礎年金が社会への寄与に対する後配当と理解すれば、若者が今現在の非常に危険で非正常な状況に打ち勝てるように先行投資をしようということ。若者の力量を強化して、私たちの次の未来世代に投資し、私たちの世代を扶養することができるようにする力量を育てようということ」であると強調した。
[中略]

新しいパラダイムへの道は遠い
城南市の若者配当政策はベーシックインカム概念の適用という新しい福祉パラダイムと、今まで福祉政策で疎外されていた若者を最初に地方自治体レベルで支援するという点で格別な意味を持つ。同時に四半期別25万ウォン、年100万ウォンという金額が若者の生活を画期的に高めることはできないという限界も明らかだ。城南市という地方自治体の財源が限定されているという点は、政策の持続可能性にも疑問が提起される。今後、新しい福祉パラダイムが確固たる地位を占めるためには道が遠い。
[以下略]

解説
9月30日に本ブログで紹介した「韓国城南市「若者手当」導入本格推進-四半期別25万ウォン[年約10万円]」の続報だ。
城南市はソウル市の南にある人口約100万の都市。弁護士出身のイ・ジェミョン市長(50)は2010年に城南市長に初当選、昨年、野党・新政治民主連合の候補として再選を果たした。
本文を読んでも分かるように、韓国ではベーシックインカム=基本所得という概念を、日本や欧米などよりかなり広い意味で用いている。日本でいえば年金、児童手当、失業保険のような各種社会保障に該当するものでも、「全国民(個別性)に[社会的]寄与と所得に関係なく(普遍性)すべて(無条件性)」の人に支給されるものは基本所得ととらえる考え方である。
こうした考え方は、ヨーロッパの福祉国家はもちろん、「中福祉、中負担」の日本の社会保障とも異なり、「低福祉、低負担」の韓国の社会保障制度の現実抜きには理解しにくい。
日本の社会保障制度は戦後、1960年代から70年代にかけて整備された。(健康保険制度と年金制度は1961年、失業保険制度は1974年)それに対して、韓国でそれらの社会保障制度が整備されたのは、国民年金制度が1988年、国民皆保険制度は1989年、雇用保険制度は1995年である。しかも、本文でも触れられているように、例えば基礎年金は20万ウォン[約2万円]と極めて低い。
こうした制度は、いわゆる「漢江の奇跡」と呼ばれた高度成長を遂げて先進国の仲間入りをする過程で整備されたものだが、それからほどなく発生したアジア経済危機(1997年)を経て、韓国も日本同様、新自由主義経済の嵐が吹き荒れ、貧富の格差のいっそうの拡大、貧困層の増大を招いている。
では、それ以前の韓国はどのように低所得者層を社会が支えてきたのかといえば、高度成長期とそれ以前の日本同様、社会保障の不在または不備を家族福祉が担ってきたのである。日韓に限らず、アジア諸国に現在も広く見られるように、社会保障、社会福祉の脆弱な社会は、家族福祉がそれを補完する。
しかし、日本同様、ここ20年前後、新自由主義の行きすぎた競争原理は、そうした家族主義をも破壊し、現在の韓国は日本と合わせ鏡のような1%対99%の極端な階級社会を招来することになった。
こうした中、今、城南市の「若者配当」という名のある種の広い意味での基本所得=ベーシックインカムが、韓国社会の注目を集めている。
本文でわれわれがいちばん注目するのは、カン・ナムン教授の「再分配の逆説」、つまり「貧しい階層にのみ福祉を施すほど貧しい人が受ける金額は減り、中産層を含めて普遍的に福祉を施す方が貧しい人が受ける金額が増える現象が発生する」という主張であり、これこそベーシックインカムの概念の神髄といってもいい。
なぜ注目するのかといえば、現在の日本の社会保障政策は、まさにこれと真逆のことをやっているからである。バブル崩壊以降中間層がやせ細った日本社会は、1%の側も99%の側もあらゆる面で余裕を失い、戦後の社会保障政策(のみならず経済政策そのもの)に失敗した政府は、「社会保障費に充てるため」と称して消費税を引き上げながら、生活保護費を削減したり、労働者派遣法を改悪するなど、大企業に有利な労働法制を次々と導入し、一方で法人税を引き下げて社会の格差をますます広げている。挙げ句の果てに、消費税再引き上げ時の軽減税率を所得制限付きで事後給付するなどというとんでもない案を提示してきている。そこには「上が潤えばそのおこぼれがそのうち下にもいく」という国民をバカにしきった「トリクルダウン」の言葉遊びしかない。
仮に消費税をこれ以上引き上げるとしても、その際には食料品に限らず、生活必需品は最高でも5%以下に引き下げる軽減税率を無条件で導入するのが、本来の姿であろう。
まさにカン教授が指摘するとおり、「貧しい階層にのみ福祉を施すほど貧しい人が受ける金額が減」っているのが今の日本の現状である。
だから、日本では地方自治体レベルでも、城南市のような大胆な政策が発案されない。せいぜい地域貨幣を発行して地域経済の活性化を図ろうというレベルの発想である。
韓国でできることならば、日本ではもっと本格的なベーシックインカムを基礎自治体レベルで実行することが可能だろう。イ市長が言うように「制限された予算をどこに投じるのかは、結局哲学と意志の問題」なのだ。

亡国記CM.jpg


韓国城南市「若者手当」導入本格推進-四半期別25万ウォン[年約10万円] [Basic income]

【城南=ニューシス】イ・ジョンハ記者=京畿(キョンギ)道城南(ソンナム)市は地方自治体で初めて、ベーシックインカムの概念を導入した若者手当の導入を積極的に推進することにした。
若者手当は満19~24歳の若者の福祉向上と就職力強化のための最小限の基本権を保障しようとの趣旨で、四半期ごとに一定金額を支援する制度だ。
城南市は若者の基本権保障のための「若者手当支給条例案」を作成し、10月13日までに住民の意見を集約すると、29日明らかにした。
この条例案は城南市に3年以上住民登録して居住している満19~24歳の若者に、1人当たり四半期ごとに25万ウォン以内の若者手当を支援することのできる支援根拠と基準、支援方法等を含んでいる。
若者手当の政策は韓国初のベーシックインカム政策導入事例だ。一種のベーシックインカムで、福祉事業と異なり、所得水準や経済的地位による差別なしに支給される。
城南市の若者手当支給対象は約1万人余りと推定される。
市は若者手当によって地域の若者に自己啓発を通した様々な機会を提供する一方、若者手当の財源が地域内で循環するように、現金支給の代わりに地域内でのみ使用可能な城南商品券や城南若者手当カード等の形態で支給することを検討している。
こうした政策によって、若者の未来のための投資はもちろん、地域経済の活性化にも寄与するものと市は見ている。
市は住民の意見集約および条例規則の審議を経て、市議会にこの条例案を提出する方針だ。
しかし、市議会の審議および保健福祉省との協議過程で難航が予想される。

T430x0ht.jpg

全国初の「無償公共産後ケアセンター」の開始を発表するイ・ジェミョン城南市長

市議会セヌリ党がイ・ジェミョン城南市長の無償公共産後ケアセンター、無償制服に続く若者手当等の福祉政策に反対しており、保健福祉省もこの間、無償公共産後ケアセンター等、イ市長独自の福祉政策に対して、他の地方自治体との公平性に欠くとしてブレーキをかけているためだ。
これに先立ち、城南市では若者手当の導入に関連して、昨年12月から若者の就職力強化のための基礎研究、若者手当実行策の研究等を進めてきた。
市関係者は「満19~24歳の若者は福祉政策支援の弱者。これら若者にベーシックインカムを保障して、自己啓発を通した就職機会を提供し、地域小商工業者の収入増大につながることを期待する」と話している。
Daumニュース(15.09.29)
ニューシス|イ・ジョンハ

スイス「ベーシックインカムのための国民投票」(下) [Basic income]

労組の立場と左派の世論
スイス連邦労組SGBは国民投票運動が始まった2012年に、すでにベーシックインカムに対して時期尚早であり憂慮の恐れがあると述べていた。労組の首席経済学者であるダニエル・ランパルトDaniel Lampartは、ベーシックインカムが既存の現金福祉を吸収することに反対して、それが新自由主義政策につながるという。連邦労組議長であるパウル・レヒシュタイナーPaul Rechsteinerも、労組の目標が「最低賃金と強い社会保障」であると述べる。*しかし、これをベーシックインカムに対する労組の根本的な反対意見であると読むのは不適切である。** ダニエル・ランパルトは2012年4月11日に開かれた公開討論会で、見解の相違は戦略上の問題であることを明らかにした。2012年に、労組は最低賃金に関する国民投票案を発議し、2014年頃に国民投票に委ねられるであろう。労組は最低賃金問題に集中したいのである。また、労組のこうした立場が最終的なものであると断定することもできない。2010年10月にすでに6万人程度の組合員を有しており、スイスで2番目に大きな労組であるシーニャSynaは、代議員大会で143票中102票の圧倒的な賛成でベーシックインカムを綱領に採択した。*** 2012年には公共労組もベーシックインカム方式で支援される全国民安息年制度を提案したことがある。**** 社会民主党内部の事情を見ると、連邦議員であるシルビア・シェンカーSilvia Schenkerをはじめとして、議員の3分の1程度がベーシックインカムに賛成している。明らかに反対する者は9人の議員だけであり、残りは留保の態度をとっている。国民投票に至るまでの議論の過程を通して十分に変わりうる問題である。
* 2012年4月11日『ターゲスアンツァイガー』の記事. http://www.Tagesanzeiger.ch/Newsnet.
** 例えばベーシックインカムに対する連邦労組の反対を浮き彫りにしようとする「真の世の中」の記事. http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&nid=71679.
*** htttp://www.tagesanzeiger.ch/schweiz/standard/Gewerkschaft-Syna-will-das-bedingungslose-Grundeinkommen/story/27113124?comments=1.
**** https://www.grundeinkommen.de/27/10/2012/schweizer-gewerkschaften-fordern-grundeinkommen-fuer-sabbaticals.html.

資本の反応と保守言論の動向
資本の反応はもちろん冷たい。「スイスビジネスのための最適な経済環境の創出」を目標にしている親企業団体であるエコノミースイスEconomiesuisseは、10月に11ページの報告書を発行し、ベーシックインカム導入による追加財政所要額は200億スイスフランを上回り、付加価値税を20%でなく50%まで上げない限り充当できないと抗議した。*報告書全体はベーシックインカムを通して到達しようとする社会像に対する評価を留保しながら、実際的な問題、すなわち財源調達が不可能で経済に悪影響を及ぼすという点のみを強調する。「無条件のベーシックインカムイニシアチブ」執行委員のひとりであったヘニーの言葉を借りるなら、「実現しようとする者は道を探し、反対しようとする者は言い訳のみ探す。」半面『チューリッヒツァイトゥング』など保守系マスコミの報道は、ベーシックインカムが労働と所得の関連を破壊して労働意欲を低下させ、スイスがなまけ者の天国になるという憂慮を表明する。こうした報道基調は『フランクフルトアルゲマイナーFAZ』や『ハンデスブラットHandelsblatt』のようなドイツの保守系新聞にも現れる。
http://www.economiesuisse.ch/de/PDF%20Download%20Files/dp21_grundeinkommen_print.pdf.

スイス特有の歴史と全ヨーロッパ的波及
スイスの国民投票は直ちに、同じ言語圏であり国民の69%がベーシックインカム導入を支持しているドイツに、大きな波紋を広げている。ヘニーとエンノ・シュミットEnno Schmidtをはじめとして国民投票を主導した団体の代表者らは、連日ドイツのマスコミのインタビューを受け、テレビのトークショーにも出ている。高い支持率にもかかわらず、ドイツではベーシックインカムが議会で議論さえなされていない半面、スイスでは国民投票に委ねられることになったことは、スイス特有の直接民主主義制度に支えられているものである。併せて、国民投票の結果によって改めて評価すべき問題かもしれないが、エリック・パットリーEric Patryが2010年に自身の本で述べたように、* スイスの直接民主主義的で共和主義的な伝統は、社会構成員という一般的資格に立脚して、労働によらずとも所得が与えられることを自然に受け入れられる要因たりうる。スイスで実施中の年金制度である「老齢及び遺族年金」は、全国民義務保険である。失業者や学生も最少金額である年間480スイスフランを拠出することになっている。女性は64歳、男性は65歳に年金が支給され始めるが、支給額は最少額が2,500スイスフランで、最高額はその2倍である5,000スイスフランを超えないように設計されている。所得再分配効果が絶大な設計であるということができる。確かに保険という寄与型設計であるが、誰でも社会構成員という資格にのみ基づいて所得を得るという発想は、「老齢及び遺族年金」にも部分的にはすでに表現されている。
* Eric Patry,Das bedingungslose Grundeinkommen in der Schweiz:eine republikanische Perspektive,Bern [u.a.]:Haupt,2010 (St. Galler Beitra¨ge zur Wirtschaftsethik,45).

スイス「ベーシックインカムのための国民投票」(上) [Basic income]

ロイター通信などによると、市民運動の代表者がこれまでの活動で集めてきた署名10万人分を政府に提出し、国民一人あたり(成人)に1カ月2500スイスフラン(約28万円)を支給することを訴えた。また、そのパフォーマンスとして、国会議事堂に2500スイスフランの硬貨をトラックからぶちまけた。
(アメーバニュース 10月8日)
日本のマスコミでは全く報道されていないが、今、世界のベーシックインカム支持者の間で、スイスのこの動きが注目を集めている。以下は、韓国の月刊「左派」11月号に載った文章の翻訳(前半)である。

スイス「ベーシックインカムのための国民投票」

クム・ミン ベーシックインカム韓国ネットワーク運営委員長、「左派」編集委員長
去る10月4日、スイスでは126,000人が署名した「ベーシックインカムのための国民投票の請願Volksinitiativefur ein bedingungsloses Grundeinkommen」が連邦内閣事務局Bundeskanzleiに提出された。スイス人10万人以上の署名という要件を満たした国民投票請願の内容は、スイス憲法に次のような条項を新設しようというものである。
第100条a 無条件のベーシックインカムbedingunsloses Grundeinkommen
1. 連邦は無条件のベーシックインカムの導入を準備する。Der Bund sorgt fur die Einfuhrung eines bedingungslosen Grundeinkommens.
2. ベーシックインカムはすべての住民に人間らしい生活と公的生活に対する参加を可能にしなければならない。Das Grundeinkommen soll der ganzen Bevolkerung ein menschenwurdiges Dasein und die Teilnahme am offentlichen Leben ermoglichen.
3. 特にベーシックインカムの財源と金額に関しては法律で定める。Das Gesetz regelt insbesondere die Finanzierung und die Hohe des Grundeinkommens.

国民投票案は憲法第100条aを新設する憲法改正案の形式をとっている。こうした憲法改正案が通過すれば、立法府はベーシックインカム支給金額と財源に関する法律を制定しなければならない。財源と支給金額に関する法律の留保は、この問題を立法府に任せるという意味である。しかし、憲法改正案さえ通過すれば、立法府が支給金額と財源調達方式をどのように決定しようと、ベーシックインカムは無条件に導入される。
この国民投票案はどんな過程と手続きを経て、いつ頃国民投票に委ねられるのだろうか? まず国民投票案は行政府である連邦参事会Bundesratで審議される。この過程は1年を超えることができない。連邦参事会は国民投票案に対する意見を付して立法府(国民議会と全州議会)National- und Standeratへ回付する。立法府は国民投票案を議論し意見を付する。その後、初めて国民投票が実施される。立法府の審議は1年半以内になされなければならず、普通は10ヵ月程度かかる。立法府の意見は参考及び勧告機能を有するだけで、国民投票の効力にいかなる影響も及ぼさない。10万以上の署名を受けたからといって、国民投票が直ちに実施されるのではなく、最大2年半の審議期間を経るという点が重要である。競合的な国民投票案が成立した場合は審議期間が延長されて、提出後4年後になって国民投票が実施されることもある。
国民投票を推進した「無条件のベーシックインカムイニシアチブInitiative fur ein bedingungsloses Grundeinkommen」(http://bedingungslos.ch/)は、このように審議期間が長いという点が不利ではないとみる。全社会的な議論を呼び起こし、賛成世論を拡大することができると判断している。11月4日に実施される予定の国民投票案に「1対12」と呼ばれるものがある。ひとつの企業の中で最高経営者の報酬がその企業内の最低賃金の12倍を超えることができないようにしようという案である。この案は最初は賛成世論が圧倒的だったが、投票日が近づくにつれ反対世論が広がっている。2012年にはスイス連邦労組SGBが支援していた有給休暇制度の延長が国民投票で否決されることがあった。その上、ドイツの場合は最近の世論調査でも全国民の69%がベーシックインカムに賛成という結果が出る半面、スイスのベーシックインカム賛成世論はドイツのレベルに達していない。こうした事情を勘案すると、議論の期間が長いという点は、ベーシックインカム運動の拡大にかえって有利であるともいえよう。
ベーシックインカムの導入を国民投票に委ねようとする試みは2011年にもあった。当時の提案は環境税を上げて税収不足額を埋めようというものであったが、与えられた期間内に有効署名数を満たすことができずに請願に失敗した。今回の請願が迅速な期間に要件を満たした理由は、ベーシックインカム導入を憲法改正事項として請求し、具体的な立法を立法府に委任したためと思われる。国民投票請求を主導した側は、こうした形態の運動によって、議論が財政が充分かどうかの問題だけに狭められず、社会の未来を巡る政治的で哲学的な問題へと広がったと判断している。

ベーシックインカム財政を巡る内部の異論
財政の問題を後回しにした理由は、スイスベーシックインカム運動の内部の異論とも関係する。
スイスのベーシックインカムネットワークは支給金額を2,500スイスフラン(約27万円)とするという点には意見の一致を見ている。物価水準を勘案して実質実効為替レートで評価すれば、それほど高くない金額である。スイスの貧困ラインは2,378スイスフランで、老齢年金最低支給額が2,500スイスフランであり、労組は最低賃金4,000スイスフランを要求している。ベーシックインカムを導入するかどうかが議論になっているが、2,500スイスフランという基準に対しては社会的に大きな論議はない。
しかし、財源調達方式に関しては、ベーシックインカム運動内部に相当な異論が存在する。社会民主党員で行政府である連邦議会のスポークスマンであったオスワルド・ジックOswald Siggは、富裕税で税収不足額をカバーすべきだと主張するが、ベルンで大型レストランなど飲食業と文化事業を営んでいるダニエル・ヘニーDaniel Häniは、現行8%である付加価値税を20%まで引き上げて充当しようという。* ヘニーの主張はドイツのゲッツ・ヴェルナーGötz Wernerの主張と一脈通じる。ドイツでDMというドラッグストアーチェーン店を経営するゲッツ・ヴェルナーは、2005年頃に放送を通してベーシックインカム導入を主張して、ベーシックインカム世論の拡大に大いに貢献した。しかし、一切の税金をなくし付加価値税のみを残し100%まで上げて[訳注]、これを財源にベーシックインカムを支給しようという彼の主張は、ベーシックインカム・ドイツネットワークで支持を得られなかった。もちろん、ヘニーの主張はゲッツ・ヴェルナーのように税金を間接税のみに置き換えようという提案ではなく、不足額の充当問題にのみ限定されている。それでも、彼は自身のビジョンが「所得に課税する代わりに消費に課税」しようというヴェルナーの主張と一致すると表明している
*2人の「ターゲスボッヘ」論争を見よ。http://tageswoche.ch/+basus.
論争になる部分は、もっぱら約200億スイスフランに該当する不足額に関するものである。スイスのベーシックインカムネットワークと国民投票を主導した団体である「無条件のベーシックインカムイニシアチブ」執行委員会は、総財政需要2,000億スイスフランのうち800億は老齢及び遺族年金Alters- und Hinterlassenenversicherung等、基本の現金給付に充当され、1,000億は賃金に含まれており、ただ200億だけが不足すると見る。したがって、この200億スイスフランが議論の中心となる。賃金に含まれているという1,000億に対して、スイスのベーシックインカムネットワークは清算モデルVerrechungsmodellを提案する。現在受け取っている賃金のうち2,500スイスフランを企業が労働者に支払う代わりに、国に振り替えるのである。労働者は国から2,500スイスフランのベーシックインカムを受け取るので、所得水準の変動はない。* こうしたモデルを適用する場合、ベーシックインカム導入は労働所得の不均衡を緩和しない。賃金格差緩和のためには、「1対12」や4,000スイスフランへの最低賃金引き上げのように、他の種類の法律が必要であろう。こうした改革に対して、ベーシックインカム運動の中にも支持者が多い。重要な点は、スイスのベーシックインカムネットワークは賃金政策を通してのみ実行される賃金格差緩和より、自分たちが提案する清算モデルが労働と所得の連係に関連して、より大きな社会的認識の変化を産むものであると見る点である。
*概略的な財政モデルに関しては次を見よ。 Albert Jo¨rimann,Ein bedingungsloses Grundeinkommen - modern und effizient,Gent 2007 (Hefte zum Grundeinkommen Nr. 1).
[訳注]実際にはヴェルナーは付加価値税50%を主張している。「無条件のベーシック・インカムの財源確保のために付加価値税を最終的に五〇%まで引き上げること、これが私の提案です。」(『すべての人にベーシック・インカムを』渡辺一男訳、現代書館)

スウェーデンのベーシックインカム論-ワークフェアから無条件給付へ [Basic income]

スウェーデンの福祉後退、「ベーシックインカム」支給して防ぐべき

「京郷新聞」2012-10-14 21:23:44
文:キム・ジファン 写真:キム・ムンソク記者 


「スウェーデンの社会福祉が最近10年間、新自由主義の影響で次第に悪化している。特に『仕事をしない人に福祉給付を与えることはできない』という認識が強固になっている。スウェーデンの福祉後退を防ぐためにはベーシックインカムの導入が必要だ。」
Annika Lillemets.jpgAnnika Lillemetsスウェーデン緑の党国会議員(写真)は、去る12日、ソウル市貞洞(チョンドン)の民主労総大会議室で開かれた「スウェーデン福祉モデルの限界とベーシックインカム」をテーマにした講演で、ベーシックインカム導入の必要性を強調した。
韓国社会で福祉国家のロールモデルと見なされているスウェーデンで、なぜベーシックインカムが必要なのか。「スウェーデンモデル」が1990年の経済危機以降、新自由主義の影響により後退しているのを防ぐためである。後退している福祉制度が、長期間失業状態にある人や仕事を見つけられずにいる若者等に、十分なセーフティーネットにならなくなっている状況がある。昨年、経済協力開発機構(OECD)が発表した幸福指数を見ると、スウェーデンは3位で、保育、教育、失業等の問題を福祉が支えている伝統は相変わらずである。しかし、ユートピアという韓国人の一般的な認識とは全く異なった状況にあるのだ。
Annika Lillemets議員は、「現在の失業率は8%、若者の失業率は20%だ。また、臨時職と毎朝仕事のために電話を待つプレカリアート(不安定な労働者階級)が増えている」と、スウェーデンの状況を伝えた。彼女は「福祉制度が定着していなかった100年前に戻ったような印象を受けることさえある」と言う。
新自由主義の影響で、「仕事をしない者に福祉給付を与えることはできない」という認識が、スウェーデン社会でいっそう強固になっている。Annika Lillemets議員は「左派・右派ともに労働をしなければ人間らしくないという信念を持っている。このために、ますます多くの人々が労働に連係する福祉給付に依存している」という。彼女は、しかし「仕事をしない者も福祉給付を受ける権利がある」として、労働と福祉を連係しなければならないという「固定観念」と対抗することが最も重要だという。
ヨーロッパ議会は2010年、ベーシックインカムの導入をすべての加盟国に提案した。ベーシックインカムがスティグマを押さない方式で貧困問題を解決し、社会的排除を解決するのに効果的だと見たためである。スウェーデン緑の党は最近、初めて政府にベーシックインカム導入のためにモデル事業を行うよう提案した。Annika Lillemets議員は、ベーシックインカムを支給するための財源としては環境税を考慮している。彼女は「労働所得に税金をさらに賦課することになれば、仕事をする人々の反発が大きくなることもある。企業が二酸化炭素排出による税金を払うようにする必要がある」と言う。

※日本でも、生活保護を就労と結びつけたワークフェアに基づく社会福祉が強化されようとしている。あまつさえ、親族の扶養能力を調査すべきといったような、社会福祉の概念を「家族福祉」にすり替えようとする動きさえある。個人の基本的人権と生存権の保障という憲法の理念にも背く反動的な動きだ。
私たちは、「財政難」を理由に社会福祉を切り詰めようとする政府のこうした動きを許さず、ひとり一人の個人を単位としたベーシックインカムの導入を、今こそ声を大にして主張し、具体的政策として提案していく必要がある。

ダグラスの社会信用論(連載8)  [Basic income]

資本主義・社会主義を越えて
ダグラスの訴える力は階級の障壁を跳び越える。彼の門人たちは普通の労働者以外に、企業家や社会の富裕層の中からも出てきた。それは、彼のアイデアが「貧しい人が貧しいのは金持ちが富んでいるせい」という古い考えを見透かし、現代の貧困は金融システムに起因していることを示したためである。ダグラスは、現代産業社会ではすべての人の必要のために潜在的に豊かな生産物が取りそろえられていて、失業と進歩に内包された潜在的な余暇を皆が享有しなければなければならないと考えた。ダグラスは「希少貨幣」によってつくられた貧富間の感情的間隙を埋め、企業家と従業員の間の葛藤の溝を埋めた。バランスが取れた経済の動きに皆が共通の利害を有しているということは誰でも分かることである。それは皮相的な階級差よりもはるかに強力な共通の日々の実際的な利害であった。こうした意味で、ダグラスはマルクスやレーニンよりもはるかに鋭かった。なぜなら彼は、階級問題は本質的に実際的な問題の根源から焦点を逸らす抽象的論理であると見たためである。
貨幣がつくられ流通する過程に対する十分な理解は、実際に資本主義や社会主義理論のいずれにも欠如しており、そうした理論の本質的誤謬は、ダグラスの分析によって暴露された。資本主義と社会主義のいずれも、金融システムには基本的に何の誤りもないという仮定の上に構築されている。ダグラスは金融システムには根本的な欠陥があるだけでなく、まさにそれが社会主義・資本主義論争の背後にある「労働者と資本家」の間の分裂の原因であるということを示した。
社会主義と資本主義両者の本質的欠陥は、賃金依存人口の被搾取的地位、そしてそれによる私企業または政府機関を通した資本家や社会主義エリートの支配力である。それに対する代案は、ベーシックインカムと金融権力の脱中心化及びバランスによって代弁することができる。
左翼と右翼のドグマはいずれも人々を引き裂くように見える(しかしそうなる必要のない)経済的葛藤に対する誤った認識による反応である。社会信用論は人々の共通した利害関係に集中し、この利害関係の相互補完的関係に注目しつつ、社会主義の善意と資本主義の生産性を結合して、人々が相互利益のために仕事ができるように試みた。政治的・経済的理論の見地からいうと、社会信用論は資本主義と社会主義に対する「抑圧された代案」として描写することができる。
フランシス・ハッチンソンは最近、ダグラスのアイデアを再評価し、それが今日の状況で有する意味を分析した(Frances Hutchinson, The Political Economy of Social Credit,1997)。彼女の研究は、大衆的な目で見ればダグラスがあたかも青天の霹靂のように出現した存在であったようでも、実は彼は世紀転換期の「ギルド社会主義」運動で頂点をなした古い社会批評の伝統の中にあったということを示す。彼の金融に関するアイデアは新しいものであったが、彼の哲学はもう少し以前の、そして当時の改革家の哲学に根元を置いたものであった。ハッチンソンは社会信用論をかつてあったそのまま、また、今あるままに示す。すなわち、20世紀の最もラジカルであり、最も建設的であり、最も首尾一貫した経済的・社会的分析としてのものである。
クリフォード・ヒュー・ダグラスは驚くべき慧眼の持ち主であった。彼は経済的進歩、不安定、骨身にしみる個人的試練の中に、広範囲な物質的繁栄と社会的内容のためのチャンスが内包されていることを探求した。今日、ダグラスと彼の門人らがほとんど80年前に行った警告と予言は、新しく恐ろしい現代的形態で再現されて、私たちを容赦なく捉える。大規模な廃棄物、汚染、過労、失業、疎外、そして第三世界の悲惨な貧困と不安定等々。ダグラスの分析と彼の提案は、「豊かさの中の貧困」に苦しめられた彼の時代よりも、今日はるかにより大きな意義を有している。
(了)
(韓国語訳者:キム・ジョンチョル)
*本稿の翻訳を勧めていただいたキュンキュンさんに感謝します。おかげでダグラスの思想の概略を知ることができました。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。