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#MeToo Movementは人類究極の最終革命 [Criticism]

ヒトがヒトになる以前から、女性は常に男性に抑圧され、支配される存在だった
昨年、世界中に広がった#MeToo Movementは、人類がこれまでに経験してきたいかなる革命よりも根源的であり、永続的たりうる人類究極の最終革命といってもよい。なぜなら、女性は平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」ではないが、なるほど人類史において母系社会、母権社会は存在したし、また、マルクスのいう「原始共産制社会」においては、階級社会におけるよりも女性の社会的地位は相対的に高かったかもしれないが、人類をヒトという生物学的次元で考察すれば、ヒトがヒトになる以前から、女性は常に男性に抑圧され、支配される存在だったからだ。
動物界ではオス・メスの力関係は一様ではなく、ペアリングに際しても主導権を握るのは種によってどちらの性でもありうるが、少なくとも哺乳類の肉食動物、雑食動物では、雌雄の役割分担からオスが優位に立つ場合が多い。また、哺乳類はメスが妊娠・出産・授乳を担わなければならないため、体型もそのために特化し、オスは狩りにおいて主導的役割を果たす。また、ヒトの場合、男女の身長・体重比は女性が男性よりそれぞれ1割、2割ほど少ない。
また、ヒトに最も近いチンパンジーにも見られるように、肉食哺乳類ではオスが交尾目的に子育て中のメスを狙って他のオスとの間に生まれた子どもを殺すケースがしばしばある。ちなみに、ヒトでもシングルマザーと同居する継父による連れ子への虐待死が後を絶たないが、それはそのような動物的本能に根ざすもので、極めて根が深い問題だ。

「人間性」の二面性を直視せよ
ついでにいえば、動物界では同類同士の殺し合いはこの子殺しを含め、交尾を目的としたメスをめぐるオス同士の争い以外には縄張り争いでたまに見られる程度で、それらにも歴然としたルールがあって、そのルールによって負けたオスはいとも簡単にメスを諦めるものである。ヒトのように、そうした理由でなく、他の理由で、あるいは理由もなく同類を殺す動物は、自然界広しといえども人類以外には見られない。ちなみに、縄張り争いに起源を持つ戦争は、文明が進めば進むほど歯止めを失い、ついに第2次大戦では数千万レベルの殺戮を繰り広げるに至った。こんな残忍、残酷な動物は類を見ない。「鬼畜」という言葉があるが、人間が考え出した想像の動物である鬼、人間の悪の象徴ともいえる鬼はともかく、畜生、つまり獣にも、人間ほど残酷、残忍に無意味な殺戮を行うものはいない。
ちなみにその殺人にしろ、戦争を除いても、8割は男が行っている。その他の犯罪行為もだいたい8割は男による犯行だ。性犯罪に至っては9割以上が男性といわれている。
「人間性」という言葉がある。辞書を引くと「人間を人間たらしめる本性。人間らしさ。」(大辞林)などと出ている。多くの人がこれから想像するだろうように、そして実際に多くの場合そのようなニュアンスで用いられるように、「人間性」とは他の動物と峻別される人間の優れた特性、つまり、理性的で、知能的で、かつ情緒豊かで他人への思いやりもある、愛情あふれる存在…というような意味合いの言葉だ。しかし、だとしたら、これほど人間の傲慢さ、自惚れ、主観性を表わす言葉もない。これが「人間性」の一面だとしたら、もう半面は他の動物のだれよりも残忍、残酷、自己中心的、破壊的で、暴力支配的なのが「人間性」にほかならない。

フェミニズムさえ避けてきた男女問題の核心に切り込む#MeToo
そして、ヒトがチンパンジーと枝分かれする前から、その社会を常に支配してきたのが男であり、女は男が支配し、思いのままにする対象であった。そして、性行為においても、その支配的地位にある男がほとんど主導権を行使してきた。そして、時に暴力的に……。
確かに、時代によっては女性の地位が相対的に高く、女性の人権が相対的に守られていた時期もあるが、それはあくまで相対的な問題に過ぎない。また、そうはいっても人間は上述したように相矛盾した二面性を抱える動物なので、多くの男たちは女性に対して支配的地位を維持しながらも、時に優しく接し、男女の恋愛感情の結果、双方の合意のもとに結ばれ、子どもをつくるのが一般的である。だから、女性にとっても大局的には男性社会の支配を受けながらも、個人的には恵まれた夫婦関係を結ぶ者も少なくない。
だが一方で、一定割合の男は、「人間性」の悪しき一面が肥大化し、よき面が退化した者がいる。そういう男は、「人間らしい」思いやりも相互作用的恋愛感情も持つことができず、女性を性欲の対象としてしか認識できず、そのために物理的暴力によって絶対的支配権を行使する。つまり、DVやストーカーという犯罪行為に走る。そうした男は社会のあらゆる領域、貧富の差や政治的思想信条等にかかわりなく存在する。
痴漢や軽微なセクハラも含めたこうした性犯罪行為は、従来はたいてい見て見ぬふりをされ、社会に顕在化することがなかった。その被害に遭った女性は、〝不運〟としてそれを甘受し、一生その傷を抱えて生きていくしかなかった。恐らく、痴漢、セクハラも含めれば、一生のうちに一度も性被害を受けたことのない女性はほとんどいないのではなかろうか?
そうした、何十万年、それ以上続いた人類史の男支配構造の不条理に勇気を持って真っ向から異を唱え立ち向かったのが#MeToo Movementだ。これは、フェミニズムやそれに先立つウーマンリブ、女性参政権運動等でさえ、あえて触れようとしなかった領域に属する問題だ。
それは1年、2年で終わるべきものではなく、今後、数十年、あるいはそれ以上の長きにわたってたたかわれていくべき永続革命だ。それは悪しき「人間性」に支配された男の犯罪を世界から撲滅していくたたかいであると同時に、人類が持つよき「人間性」を全面開花させていき、男性中心社会に終止符を打ち、真の男女共生社会をめざす人類究極の最終革命でもある。

人類は自滅、絶滅への道をたどるのか?
しかし、だからといって人類に背負わされた正邪二面性の自己矛盾はそうそう簡単に克服できるものではあるまい。また、男だけが悪で女はすべからく善なわけでもない。この矛盾に満ちた人間存在をいかに止揚していけるのか? その着地点は未だ見えないし、この革命自体が成就されるという保証もない。
それどころか、昨今の末期資本主義的状況下でテロとヘイトクライムが横行する世界を見ていると、人類はその「人間性」の負の側面を肥大化させて、自滅、絶滅への道をたどる以外にないのではないかと絶望することもある。
そんな中で、#MeToo Movementは人類に残された数少ない希望の光である。

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#MeToo 韓国と日本の現在 [Criticism]

「被害者らしさ」排撃し権力型性暴力警告した「安熙正有罪」
(2019.2.1 京郷新聞社説)
地位を利用して秘書に性暴力を加えた嫌疑で起訴された安熙正(アン・ヒジョン)前忠清南道知事が、控訴審で懲役3年6月の判決を受けて収監された。ソウル高裁刑事12部は1日、業務上威力による姦淫等の嫌疑で起訴された安前知事に対する控訴審判決公判で、無罪を言い渡した一審判決を破棄し、このような判決を言い渡した。裁判所は安前知事の10の犯罪嫌疑のうち、一度の強制わいせつのみを除きすべて有罪と認定した。「威力」の意味を狭く解釈し、「被害者らしさ」という歪曲された神話に埋没してすべての嫌疑を無罪とした一審判決を180度覆した。ジェンダーセンシティビティを忠実に反映した今回の判決は、権力型性暴力に厳重な警鐘を鳴らした里程標的判決として記録されるであろう。
控訴審裁判所が有罪を下した根拠は大きく2つある。まず、安前知事が現職道知事であり与党の有力大統領候補としての「威力」を利用して被害者キム・ジウンさんと性関係を持ったと判断した。「業務上の威力」が必ずしも被害者の自由意思を制圧するほどの「有形的威力」である必要はないともした。「威力が存在はしたが行使されなかった」という一審を否定したものである。また、裁判所はキム氏の陳述が具体的で一貫しており、信憑性があると見た。安前知事側が「被害者らしくない行動」を根拠にキム氏の陳述の信憑性を否認したのに対して、「被害者の性格や具体的状況によって対処は異なって現れる。弁護人の主張は定形化した被害者という偏狭な観点に基づいたもの」と一蹴した。
キムさんは判決直後、「言ったのに無視され、どこにも言えず私の裁判を見守っていた性暴力被害者に連帯の気持ちを伝えたい」と述べた。彼女をはじめとして性暴力を告発した被害者の勇気に今一度敬意を表す。彼女らの「#MeToo」は韓国社会に滔々たる変化の波を起こしている。MeToo運動の本格的出発点となった徐志賢(ソ・ジヒョン)検事のセクハラ加害者安泰根(アン・テグン)元検事長は、「報復人事」を行った嫌疑で最近、懲役2年の判決を受け収監された。劇団の団員を常習的に痴漢した嫌疑で起訴されたイ・ユンテク元「演戯団コリペ」の芸術監督も先に懲役6年を言い渡された。
被害者の陳述に耳を傾けた裁判所の相次ぐ判決は意味が大きいが、それだけでは十分でない。人生をかけて性暴力に対決してたたかう被害者がむしろ美人局とか嘘つきと陰口をたたかれる等、2次被害が深刻な状況にある。性差別的権力構造が変わらない限り、権力型性暴力は消えない。共同体の構成員すべてが日常に蔓延した差別と暴力を認識し、これに対して憤然と抵抗しなければならない。


社説にもある韓国の#MeToo運動の端緒ともなった徐志賢検事の告発から1年の間に、韓国では与党の有力政治家が実刑判決を受けるまで、運動の成果が上がり、裁かれるべき罪が裁かれ、罰せられるべき者が罰せられている。
一方、日本で孤立無援状態でアベ友「ジャーナリスト」を訴えた女性は、その後、事実上の「亡命生活」を余儀なくされ、セクハラ官僚は減給20%6カ月の処分で5千万の退職金をもらって退職。それを放置し、輪を掛けたセクハラ発言を繰り返した所管大臣は今もその席にのうのうと居座り続けている……。お友だちと政権私物化した大統領をわずか数ヶ月で引きずり下ろした韓国―もはやリスペクトするしかなすすべがない天と地の違い……。

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[社説]韓日摩擦、これ以上放置してはならない(京郷新聞) [Politics]

韓日関係が悪化の一途をたどっている。韓国の艦艇と日本の哨戒機の機動をめぐる神経戦が半月続いた後に、去る6日には日本の安倍晋三首相が韓国最高裁の日帝強制徴用賠償判決に対する法的対応を指示した。日帝徴用被害者が最高裁の判決に従って日本企業を相手に財産差押えを申請するや、国際司法裁判所に提訴する策を講じるように指示したのである。最近では両国のネット市民まで相手に対するレス攻勢で加勢している。軍事的事案をめぐり両国が衝突した前例がなかったという点で、両国間の摩擦が新たな局面に突入したのではないかという憂慮まで生じる。
韓国と日本の軋轢が高まるには、国内外的な要因が複合的に作用している。安倍首相が率いる自民党政権が宿願である平和憲法の改正を通した戦争のできる普通の国づくりを実現するために、韓国との摩擦を利用しようとする意図がうかがえる。これはレーダー問題と強制徴用判決に対する攻勢を安倍首相が直接主導しているという点にも現れている。日帝徴用被害者の日本企業資産差押え申請に対する国際裁判所への提訴の動きも同様である。韓日請求権協定と関係なく個人賠償請求権が消滅していないという司法の独自判断を無視したまま、行政府に責任を問うている。過去の事例に見るように、外交問題を国内政治に利用する時、韓日の軋轢は最高潮に達した。李明博元大統領が下落する支持率を独島(竹島)訪問で挽回しようとしたが、日本の野田佳彦首相と正面衝突して最悪の事態を招いたのが代表的である。今、安倍内閣の支持度が40%台をかろうじて保つ程度に落ちているが、今年7月に改憲を左右する参議院選挙が予定されている。こうした状況で韓日の摩擦を通して政治的利益を得ようとする誘惑を振り払うことができなければ、両国関係を決定的に危機に陥れる可能性がある。そのうえ、アメリカのトランプ政権は以前の政権とは異なり、韓日両国間の摩擦の仲裁に関心を示していない。
今年は3・1運動100周年であり、両国間の緊張が高まる可能性が高い。韓日両国政府はこうした状況を深刻に認識し、軋轢がこれ以上深刻化しないように管理しなければならない。両国とも感情的対応を自制し、じっくり解決していかなければならない。まず、軍事当局は追加的な攻勢を自制した後、証拠に基づいて哨戒機の接近飛行とレーダー照射の有無に関する真相を究明する必要がある。外交チャネルも積極的に活用しなければならない。特に、安倍政権が外国の裁判所の判決まで否定するのは決して望ましいことではない。今のような一方的な攻勢が韓日関係の根幹を揺るがしうるという点に、安倍政権は留意しなければならない。

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[社説]日本「哨戒機映像公開」指示した安倍の戦略(ハンギョレ) [Politics]

日本の海上自衛隊哨戒機に韓国の軍艦が射撃統制レーダーを稼動したという主張に関連して、日本政府が28日、関連映像を公開した。軍の活動が含まれる映像を公開し韓国を圧迫すること自体が信頼を損なうものであるが、映像公開が安倍晋三首相の直接の指示によるものだというから驚きを禁じ得ない。いったい安倍首相は韓 -日関係をどこまで悪化させるつもりなのか聞きたい。国内の政治的利益のために近隣諸国との外交問題を活用する態度をすぐやめるのが道理にかなっている。
去る20日、韓国の駆逐艦である広開土大王艦が東海(日本海)で日本の哨戒機に攻撃信号と見なしうる射撃統制レーダーを稼動したという問題に関しては、韓 -日軍事当局の説明が食い違っている。しかし、内容がどうであれ、双方の誤解またはミスから始まったものであることが、当時の状況を見れば明らかであると思われる。当時、広開土大王艦は、遭難した北朝鮮船舶を救助中であり、敵ではなく日本の自衛隊哨戒機に射撃統制レーダーを稼動するいかなる理由もなかった旨、韓国軍は明らかにした。もし日本の哨戒機が攻撃信号を検出したのならば、いかなる過程を経てそうなったのか、双方の軍事当局がじっくり事実関係を確かめて確認すればいいことであろう。すでに27日に、韓日国防当局間では実務者会議が開かれ、「レーダー問題」の解消を図っている最中であった。
ところが、実務協議のまさに翌日、突然、日本の哨戒機が撮影した映像編集本を公開し韓国の公式謝罪を要求したのは、紛争を意図的に大きくするという意図にしか思われない。そのうえ、防衛省の反対にもかかわらず安倍首相が映像公開を主張したというから、支持率が落ちている彼が政治的地位のために韓日間の問題を利用しているのではないかという疑問さえ生じる。ただでさえ、両国の間には過去の歴史をめぐる問題と不信が山積している。このように、日常の懸案さえ政治的に利用し始めたら、今後、韓日関係はどうなるのか断言しにくい。
日本の植民地支配から始まった反人間的行動に対する謝罪と賠償問題は、韓日両国が時間を持って、政府だけでなく、市民社会陣営で幅広く議論しつつ解決策を見つけなければならない。この作業が難しいからといって、他の問題と結びつけることは望ましくない。安倍首相と日本の防衛当局は、過激かつ一方的な行動を自制するよう願う。

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広河隆一事件を考える―日本版#MeToo、ボスザル社会克服の契機に [etc.]

「週刊文春」が報じたフォトジャーナリストの広河隆一氏(以下敬称略)の性暴行、セクハラ事件に少なからぬショックを受けた。私は彼が30代後半にパレスチナに関わっていた頃から知っており、チェルノブイリを経て、福島にも積極的に関わってきた彼の主宰する「DAYS JAPAN」も、福島特集号を何度か購読してきた。今回被害が報じられたのはこの10年の7人ということだが、幼少期に形成された人格はそうたやすく変わるものではないので、彼も若い頃から同様の犯罪的行為に手を染めてきたことは容易に想像できる。被害女性の数は元祖#MeTooのハーヴェイ・ワインスタインを凌ぐかもしれないとすら考えてしまう。報道によると、被害女性が「DAYS JAPAN」編集部に辞める旨電話で伝えると、相手は事情を察した様子だったといい、また彼は、ささいなことで激高し、理不尽にスタッフを怒鳴りつけたり罵倒することがしばしばだったというから、編集部も広河のセクハラや性犯罪を知りつつ黙認していたことが窺われ、「DAYS JAPAN」全体の責任も問われよう。単に広河を社長から解任すれば済むという問題でもなかろう。
女性たちは広河を「神」のごとく崇めていたというが、この言葉ほどこの種の男を端的に示すものはない。神といえば慈悲深い全能の存在と肯定的に考えがちだが、それは神の一面であって、裏面では、逆鱗に触れれば天罰を下す無慈悲な絶対権力者が「神」だ。広河のような男は、どの世界ー政治的に右とか左とかも関係なくー一定数存在する。私はかつて労働運動に関わり、それも最左派の部分に関係を持ったことがあるが、その世界にも札付きの「女たらし」がいたし、私が所属した組合の委員長は酒の席で隣に女性組合員を侍らせてそのお尻を触るのが「趣味」だった。また、痴漢常習の組合員もいた。
広河のようにどんなに優れた写真家であり、立派な社会活動を行い、数々の賞を受賞してきてた存在でも、決してそれをもって免罪させるものではないし、むしろセクハラ・性暴行の一事をもって、それらの功績は無に帰するといっても過言ではない。その輝かしい功績も、被害女性らが彼によって陵辱され蹂躙された人生の重み・貴さに決して勝るものではない。このようなセクハラ・性暴行常習者は決して許される存在ではなく、社会的に抹殺されてしかるべき存在だと私は考える。
今から2年前にアベ同様に政治を私物化した朴槿恵大統領を退陣・逮捕に追いやった韓国では、今年初めに女性検察官の告発を機に#MeToo運動が各界で爆発的に広がったが、対する日本では#MeTooといえば伊藤詩織さんが突出した存在なのが実情だ。この広河事件を機に、遅ればせながら日本でも、各界に#MeTooの波が広がることを願わずにはいられない。
韓国は日本以上に儒教社会で男尊女卑の国だったが、昔から女性は「大和撫子」のように恭順な存在だったわけではない。しっかり自己主張し、自分の居場所をそれなりに確保してきた。私は、日本で#MeToo運動が広がるかどうかが、断崖絶壁にある今の日本を救えるかどうかの最後の鍵だと思っており、それが広がれば、今の政治に典型的なボスザル社会を真に民主的な社会へと再生していく可能性がまだ残されている、と微かな希望を抱いている。
生物学的に男であり、男性と性自認する私は、かつてもそのような性被害を受けた女性には単に寄り添う以上のことはできなかったし、今後も自ら積極的に何かをしていくことはできないが、マッチョな男性中心社会、ボスザル支配社会の終焉を望む気持ちは、他のどの男性よりも強いと自認している。

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(社説)和解・癒やし財団解散、「慰安婦問題」真の解決の契機に[京郷新聞11.22] [Korea]

女性家族部が21日、「韓国・日本慰安婦問題合意により設置された和解・癒やし財団の解散を推進し、財団の事業を終了することに決定した」と発表した。日本から財団の基金として受け取った10億円のうち残りの5億7000万円の処理については、慰安婦被害者等の意見を聞いた後に決定すると明らかにした。
韓国・日本慰安婦問題合意は、朴槿恵政権が慰安婦被害ハルモニの意に反した拙速外交の産物である。何より「被害者中心主義」の原則を無視したもので、財団が生命力を持つことができないのは当然である。また、財団の解体には1990年代に日本の民間募金形式で推進されたアジア女性基金に続き、金による日本の慰安婦問題解決の試みが挫折したという意味もある。当事者の意思を排除したまま金銭を用いた慰安婦問題の解決は不可能であるという点が、二度の失敗で確認されたのである。
和解・癒やし財団の設立は、日本の総理の謝罪とともに韓国・日本慰安婦問題合意の中心的な条項であった。今や、財団の解体で韓国・日本間の合意は有名無実化した。政府は慰安婦問題合意に関して破棄または再協議の要求をしないことにしたからには、新たな解決方法を提示すべき課題を抱えることになった。日本も、慰安婦問題が最終的・不可逆的に解決されたという主張を撤回すべきである。普遍的人権と正義に該当する事案は、政府間合意でだけで解決されるのではないという点を認めなければならない。当面の課題は、日本が拠出した10億円をどのように処理するかである。外交当局は10億円の即時返還を要求する被害者の意見を反映して、日本側と10億円処理問題を賢明に解決しなければならない。現実的に生存被害者と死亡被害者の慰労金額が異なることと、慰労金を受け取らなかった被害者に対する対策も講じなければならない。
今回の財団の解散は、誤った方向へ流れた慰安婦問題解決の道筋を正したものである。だが、安倍晋三総理は「(韓国・日本慰安婦問題合意の)国際的約束を守らなければ、国と国との関係が成り立たなくなる」と述べるなど、財団解散を強く非難した。日本は、そうでなくとも最高裁の徴用工賠償判決に対して反発してきた。日本は安倍総理の心からの謝罪拒否によって慰安婦問題合意破棄が始まったという点を考えなければならない。国家間の約束が破棄されたとだけ主張するのではなく、誤った国家の行為を正す意味があるという点を理解しなければならない。今回の解散が慰安婦問題の真の解決の出発点になることを願う。
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パンソリはこんなにジャズだった!-Near East Quartet [Jazz]

IMG_3025.jpg今年創立50年目を迎えたECMから、韓国人のアルバムが初めてリリースされた。Near East Quartetというグループで、リーダーのソン・ソンジェ(サックス)はバークリー音楽大学で学び、同じボストンのニューイングランド音楽院に学んでいたチョン・スウク(ギター)と出会い、2009年にグループを結成、2015年に女性ドラマーのソ・スジンとボーカルのキム・ボリムが加入したという。

韓国と日本におけるジャズの受容
第2次大戦後、同じアメリカ軍の進駐を受けてジャズが流入した日本と韓国であったが、戦前からジャズを受容してきた日本では、戦後、一気にジャズ文化が開花し、ジャズ喫茶があちこちにできたり、渡辺貞夫や穐吉敏子のような世界的ミュージシャンを輩出してきたのとは対照的に、韓国ではジャズは大衆の中に根づかず、90年代前半に在韓経験のある私にとっても、この両国の違いはどこに根ざすものなのか、長年抱いてきた疑問点であった。同じ大衆音楽でも、両国は演歌からはじまり、JポップやKポップなど共通した音楽情緒基盤があるだけに、なぜジャズだけは例外なのか、いまだにその謎は解けていない。
しかし、その韓国でも、今世紀に入って、海外で本格的にジャズを学ぶミュージシャンが出てきて、ようやく大衆にジャズが音楽の一ジャンルとして受容されつつある感がある。

みごとECMサウンドに融合
本アルバムの最初の曲は、エレクトロニカルな曲調のギターとサックスの演奏だ。しかし、2曲目が始まると、女性のハスキーな独特の抑揚を持った韓国語の歌が聞こえてくる。何とパンソリではないか! しかも、バックの幻想的な演奏との違和感が全くない。70~80年代にヤン・ガルバレクが北欧のフォルクローレをジャズで叙情的に奏でたように、みごとECMサウンドと化している。
全8曲のうち、キム・ボリムのパンソリが5曲を占める。特にソン・ソンジェがバスクラリネットを吹いている3曲目の「パラム」は、ソ・スジンがマレットで太鼓(プッ)のようにドラムを叩き、最後にはキム・ボリムがチン(鉦)を叩くなど、最も韓国的趣向を凝らした演奏。
このアルバムでは全体にスローで幻想的な曲調が貫かれているので、キム・ボリムのパンソリも抑制的なものばかりだが、YouTubeで検索してみると、軽快な語り(アニリ)に乗せたけっこうハードな曲も聴かれ、それもなかなかいけている。
それにしても、韓国の伝統芸能であるパンソリが、これほどジャズであったとは驚きである。過去にサムルノリが日本のジャズミュージシャンと共演したこともあったが、意外性はその比ではない。そういえば、1993年に公開された韓国映画「西便制(ソピョンジェ)」で、最後に見せる主人公ソンファの歌唱とトンホの太鼓(プッ)の激しい掛け合いは、まさにジャムセッションそのものであった。



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Jジャズの牽引役 Ai Kuwabara the Project / To The End Of This World [Jazz]

ai.jpg桑原あいのザ・プロジェクト名義の初アルバムで、管楽器やストリングス、女性ボーカル、さらにはラップを起用し、従来のトリオプロジェクトの枠を打ち破って新境地へと誘う作品だ。トリオプロジェクトは事実上ベースの森田悠介とのコラボレーションで、ふたりのバトルが生み出す化学変化が聴きものだったが、本作ではより大きな編成の音楽に挑むことで、桑原自身の音楽性を大いに飛躍させ、ワールドワイドなジャズの世界を創り出すことに成功している。
Opening-1は桑原のソロで始まり、従来なら長いソロで終わるところだが、途中からベースとドラムが加わりゲストの武嶋聡のフルートのソロへと続く。トリオでは聴けなかった新たな世界へさっそく引き込まれていく。
次のMAMAはいきなりDaichi Yamamotoのラップから入り、後半、桑原のピアノがブラスとともにスリリングに絡む。
Mother Seaは従来のトリオ演奏を最も継承している演奏といっていいが、後半からストリングス、さらには吉田沙良のボーカルが加わり様相がドラマチックに一変、重厚な曲に仕上がっている。
次のThe Errorはカナダ出身のサックス奏者Ben Wendeをフィーチャーした曲で、桑原もオーソドックスなジャズピアノを披露。
When You Feel Sadは寺山修司の「悲しくなったときは」を英訳した詩を吉田沙良が歌う軽快な曲で、桑原は珍しくエレクトリックピアノを弾いている。
Improvisation XV -Hommage A Edith Piaf-はフランスの作曲家フランシス・プーランクの曲で、徳澤青弦カルテットを主体とした演奏。
Mariaはレナード・バーンスタイン&スティーヴン・ソンドハイムの曲で、桑原と徳澤青弦のチェロのデュオ演奏。
919は再び桑原のオリジナル曲でハードなトリオの演奏。(ちなみに、919というタイトルは安保関連法が成立した2015年9月19日を指すらしい。)
Love Me or Leave Meはジャズボーカルのスタンダードで、吉田沙良が歌い桑原はブルージーな演奏を聴かせる。
そして、最後のタイトル曲To The End Of This Worldは、スローなオリジナル曲で鳥越啓介のアコーステックベースを加えたトリオの演奏で幕を閉じる。
全体的に様々な編成、曲調からなるが、桑原節といってもいい彼女独特のピアノ演奏が全体を貫いており、それがより大きなスケール感を獲得したという印象を受ける。
ジャズがグローバル化し、イギリス、フランス、ドイツ、ポーランド、オーストラリア等々、参加ミュージシャン自体はボーダレス化しつつも各国でニュージャズが盛況な現在、正直日本では優れた才能は海外に流出し、Jジャズそのものはそれら諸外国のジャズシーンからは一歩遅れをとっている感が否めないと思う昨今だが、桑原あいとザ・プロジェクトこそ、これからのJジャズの牽引役としても期待されると思う。



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